第22話:絶望は傍に
──ガゴオオオオオオン!
「とても人に剣が当たったとは思えない音。その腕、防具をしているように見えないけど、化け物?」
「痛ってぇ……ちょっと皮が切れたな。久しぶりに痣もできそうだ。オレは拳が当たると思って打ち込んだ。でも防がれた、やるじゃねぇか」
バスターの腕の皮の表面が薄く切れている。例えるなら紙やカミソリで肌を切ってしまったような傷、浅いが鋭い傷。血がバスターの腕を伝う。
「硬いけれど傷がつけられるなら、私の勝ちね。大人しくした方がいいわ、私の神器、フラガラッハによってできた傷は、私が許さない限り、回復できない」
「なるほど、だからすぐに傷が塞がらねぇのか、この程度だったら一瞬で治るはずなんだけどな。ってことは、お前の攻撃を食らわなけりゃいいってことか。お前の攻撃を避けながら、攻撃するのは難しそうだから、避けるのに集中すっかな」
「──っふ、随分と舐められたモノ。その威勢がいつまで持つかッ!!」
シャアプが剣戟を繰り出す。突きを行い、それが外れたならそのまま振り上げ、振り下ろしへと派生するコンビネーション。それさえも外れたなら剣を返し、再び突きから繰り返す。シャアプはそれを瞬きの間に三度行った。この技は外れなければ繋がることはない、そこで終わる。それが続いているということは、その全てをバスターが避けているということで、バスター当然のように行う異常な緩急のあるステップを目の当たりにしたシャアプは冷や汗をかいた。
バスターを捉える自信があったからこその驚愕と焦り、シャアプの顔から慢心が消える。それと同時に彼女の突きからのコンビネーションの鋭さが増した。
「──うおっ、まだ早くなるのか。そんな頑張って良いのか? オレはこれぐらいだったら半日は息を切らさず続けられるぞ? ま、避けられても攻撃する余裕はねーけど」
「息を切らさず半日? 虚言を! 私よりも素早く動くお前の方が先に息が切れるに決まっている!! 続けられたら困るからと嘘をつく! 小賢しい!」
バスターは嘘をつかない。オーグラム男児にとって嘘は誇りを捨てるのと同義だと、バスターは思っているからだ。けれど、バスターのそんな生態をシャアプが知るはずもなく。シャアプはバスターが嘘をついたと断定し、突きからのコンビネーションを繰り返すことにした。
──そうして一時間が経過した。
「ぜぇ、はぁ……どういうこと!? 体力を無限にする魔法でも使っているのか? 何故だ、何故貴様は息一つ乱さない……!?」
シャアプが剣先を下ろす。攻撃の手を止めた。一時間経って、ようやくバスターの異常性を認めたらしい。
「そりゃあだって、オレの闘法、
「嘘だ! 不可能だ……あんな馬鹿げた回避速度で疲れることがない? まさか、本当に真の勇者だっていうの? これが、真なる勇者の力……?」
俺はこの二人の戦いを一時間ずっと見守っていたが、実の所、シャアプの表情を見るに、シャアプは戦闘開始から15分程でまるで疲れを見せないバスターに違和感を抱いていたように見える。けれどきっと部下達の前でバスターの嘘だと断定してしまったことで、引くに引けなくなったというか、意地になって事実を認めたくなくなってしまったんだろう。
「いや別に真なる勇者の力は使ってねぇよ。これは元々あるオレの力、単なる修行の成果でしかないぞ。お前ら通常の勇者と違って真なる勇者の力は身体能力を強化しないっぽいしな。それよりさ、本当にオレが嘘を言ってると思うのか? オレが嘘をつくような奴に見えるのか……オレは人生で一度も嘘をついたことがないぞ?」
「なっ……」
「シャアプ様! おそらく事実です! 確かドランボウ家の領地、オーグラムの男は嘘をつかない。嘘をつくぐらいなら腹を切ると聞いたことが……」
シャアプの部下の聖騎士が勇気を出して、シャアプに真実を伝える。口を開いたまま、唖然とするシャアプ。わなわなと震えた彼女の腕は、神器フラガラッハで地面に乱れた線を引いた。
これは……この感じ、俺には分かるぞ。これは強すぎて負けなしだった戦士が、初めて負けたか、苦戦した時に見せるヤツだ……といっても、こうなるのはまともな人間性を持っているヤツだけで、狂戦士タイプのイカれはむしろ調子を上げる。そうなるとシャアプはきっと、まともということだろう。
「お! 傷も治った! もしかして傷の回復を禁じるヤツ解除してくれたのか!? 助かる~~、このままじゃ出血死するところだったぜぇ~」
「はぁああああ!!? そんな、嘘……私は、回復を許してなどいない……」
「え? じゃああれか、毒なんだろ、傷が治らねぇってのは? だとしたら毒に慣れちまったんだな。オレは体への毒なら結構耐性あるからな。毒に慣れたんなら、ある程度は傷を負っても大丈夫、攻撃もできるか」
敗北感を受け入れようとしていたシャアプに、バスターが追撃のように新たな真実を口にする。バスターにはおそらく殆どの毒が効かない。オレが見た限り、バスターの毒耐性をすり抜けたのは新魔族達の使っていた魂を汚染する毒だけだ。しかしそれ以外は効いたのを見たことがない。多少効いたとしても、バスターはすぐに耐性を獲得してしまう。
バスターは生まれてすぐ、スミスの方針で毒耐性を鍛えるためにとある毒物を摂取し続けている。その毒物の名を、忘れ蛇の刺毒。あらゆる物質を崩壊へと導く毒を持つ、オーグラムサソリ蛇という蛇から取れる毒を5000万倍に薄めることで造られる毒薬で、この蛇の毒、その原液をサソリのような尾の先端にある棘から注がれると、体が崩壊を始める。まず走ることを忘れ、次に歩くことを忘れ、生きることを忘れるように死ぬ。この毒で死に至る時、人は全ての言葉を忘れるという。
そんな危険な毒だが、この全てを崩壊へと導く毒の耐性を持つことができた場合、人はあらゆる毒物への耐性を持つことができるという。全てを崩壊へと導く毒の性質を、肉体が学び、毒に対してこの性質を再現できるようになるからだという。オーグラムサソリ蛇の毒は複雑な魔法が組み合わさってできた毒で、根本的にはただの魔法なのだ。ただあまりに複雑な魔法なので人間に再現することは難しいだけで魔法には変わりない。
複雑な魔法をとはいえ再現することは理論上は可能なのだ。肉体が無意識的に毒と同じ原理の崩壊の魔法を扱うようになる。あくまで理論上は……
しかしこの忘れ蛇の毒の魔法に完全適応した者は今までいなかったという。バスターが現れるまでは……最強の毒耐性を得られると伝説を信じて毒を試した者の殆どは死に、少しの耐性を得ることに成功した者も、さらに先の耐性を目指そうとはしなかった。更に先を目指すというのは、毒薬の濃度を徐々に上げていくというもので、その完全適応とはとは即ち──バスターは忘れ蛇の毒の原液を飲めるということ。
それにしても……スミスはこんな危険なものをよく子供に飲ませようと思ったものだ。真なる勇者になるだろうバスターなら絶対耐えられるとか言っていた。根拠などない、おそらくいけるだろうというイカれた信頼だった。全く死んだらどうするつもりだったんだ……
バスターの毒耐性を鍛えたほうがいいとスミスに勧めたのは剣聖賢者グランドだが……おそらくグランドもスミスがここまでのことをするとは思っても見なかったことだろう……まぁ結果バスターはあらゆる毒への耐性を持つことができたし、今回は神器の毒さえも克服した。神器の魔法の毒を体内で崩壊させた。
「攻撃もできる? ……ふざけるな!! 貴様のその強さ! 傷を厭わなければ、私を殺せたはずだ! 化け物が……見下して……ッ!!」
「殺す? お前をか? 殺さねぇよ、そもそもオレとゴムヒモ博士はお前に捕まってやるって約束しただろ? なんだってそんな殺す殺さないに躍起になれるんだ? オレもお前も別に悪いやつじゃねーだろ? なのに殺しまで行くのか? そんな殺しをしてまで、信じる価値のある神なのか? お前の神、アレンコードは」
いや、そのバスター……俺はそんなこと命じるどころか願ったこともないんだけどね……? って、ここで俺が釈明した所で聞こえないか……
「神への、アレンコード様への信仰心を問うか!! アレンコード様は私の全てだ! 私はずっとそのように生きてきた! それ以外には何もない!! 私が神を信じるように、アレンコード様は私にチャンスをくださった! 勇者となって、このウレイア帝国と国教を守れと! 私を認めて、認めてくれた。その信念を愚弄すると言うのなら! 私はお前を殺す!!」
シャアプの纏う空気が変わった。怒りは魔力となって、シャアプの肉体からとめどなく溢れる。赤と黒の禍々しい、憎しみの魔力。シャアプの完全なる殺意が、バスターへと向けられる。そのプレッシャーは本物で、シャアプの本気が伝わるもので、バスターに冷や汗をかかせた。その緊張感は、バスターに死を感じさせるものだったのか、バスターは険しい顔つきで戦闘の構えを取った。
「本当にそうなのか? お前アレンコードに会ったことがあんのか? 声を聞いたことがあんのか? オレにはお前が孤独に見えるぞ。お前には部下や、教会の他の仲間だっているはずなのに、お前……神への信仰心以外は何もないって……お前の傍に人はいるだろう……? それなのに孤独なのか? お前、神を見ようとして、人が見えなくなってんじゃねぇのか? それってよ、神はお前の孤独を癒せないってことじゃないのか?」
「貴様、知った風な口を!! 天涯孤独の身だった私を拾い上げ、育て救ってくれたのが神だ。恩がある、そのために、孤独になると、孤独になるというのなら……私は、私は……別に、あ、あれ……?」
──カランカラン。
「おいおい嘘だろ? シャアプ様が……剣を、神器フラガラッハを手放したぞ」
ざわつくシャアプの部下の聖騎士達。シャアプが神器フラガラッハを手放し、力なく、無気力に、膝をついたからだ。その目には涙が溢れていた。
「なんで……力が、出ない……? 私は、私はまだやれる。やれるはずだ……何故だ、どうして……」
シャアプが神器フラガラッハを手に取ろうとするが、剣を上手く握ることができず、地に転がし、無慈悲な音が響くだけ。シャアプは戦闘ができる精神状態ではないようだった。
……バスターの真なる勇者としての力が、意思を強化する力が働いたのか。バスターはシャアプに本物の殺意を向けられて、死の感覚を抱いた。だから無意識的に真なる勇者の力が働いたのではないか? バスターが殺意を持つような戦闘態勢になると、バスターは力を無意識に発動しちゃうみたいだからな。
「貴様……! 一体何をした……私に、私に何を……っ。やめてくれ……! 私の信仰心を奪うな……奪われたら、何もかもが、本当に何も……なくなっちゃう……」
「う……悪い……どうやらオレの真なる勇者の力が発動しちまったみたいだな。けど大丈夫だ、オレは別にお前の信仰心を奪っちゃいない。今は落ち込んでるだけだ……ほ、ほらもう泣くなよ。ちゃんと捕まってやるからさ、なっ?」
シャアプがバスターの力の影響でおかしくなったのは分かる。だけど、どうしてこうなる? 理由はよく分からないが、バスターはシャアプを不憫に思ったのか、大人しく捕まってやろうと両手をシャアプへと突き出した。腕に縄を括り付け、捕まえろと言うかのように。
やれやれ……この隙をついて逃げりゃいいのにな……まぁバスターにそんな選択肢はないか。捕まってやると約束したし、カトリアはとっくに逃げ切っているからな。もうここで区切りにするのがバスターの考えだろう。ま、バカだとは思うが、俺はバスターのそういう所は嫌いじゃない。
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