第21話 100%の幽鬼

 ブランドもののスーツの前でたたずむ参謀くんは

 色を失い、限りなくモノトーンに見えた。

 ……そこだけ、古い映像をみているみたいだった。


 おそらく彼は死にたがっていて、

 近々それを実行するつもりでいるのだ。

 この私の直感は、たぶん当たっている。


 以前、私がまだ、自分は元・婚約者に殺されたんだ!

 などと思い込んでいた頃。

 私は復讐の方法や内容について、参謀くんに相談した時の事。


「ね、ね、なんか良いアイディアない?

 すっごく怖がらせて、そんで自首させるような」

「自首? そのくらいで良いんですか?

 ……殺してやりたいとは思わないんですか?」

「ええっ?! 殺す? ないない」

「自分をこんな目に合わせたやつですよ?」

「それって殺人じゃん、無理無理」

 二人の間に沈黙が流れる。


 彼は納得がいかない顔で私を見ている。

 そして視線をそらし、つぶやいた。

「優しいんですね……それとも、まだ……」

「違う違う! あんな奴に情けも愛情も無いよ!」

 私はなんとか、自分の気持ちを説明する。


「前からね、親から言われて育ったんだ。

 ”嫌なことをする奴がいても、

 相手と同じレベルに落ちてはダメだよ”って」

「同じレベル?」

 参謀くんは眉を寄せ、さらに分からんという顔をする。


「私も今まで、先生から理不尽な評価を受けたり、

 弟もイジメにあったりしたんだけどね。

 抗議もするし、反撃も抵抗もするけど、

 それは相手がしたことを越えてはいけないの。

 それに、たとえ相手が道徳や倫理だけじゃなく、

 法を超える悪事をしたからって

 それはこちらもしても良いって免罪符にはならないって」


 参謀くんは口をへの字にして反論する。

「それはまあ、生きている間はそうすべきでしょうね。

 こっちも罰せられちゃいますから。

 でも、もう死んでるんですよ?

 ある意味、やりたい放題じゃないですか。

 それともやっぱ、地獄に落ちるんですか?」


 私は首をかしげて答える。

「今後のことは正直わからないんだ。

 死後の世界があったことがまずビックリだからね。

 でもさ、誰かに罰せられるから、とかではないんだよ。

 人がすべきでないことは、生きてようが死んでようが、

 懲罰に関係なく、しちゃいけないんだよ、きっと」

 

 参謀くんは黙って横を向いている。

 この顔は、言っている理屈はわかるが、

 気持ちでは受け入れがたいと思っている顔だ。

「……そうですか。でも僕は、不寛容な人間だから。

 きっと相手以上の低レベルに落ちてもかまわないと

 思ってしまいそうだ」

 そういって、悲しい笑顔をみせたのだ。


 ********


 私は窓際から参謀くんに呼び掛けた。

 彼はゆっくりこちらを向く。

「参謀くん、あのね……」

「そろそろ、本当に成仏したほうが良いんじゃないですか?

 先輩霊さんも一緒に。

 土地霊のおばあさんも、せっかく動けるようになったのだから

 地域の人たちを見守った方が良いですよ。

 みんな、僕にかまってる時間はないはずです」


 私は首を横に振る。

「……逝けないよ。まだ、逝くわけにはいかないよ」

「もう、十分でしょう」

「んなわけないでしょ。だって……君。

 私たちがいなくなったら、に来るでしょ?」


 彼はふっと笑って、首を横に振った。

 あれれ? 私の勘違いだった? そう思ったら。

「皆さんが居ようが居まいが、そちら側にいきます」


 そう答えて振り返った参謀くんの顔は無表情だった。


 彼はスーツを見上げながら話し出す。

「僕が新卒で入った会社は〇〇です」

 それは誰もが知るような超・大手であり、

 ”学生が入社したい企業”のトップ3にはいるような

 大人気の会社だった。


 私は思わず賛嘆の声をもらしてしまう。

 その後の結末まで知っていたのにも関わらず。

「○○!……すごい」

 参謀くんはまた笑った。皮肉な笑いだった。

「ものすごい倍率でしたよ。うちの大学からだって

 毎年数人も採用されませんから」

「ええっ?! 逆に〇〇に毎年採用される人がいる大学って」

 さらに驚く私に、参謀くんは追い打ちをかける。

「帝大です」

 まさかの最高峰だった。


 私はビックリしすぎてマヌケな感想をもらしてしまう。

「私、あそこを出た人をなまでみるの初めてだ。

 うちの会社にもいなかったし」

 参謀くんは真顔でそれを無視スルーした。

「最終面接を終えて、残れるとは思いませんでした。

 だから採用の連絡が来た時は本当に嬉しかった」

 私は同意する。

「そうだよね、めちゃめちゃ嬉しいよね。

 今までのいろんな苦労や努力が報われた気がするかも。

 ……私自身は、そんな誉れを感じるようなことが

 一度もないまま、人生が終わってしまったけどね」

 

 私には、人に誇れるような経歴も受賞歴もない。

 苦みや切なさを感じ、うつむいてしまった私に対し、

 参謀くんは少しだけいつもの調子に戻り、気遣ってくれる。

「こんな経験、なくていいですよ。

 どん底に落ちるために高いところにいったようなものですから」


「両親も、姉も、みんなで大喜びしてくれました。

 親戚の人にまで話したみたいで、

 あの春はいろんな人から電話がかかってきましたよ」

 目の前のスーツは、きっとその時にあつらえたものだろう。

 本人だけでなく、両親も周囲の人はみな、

 彼にバラ色の未来が待っていると信じて。


 参謀くんは表情を硬くし、うつむきがちにつぶやいた。

「でも、配属されて割とすぐでした。

 ここを選んだことを死ぬほど後悔したのは」


 *********


 参謀くんが受けた仕打ちは、

 聞いているこちらが泣いてしまいそうなものだった。


 彼が入社し、長めの研修期間が終わり、

 配属先が決まってから彼の地獄は始まったそうだ。


 彼の指導係についた先輩は、爽やかで華やかな好青年に見えたそうだ。

 イケメンで、スタイルも良く、身のこなしもスマート。

 スーツだけでなく、ワイシャツや靴など全てが洗練されていて。

 人当たりも良くって、周囲の人望も厚かったそうだ。


 ああ、一流のビジネスマンはやはりカッコ良いなあ。

 数年経ったらこんな風になれるのかな、と思っていたのに。

 ニコニコとした顔をしながら、小声で先輩がつぶやくのは。

「やっぱ帝大卒は違うなあ。うん、指導の必要はないな」

「頭が良いんだから説明しなくてもわかるよね?」

「あれ? そんなの聞いてないって?

 言った言わないは時間の無駄だからもういいけど、

 次からはちゃんとメモをとってくれるかな?」


 作業は無意味なものばかり。

 連絡もしないか、嘘の情報を与え恥をかかせる。

 新入社員には不可能な課題を与えておいて

 みんなの前で内容は伏せたまま盛大にダメ出し。

「あのね、自分の知識を披露したいのかもしれないけど、

 会社はそういうところではないんだ」

「こういうことをされると、本当に困るなあ。

 あまりにも身勝手だろう?」


 そうやってどんどん、参謀くんが無能であること、

 学歴を鼻にかけ、自分の言うことを何も聞いてくれないこと、

 間違った作業をするが、失敗の原因を先輩に押し付ける奴だと

 周囲に評価されるように陥れられていったそうだ。


「もちろん、話し合おうとしたり、

 他の人にも相談しましたよ」

 でも、その上の上司や周囲の人の回答は

「彼はとても有能だから、指示にちゃんと従ってくれるかな」

「今は理不尽に思えても、

 もう少したてば自分の未熟さに気付けると思うよ」

 といった、完全に先輩寄りのアドバイスだったそうだ。

 

「大学の恩師にも相談しようと思いましたが、

 すでに次年度の就活が進んでおり、

 大学と〇〇が揉めるのは、後輩たちに迷惑がかかると思いました」


 私は胸の痛みを押さえながら参謀くんに言う。

「なんかさ、そういう時に上手に動ける人と、

 そうじゃない人っているよね。

 でもたいていの人は、無理なんだよ。

 誰かからとてつもない、理不尽な悪意を向けられた時って

 まずは”自分に原因があるのかも”って必死に探しちゃうからさ」


 参謀くんは、こちらを見て笑った。

「意外ですね。”上手に動けるタイプ”かと思いました。

 婚約破棄って言われて、弁護士の単語が出たくらいですから」

 私はぶんぶんと首をふる。

「今回のは薄々わかっていたからね、浮気してるって。

 だから同期にそれとなく相談してたんだ。

 ”万が一あいつが浮気していたら、

 弁護士雇って慰謝料取りなよ”って何度も言われてたの。

 ……ねえ”万が一”って、案外高確率だよね」


 参謀くんもうなずく。

「僕も思いましたよ。きっと僕が社会人としてダメなんだって。

 でも”万が一”先輩の方に原因があったとしたらって。

 それを確かめるのが、本当に怖かった」


 そして、実際その通りだった。

 先輩はただただ、自分より高学歴の後輩を潰すために

 周囲の仲間にまで手をまわして、

 参謀くんを追い詰めていただけだったのだ。


 だんだんそれが明らかになるうち、

 とうとう決定的なことが起きた。


「職場の上司だけでなく、本部の人たちのいる前で

 僕が作ったわけではない粗悪な資料を提出され、

 日頃から先輩の言うことを全く聞かず、

 身勝手に自分のやり方でやろうとするが

 知識もお粗末で実務など何もできない、

 戦力としてはまるで役に立つ人材ではない、と断言されました」


 私が怒りと悲しみの余り硬直していると、横から叫び声がした。

「公開処刑ではありませんか! 

 企業人としてそんなことが許されるわけないでしょう!」

 先輩霊さんが、見たこと無いほど怒りの形相をしている。

 同じ働く者として、あまりにも耐えがたい屈辱と感じたのだろう。


「本当に酷い話だよ。業が深すぎて、恐ろしいほどだよ。

 昔っから妬み嫉みの強い人間はいたもんだが、

 その男は奴らの中でも下の下じゃないか」

 おばあさんも険しい顔でスーツを睨んでいる。

 

 突然現れた(もしかして最初からいたのかな?)二人を

 参謀くんは振り返りもせずに、話を続ける。


「そこで、僕の世界は終わりました」

 戦力外通告をされ、暗に退職をほのめかされ。

 身体的にもこれ以上耐えられなかった彼は、

 やむなく会社を去ることになったのだ。


「全部、失いました。

 今まで必死に勉強してきたことも、

 ハイレベルな中高一貫校に入り、大学受験も頑張った。

 その結果がこれです。

 いろんな努力や苦労の報酬は、理不尽に他人から責められ

 侮辱され、貶められ、経歴を絶たれることだったんですよ」


 私は否定したかった。否定してあげたかった。

 でも、彼が言う言葉はひとつの事実だ。


 学問は奪えないだろう。学歴も消えない。

 でも、だからといって、

 彼からその成果を奪われて良いわけないじゃないか。


「同級生はみんな、良い会社に入り、

 即戦力として楽しそうに働いていますよ」

 座り込み、頭をかかえる参謀くん。


「僕もまた新しく入社すれば良いって、みんな思うでしょう?

 そんな会社だけじゃないよって。

 今どき、転職はめずらしいことじゃないって。

 キャリアアップのために誰でもするって」

 きっと親や友だちに言われたのだろう。

 それも確かに全部本当だ。でも。


「でも、違うんだよっ!

 僕にとっては世界は終わったんだよっ!」


 おばあさんが参謀くんの後ろにすわりこみ、

 うなずきながら優しく語り掛ける。

「仕事をなくしたり、失恋したり。

 受験や結婚の失敗にしたってさ。

 周囲の人は励ますつもりでそう言うんだけどねえ。

 一度なにかの”世界”を失った人にとっては

 つぎほかなんてあるわけないよね。

 ある意味、一回死んだようなものなんだよ」


 同意されることが思いがけなかったのか、

 参謀くんは涙を流したまま、おばあさんをふりかえる。

「そうだねえ。アナタの計画していた未来は失ったんだね。

 その未来を望んでいたんだ、他じゃなくってね。

 代わりなんてないさ」

 静かにささやくおばあさん。うなずく参謀くん。

 おばあさん、そんな、先が無い事言っちゃう?


 非難も反対もされなかった参謀くんは言葉を続けた。

「僕はもう、皆さんと何も変わらないじゃないですか。

 いなくても世界は回るし、いても誰にも影響を与えない。

 ここからも出られないなんて、そりゃ地縛霊ですよ。

 みんなが100%の幽霊だとしたら、

 僕は30、いや50%くらいすでに幽霊だ」


 参謀くんはさらに強く言い放つ。

「むしろ飲み食いするぶん、無駄な存在ですよね。

 肉体的にも死んだほうが社会のためなんですよ」


 先輩霊さんがあわてて割り込む。

「でも! あの、自殺者って輪廻から外れるとか、

 賽の河原で石を積むとか、ペナルティがあるのでは?」

 私もうんうんうなずきながら、賽の河原は何か違うと思った。


 するとおばあさんがこちらに向かって強い調子で言う。

「そんなのないわよ! なんで辛い思いをして亡くなった人に

 罰が与えられなきゃいけないのよ、ねえ。

 他殺だろうが、病死だろうが、自殺だろうが、

 ちゃあんと死後の世界を経て、転生していくから安心おし」


 は、はい、と小さく言ってうなずく参謀くん。

 安心おし、じゃないでしょうが! おばあさん。


 私は不安でいっぱいな気持ちになる。

 おばあさん、どうしちゃったの?

 まるで死ぬのを推奨しているみたいだ。


 私は先輩霊さんと顔を見合わせる。

 ここは絶対に、阻止しなくては!

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