第11話 呪いの実レイ

 早退した元・婚約者を追って、私は外にすべり出た。

 彼がすぐ近くにある地下鉄の駅に入っていくのが見える。


 昼間の駅は思った以上に混んでいた。

 反射的に人を避けながら(すり抜けるだけなのにね)、

 彼と一緒に改札を抜けてホームへと向かう。


 無賃乗車になるけど、私も乗ってしまおう。

 タイミングよく来た電車に乗りこんだ彼に続き

 その横に立った。


 人が慌ただしく行き交う街中でもそうだったけど、

 こういった不特定多数の集まる場では、

 ごくまれだけど、本当に霊感のある人に出会ってしまう。

 私の参謀くんみたいな、霊が見えるし、その声も聞こえる人。


 そういう人は間違いなく、見えてないフリをする。

 一瞬必ず驚いたり怯えたりするんだけど

 それはもう必死に”見えてません”をアピールするのだ。


 たぶん、いつもの習慣なんだろうね。

 もし見えてるってバレたら、

 たちが悪いヤツにはしつこく絡まれるのだろう。


 ”見えてるくせに”とか耳元で言われたり

 ”話を聞いて”って粘られたり。

 挙句の果ては家まで押しかけられたり。

 って、それ全部、参謀くんに私もやったわ。


 怖かったろうな……帰ったら謝ろう。


 そんなことを考えながら、

 比較的空いている車内、元・婚約者の横で、

 車内広告をながめていた時。


 偶然にも、この車両に霊感体質さんが現れたのだ。

 途中駅のドアが開き、乗り込んできた人が私を見て

 ビクッ! と体をこわばらせたから間違いない。


 私の存在に気が付いた霊感体質さんは、

 妙に表情のない顔で視線をそらせた後……

 んん? なに?! って感じで振り返ってきた。


 この”湯上がり姿”を見て目を丸くし、

 そして不躾にも、上から下までじろじろ見ている。

 その口元はゆがみ……そしてついには吹き出したのだ。


 こら! レイギ正しくしたまえ! ……霊だけに。

 くそ~これには深い事情があるんだよ!

 ぜひとも、いつも通り、

 見なかったことにするんだ!


 ああ、やはりこの格好に幽霊たる威厳? はないのか。

 たとえ元・婚約者の霊感を鍛えたとしても、

 この姿を見たら涙を流して笑うかもしれない。

 私は後悔の涙を流して欲しいのに。


 なんて思いながら、元・婚約者に続いて

 乗り換えるために下車する。

 私は仕方なく、

 ”一般人に偶然見つかってしまった芸能人”みたいに

 霊感体質さんに愛想笑いを向け、手を振りながら電車を降りた。


 **************


 しかし、ほっとしたのもつかの間。

 次の電車に乗り込んだとたん、

 もう何も感じないはずの体がズン!と重くなるような、

 恐怖で総毛だつような感覚を味わった。


 乗り込んだ車両の奥を見ると、いるではありませんか。

 もう、ガチのやつ。


 怨念をまとった女の霊だ。


 長い髪は乱れ、首から長いロープを垂らしたまま。

 服はどこかの会社の事務服のようだが、ボロボロでよく分からない。

 裸足の足はやせ細り、骨と皮だけだが、奇妙にねじれている。


 金髪で流行りの服を着た、チャラ目の男の背後に浮き上がり、

 男の右肩から顔を覗き込むように首を伸ばしている。

 二人はうねうねと動く黒いモヤに包まれていた。


 チャラ男はその霊が見えないのか、吊革につかまったまま

 まっすぐに前を見ている。

 でも、表情がおかしい。

 口を半開きに、目は死んだ魚のようだ。


 こんなに空いているのに座らずに立っているのだ。

 頭はもう、まともに働いてないのだろう。


 その時、かすかに声が聞こえた。

 ”苦しい、痛いよ、くるしいよお”

 それは音というより、私の心に流れ込んでくるようだった。


 それは私が、彼女と同じ”霊魂”だからだろう。

 恐ろしい幽霊を前にした恐怖より、

 彼女が感じたであろう苦痛、悲しみ、怒り、

 そしてこのチャラ男を強く呪う気持ちを感じ取ってしまうのだ。


 このチャラ男、一体彼女に何をしたんだ?

 ただ振ったとか、別れただけではこんなに恨まれないだろう。

 首の縄ってことは自殺に追い込んだ?

 ……それとも……自殺に見せかけて殺した?


 私がそこまで考えた時、

 その怨霊が頭をあげ、ゆっくりこちらへと振り向いたのだ。

 両目は落ちくぼみ真っ黒な穴のようで、

 顔の下半分は溶けたように崩れていた。


 私がもし生者だったら、ものすごい悲鳴をあげていただろう。

 でも今私は彼女と同じ存在であり、

 何があったのかはわからなくても、

 どんな気持ちでいるのかシンクロしているのだ。


 だから、怖さはあまり感じなかった。

 私にも彼女の怒りや悲しみはわかるから。


 でも。それなのに、なぜか共感できない。

 例えば辛いものを食べた時、程度の差こそあれ、

 みんな辛いと感じるところまでは一緒だ。

 その後にどう思うかは千差万別だろう。


 だから怨霊化した彼女に対し、

 ”行けー! やってやれー! そこだー!”

 という気にはならないのだ。


 それなのに彼女は、ゆっくりとチャラ男から体をはがし

 こちらに向かおうとしてくる。

 私を仲間にしたいのか。それとも敵だと思っているのか。


 うめき声をあげ、体をくねらせながらこちらに進んでくる。

 私は思わず、元・婚約者の陰にかくれてしまう。

 どうしよう、逃げたほうが良いよね。


 その時やっと電車が駅に着き、元・婚約者が電車を降りたので、

 私もそこから離れることができた。

 彼女は追っては来なかった。閉まるドア、出発する電車。


 私は遠ざかっていく電車をみつめながら

 駅のホームでふーっと息をつく(息してないのにね)。


 ……やっぱり”本物”はすごかった。

 怒りと悲しみと、そして強烈な呪いの念。


 彼女は私に、何を伝えたかったのだろうか。

 ”こうやって呪い殺していくんだよ”

 ”許すな、絶対に許すな”

 ……それとも。


 彼について進んでいくうちに、私は改札を抜け地上に出る。

 生者だけでなく、幽霊に対しても太陽は明るく輝いていた。

 降り注ぐに日差しの中、私は深く考え込んでしまう。


 私はあれになれるのか?

 いや、なりたいって、本当に、思う?


 ***************


 元・婚約者は家に着くと、トボトボと部屋を横断し、

 かばんを頬り出してベッドに座り込んだ。


 早退を許可されたなら、

 普段の彼ならホイホイ遊びに行きそうだ。

 でも今日はコンビニさえ寄らないで、彼は家に帰ってきた。


 私は部屋を見渡した。……汚ったない部屋だなあ。

 部屋はすでにポルターガイストの被害にあったかのように

 極限まで取っ散らかっているではないか。

 これじゃ、私が手を下すまでもないじゃん。

 そういえばこの人、ゼンゼン片付けとかしないヤツだったわ。


 彼は頭を抱えて、髪の毛をかきむしっている。

 突発的な犯行とはいえ、私に手を下したことを後悔しているのか?


 しかし予想に反し彼は、ヘンなことを言い出したのだ。

「なんでだよ……なんでこんなことに」

 はあああああ?! アンタがやったからじゃん!?

 もしかして、殺す気はなかったとか、そういうこと?

「ひどいよ、こんなのありかよ…」

 なにそれ?! 記憶喪失?! 

 自分の都合の良いように事実から逃れてんの?


 そしてついに、ものすごい爆弾を落としてきた。

「…あいつが風呂に行ったからって、

 俺、すぐに帰らなきゃ良かった……」

 えっ?? あの後すぐに帰ったの?

 ここに独りしかいないから、嘘を付く必要ないもんね。

 これが事実だとしたら。


 私はあの晩のことを一生懸命思い出す。

 長風呂のあと、ドアがバタンと閉まる音がしたから、

 彼が帰ったと思って、お風呂から出たんだっけ?!


 でもでも、頭が急にガツンとすっごく痛くなって。

 湯船に落ちた後…あれ、いつだっけ?


 とにかく湯けむりの中、

 湯船の中の私を覗き込む人影をみたんだから!

 確かに、浴槽の右側から誰かの頭が…浴槽の、右側?


 私に衝撃が走る。

 確かに私が見たのは、浴槽の右側から覗き込む人の頭だ。


 でも、うちの浴槽の右側は壁。

 そこから覗き込むには、体は壁にめり込んでいることになる。


 一体、どういうこと?!

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