第28話 今生の別れは来世の出会い
参謀くんは、それから”生きた地縛霊”なんてしていられないほど
大忙しの毎日を送った。
あの後、パワハラ野郎はすぐに確保され、
呆然としたまま連れていかれた。
入り口でハラハラと警察の現場検証を見守っていた大家さんは
「とりあえず今日はうちで寝なさい!」
と言って、これまた呆然自失の参謀くんを母屋にひっぱっていった。
パワハラ野郎の暴挙と、幽霊チームとの突然の別れ。
いろいろなことで、さすがの参謀くんも
感情の処理が追い付かないようだった。
それでも大家さんが夕食にかと出してくれた肉じゃがを
最初はつつくように、次第にパクパクと食べるのを見て
大家さんだけでなく、もはや背後霊と化した私たちも
ふう、と安心のため息をもらしたのだ。
翌日からも参謀くんはいろいろな対応に追われていた。
警察からさらにいろいろ聞かれ、
へとへろになって警察署を出てスマホを見ると、
またもや大量の着信に慌てる参謀くん。
「認めるわ、私のミスよ。ごめんなさい」
参謀くんが折り返しかけた電話の向こう。
才媛さんが、反省している人間が出す声とは思えない
明るい口調で謝って来た。
「怪我は無いって聞いてるけど、
メンタル的なダメージは大きいわよね。
こうなった以上、徹底的にあなたをサポートさせてもらうから。
まずはあの人がしたことを全て白日にさらし、
あなたの名誉を回復、損害を賠償させるわ。それから……」
償いとは思えない強引な物言いで、彼女は話を進める。
それを参謀くんがさえぎるように言う。
「僕に関するそういったことは必要ないよ。
今回の襲撃事件だけで十分だから」
彼女はそんな言葉を軽く一蹴する。
「そうね、確かに今回の件だけで充分よ。
彼を私の活動範囲から撤退させるには、ね。
でも、問題はそうじゃない。
事実は明らかにし、悪いことをした者は罰せられるべきなの。
それは被害者のためだけじゃないのよ。
今後の社会の、他の人のためでもあるの」
「でも、僕の対応は決してベストではなかった。
それに退職を決めたのは僕がそうしたいと思ったからだ。」
参謀くんは必死で食い下がるが、
百戦錬磨の黒帯に、入門したての子どもが
組み手を挑んでいるかのようだった。
もちろん彼は、あっさりと一突きで転がされる。
「ええ、その通りよ。
あなたが犯した対処ミスの後処理だと思ってちょうだい。
日本の裁判はね、
誤ったそれを残すわけにはいかないでしょ」
そう言って彼女は、さっさと電話を切った。
返事など聞く必要がないかのような、
鮮やかで残忍、それでいてどこか爽やかな態度だった。
参謀くんはため息をつき、スマホをしまいこんだ。
********
もちろん会社は大騒ぎになっていた。
社員が元・社員を襲撃し、逮捕されたのだ。
しかもその理由が”自分の新人いじめを隠すため”だったと
大きく報道されたため、
事実の解明とマスコミ対応に大わらわになっていた。
そして才媛さんは自分の言葉通り、
彼が参謀くんにした証拠の数々を会社に明示した。
(先輩霊さんがカマをかけて言っていた
”社内はみな、ご自分の味方だと思わないほうが良いですね”
という言葉はビンゴだったようだ)
もちろん参謀くんも会社の人にいろいろ聞かれ、
退職に関する補償などについて話し合うことになった。
それを参謀くんは必死に固辞しようとしたが
(会社のコンプライアンス部に訴えることもせず、
また見返してやろうと頑張ることを放棄したのは自分だ、と)
補填しないのはマスコミ対策としては最悪なので
何かしらさせてくれ、と懇願されてしまったのだ。
**********
周囲の見方はがらりと変わった。
参謀くんのスマホには、しょっちゅう連絡が入るようになる。
参謀くんが辞めた時には
「高学歴のやつが居丈高に振舞って自滅した」
と噂できけば、さもありなん、と納得していたくせに。
それでパワハラ野郎が嫉妬でイジメていた事実が露見したら
それもまた、さもありなん、と批評する。
情報って今の暮らしには本当に大事だし、
自分で見たことだけを信じるわけにはいかないけど、
こんな状況に、こんな世界に取り残された参謀くんを
私は心の底から案じていた。
*******
部屋の窓ガラスの修復は大家さんが依頼してくれたが、
破損したものの片付けをしに、参謀くんがやってきた。
自宅に戻るのは数日ぶりだろう。
ひっくり返したローテーブルに乗せられていたカップは4つ。
「誰か来客の後でしたか?」
警察の人が首をかしげながら尋ねてきたが、
参謀くんは慌て過ぎたのか、
「僕はいつも、洗うのが面倒なので、
おかわりのたびに新しいカップに注ぐんです」
と返事して、ずぼらな変人を装うことで誤魔化したのだ。
壊れたカップの破片を集めながら、
参謀くんは笑っていた。そして、顔を上げて言う。
「……いますよね? 見てますよね、きっと」
私たちはうなずく。
でも”私たち”といっても、先輩霊さんと私、猫のチコちゃんだ。
土地霊のおばあさんは、もう、いない。
「本当に、ものすごい数日間でしたよ。
……いや、事件の後じゃなくて、事件の前です。
色褪せたピンクのバスローブ姿が、
目の前に現れてからの数日です」
そう言いながら、腐敗を始めた焼き菓子を
顔をしかめながらティッシュでくるんで処分する。
「幽霊なんて非科学的なもの、全く信じていなかったのに。
凍りついた毎日が一瞬で溶けたかと思うと、
真夏のお祭り騒ぎに飛び込んだような日々に変わりました」
殺されたから報復したい! に始まって、
地縛霊じゃ何もできないから外に出たい、
この格好じゃ笑いしか取れないから着替えたい、
先輩霊さんを助けたんだけど、土地霊さんも自由にしたい……
次から次へと私が持ち込む相談という名の大騒ぎに
彼はいつでも冷静に対応してくれた。
でも、その心中は恐怖に始まり、戸惑ったり呆れたり
そして最後には別れの寂しさを味合わせることになってしまった。
私と先輩霊さんは、顔を見合わせる。
試してみたいことがあったのだ。
今まで大家さんちに仮住まいだった彼には、
トライしにくいことだったから。
私はそっと参謀くんの背後に回り、両手でその耳をふさぐ。
そして言ってみる。
「あの野郎に、ギャフンと言わせてやったね」
参謀くんがガバッと振り返る。私は慌てて背後に回りこむ。
「動くなっつーの。耳を手で塞いでみたんだよ。
やっぱり、霊の声が聞こえるんだね、良かった」
参謀くんはじっとしていてくれた。泣きそうな声で言う。
「言わせたって、あれは反則でしょう。
先輩霊さんと猫ちゃんは? ……土地霊さんは?!」
「ここにいますよ。パソコンデスクの横です。
チコは、あなたの足元です」
私はすかさず、耳を塞いでいた手を目にうつす。
「ああっ! 本当だっ! やった!」
ここ数日聞くことが無かった、参謀くんの嬉しそうな声だ。
彼が私を見ようと無理に振り返ろうとするので、
左手を片目に、右手を片耳に当てた。
私を見つけ、彼は泣き笑いの表情になる。
「……結局、そのバスローブですか」
私は意を決して、彼に事実を話す。
「土地霊さんはね、ここにはいないの。
あの後、霧が薄れるように消えていってしまったんだけど」
嬉しそうな参謀くんの顔が、一瞬で悲しみに変わる。
「違うの、大丈夫だよ。
消え去りながら土地霊さんがね、嬉しそうに言ったんだ。
”自分もこれで、輪廻の輪に入れる”って」
そして”また会いましょう”、そう言って消えていったのだ。
それを聞き、参謀くんはきつく目を閉じた。
「本当に長い間、人間を見守ってくれていたけど。
今度はあの人が見守られ、楽しむ番なんですね。
僕が今度は願います……幸せになって欲しいって」
先輩霊さんも私もうなずく。
土地霊さんは、みんなに幸せになって欲しいと思っていてくれた。
今度は私たちが、彼女の幸せを祈る番だ。
そして先輩霊さんが猫を抱き上げて言った。
「私ももう、行かねばなりません。
犯人が逮捕されたことで、身内がまた丁寧に供養してくれました」
「捕まって本当に良かった。
いろいろ、ありがとうございました。
この先仕事で何かあるたび、先輩を心の支えにします。
……猫ちゃんも一緒に、次に行けますね。」
参謀くんはうなずいて言った。
私たちはどのみち、お別れなのだ。
ん? 仕事って言った?
「そうか、また働き始めるのかい?」
「はい。結局、元の会社の系列に。
僕が学生時代、研究室でやってたことを生かせるので
仕事内容としては良かったかもしれません」
あの騒動の落としどころとしては万々歳だろう。
相変わらずあの○○グループというのは
いろいろ精神的にキツイかもしれないけど。
「彼女に言われましたよ。
どうせ単なるステップなんだから、
良い条件でキャリアになるなら良いだろう、って」
才媛さんらしい考え方だ。
まあ今どきの人の多くは、最初に入った会社に
骨をうずめるなんて思ってなさそうだけどね。
先輩霊さんも大きく頷く。
「長く働くことは
君はさまざまな体験をしました。これからもするでしょう。
あの人のような上司や同僚に、山ほど出会うかもしれません。
でも、大丈夫です。逃げても良い。戦っても良い。
どちらにせよ、あなたは自由に選択できる存在です」
彼らは握手の形を取った。
触れることも、重なることもないけど、
それは心のこもったものだった。
参謀くんは私を向いて寂しそうに言う。
「……あなたも、そろそろ49日ですね。
次の世界はどんな感じでしょうか。
……どうか元気で、なんて言わなくても、
あなたはきっと元気ですね」
「生命力あふれた幽霊ですみませんでしたね。
ま、煩悩もあるし未練もタラタラだけど、行かなくちゃ。
早く生まれ変わって、いろいろ楽しみたいし。
あー、ドキドキしてきた。デビュー前ってこんな感じ?」
「土俵入り前って感じじゃないですか?
太鼓の音が聞こえません?」
言葉と裏腹に参謀くんは涙をこぼした。
私もポロポロ涙があふれてくる。
「……憑りつかれ足りないみたいですね。
次はもっと人数増やすわよ?
なんなら東京ドーム一杯分!」
「東京ドームの単位は通常、面積ですよ」
「じゃあレモン農家100軒分」
「ビタミンCと見せかけて世帯人員数ですか」
そんなことを言いながら、先輩霊さんも猫も、
そして私もだんだん発光しながら、薄くなっていくのを感じる。
最後に話せて、会えて良かった。ホントに良かった。
あんなに心残りはあったけど、今はもうわかる。
別に偉業なんて残さなくていい。
生きた証なんて必要ない。
私たちは知らない人に支えられ、守られていたのだ。
毎日を楽しく生きて、その生活を支えてくれる数多くの人に感謝する。
自分に出来ることをして、出来ればちょっとでも誰かを支える。
わたしたち、それで十分だったのだ。
もう私たちの輪郭もほとんど消え去った。
三人の声が重なる。
「では、また」
「じゃあね、またね」
「はい。また」
お会いしましょう。
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