第4話


 その年の冬は、多くの雪が降った。

 この国には、数人ほどの雪の編み人がいた。今年はその内の一人に、タクトが加わった。

 外に出て白い空を見上げたタクトは、頬に落ちた雪の冷たさに歓喜した。自分にも、世界を構成する美しいものを編む事が出来た。生きている意味が分からなかった幼い頃の記憶から、やっと決別出来る気がした。 


 編み物の技術は人一倍努力して学び、鍛錬を重ねた。伸び悩む期間が何年も続いたが、ある日を境に糸を自在に編めるようになった。 

 何かを代償にしている自覚はなかった。レンに心は売るなと言われていたから、今でも普通の人と同じように泣いたり怒ったり笑ったり出来る。何を差し出そうかと常日ごろから頭を悩ませていたのだが、自覚の無いままこうして雪を降らせる事が出来てしまった。


 タクトはレンの居る仕事場を訪ねた。レンはまた、オーロラを揺らせていた。


「そうか。編めるようになったか。よかったじゃないか。お前、雪が好きなんだろ?」


「はい。だから自分の編んだ雪がこの国に降る事が誇らしいです。でも、僕は何かを代償として差し出した自覚がありません」


 レンは目を閉じ、暫く考え込んでから言った。


「いくつか考えられる事がある。どれもお前にとって良い事ではないと思うが⋯⋯。お前、どうして雪が好きなんだ?」


「どうしてって、好きだから⋯⋯」


 レンに指摘されるまで気付かなかったが、タクトは何故雪が好きなのか、その理由を説明する事が出来なかった。


「だから俺は、糸が嫌いなんだよ」


 レンは常々、糸が嫌いだと言った。どんなに精巧に編み込まれた糸だろうと、所詮は糸。糸は現実には成り得ないのだと。


「人が見たい景色、触れたい動物。そういうものを、糸さえあれば容易く編めてしまう。人が良いと思うものには大体不都合な何かが隠れているが、糸で編み込まれた世界では良いものしかない。悪いものを全部忘れちまったら、俺達はいつか人じゃなくなる気がするんだ」


「嫌なものを見なくていいのなら、それでいいじゃないですか。確かに、僕達が編み続けているこの世界には、汚いものがうんと減りました。僕にはそれが、どうしてよくない事なのか分かりません」


タクトは手を上げた。白い雪が、ふわりと空を舞った。


「そこに雪があって、それが綺麗ならば、それでいいじゃないですか」


 ひらひらと舞う雪は、レンの指先に優しく触れ、そして間もなく雫となった。それは糸に違いないが、人はそれを、本当は糸なのだと分かっていても、雪だと知覚する。


「お前は糸と雪の⋯⋯雪ってのは、つまり本物の雪の事だが、その二つの区別がつかないと思っているだろう」


 糸は正しく世界を創ることが出来る。人の感覚を見事に欺く。糸で創ったものと現実の区別など出来るわけがない。それはこの糸で編み込まれた世界を生きる人の、共通認識だった。


「分からねえって顔だな。いい事を教えてやるよ。そいつが糸なのかを知りたければ、自分がそいつに対して思っている本当の気持ちを探せばいい。改めて訊くが、お前、雪は好きか?」


少しだけ考えて、タクトは答えた。


「そういえば、それほど好きではないですね。寒いのも苦手だし」


「でも、お前は雪が綺麗だと言った。これはとても恐ろしい事なんだが、お前じゃない何かが、雪は綺麗だとお前に言わせたんだよ」


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