第14話 人を呪わば

 夕暮れの町の交差点、人通りはけっして少なくない。

 車の通りだって途絶えることはないのだ。

 それでも、そこで繰り広げられている光景は

 誰の目にも見えていないようだった。

 ……私以外の誰にも。


 横断歩道の先に停められた赤い車。

 その運転手は車種にしてはそれなりの年齢の男だったが

 見た目にも仕草にも落ち着きがなく、

 一言で言えば”お金はあるけど知性はない”といった感じだ。


 先輩霊さんは、潰れかけた体をくねらせながら前に進み

 血まみれの両手で運転手の肩をがっつりとつかんだ。

 それはもう、私に親切にしてくれた先輩ではなかった。


 外見の話ではなく、彼の中も、その周囲も、

 あふれるような憎悪でいっぱいだった。

 自分を轢いて逃げた相手を憎む心が、

 理性や他の感情を全て消し去っている。


 そりゃそうだ。あの姿になるなんて、

 きっと痛みや苦しみは尋常なものではなかっただろう。

 一瞬で意識を失って逝った私は、

 幸せなほうなんだと今さら痛感してしまう。


 先輩霊さんからは怒りだけでなく、

 ものすごい無念や悲しみも伝わってくる。

 やりたかった事なんてたくさんあっただろう。

 あの性格だから、投げ出したくなかった仕事もあったろう。


 もっと生きていたかったよね、私にもわかるよ。

 しかも自分をこんな目にあわせた犯人は

 罪を償うことなく逃げおおせているのだ。

 私でも激怒し憎むだろう。強く恨むだろう。

 ……でも。


 戸惑う私の前で、先輩は肩をつかんでいた手をそのままずらし、

 運転手の首を絞めるようにつかみこむ。

 そして体は上にズリズリとあがるが、首だけが異常に伸び切り

 その輪郭は崩れ、全体の形状は濁った液体のようだった。

 黒い霧に少しずつ包まれ、運転手はなんだか苦し気な表情になる。


 先輩霊の顔は縦長にのび、口を大きく開けて何かを叫んでいる。

 運転手にまとわりつく黒い霧は、

 じわじわとその体に吸い込まれていった。

 何が起こっているんだろう?


 その時、運転手の様子に変化が現れた。

 次第に、その魂がカスカスになっていくことを感じるのだ。

 そして先輩霊の体も少しずつ崩壊していく。

 砂の像が風に少しずつ崩れていくように、

 その魂のすべてを黒い霧に変えていたのだ。


 電車の中でみた、ガチの怨霊に憑かれたチャラ男が

 死んだ目をしていたことを思い出す。

 もう中身が残っていない”人間のカラ”だったのかもしれない。


 ひとつ間違えば、私もああなっていたのだ。

 何をのんきに”復讐してやる!”なんて言ってたんだろう。


 生きていたころの”復讐”とはわけが違うのだ。

 自分が自分でなくなり、まったく違う異質なものに変化することで

 相手の魂を破損させるのが、霊の”復讐”なのだ。


 例えば、塩酸が貝殻を溶かし二酸化炭素に変えてしまうように。

 木が燃えることで、包み込んだ相手も一緒に焼き尽くすように。

 悪意の念そのものと化して、相手の魂を破壊し尽くす。

 ……みずからを犠牲にしてまで。

 これは不可逆反応だ。もう元には戻れない変化。


 気付いた私は彼らにかけよった。

 ダメだ! 先輩! ダメだよ!


 私は後ろから先輩霊さんにすがりついた。

 近くで見る先輩は本当に恐ろしい姿をしていた。

 でも私は、私の遺体に付き添ってくれた、

 あの警察の人を思い出す。


 相手の状態がどうであれ怖がったりせず、

 常に敬意を持ち、真心を尽くすのだ。


「先輩! 待って! やめて!」

 もちろんこの人は、私に”先輩”などと呼ばれていることは

 知る由もなかったわけで、当然のごとく反応はなかった。

(私より先に亡くなった人を勝手にそう呼んでただけだ)

 先輩霊さんは私など無視したまま、自分を轢いた運転手の男を

 さらにゆっくり、ゆっくりと包み込み崩壊させていく。


 何を言っても、どう動いても先輩霊はやめなかった。

 私は途方に暮れ、思わず下にずり落ちてしまう。

「……どうしよう」


 その時、後ろから猫のものすごい鳴き声が聞こえた。

 すると先輩が急にズルっと下に剥がれ落ちていく。

 猫ってやっぱ魔除けになるの?! ありがとう野良猫!

 ……ってちがう、この声は。


 そして同じく、交差点近くのビルから声が聞こえる。

「諦めるんじゃないよ、助けておやり!」

 私が振り向くと、あのおばあさんが立っていた。

 私の死を予言し”今日は家に帰るな”と言った、

 あの不思議な存在だ。

 

 そういえば後日、霊になってからもう一度会った時には

「せっかく教えてあげたのに。やっぱりダメかねえ」

 なんて言っていた。とても残念そうな声で。


 このおばあさん、幽霊かどうかもわからないけど

 きっと良い存在に違いない。

 悪霊は”助けておやり”なんて、絶対に言わないだろう。


 ニャア。

 気が付くと足元に、可愛い三毛猫がいるではないか。

 今までは声だけだった。

 先輩霊を私の部屋に導いたのも、

 私を恐れて拒否する参謀くんをベッドから呼んだのも

 みんな、この子だ。

 理由はわからないけど、そう思った。

 

 三毛猫は必死に、先輩霊の周りをニャアニャア歩き回る。

 心配そうに。どうして良いかわからない、と悲し気に。

 先輩霊を助けたいのはこの子も一緒なのか。


 私はおばあさんにうなずいた後、先輩霊さんに向き直る。

 彼はずり落ちたまま、のたうち回っていた。


 今がチャンスだ。何とかしないと。

 そうこうしている間に、這いつくばっていた先輩は

 また相手の足をつかみ、上を目指して這い上がろうとしている。


 考えるんだ。どうしたら、こんな形での復讐なんてさせない!

 たとえ死んでも、人としての個性や人格、思い出を失わせず、

 先輩霊さんの魂をこの世から消滅させないためには、どうしたら…


 生きていたころに作り上げた個性や、思い出。


 そして私は、先輩と初めて会った時のことを思い出す。

 それから私が「いも望月」の魅力にあらがえなかったことも。


 そうだ!


「先輩! アポとってたお客様がお待ちです!」

 一瞬、ピタッと止まったが、またズリズリ動き出した。

「先輩の顧客が迷ってるみたいです、お悩みです!

 先輩に早くご相談したいそうです!」

 私は、会社の営業さんたちとはあまり接点がなかったから

 どんな言葉が嬉しくて、どんな言葉が焦るのかわからない。

 そもそも先輩霊さんが何の商品を扱っていたのかも分からないのだ。


 でも、何でも良いから、精一杯呼びかけてみよう。

 しがみついたり引っ張ったりなど、霊魂には無効だ。

 肉体なら肉体に力を作用させればいいだろうけど、

 精神には精神に影響を与えなくてはいけない。


 先輩って呼びかけたのは、結果的に良かったのかもしれない。

 私は新人のふりをし、ニーズの読み違えで失敗した状況を作り出したり

 インセンティブについて嬉しい報告をしたり。


「あの案件はまだ、クロージングしてませんよっ!」

「私のアタックリストはケーキ屋さんばっかりです!」

「アップセルしてくれない顧客はダウンセル食らわせてやりますか?!」


 もう何を言ってるのか自分でもわからない。

 それでも先輩霊さんから出る黒い霧は、

 少しずつその量を減らし、代わりに先輩の形状が元に戻っていく。

 でも運転手にしがみつくのはやめなかった。


 私は何度も繰り返す。

 出来の悪い後輩になったり、感謝する顧客になったり。


「新規のお客様へのお電話で失敗しました! 助けてください!」

「飛び込み営業するのでトークスクリプト確認お願いします!」

「先輩の提案書、客先から質問が来ています!」


 先輩の手が運転手から離れ、その背後に立ちすくんだ。

 もう一押しだ!


「アプローチ成功しました! 新規です! 

 お客様がお待ちです、早くご挨拶しないと!」

 先輩霊さんはゆっくり、こちらを振り返る。

「とにかく名刺くださいっ! 名刺、名刺、名刺っ!」


 彼の形状がゆるゆると、以前の人型に変わっていく。

 そして怪我で崩れた部分も、事故に遭う前に戻っていった。

 なぜなら彼は、優秀な営業マンだったから。

 お客様の前に乱れた身なりで現れることなんて絶対になくて、

 お待たせするのも極力避ける、真面目で誠実な人だったから。


 そして(きっと死後初めて)彼は、

 胸ポケットから白い名刺を出した。

 私は彼の名前を初めて知った。

 一瞬、泣きそうになってしまう。

 それを必死にこらえて、今度は彼のお客様になりきる。


「いろいろご相談してよろしいでしょうか、○○さん」

 と呼びかけた。

 彼は信頼を感じさせる温かな表情で

「もちろんです。何卒よろしくお願いいたします。」

 と落ち着いた声で返し、うつくしいお辞儀をしたのだ。


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