第9話 それではお手元の死霊をご覧ください

 ……結論から申し上げますと、

 マヌケなバスローブ着せ替え大作戦は失敗に終わったのだ。


 ”お供えした浴衣を着て、母が夢枕に現れた”

 などといった”ほんわか心霊エピソード”を参考にし

 参謀くんが服を私に供える、というのを繰り返したのだけど。


「……僕が”着て欲しい”って願う力が弱いのでしょうか」

 心なしか落ち込む参謀くんを必死で慰める私。

「いやいや、この服を本気で”着てくれ”と思う方が無理だよね」

 目の前にずらっと並べられた彼の私服は、

 女性に来て欲しいと思うようなデザインからはかけ離れており

 またマンボウ柄のバスローブの放つ強烈な個性に負けてしまうのだ。


 やはり、やっつけのお供え物には効果がないのかもしれない。

 どこかで幽界のルールを見定めてる審判員みたいなのが見ていて

 ”こいつらズルしようとしてるな、真心ないからアウト!”

 と判定したのかもしれない。まあ、その通りですが。


「……姿を見せずに復讐する方向性でいきませんか?」

 おずおずと参謀くんの出した案に、

 私は静かにうなずくしかなかったのだ。


 *********


 と、いうわけで、今日はこの格好のまま、

 アイツのとこに行ってみるのだ。

 今の時間なら、会社にいるだろうな。


 私は彼とは同じ会社の、他の部署で働いていた。

 周りにはなるべく秘密にしてほしいと言われ

 社内恋愛とはそういうものかと素直に応じていたけど、

 振り返ってみれば、彼の本音は違ったところにあったのだろう。

 要は合コンに誘われなくなるのは嫌だったし

 社内の他の女の子にもちょっかい出したかっただけだ。


 交際を知っているのは、仲の良い同期の子と……

 浮気相手、いや、もはや本命となった後輩ちゃんだけだ。

 彼女は隣の部署の子で、仕事ではあまり繋がりは無いのだが

 なぜか困っていることが多い子だったので、

 手助けしているうちに親しくなったのだ。


 あの子、先輩の恋人と知っていながらやってくれたな。

 それとも親しくなったと思っていたのは私だけだったのか。


 ぶわっと怒りが湧いてくる。

 あいつら、許さん。

 ……よし、これで当分はこの世にいられそう。


 幽霊だから空をビューン!と、と思うでしょ?

 実際はそう簡単ではなかった。

 だって、迷うから。


 会社がある場所って、空を飛べれば、

 本来自分の家から直線で行けるはずなのではあるが。

 でも、だいたいの方向はわかっても、

 角度にして1℃でもズレたらとんでもない場所に行ってしまうのだ。


 だからランドマークになりそうな、大きな駅やビルを目指して飛ぶ。

 次にそこから、次のランドマークを決める。

 例えばまず、最寄りの駅ビルに飛び、次は大きな駅にあるタワーを。

 そうして、少しづつ近づいていくしかなかった。 

 ……こりゃ電車で行った方が早かったかも。


 ***********


 行きすぎたり間違えたりしながらも、なんとか会社に着いた。

 でも社内でいきなり見つけたのは

 正直、一番会いたくなかった人だった。

 例の浮気相手の子、可愛い後輩ちゃんだ。

 資料を片手に廊下を歩いている。


 今日も、メイクもネイルもばっちりだ。

 ときおりすれ違う男性社員と、軽口をたたき合ったり

 今度飲みに行く約束などを交わしている。

 もちろん私の件を知っているとは思うが、

 自分には関係のない事だと思っていそうだ。


 私の死因は、元・婚約者アホの突発的な犯行だとは思うけど、

 その原因を作ったのは彼女でもあるのだ。

 ちょっとの嫌がらせくらい、許されるだろう。


 後輩ちゃんは会議室に入っていく。

 彼女の課の打ち合わせが始まるようだ。

 部屋が暗くなり、プロジェクタが前方に映し出す。

 私は席に着いた後輩の真横に立った。

 この子、霊感なさそうだな。……道徳観もないけどね!


 私はなんとか、彼女を怖がらせたいと思った。

 とりあえず長机に寝っ転がり、開いて置かれた資料に頭を乗せる。

 タイミングよく、プロジェクトリーダーがみんなに告げる。

「それではお手元の資料をごらんください」

 うらめしやー……どうよ。


 後輩ちゃんがじっと私を、いや資料を見て、小さく呟いた。

「……ウザ」

 そしてシャーペンを顔に向けてきたので、

 とっさにがばっと跳ね起きてしまった。

 なんて恐ろしいことを……刺さらないけどさ。


 彼女はそのまま、資料に落書きをしている。

 チームリーダーの名前の読み仮名に”バカ”。

 プロジェクト目標値の横には”無理でーす”

 作業日程の備考欄には”めんどくさ~”

 そして口の端をゆがめて笑っている。

 ……なんだかなあ。子どもか。


 こんな奴なのに、社内では可愛いって評判なんだよな。

 この子の化けの皮は、

 ガチガチのミカンくらい剥きにくいのだろう。


 **********


 何も出来ないまま会議は終わり、後輩ちゃんは席に戻る。

 一番すみっこの、目立たない場所だ。

 だから隠れて就業中にスマホをやっているのを私は知っていた。

 時おり注意したけど、

「えええー、ちょっとお、大事な連絡があってえ」

 とごまかされるだけだったけどね。


 彼女は先ほどの資料をバサッと乱暴に机に置き、

 マウスをつかみ、エクセルを起動した。


 こうなったら、私に出来るのは機械に干渉するくらいだ。

 そうだ! ディスプレイに怖ーいメッセージでも出してやるか。

 ゾッとするような、後悔するような、なにか。


 ベタだけど、”呪ってやる”が一番かな。

 私はそう考え、彼女のキーボードを操作する。

 まずは、”の”。

 すると、画面に何故か”みら”と表示された。

「「みら?!」」

 私と彼女の声がかぶる。えええっ? なんで?


 彼女は変な顔をしながらバックスペースで”みら”を消す。

 壊れてるの? 私は言葉を変えてみた。

 今度は”ゆるさない”でいってみよう!

 まずは、”ゆ”。

「「んな?!」」

 再び彼女とデュエットし、私は気が付いた。

 ローマ字変換じゃなくて、かな入力になってるんだ!

 ウソでしょ?!


 後輩ちゃんは顔をしかめ、パソコンを再起動しはじめた。

 不具合だと思ったのだろう。

 そして席を立って歩きだす。

 もう休憩? 何もしてないのに?


 怖がらせることに失敗した私は悔しかったので、

 彼女のパソコンの音量を、最大限に上げておく。

 怨霊オンリョウにできることは、これくらいのものだ……


 そして私は彼女を追いかけていった。

 後輩ちゃんは洗面所に向かっていたようだ。

 そしてスタスタと個室へと入っていく。


 入れ替わりのように隣の個室から出てきたのは、

 私が仲良かった同期の子だった。

 そう、私に”少年の心を大人になっても捨てない奴の89%はクズ”、

 と教えてくれた子だ。

 私は喜びと悲しみでいっぱいになる。


 化粧室にいた他の社員さんとの会話で、

 この同期は、昨日は泣いて仕事にならないから帰ったことを知った。

 今日も、ちょっとすると潤んでくるようで、

 しきりにアイシャドウを塗っている。

 ごめん、それから、ありがと。


 会話していた他の社員が出て行き、後輩ちゃんが個室から出てくる。

 私の同期と目があい、なぜかピリッとした空気が流れた。

 同期をみつけた後輩ちゃんが

 一瞬あわてて個室に戻ろうとしたから間違いない。


「あれ? ずいぶん嬉しそうだね? 

 先週比2割増のマスカラじゃん。良いことでもあったの?」

 冗談めいた言葉とは裏腹にものすごい目つきで、

 同期が後輩ちゃんに言葉をかける。

「…え、なにも、ないです…そんな…」

「チャンス到来とか思ってない?」

「……なにがですか?」

「前にさ、あの男と二人で会ってるの見かけた時、

 単なる仕事の相談ですう、とか言ってたけど

 全然関係ない部署の、あんな仕事できないって評判のヤツに

 相談することなんてあんのかね」

「……あの……いろいろと……」


「あの二人、付き合ってること公表してなかったから

 強く注意はできなかったけどさ。

 アイツには婚約者がいるって言ったら、

 あなた”知ってます、だからなんなんです?”って笑ったよね?」

「……え、そんなこと言いましたか?」

「言ったよ。あ、相手があの子だって知っててやってるのかって。

 知ってて、下に見てるって、モロバレだったよ。

 ……ったく、あの子にも、本当にあいつで良いの?って

 ずっと言ってたのになあ。

 日本の離婚率35%が、二人のせいでさらに上昇するよって。

 かなり世間からズレた子だから、全然わかってもらえなくて」

 同期は悔しそうに言って、視線を下に落とした。

 ……えっ、あの子って私だよね。ズレてるの? 私。

 つか、そんな言い方じゃわからないでしょうが!


「……」

「まあ、喪に服せとまでは言わないけど、

 ちょっとはモラルとか考えたら?

 本人たちは隠し通してるつもりだったみたいだけど、

 本当はみんな、二人が付き合ってるのも婚約したのも

 部長から新入社員まで全員、いや9割5分、知ってたからね。

 これを機に付き合うなんてことになったら、

 あなたの社内の評価って、今以上に下がるからね」


 後輩ちゃんも驚いていたが、私は彼女以上にショックを受けていた。

 秘密にできてると思ってた! みんなにバレてないって!

 私も彼も、大マヌケじゃないか!

 恥ずかしくて死にそう! ってもう死んでるか!


 ……ってか、彼はそんなに評価低かったんだ。

 確かに何回も、同期にはそういうようなこと言われたけど、

 遠まわし過ぎて伝わらなかったよーー。

 あまり噂話とか参加するほうじゃなかったからなあ。

 これもショックだ。


 後輩ちゃんは黙ったまま、ふてくされた表情でトイレを出て行く。

 そして席に戻ると。


 彼女の席には人だかりが出来ていた。

「どうしましたあ?」

 後輩ちゃんは首をかしげ、可愛い声で質問する。

 振り返ったプロジェクトリーダーが能面のような顔で言った。

「馬鹿で悪かったな」

 リーダーが資料を手に持っているのを見て

 後輩ちゃんの顔からサアっと血の気が引いたようだった。


 私は全てを理解した。

 再起動の音があまりにも大きかったのだろう。

 驚いたみんなが、何事かと彼女の席に集まったのだ。

 そして、机の上にある、

 あの失礼な落書きがされた資料を発見したのだろう。


 つとめて冷静な口調で課長が言った。

「無理と思うなら、君は参加しなくて良いよ」

 他の先輩たちや彼女の同期も、冷たい目で彼女を見ながら

「面倒だというならなおさらよね。

 いつもみたいに、間に合わない仕事を押し付けられても困るし」

「間違いを誤魔化されるのももうウンザリだしな」

 そのうちの一人の先輩が、私の部署のほうを片手で示し

「もう、はいないんだから。

 誰も助けてもかばってもくれないよ。

 都合よく利用するだけで、感謝さえしてなかったけど

 いなくなった今、やっとありがたみがわかるかもね。

 ……もう、遅いけどさ」

 後輩ちゃんはハッとした表情をした後、

 私が分かりやすく説明した時に書いたポストイットを眺める。

 そして不安げにうつむき、唇をかむ。

 ……ん? あの人って、もしかして私の事?


 職場の人たちは、思った以上に怒っていた。

 この資料はきっかけに過ぎないのだろう。

 彼女に対する不信感や不満が、これを機に決壊した感じだ。


 最初は笑って、その次は涙ぐんで誤魔化そうとしていた後輩は

 最後にはふてくされた表情で部屋を飛び出していく。

 私は彼女についていった。

 どうするのだろう、そう思って。


「ったく、ふざけんなよ」

 廊下を足早に移動しながら、後輩がつぶやく。

 反省とか、後悔はしないんだね。


「ほんとにイラつくわ。マジでなんなの全員」

 すると、彼女の周りに黒いモヤが現れ、どんどん増えていく。

 そしてまとわりつくように彼女にからみつき、

 体の中に吸い込まれていった。


 今のなんだろ、あれ。




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