第27話 逝っても無駄
私の素敵なバスローブにダメ出ししたあと、
パワハラ野郎はゆるゆると崩れ落ちた。
「何をやっているんだ? 俺は……」
すでに白い手はなく、彼の目も耳も塞がれてはいない。
だから私たちのことがもう見えていないのだ。
パワハラ野郎は苦し気にうめいた。
「今までずっと、幻聴で気が狂いそうだったのに、
今度は意味不明な幻覚まで見てしまった……
あんな変なバスローブの女が実在してたまるか!」
……。先輩霊さんがそっと、私から視線を逸らす。
かつては、実在していたんですよ。ここの上の階に。
そう言った後、呻きながら膝をつき、
彼はうつぶせに倒れてしまう。
土地霊さんが彼の横に立つ。
「さあ、どうしようかしらね。
この人は憎しみを集め過ぎたわ」
私はふと、パワハラ野郎のスマホを見つける。
さっきの大暴れでポケットから飛び出したのだろう。
そっと触れ、繋がってみると。
そこには彼を罵倒するもの、嘲笑するもの
過去にされた嫌がらせを告発したり、
彼が過去にやらかした悪事の曝露大会が行われていた。
彼が人気者だと思っていたから。
みんな彼の味方だと思っていたから。
それぞれ、今まで抑えていた感情だったのだろう。
でも、彼が鍵垢で書いていたことなんて
どんなに下劣で高慢で汚いものであったとしても
しょせん、個人的な意見や感想に過ぎない。
それがあっという間に集団極性化し
ここまで燃え上がれるなんて……
なんて燃費の良いエネルギーなんだ、怨恨って。
……いや、生きてる人間って、
良くも悪くもエネルギーの
土地霊さんは、パワハラ野郎の中に隠れていた白い手たち、
つまり”彼が集めた怨嗟たち”に呼びかけた。
「こら! 隠れてないで出てきなさい。
あなたたちにお話があります」
土地霊さんの話し方は、まるで保育士さんのようだった。
床に横たわるパワハラ野郎の背後から
こそこそと、怯えるように無数の手が生えてくる。
土地霊さんは優しい声でたしなめる。
「被害者はね、何をしても良いわけじゃないのよ。
正当に罰することは、本当に難しいわ。
でも自分の復讐を果たすために、
別の人を犠牲にするなんてもってのほかよ?」
白い手たちは皆、指先に力なく丸まっていて
なんだか、うなだれているように見えた。
「
この人から本当に酷いことをされたって人もいるわね?
奪われたもの、傷つけられたもの、きっとあるでしょう。
だから怒っていても良いの。許さなくたって、良い。
もちろん権利を主張したり、苦情を伝えるのも大事よね」
そう言ってしゃがみこみ、手の上に、
土地霊さんの美しい手を重ねる。
ひとつひとつに。なぐさめるように。
「でもね、それをずーっとやってるのは損するわよ?
せっかく生きている人だけが持つ時間と力、
嫌いな人間に捧げるのではなく、
自分のために使ってちょうだい。
みんな、幸せになって欲しいの」
土地霊さんは、人間を愛しているのだ。
人間を本当に大切に思う気持ちが伝わってくる。
千年以上見守って来た自分の土地を削り取られ、
美しい自然の風景は殺伐としたビルへと変わり、
それでも一生懸命見守っていた保育園は潰れてしまった。
そんな状態でも、人間に愛想をつかすことなく、
交通事故死した先輩霊さんを案じ、
いろいろな問題を抱える私を手助けし
精神的に弱っていた参謀くんを支えようとしてくれるのだ。
なんだか泣きそうな気持で見つめる私を振り向き
土地霊さんは小さく笑って言った。
「昔の人とは、もう少し会話ができたのよ?
諫める言葉も、忠告も聞いてもらえたし」
いたずらっぽい言い方だったが、私は申し訳なくなる。
彼女の忠告を無視した結果が、この”湯上がり幽霊”なのだ。
土地霊さんは首を傾けてつぶやく。
「みんな、余裕がないからねえ。
すぐに”何かしなきゃ、どこかに行かなきゃ”って
急いでいて、焦っていて」
「……面目ございません」
先輩霊さんが頭を下げる。猫が彼を足元で見上げている。
それを見て、土地霊さんは首を横に振って言う。
「そうでないと生き残れないって、もう知っているわ。
大丈夫、
アナタたちがどんな生活をしようと、
何を考え、何を望もうと……」
そう言って土地霊さんは、パワハラ野郎と足元をつかむ。
そしてその細い腕が引っ張り上げたのは、
太くて黒く、ドロドロとした綱だった。
「それは! あのビルの地下にあった
巨大な禍塊につながってる……」
先輩霊が驚いた声で叫ぶ。私も両手で口をおおう。
土地霊さんはちょっと苦し気にずるずる引っ張り上げていく。
それは際限なく続いていく。
だって、あのビルまで続いているんだろうし……
そう思ったら、それのちょっとだけ細くなった部分を見つけ
いきなり彼女の長い長い髪を巻き付けた。
そして絞るように、ぎゅっと左右に引っ張ったのだ。
黒い綱は縛られた血管のように、片側が大きく膨れ上がる。
バチン! と波打ち、うねりが大きくなり、
土地霊さんの顔がいっそう苦しそうに変わる。
「あぶない!」
土地霊さんの身に危険を感じて、私は走り寄ろうとするが。
厳しい声で、土地霊さんは私を制した。
「来てはダメ! これは、
私は驚いた。まさか。
あのビルで働いていたから?
それともパワハラ野郎のせい?
「えっ?! 僕にも?」
玄関の陰から、参謀くんが顔を出した。
ちょうど、警官を電話で呼んだあと
様子を伺いに戻って来たのだ。
彼の顔を見て、土地霊さんは嬉しそうに笑った。
「良かった。最後にもう一度、みんなに会えたわね」
土地霊さんの言葉に、全員が衝撃を受ける。
いま、なんて言った?
土地霊さんは綱を縛り上げながら言う。
「アナタがこれを引きずるようになって、
それがどんどん太くなっていくのを、
毎日辛い気持ちで見ていたわ。
もう、心配でたまらなかった」
そしてパワハラ野郎を見下ろしながら、
眉をひそめて言う。髪を引っ張る腕に力を込めながら。
「この人のせいで、アナタも禍魂にとりこまれるところだった。
あの状況で会社を辞めることを選択したのは、
アナタが弱かったからじゃない。
あのビルの神が、あなたにあの場から逃げるように
それなのにこの人は、アナタが去った後もアナタに執着していた。
アナタもこの人のことばかり考えていたわね。
……二人は黒い怨嗟でつながれてしまった」
私は全部、理解した。
土地霊さんは最初から、
これを断ち切るつもりでここに来たのだ。
自由に動けるようになりたがったのも自分のためじゃない。
参謀くんの敵討ちを止めようとせず、
同行までしてくれたのは、この根本を調べるためだったのだろう。
「じゃあ急に、幽霊がみえるようになったのは……」
「え? 昔から霊感少年だったんじゃないの?」
「違いますよ。どちらかというと非科学的で苦手でした。
実際は、非科学的というより……非常識でしたね」
と、私を見る。む、失礼な。
だんだん動きが弱まる綱を押さえつつ
寂しそうな笑顔で土地霊さんが尋ねる。
「……もう、大丈夫よね?」
そう言われて、参謀くんは悲し気な顔をした。
「いえ、前よりダメですね」
私と先輩霊さんはショックを受けたが、
土地霊さんは笑顔のままだ。
参謀くんはそっぽを向いて言う。
「だって皆さん、楽しそうだったじゃないですか。
死んだっていうのに、生きてる時は他人だったのに、
仲良くて、優しくて、いろんなこと楽しんでいて」
私たちが、羨ましかったとは。
それでこっち側に来たいなんて思ったのか。
「それに、自分を必要としてくれて、
受け入れてくれる人たちを一緒に居たいと思ったんです。
離れたくなかった、逝かないで欲しかったんです。
……また独りになるのが寂しかった」
私は言葉に詰まって何も言えなくなる。
彼の本音は私の胸をえぐるようだった。
「さっさと成仏してくださいよ!」
そう繰り返す彼の真の気持ちなんて、考えもしなかったのだ。
私も先輩霊さんもじきに逝くだろう。
あ、でも、土地霊さんは……
私の考えを見透かしたように、土地霊さんが言う。
「これを切れば、全ては元通りよ」
元の、霊感ゼロ青年に戻るのだ。
つまり彼は、誰とも会えなくなる。
彼女の決意や事態を理解した参謀くんは、
首を横に振って一生懸命に言葉を吐き出す。
「でも、もういいです。諦めました。
無理やりそちらに逝っても無駄でしょうから。
……そんなことをしたら、みんな怒るでしょう?」
そういって参謀くんは笑みを浮かべるが、唇が震えている。
私は泣きそうになりながらも怒った口調で言う。
「あったり前でしょ? 激怒なんてもんじゃないわよ!」
「当然ですね。許しがたい蛮行です」
先輩霊さんも、潤んだ目で笑いながら言う。
猫が参謀くん足元にかけより、
慰めるようにスリスリしている。
黒い綱を髪の毛で縛った部分はいっそう細くなり、
もうすぐ千切れそうだった。
禍々しい黒さだった色も、だんだん灰色になっている。
ドロドロしていた質感も、なんだかボロボロしたものに変わった。
土地霊さんの顔色も悪く、いっそう儚げになっている。
もしかして消えてしまうの?!
土地霊さんはゆっくりと顔を上げ、みんなを見渡した。
そして美しい笑顔で言う。
「忘れないで。人は輪廻を繰り返していく。
肉体だけでなく、精神も。
一生の間にだって、何度でも転生するわ。
成功しようと、失敗しようと、
何度だってチャンスがあるの」
黒い綱はもう、ひょろひょろしたヒモのようだ。
私は焦った。
わたしたち、お別れなのだ。
土地霊さんはもう、息も絶え絶えだ。
それでも私たちに向かって。
「大丈夫、何度でも出会えるわ。
縁はね、願えば願うほど強いんだから。
また、絶対に会えるからね」
「ま、待ってっ! 皆さんありがとうございました! ほんとに……」
参謀くんが泣きそうな声で叫んだ、その時。
プチ。
それはあっけなく切れた。
私が、参謀くんに別れの言葉を言う間もなく。
***********
そのあとすぐに警官数人がかけつけ、
きょろきょろと私たちの姿を探す参謀くんに声をかけていた。
私は側に立っているのに、彼にはもう見えないのだ。
そして室内ではパワハラ野郎がゆっくり起き上がり、
手元のスマホを覗き込む。
私はそれに繋がり、泣きながら操作する。
さあ、声に出して、これを読むのよ。
パワハラ野郎は眩しそうに画面を見た後、
理解できないまま、画面の文字を読み上げた。
「ぎゃ……ふん?」
参謀くんが膝から崩れ落ちる。
横の警察官が心配するほど号泣している。
笑ってよ。泣かないでよ。
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