第5話


「おはよう、タクト」


 朝にワラビと会うのは初めてだった。タクトの部屋にやって来たワラビは、今日は年に一度あるかというくらいに体調が良いのだと言った。


「ワラビ、今日は何を編むの?」


「またお花だよ。今日はちょっと特別な花を咲かせる。此処の近くに、丘があるでしょ? あそこをお花畑にするんだよ」


 北の塔から数キロ先にあるその丘は、かつて内戦で戦死した身元のわからない遺体が埋められている。お世辞にも縁起の良い場所ではなかった。


「⋯⋯ワラビ、あそこがどういう場所か分かってるんだよね?」


「分かってるよ。だからお花を編むの。国を想って死んでいった人達が、碌な弔いもしてもらえずに眠っている。忘れられた人だって沢山いるはず。そんな悲しい思い出だけで終わらせたくないよ」


 あの丘には、無慈悲に殺されていった善良な国民だけが眠っているわけではない。内戦を煽った国賊も、国民を巻き込む事を厭わなかった一部の兵士も眠っている。そういった意味もあって、誰も近付かなかった。もちろんワラビもその事は理解していて、その上で花を咲かせると言っているのだ。


「僕も行っていい?」


「え?」


「君のような心が綺麗な人がそれをやるだけでは、きっとその花は枯れてしまうよ。僕みたいに、あそこに眠っている人を恨んでいるような人間が、あの丘と向き合って君と一緒に花を編む事が大事だと思う。この国の人々の記憶に残るためにはね」


 父は死に、母は居なかった。タクトには両親の思い出がない。本来あるべき家族との思い出を奪われた恨みが多少なりともあった。だからタクトは、あの丘には近付かなかった。特定の誰かを恨んでいるのではなく、内戦そのものを恨んでいた。あの丘は、その象徴だと勝手に認識していた。


「⋯⋯分かった。それじゃあ、タクトには“種蒔き”をしてもらおうかな」


 朝食を食べ終えると、二人は丘へと出掛けた。道中、タクトはワラビの体調が気になっていた。


「こんなに遠出して大丈夫なの?」


「うん。お医者様から許可はもらっているし、動ける日は出来るだけ動かないと」


そう言うと、ワラビは三つの小さな小袋をタクトに手渡した。


「これは、花を咲かせるための種」


 糸で編むのなら、花はそのまま成形出来る筈である。先程ワラビは“種蒔き”と言った。タクトはそれを何かの比喩だと思っていたが、文字通り、本当に種を蒔くらしい。現実世界で花を咲かせるために蒔く種を、どうするつもりなのだろうか。


「根付かせるためだよ。これから咲かせる花に対して、私達がちゃんと愛している事を。そして、丘の下で眠る人達を、愛してくれるように」


 丘の麓には、何の標識も無かった。所々に雑草が生い茂り、岩や砂利が無造作に転がっていた。緩やかな坂道を登って行くと、数本の墓標が不揃いに並べられていた。そのどれもが手入れされている形跡もなく、朽ちていくのを待つばかりの様相だった。

 何もかもが美しいとされる糸の世界にも、まだこんな土地があったのだ。


「タクト、種を蒔いて」


 ワラビは墓標の前で跪き、目を瞑った。タクトは小袋の中の種を丁寧に摘み、地面にそっと蒔いた。

 ワラビは大きく息を吸い、白く小さな手を地面に添えた。ゆっくりと息を吐きながら、地面を撫でる。その動作は静かに始まり、何度も何度も繰り返し、その内に呼吸は激しくなり、優しく地面を撫でていた手はいつの間にか強く擦り付けるようになり、血が流れていた。


「ワラビ⋯⋯!」


 まるで過呼吸になったかのように苦しそうなワラビを見て、タクトはワラビの病気の事が頭を過ぎった。ワラビは一日中活動すると、最低でも四、五日は寝込む。今日は丘まで歩いたし、いつも以上に体力を消耗している筈だった。

 止めようかと手を伸ばしたその時、荒れ地だった地面は瞬く間に柔らかな土に覆われ、平面に整えられた。ワラビは呼吸を整え、目を開けた。


「タクト、ありがとう。今日は帰ろう。私はこれから北の塔に帰って、眠らないといけない。眠っている間かなり待たせてしまうけど、その後タクトには良いものを見せてあげる」


 額に汗をかいたワラビは力なく微笑むと、その場に崩れ落ちてしまった。

 その後の事を、タクトは曖昧にしか覚えていない。ワラビを死なせまいと、無我夢中でワラビを背負い丘を駆け下り、北の塔まで走った。大広場に辿り着いた時、周りの編み人達の目がいつもよりも大きく見開いた。心を殺している彼らの、細やかな驚きの表情だった。

 北の塔に常駐する医者にワラビを託した後、タクトは自室のベッドに倒れ込んだ。そのまま眠ってしまおうと目を瞑っても、眠れなかった。ワラビの笑顔が頭の中から消えないように、タクトの脳は覚醒し続けようと藻掻き続けた。

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