第29話 さんざんサンサーラ


 ”全てが幻だったのではないか”というくらいに、

 いろんなことが曖昧に思い出される。


 どうしているかな、みんな。

 土地霊さん、先輩霊さん、猫ちゃん。

 そして変なバスローブを着た”湯上がり幽霊”さん。


 せっかちで慌て者の彼女のことだ。

 じっとしておられず、すぐにまた転生したのだろう。

 今ごろすでに、どこかで大騒ぎしながら

 いろんな騒動を起こしているのかもしれない。

 ……あの明るさと前向きさが、

 どうかそのままでありますように。



 あれから10年以上経っていた。

 幽霊たち彼女らと出会い、そして別れてから、

 もうそんなに経ったとは。


 あの後は一度も、幽霊は見えないし声も聞こえなくなった。

 それに残念ながらあの後も、

 僕の人生が劇的に良くなったわけではなかった。

 そう簡単には変わらないものなのだろう。


 次に働いた系列会社でも、みんな当然を知っているから

 ”打たれ弱いヤツ”と過剰に気遣われたり

 ”本社で揉めたヤツ”という色眼鏡で見る人がいた。

 そういったたぐいは決まって、

 異端を排除しようと必死になった。


 僕はつくづく思い知ることになる。

 子どもの頃は、仕事って大変なんだろうなと思っていた。

 でも本当に問題なのは、仕事自体じゃないことも多い。

 むしろ仕事の困難さは”やりがい”の範疇だろう。

 疲弊するのは、人間関係なのではないだろうか。


 必死に頑張ってはみたけど、1年を過ぎた頃には

 ”君は自由に選択できる”という

 先輩霊さんの言葉を頻繁に思い出すようになり、

 とうとう退職願いを出すことにした。

 ”打たれ弱いヤツ”というのを実証してしまったのだ。


 しかし”退職願い”をみた上司は、複雑な顔をしていた。

 そしてため息交じりに、小声で僕に言ったのだ。

「……あのね、ここ。どのみち無くなるんだ。

 合併吸収されるの。本社がいろんな事業を撤退するからね」

「えええっ?!」

 確かに不穏な空気は流れていた。

 それはうちというより、〇〇本社が傾いていることを

 社内の皆が感じていた。

 あの超大手が。大人気の企業が。


「だからね、行くところ決まってなければ、

 もうしばらく、ここにいたほうが良いよ。

 さすがに給料未払いはないからさ」

 疲れたように笑って上司が退職願をつっかえしてきた。

 確かに自己都合で短期間での退職と、

 組織再編による希望退職者では

 転職時に扱いが違うかもしれない。

 僕は一礼してそれをしまいこむ。


 そうして事業の撤退や大幅な規模縮小による改革にあわせ

 僕は次の会社を何社か受け、

 無事に合格したところに滑り込んだ。


 しかしそこも、不景気のあおりを食らい、

 ほんの数人が多くの作業を受け持つ、という

 いわゆる”ブラック”な働き方をせざるを得ない職場だった。

 ものすごく忙しいと、思考力も判断力も奪われてしまう。

 そのせいか、ここでは三年近くも働くことが出来た。


 しかしあまりにも忙しく、

 ”こんなん絶対無理だろ!”的な状況に置かれた際。

 またしても”自分は何をやってるんだ”と気付いてしまったのだ。

 キャリアになりそうもない仕事で

 自分を摩耗していくことに恐怖を感じ

 僕はそこを脱走犯のように飛び出した。


 ホッとした半面、さすがに僕は落ち込んでいた。

 今どきは転職も当たり前だし、

 ステップアップの手段とする人だって多いかもしれない。

 でもそれを望まない人だってたくさんいるだろう。

 僕に安住の地はないのか。

 それは社会のせい? それとも自分に原因がある?

 

 そのころ、かつて働いていた○○は完全に地に落ちていた。

 本社ビルを撤退し、支社や子会社を閉鎖、負債まで抱える始末だ。

 あのまま働いていたらどうなったんだろう、とは思った。

 でも全くザマアみろとは思わなかった。

 ただただ、ショックだった。

 

 僕が子どもの頃から知っている大企業が、

 わずか数年の間にそこまで落ちぶれるなんて、

 想像もできなかったから。

 まあ社会的に見ても、人気企業のランキングなんて

 数年間でコロコロ変わるものだし、

 企業の零落や破綻など、そんなに珍しい事ではないのかもしれない。

 

 さて、次はどうしようか。

 そう思った僕は、今までにない手法を試してみることにした。

 土地霊さんの言っていた”縁”という言葉を思い出したのだ。

 だから学生時代の友人や先輩に

 僕が絶賛求職中だと宣伝してみた。


 以前はプライドもあって、絶対そんなことはしたくなかった。

 でも社会人を数年やってみて、

 それは割とオーソドックスな手法だと知る。

 いわゆる”リファラル採用”というやつだ。


 割とすぐに、同じ研究室の先輩だった人から連絡があった。

 それは自分のおこした会社で働いてみないか、

 という驚きのお誘いだった。


 もちろんネームバリューはなく、待遇は今までと違う。

 しかもここで場合、

 学生時代の繋がりまでつぶしてしまう恐れがあった。


 しかし言い出した手前、面談を断るわけにもいかず、

 恐る恐る先輩の会社に出向いたのだが。

 出されたお茶に添えられていたのが、なんと。


「このお菓子、知ってる? 俺の地元のなんだけど」

 先輩の問いに、僕は笑いが止まらなかった。

「はい、”いも望月”ですね。

 ……知人が大好きで、箱食いしてました」

「そうなんだ! うわ、その人と気が合いそうだな!」

 そこで僕はぐっと詰まってしまう。

 僕の中で、あの頃の思い出が一気に膨れ上がっていく。


 そうとは知らず、先輩はニコニコとこれの魅力を語った。

「……ホントにこれ、もっと評価されるべき銘菓なんだよ」

「知人も言ってました。”いも望月様にひれ伏すが良い”って」

 手を叩き、”その通り”とうなずいて笑う先輩。


 僕はここで働きたいと思った。

 そして先輩もそれを望み、僕を受け入れてくれたのだ。


 *********


 それから5年。そしてなんと、今でもそこで働いている。

 もちろん山ほど大変なことはあったけど、

 そのほとんどは”やりがい”のほうの苦労だった。


 その間、結婚もして、2年前に子どもも生まれた。


 最近、マンションを購入し引っ越したため、

 僕は念願、いや悲願を実行に移すことにしたのだ。

 幸い妻も”子どもにとっても良い事だろう”と快諾してくれた。

 それは……猫を飼うことだ。


 さっそく新居の近くの公民館で、

 保護猫の譲渡会が開かれているというので見に行く。

 浮き立つ気持ちでキョロキョロしながら見回っていると。


 一匹の子猫が妙に気になって仕方なかった。

 その猫はどの人に対しても、怒り、恐れ、

 シャーシャーと大きな口を開けていた。


 しかし、僕がケージをのぞくと。

 子猫は口を開けかけて、シャーとは言わずに”ニャア”と鳴いたのだ。

 そして大きな目で僕を見つめている。


 これは運命の出会いか? と思い、手を伸ばそうとしたら

 横から小学校低学年くらいの男の子が先に、

 すばやくその猫を抱き上げた。

 そしてぎゅっと抱きしめている。

 猫もされるがままになり、目を閉じている。


「こら! 抱っこして良いか聞いてからでしょ?」

 彼の母親だと思われ女性がかけてきて諫める。

「猫ちゃんもビックリしてるよ? 降ろしなさい」

 男の子は胸の前で抱いた猫と、見つめ合ったままで言う。

「これ僕の猫だ」

「まだでしょ? この子が気に入ったの?

 いっつも猫が飼いたいって言いながら決められなかったのに」


 彼はうなずき、急に大人びた様子で母親に答えた。

「どれを選んでも良いって言われても、

 どれでも良いわけじゃなかったんだよ……」

 僕はうなずく。そうだね。

 自由に選択できるからこそ、欲しいものを手に入れるのだ。


 そして親子で嬉しそうに、保護主さんと会話を始める。

 快く譲渡が決まったようで、男の子は再び猫を抱きしめていた。


 良かったね、そう思い、その場を立ち去ると。

 背後で男の子がつぶやく声がした。

「やっと見つけた……」

「ニャア!」

 僕は思わず振り返った。まさか。


 動揺しつつも、僕はいったん帰路につく。

 新居の入り口で、今日引っ越してきたばかりの家族に出会う。

 これから始まるご近所付き合いを考え会釈する。


「本日越してきましたの。よろしくお願いいたしますね」

 愛想のよい、おおらかそうなその母親は、娘さんを連れていた。

「こんにちは」

 その子がはにかみながら挨拶してくれる。

「こんにちは。……何歳かな?」

「9歳です」


 僕はうなずき、母親の方に伝える。

「うちにも娘がいるんです。まだ2歳ですが」

「会いたい! 会ってみたい!」

 母親が返事をする前に、大きく反応したのは娘さんのほうだった。

 え? 子どもなのに子どもが好きなの?

 そう思ったのが顔に出たのか、母親が笑いながら答える。

「この子ね、小さい子が大好きなの。

 大きくなったら保育士さんになるんですって」

「優しいお嬢さんなんですね。

 そのうち、このマンションの公園で会えると思うよ」

 僕が最初は母親に、その後は娘さんの方に言うと

 二人は顔を見合わせて嬉しそうに笑った。


 では、引っ越しのお邪魔をしてすいません、と言い

 僕はその場を後にした。

 エレベーターに乗り込み、居住階のボタンを押す。

 ドアがしまる、その寸前に。

 さっきの娘さんの声が聞こえた。

「また会えるね!」


 僕の胸はドクン、と波打った。……その言葉は。

 ただの偶然なのか? 男の子も、猫も、娘さんも。

 僕が過去を思い出していたから

 勝手に関連付けているだけなのか?


 いやそもそも、なぜ僕は今日、

 こんなにあの頃のこと思い出したのだろう。


 妙な焦燥感にかられながらも、必死に平静を装い

 僕は自宅へと戻っていった。

 リビングに入ると、口をへの字にした妻がなにやら怒っている。

 

 娘はイヤイヤ期の真っ只中だ。

 今度は何をしでかしたのかと尋ねると、

 とにかく服を着るのが嫌だと駄々をこねているらしい。

 だから、もう好きにしなさい、と言ったのだそうだ。

 

 僕も事前に山ほど育児書を読んだが、

 知識と実戦は全くの別物だ。

 食事や入浴をはじめ、靴下一足はくことなどに、

 ここまで強い抵抗を受けるとは。

 その衝撃や疲労は想像もしなかったものだ。


 妻をねぎらい、リビング横の和室に移動する。

 そこは娘の洋服が一面に散らかっていた。

 風邪をひいてしまうよ……

 そんな2歳児には通じない理由をつぶやきながら、

 なにやらモゾモゾしている娘に近づくと。


 彼女はしっかり、”服”を着ていたのだ。

 

 鯉のぼりの口から足をつっこみ、胸まで引き上げている。

 首にはおじいさんのように古いタオルを巻き、

 両手にはなんと、オモチャのマラカスを持っていた。


 ……やはり、そうか。

 そうだったのか。


 僕は膝をつき、一瞬泣きそうな気持になるが

 なんだか自慢げな娘の顔をみて、やはり吹き出してしまった。

 相変わらずのファッションセンスですね。


 だから、こう言ってやったのだ。

「こんな服、反則じゃないか」



          ~ 湯上がり幽霊 完 ~


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湯上がり幽霊奇譚~生命力あふれる幽霊のどたばたライフ、ってもう死んでるか~ はちめんタイムズ @hachmus

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