いい加減

あべせい

いい加減

 


 客の南川が壁に貼られたメニューを見ながら、若い女店員の麻沙に注文する。

「カツ丼。エーッと、カツは柔らかめ、たまごはゆるめ、味は薄めで」

「ハーイ! 大将、カツ丼1丁! 味はいい加減!」

「姉ちゃん、いい忘れた」

「エッ?……」

「声は低めで」

 麻沙がムッとすると、

 南川、

「ついでに値段は安めで、か」

 カウンターの端にいたサングラスの女性客が話しかける。

「お客さん、こちら、初めて?」

「アン?」

 南川、女性を見て、

「おれか? まァ、あんたのような美人のお客が来るとんかつ屋なンか、滅多にねえから、忘れるわけがない。となると、初めてかな」

 女性、ニコっとして厨房の中に視線を送り、

「大将! ご新規だって。気張って作ってやってよ!」

 南川、壁のメニューに目をやり、

「なるほど、とんかつでも、いろいろ細かい注文ができる、ってことか。『いい加減』は、肉柔らかめ、ソースゆるめ、味薄め、か。肉硬め、ソースきつめ、味濃いめは、『手加減ナシ』ってか。ほかに、『ほどよい加減』に、『どうでもいい加減』って。加減の難しい店だな」

 美人客、再び、南川に、

「あなた、どこから?」

「東京だ。あんたは?」

「エッ!?」

「いや、生まれはどこかって?」

「もちろん……(少し考え)どうでもいいじゃない」

「そうか、秘密か……」

 厨房で調理に忙しい店主は、ジロリッと客を見ただけで無言。

 美人客、南川を探るように、

「あなた。こっちへは仕事?」

「着古したブレザーに、負けず劣らずの古ズボン、こんな格好でできる仕事って、そんなにはないだろうな」

「だから、さっきから考えているの……」

「人探しだ」

「借金取り?」

 厨房で背中を向けている店主の肩が反応する。

「ズバッと言うね。悔しいけど、当たりだ」

「名前と住所は?」

「心当たりがあるのか? 金遣いが荒くて、目付きの悪い二人連れ」

「二人連れ、って夫婦?」

「そいつはわからない。俺が追っているのは男だが、男には女の連れがいるようだ」

「名前は?」

「……衣沢(きぬさわ)、住所は、この町の……」

「大将!」

 美人客は店主に話しかける。

「この前来たお客さんに、外車を自慢していた人がいたじゃない。ひどいボロなのに。名前は……多浦って言ったっけ」

 店主が初めて重い口を開く。

「そうだったか」

 南川、考えながら、

「多浦か。まァ、いい」

 美人客、探るように、

「あなた、名前は?」

「俺か。俺は……名無しの権兵衛だ」

 美人客、怪しみ、

「いやなひとね」

 そっぽを向いて、顔の化粧を直し始める。

 店主、出来あがったカツ丼をカウンターの台に乗せた。

「いい加減1丁」

 南川、カツを頬張りながら、

「うまい。開店して3ヵ月の味とはとても思えない」

 美人客、南川をいぶかり、

「この店がオープンして3ヵ月って、どうしてそんなことまで知っているの?」

「店に入る前、出てきたお客に聞いた。店は古いが、味は新しい、って」

 突然、店主が険しい表情になった。

「だれがそんなことを言いましたか?」

「だれだっけ。俺と入れ替わりに出て行ったお客……」

 亭主、怖そうな顔で、

「そんなお客さんはいなかったですよ」

「そうだっけ? 俺は聞いたンだがな……」

 店主、ますます悪相になり、命じた。

「きょうは終わりにしよう。麻沙ちゃん、暖簾を取り込んで」

 麻沙は不満顔で、

「大将、まだ1時ですよ」

 大将、厨房を片付けながら、

「気分が悪くなったンだ」

 麻沙、仕方なさそうに、

「そうよね」

 南川、笑みを浮かべて箸を置く。

「俺も帰るか」

 麻沙、見咎めて、

「お客さん。カツ丼、ほとんど手つかずですよ」

「大将に嫌われちゃ、うまいカツ丼もまずくなるだろう。出直すよ」

 南川、お金をテーブルに置いて出ていく。


 翌日。ライダースーツの見かけないお客が現れる。

 メニューも見ずに、

「カツ丼、手加減ナシ」

 お客は濃い緑色のサングラスをかけ、野球帽を深く被っている。

 麻沙、人相がわからないお客を怪しみながらも、

「はーい。大将、カツ丼1丁、手加減ナシ。お客さん、こちら初めてですよね」

「そうだったっけかな。忘れた」

「こちらへは、お仕事ですか?」

「ライダースーツを着てできる仕事って、いくらもないだろう」

「バイクに乗って来られたンですか?」

 お客、それには答えず、

「いろいろ聞くね。人探しだ。多浦って野郎を知らねえか?」

「あのカックイイ外車に乗ってる?……」

「来たのか、この珍奇な店によ」

 麻沙、「珍奇って、なによ」とつぶやき、不快そうに、

「いらっしゃいました」

「あれはオレの車だ。傷つけちゃいないだろうな」

「お客さん、お名前は?」

「衣沢だけど……」

「エッ!? 衣沢さん? 大将!」

 麻沙、店主を見て、

「昨日の人よ」

 店主、そ知らぬ顔で、

「かまうな」

 衣沢、麻沙に、

「どうした、昨日の客って」

「いいえ、なんでもありません」

「そうか。南川って野郎が、オレに会いに来たンだな」

「お客さん、お連れさんがいるンでしょ」

「そんなのどうでもいい」

「この町に何しに来られたンですか?」

「取り調べか? カツ丼食うのに、いちいち町に来た理由を言わなきゃいけねェってか」

「そんなつもりじゃ……」

「人に聞かれて困るようなことじゃねえ。借金の取り立てだ」

「お客さんも借金の取り立て……」

「おかしいか」

「でも、昨日来たお客さん、衣沢から取り立てる、って」

「南川だな」

「南川さんかどうか、知りません。名前は言わなかったですから」

 店主、衣沢の前にカツ丼を出し、

「お客さん、うちで面倒は困ります。ほかでやってください」

 衣沢、ムッとした顔で、

「大将、金の貸し借りは面倒か。大事なことだ。それとも何か、大将は金に困ったことがないと言うつもりか」

 店主、無言で背中を向け、厨房の角にいく。

 衣沢、店主の背中に、

「大将、南川が何と言ったか知らないが、あいつには2000万の貸し金がある。こんどあいつが来たら、地獄の果てまで取り立てる、って伝えてくれ」

 すると、カウンターの端から、

「そういうのよくないンじゃないの」

 衣沢が振り向くと美人の客が見つめている。

 衣沢、彼女に、

「何がよくない? 地獄の果てまで取り立てる、ってことか」

 美人、厨房の角で鍋をいじっている店主に、

「大将、なんとか言ったら。大将がはっきりしないからでしょ……」

 店主、押し黙る。

 衣沢、厨房に首を突っ込み、

「大将! もういいンじゃないか。あんただって、借金取りは怖いだろ」

 後ろ向きの店主の肩が、ブルッと震える。

 振り返りグイッと衣沢を見て、

「お客さん、あとで来てください。お話します。麻沙ちゃん、早仕舞いにしよう」

「またァ……」

「わかった。じゃ、あとで来る」

 衣沢、立ち去る。

 1時間後。二人乗りのバイクが、とんかつ店の前に着く。

 店は固く閉ざされている。

 後部座席の南川が、前の衣沢に、

「逃げたか」

「多浦が車の中でずーっと張っていたはずだがな」

 南川、周囲を見渡し、

「しかし、あいつの車がない。ということは……」

 衣沢、考えて、

「志水の野郎、こんな信州の片田舎でとんかつ屋をやっているなんて、料簡がわからねえ。おれたちに見つからないとでも思ったのか」

「依頼人が捜している志水って男は、やつに間違いないンだな」

「念には念を入れた。志水は元カーレーサーだ。大した成績をあげていないが、女にはバカにモテる。選り取りみどりで選んだのが、よりによって依頼人のひとり娘だ。依頼人は工務店の社長だが、元は極道。志水はそうと知らずに、娘から借金をした。借金ってのは、ジコって相手を二人も死なせたのがもとで作ったのが始まりだ。事故はレース中じゃない。一般道で、だ。200万の借金で見舞い金など当座の費用に当て、一応事故の後始末はできた。しかし、レーサー復帰が難しくなり、鬱々していたそんなとき、セールスマンにそそのかされ、株に手を出した。それがよくなかった。儲けも損もバカでかい信用取引だ。損が嵩んで、再び娘を通して借金を重ねる。借りた金で手仕舞いすれば問題はなかったが、懲りずに相場に注ぎこみ、気がついたときは借金の山、山、山だ。それでジィ・エンド。社長の娘は借金男に愛想を尽かして目が覚めた。依頼人はおれたちに取り立てを頼んできた」

「しかし、あんな男から、2000万も取り立てるのは土台無理な話だ。おまえよく、承知したよ」

「おめえに言ってなかったが、今回は借金の取り立てだけじゃない。(小指を示し)コレだ。やつは、依頼人のコレを連れて逃げてきたンだ」

「娘のあとは、愛人か」

「なんでも銀座ハナのナンバーワンホステス。未沙紀という名前だ。おれもまだ会ったことはない」

 南川、考えて、

「その未沙紀はどこにいるンだ。あの店員じゃ若すぎる。噂をすれば影だ。ヨッ、姉ちゃん!」

 麻沙がチャリンコで通りかかる。

「あら、オジさん。何やってンの?」

 衣沢が受けて、

「大将がおれに話があるっていったじゃないか」

「そうだったっけ。忘れた」

 南川、怪しみ、

「おまえと大将はどんな関係だ?」

「モチ、男と女よ」

「ゲッ! おまえ、いくつだ?」

「ハナも恥らう22よ」

「何が恥らうだ。あの男は40を過ぎてンだろうが」

「オジさん、ことわざ知らないの。恋に上下の隔てナントカ、って言うじゃないッ」

「おめえ、バカか。そいつの上下は年のことじゃねえ。身分の上下のこと。身分差のあった昔の話だ」

「あら、そォ」

「おまえ、中に入るンじゃないのか」

「いま、店は空っぽ」

「あの男、大将はどこだ」

「モチ、私の家よ」

 衣沢、麻沙に、

「大将は何してる?」

「女に手を焼いている」

「女?」

「東京からついてきた女だって。未沙紀とかいってたわ。もう、うちに10日も居ついているわ」

 衣沢、顔色を変え、南川に、

「そいつが社長のコレだ。2000万の取りたてと、その未沙紀を連れ戻すのが、おれたちの仕事」

「そうなの? そうしてくれると助かる。私についてきなさい。案内したげる」

 南川、不審に感じ、

「待て。おまえの家に親はいないのか?」

「車の事故で二人とも死んじまったの。あのとんかつ屋を遺して……」

 衣沢、思い当たって、

「そうか。志水がレーサーを引退することになった事故ってのは、信州でやらかしたって聞いていたが、おめえの親の車とぶつかったのか」

「悪いのはうちの親だもの。車線をはみだして、正面衝突。カレ、何度も見舞いに来てくれたけど、おとっちゃんもおっかちゃんも3日間集中治療室で苦しんだあと、死んじまった。でも、私はあのひとを恨ンじゃいない。それよか、一緒に暮らそうとわたしから持ちかけた。いい男だもの」

「わかった。おまえがあの男とどうなろうとかまやしない。おれたちは、2000万と、あの男についてきた女に用があるだけだ」

「ついてきて」

 衣沢のバイクが麻沙のチャリンコの後を追う。

 その後を、多浦が運転する赤い外車がこっそりついていく。

 その頃。

 一軒の立派な民家。

「未沙紀、いい加減、帰らないと、居場所がなくなるぞ」

「あなた、あんな小娘と本気で所帯を持つ気なの? ウソでしょ?」

「そんなことは先の話だ。しかし、おれはあいつのふた親を死なせた。あのとんかつ屋を守るのが、いまおれにできるせめてもの償いだ」

「本当はそうじゃないでしょ」

「ウン?」

「わかっているのよ。東京からきた借金取り。2000万円返すのに、あの子の両親の事故で降りた保険金、借りられたら、って。そうでしょ」

 志水、グッと詰まり、

「それはゲスの勘ぐりだ」

 未沙紀、構わず、

「いいのよ。その用をすませた後、東京に戻ってくるつもりなら。それとも、2000万、私が立て替えてあげようか」

 そのとき、外でバイクのエンジン音が。

 同時に、ドアが開く。、

「ただいま。大将、お客さんよ!」

 麻沙が居間に入ってくる。

 麻沙、未沙紀を見て、

「あんた、いい加減帰ってくンない? もう10日よ。いきなりやってきて、ひとの亭主を横取りしたの、誘拐したの、って。大将は自分でここにやってきたンだから」

 未沙紀、負けずに、

「宿賃は出しているでしょ。このひとがウンといったら、明日にでも帰るンだから」

 そこへ衣沢と南川。

 衣沢、サングラスを外している未沙紀を見て、

「あんた、未沙紀さんだな」

 未沙紀、衣沢を睨みつける。

「あんた、取り立て屋でしょ。この大将の借金なら、わたしが払ってあげる」

「そいつはありがたいが、あんたの身柄も必要なンだ。オイ」

 衣沢、南川に目配せして、二人で未沙紀を連れだそうとする。

 そのとき、多浦が駆けこんできて、

「未沙紀さん!」

 未沙紀、多浦を見て、

「あなた、社長の息子じゃない。どうしてここにいるのよ」

「ぼくは、親爺と歩いている未沙紀さんを見て、好きになったンです。どうしても未沙紀さんのことが忘れられず、取り立て屋のあとについてここまで来ました」

 衣沢、多浦を見て、

「あの若僧は、依頼人の息子か。中古車業者の多浦なんて偽名を使いやがって。志水が借金返済の足しにしたいと出した車に問題があるとか言って、おれたちについてきたンだ」

 多浦、未沙紀の手を掴み、

「未沙紀さん。外に車があります。一緒に行きましょう」

「あなた、私をどうするつもり?」

「一緒に暮らします。マンションも用意してあります」

 志水が冷めた表情で、

「未沙紀、この男と一緒に行け。そのほうがおまえのためだ」

 衣沢が横から、

「多浦、おまえは父親の女に手を出すつもりか」

「好きになったンだから。還暦の親爺に、未沙紀さんは合わない」

 南川も加わり、

「おまえだって合うとは思えないがな」

 衣沢、多浦に、

「多浦、2000万円、用意するなら、未沙紀は見逃してもいい」

 南川、衣沢の考えを怪しみ、

「衣沢、それでいいのか。未沙紀を連れて行かなくて、依頼人が承知するのか?」

「2000万あればなんとかなる。女は自分の息子と逃げたとわかったら、納得するだろう」

 多浦、哀しげに、

「いまのぼくにはお金がない」 

 未沙紀、怒って、

「待って! 私の気持ちはどうなるの。勝手に他人の人生を作らないで」

 それまで黙って聞いていた志水が、

「未沙紀、おれはおまえと行く」

「ホント!? うれしい。(衣沢を見て)2000万は私が出すわ」

 それまで黙っていた麻沙、

「待って、大将、私はどうなるの」

「麻沙ちゃんはまだ若い。この(多浦を見て)男のほうが似合いだ」

「バカ言わないでください。ぼくにだって、好みが……(と麻沙を見つめて)でも、なかなかいい娘だ」

 麻沙も多浦を見つめて、

「悪くはないけど、あなた、とんかつ揚げられる? 地元の豚を使った名物とんかつよ。死んだパパが何度も失敗してようやく完成させた味加減なンだから」

 志水、断言するように、

「大丈夫だ。おれだって、10日で覚えたンだ。本当は、覚えさせられたンだがな」

「このひとが一人前になるまで、しばらく大将が一緒にお店をやってくれる?」

 未沙紀もうれしそうに、

「それじゃ、私もしばらく手伝うわ」

 南川、頭を傾げ、

「衣沢、こんな納まり方でいいのか」

 衣沢、頷いて、

「とんかつ屋のメニュー通りになったンだな」

「手加減ナシ、ってか」

「いや、ちょうど、いい加減、ってな」

                 (了)

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いい加減 あべせい @abesei

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