第26話 湯上がり幽霊ふたたび

「いるんだろ?

 ちょっと冷静に話し合わないか?」

 ドアの向こうで、穏やかな声が聞こえる。


 パワハラ野郎が直接、交渉しにきたのだ。

 参謀くんはドアの前でうつむき、沈黙している。

「彼女に利用されているだけだぞ。

 こんな方法より、もっとプラスになるやり方があるだろ?

 俺はいくつか、それを君に提示できる。

 君の経歴やスキルを最大限に生かせるステージだ。

 あんな会社で働くより、こちらに来て良かった、

 そう思えるような職場と仕事だよ」


 延々と稚拙ちせつなプレゼンを続けるパワハラ野郎。

 ほんとに、そうとう焦ってんな。

「ほおっておこう……」

 と私が言いかけたが、参謀くんはハッキリと返事をした。


「今回の件に、僕は無関係です。

 警察にご相談されるのをお勧めします。

 しかしこれ以上、僕の周囲の人に

 事実無根の噂を広めるようなら、

 あなたを名誉毀損で訴えます」


 長い沈黙が続く。帰ったか? と思ったけど

 それは焼き菓子より甘かったのだ。

 (実はこんな状況下ですが食べてます)


「……それはすまなかった。

 今見たら、彼女からも警告が来ているな。

 本当に仕事が早いな、あいつ」

 最後は皮肉交じりに笑いながらつぶやいた。

 才媛さんはすぐに動いたらしい。


「ではSNSの件についての話は終わりだ。

 次に、君の今後について俺に相談してみないか?」

 参謀くんは吹き出す。

「在職中はあれだけ放置しといて、

 退職後は世話をやかせろ、なんて。

 それともまた、嘘の情報をまだ教えたり、

 不正してまで妨害するつもりですか?」


 パワハラ野郎は焦りが隠せていない。

「待ってくれ! 誤解も含まれている!

 君はわが社にとって特別な存在だったから、

 あえて指導を厳しく……」

「笑わせないでください。

 あなたが”無能”と判断した僕のことを、

 頼ってくれる人たちもいるんですよ。

 ……特に彼女に対しては、

 他の誰より良い成果パフォーマンスをあげられると思いますよ」


 参謀くんの言葉を聞き、つい私も参入する。

「そうだそうだ!

 追い出したこと、後悔すれば良いんだ!」

 などとモグモグしながら叫んだ。

 まあ、聞こえない……

「……そこに他の誰かいるのか?」

 パワハラ野郎がつぶやいたのだ。嘘でしょ!


 私は震える声で、試しに言ってみる。

「しょ、証拠はたーくさんあるからね。

 メールだけじゃない、音声だって映像だって」

 もちろんそんなものはない。

 でも、あえて聞き捨てならないことを言ってみたのだ。


 相手の反応は早かった。

「嘘だ! 映像など、どうやって撮った!」

 やっぱり聞こえてる! アワアワしている私を制して

 代わりに先輩霊さんの凛とした声が響く。

「彼のパソコンに対する不正ログインの記録や

 休憩室やオフであなたがした発言の証言者がいます。

 社内はみな、ご自分の味方だと思わないほうが良いですね」

 つらつらと話しながら、自分の声は聞こえるのか試していた。


 やはりパワハラ野郎はドアの向こうで激昂する。

「今度は男……弁護士か?」

 おばあさんも首をかしげて、穏やかな口調で話してみる。

「もう手遅れですよ。諦めてさっさとお帰りなさい」

「……なんだ? 身内か?」

「ニャアニャア!」

「……猫!」


 みんなで顔を見合わせる。

 私たち幽霊チームの声が聞こえているのは間違いない。

 私は小声でささやく。

「昨日は全然、反応なかったよね?」

 私が彼の背後から生えた白い手と格闘している間、

 当の本人は涼しい顔でクライアントに電話なぞしていたのだ。


 うなずき、考え込む先輩霊さんやおばあさん。

 私はすうっと玄関に行き、ドアから顔だけ出してみる。

「ちょ!」

 参謀くんが叫んだ。


 ドアの向こうには、確かにパワハラ野郎が立っていた。

 ニットの帽子をかぶり、サングラスをかけている。

 高そうでお洒落な上着の襟は立てられていたが……

 なんとその首元から白い手が伸び

 彼の両耳をしっかりと塞いでいたのだ。

 なんじゃ? あの手は。

 二人羽織ごっこにしては、面白みのないアクションだけど。


 ドアの表面に浮かぶ私の顔が見えてるはずなのに、

 彼の反応はまったくなかった。声が聞こえるだけなのか?

「……中に何人いるんだ? 全員、仲間か?」

 パワハラ野郎は目論見が外れて動揺しているようだ。

 彼一人なら丸め込めるという自信があったのだろう。


 私は正面から彼に向かって言ってみる。

「そうだよ! 全員、仲間です!

 全員あなたのこと怒っていて、絶対ゆる……」

 そこまで言うと、彼の後ろからぶわっと白い手が出てきた。

 ふ、増えてる! まさかの絶賛増量中だ!


 私は慌ててひっこんだけど、相手も霊だった!

 ドアをつきぬけ、無数の手が私を追ってやってくる!

「うわっ!」

 それが視えた参謀くんは大慌てで奥へと駆け込む。

 

 こいつら、もしかしてパワハラ野郎側に寝返ったのか?

 なんて不甲斐なくも軽薄なやつらだ。

 それに参謀くんに”手”を出させるわけにはいかない!

 私は瞬間で怒り、くるりと振り返り、

 こいつらをバチン! とはたき落してやろうと……あれ?


 最初に伸びてきた白い手は、

 私の差し出した手をしっかりと握ったのだ。

 ぎゅっと。そして上下に振って、離す。 え?

 次の白い手も、私の手を握っては離す。

 ……これって、シェイクハンドってやつでは?


 白い手たちは、私に握手を求めているのだ。

 ヒマそうな手にいたっては”いいね!”の形を作ってみたり

 他の手とペアになって拍手しているものもいた。


「……なんで握手会してるんですか?」

 後ろから参謀くんが覗き込んで言う。

「わ、私が可愛いからに決まってるでしょ!」

 とりあえずそうは言ったけど……

「絶対違いますね」

 はい、その通りです。


 その時、背後でおばあさんの声が聞こえた。

「この手、つまりあの人を憎む怨念たちはね、

 アナタに感謝しているのよ。

 ”アナタのおかげて、彼を奈落に落とすことができる”って」

 なるほど。私がアイツのスマホをいじったせいで

 今の事態になったこと、わかってるんだ。


 なあんだ、寝返ったわけじゃないのか。

 いつもの早とちりを棚に上げ、私は彼らに愛想を振りまく。

「ほほほ、礼には及ばなくってよ、レイだけに」

「二度目ですよ、それ」

 参謀くんがあきれ顔で見ている。


 しかし、その横でおばあさんと先輩霊さんは神妙な顔をしている。

 私はハッと気が付いた。ふざけている場合じゃない。

 だっておばあさん、言ったよね。

 ”奈落の底に落とすことができる”って。


「この人、もう……」

 私がそう言いかけると、おばあさんはゆっくりうなずいた。

「元々、焦っていたんだろうねえ。

 でも、参謀くんこの子を不正に追い出したことで、

 歯止めが効かなくなったんだね。

 人はね、悪いことで利益を得てしまうと、

 悪いと判っていてもまた繰り返してしまうのさ」

 そして悲し気に、無数の手を見つめる。

「そして今回のことで、

 今まで隠していた人や言えなかった人たちまで、

 彼に対する恨み、憎しみを爆発させたのよ」


 白い手たちは満足したのか、次々とドアの向こうに消えていく。

 私たちはそれを黙って見守る。


 さっき見せた白い手たちの歓喜は、

 復讐が達成できる喜びだった。

 ん? 復讐? パワハラ野郎のSNSを炎上させ、

 社会的な評価を落とすこと? それだけ?

 私の心に小さな疑問が芽生える。


「……気配が消えましたね」

 先輩霊さんがそう言って、ドアを抜けていく。

 そして戻ってきて笑顔になる。

「いなくなっていました。ひとまず切り抜けましたね」

 うなずく参謀くん。

 私も伸びをしながら、つとめて明るい声で言う。

「後は才媛さん彼女に任せましょ。

 さ、作戦の成功と私の健闘を祝して乾杯だ!」

「鍵垢も理解してなかったくせに」

 そう言って苦笑いしながら、

 参謀くんはお湯を沸かしにいく。


「お待ちなさい。みんな」

 ピンと張り詰めたような声がする。

 おばあさん、いや、平安調の姿に戻った土地霊さんだ。

「……来るわよ。窓から離れなさい!」

 参謀くんがこちらに走った、その瞬間。


 ガシャーン!


 ベランダに面した掃き出し窓が、

 盛大な音を立てて割れたのだ。

「あいつ! こっち側に回ったんだ!」


 参謀くんの部屋は私の下、一階だ。

 こんな安アパート、ベランダ側からの侵入なんて簡単だった。

 でも私たちがショックを受けているのは、

 彼がこちらから侵入したことでも、

 ガラスが信じられないくらい一瞬で破壊されたことでもない。


 ゆっくりと室内に侵入してきたパワハラ野郎は頭を抱えていた。

「チガウ、チガウんだ、こんなの俺じゃない」

 そうだ。こんな先の無い愚かな行動、

 あのいけ好かない洗練されたヤングエグゼクティブがするわけがない。

「ナンデこんなことに……俺はただ……

 いつも……誰よりも……」

 最も良い会社で、最もエリートとして扱われ、

 最もモテて、最も輝いているべき

 ……だったのだろう。


 体をくねらせながらパワハラ野郎は顔を上げる。

 サングラスが外れたその顔は、黒い線が毛細血管のように走り

 ウネウネと波打っていた。

 そして一歩動くたびに、ビシャン、ビシャンと黒い染みが飛び散る。


 すでに彼自身が”禍塊”になりつつあるのだ。

 会社の地下にあった、あの禍々しく恐ろしい、

 恨みと呪いのかたまりに。


「あの白い手……怨恨たちは、

 この人に最も重い罪を犯させて

 完全に”禍塊”にするつもりなんだよ」

 土地霊さんが厳しい顔で言う。最も重い罪って。

 全員の目が、参謀くんを見た。

 パワハラ野郎に、参謀くんを殺させる気なんだ!


 どうしよう。参謀くんを逃がさないと!

「逃げて! 私たちは大丈夫だから!」

「あ、はい。じゃあ、玄関から出ますね」

 やけに落ち着いた声で参謀くんが言い、走り去る。

 そ、そうだよね、普通に出ればいいだけか。

「待テヨ待てって言っテルだろ俺ガア!」

 パワハラ野郎が吠え、参謀くんを追いかけるが

 どういうわけかキッチンに向かっていく。

 

 やった! 土地霊おばあさんの幻術だ。

 また惑わしてくれたのだ。

 しかしその時。

 無数の白い手たちがパワハラ野郎の目を塞いだのだ。

「何だあ? お前タチは。俺ノ邪魔スルナア何様ダ」

 私たちが見えるのだ!


 そうか、白い手が耳を塞げば霊の声が聞こえ、

 目を塞げば霊が見えるのか。


 土地霊さんが威厳ある声で彼に言う。

「あなたを救いたいのです。

 これ以上の罪を犯してはいけません。

 さもなくば……」

「ウッルセエエエ! もう遅いんだヨオ!」

 そう言ってローテーブルをひっくり返す。

(その時私がとっさに思ったのは

 ”さっき焼き菓子食べておいて良かった!”だった)


「まだ間に合います。いつものあなたを取り戻してください」

 先輩霊さんが冷静になだめようとする。

「黙レヨ黙レ、俺に指図スルナア!」

 パソコンの椅子を床にたたきつけるパワハラ野郎。

(参謀くんがこの部屋を出る時の修繕費が怖いな、

 こいつがもちろん払うんだよな、と思った)


 ニャアニャア、という猫の声で、私は我に返った。

 ぼーっと見ている場合じゃなかった。

 いつも、何度もありがとう、チコちゃん。


 参謀くんを追いかけるため玄関に向かうパワハラ野郎に

 私はとっておきの秘策を出す。それは。


「何そのダサい服! センス悪っ!」

 パワハラ野郎の動きが止まる。

 間違いない。

 彼は常に、”格好よくあること”に命を懸けていた。

「何だとテメエは……誰ダア」

 彼がゆっくりと振り返る。


 私は一瞬で、魔法少女の変身のように着替える。

 あの、特別な服に。


「世にも珍しい湯上がり幽霊です!」

 そういって色褪せたピンクのバスローブに描かれた

 可愛くないマンボウを両手で指し示す。

「バスローブなのにマンボウ!

 しかもマラカス持ってダンシング!」

 彼はみじんも動かない。


 私は後ろ向きになり、背中のNEW YORKを見せる。

「そして背中にはダジャレのロゴと温泉マーク!

 これが最先端の流行よ! お洒落の極みっ!」


 さあ、この世で一番、緊張感のない服を見よ。


 長い沈黙の後。

 そろそろと近づいてきたパワハラ野郎がつぶやく。


「……この服は、ないだろ」

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