第15話 逃・亡者

 先輩霊さんはもはや、怨霊ではなくなった。

 体から噴き出るように放出されていた黒いモヤも消えている。


 彼は足元にすがってきた猫に気が付くと

「チコ!」

 と叫んで抱き上げ頬を寄せ、頭を撫でている。

 あれ? 飼い猫? 猫は苦手だって言ってなかった?


 その時、私の背後で運転手のうめき声がした。

 運転手は車体に体重をかけ、ぐったりしていたが

 上体をおこして頭をふり、小さく呟いた。

「……なんだ? めまいか?

 なんなんだよ、まったく」

 そう言って、こぶしで車体を軽く殴り、

 交差点を横目で眺めながら忌々し気に言った。

「……、早く離れたいのに」


 元・婚約者は私を殺してなんかいなかったけど、

 こいつの犯行は間違いないのだ。

 この男こそ、先輩霊さんを轢き逃げした犯人だ。


 先輩霊がやろうとした、自分の魂を真っ黒な霧に変え、

 この男の魂を崩壊させて共倒れに持ち込む方法ではなく、

 なんとか、追い詰める方法はないものか。

 何もせずにこのまま逃すなんて許せないから。


 私にできることといったら、ひとつだけだ。


 私は車に入り込み、助手席に転がっていた運転手の携帯を鳴らす。

 ここまではもう、お手の物だ。

「……なんだよ? こんな時に」

 舌打ちした後ドアを開け、しぶしぶ彼が電話に出る。

 私は霊気と電気をシンクロさせ、

 ”通話機能”を操作し、声と言葉を作り上げていく。


 そもそもスマホで聞こえる音声とは、

 相手の声をそのまま送信しているわけではない。

 限りなく本人の声には近い合成音声を選択し、再生しているのだ。

 だから電気を操れる霊にとって、

 ”言葉”を”音声”にするのはそんなに難しいことじゃない。


 でも初めてやったので、それはとても変な”声”になった。

 低くて雑音の多い、くぐもった音声に。

 ……まあこれが、かえって効果的だったけどね。


 運転手は耳を当て、もしもし、と繰り返していると。

「知ッテルゾ、オ、マエガイタ。コ、コで轢イタ……」


 突然聞こえてきた不気味な声が放つ恐ろしい言葉に

 声にならない叫びをあげる運転手。

 恐怖で顔がゆがんでいる。いいぞ、もっとやってやる。


「ミンナ知ッテル。警察ニ捕マル前ニ、地獄ヲ見セテヤルゾ」

 焦ったようにキョロキョロと周囲を見渡した後、

 背中をまるめ、スマホを包み込むようにし、

 小声で怒鳴りつける運転手。


「なんで知ってんだよ! 誰だお前! 見てたのかよ!」

「絶対ニゆるサナイ。絶対ニにがサナイ。

 警察ニ捕マッタラ手ガ出セナクナル。今スグ、オ前ヲ……」

 運転手は顔面蒼白になり、スマホを持つ手も震え始める。

 私は自分にツッコミを入れる。

 ”警察に捕まる前に報復してやる”って、

 幽霊というよりも、ヤクザかマフィアみたいではないか。


「け、警察に捕まったら手が出せないって、お前もしかして……」

「ちょっと、いいですか」

 運転手が小さい叫び声をあげながら振り向くと、

 後ろには2人の警察官が立っていた。

 運転手は慌てて通話を切ろうと、スマホを何度も連打する。

 あまりの慌てぶりに、警察官二人は顔を見合わせる。


 警官たちは、実は結構前から後ろに立っていた。

 最初は交差点付近で止まっている、

 この赤い車の様子を見にやって来ただけだろう。

 事故か? 故障なのか? と。

 しかし近づいてみると、運転手の様子がおかしく、

 また通話中だったため、黙って見守っていたようだ。


 私は正直、不思議だった。

 パトロール中と思われる警察車両が付近に止まったことも

 警察官がそこから降りてこちらに向かってきたことも

 そして割と近くにたたずんでいることさえも

 この運転手は気が付かなかったのだ。


 私はふと、交差点近くのビルを見る。

 案の定あのおばあさんが立っていて、ニヤリと笑ったのだ。

 もしかすると、あのおばあさんが何かしたのかな。


 運転手はすっかり取り乱し、言葉が出ないようだった。

 しかし通話を切ったはずのスマホから声が流れ出した。

「ココデ轢キ逃ゲシタ犯人ハ、オ前ダ!」

 大音量で響き渡る音声に慌てまくる犯人。

 しかし通話は完全に切れていることに気が付き悲鳴をあげる。


 ダメ押しに私がやったのだ。

 警察官さん、聞いてました? こいつが犯人なんです!


 運転手は、訳が分からず不審な目で見ている警官に対し

「助けてくれ! 殺される!」

 とすがってその背後に隠れようとしたり、

 逆にハッ! と我に返り、

「いや、何でもない、何でもないからほっといてくれ」

 と、ごちゃごちゃ言い訳して逃げ出そうとしたり。


 いや、どう見ても怪しいでしょう。

 もはや警察に開放してもらえるレベルは超えている。

「車内を確認させても良いですか?」

 案の定、警察官は聞いてきた。

 間違いなく薬物所持の可能性を疑っているのだろう。


「なんでだよ! 何もねえよ!」

 本当に何もないのかもしれない。

 それでも、ここで強く抵抗するのはかなりの悪手だ。

 素直に”どうぞ、どうぞ”したほうが、早く解放されるのに。


「何もないなら良いですよね」

「いや、急いでるから! 今度にしてくれよ!」

 そのまま運転手はドアを乱暴に開け、

 自分だけ乗り込もうとし止められ……


 落ち着くよう諫める警察官に暴言を吐きまくったり、

 数々の挙動不審なふるまいをしたため

 結局応援まで呼ばれ、パトカーで連行されていった。


 去り際、警官の一人が、交差点を振り返り

「確かここ、未解決の轢き逃げがあったところだな……」

 と、もう一人に告げていた。

 言われた方はうなずきながら、

 運転手が残していった赤い車のナンバーをメモしていた。


 あの運転手は、叩けば何かしらホコリの出る輩だろう。

 とても真っ当に生きている人間には思えない。

 どうか、ひき逃げの件も明らかになり、

 正しく罰せられますように。


 **************************


 警察官が去っていった後。


 すっかり暗くなった街で、移動霊先輩と夜の街を眺めていた。

 優しい顔で微笑む先輩の腕の中には、

 可愛い三毛猫の霊が彼に寄り添っている。


 私の視線に気づくと、先輩霊さんは照れ臭そうに説明してくれた。

「この猫はチコといいます。

 幼い頃から飼っていた猫です」

 撫でられてうれしそうに目を細め、

 先輩霊さんの首のあたりに体をこすりつける猫。

「一緒に大きくなったんです。妹みたいなものでした」


 先輩霊さんは猫を両手で目の前に掲げ、顔を覗き込む。

「お前が高校の時に死んでしまってから、

 別れがこんなにも辛いなら

 もう猫は飼わないって決めていたんだ。

 お前のことを思い出すから、正直、

 大人になっても猫を見るのが苦手だったよ」


 心の底から愛した猫だったのだ。

 そして、猫のほうも先輩霊さんを愛していた。

 死んでからもずっと、ずーっと。


 今まで聞こえていた猫の鳴き声は、

 この子が先輩霊を止めようとする声だったのだ。

 いつまで経っても自分に会いに来ない飼い主を迎えに来て

 ずっとここで見守っていたのだろう。


 しかし呪いの念に包まれた先輩霊さんには、

 存在すら気づいてもらえなかった。

 先輩霊さんは何も見てはいなかった。

 ……自分を轢き殺した犯人以外は。


 猫が私の周りによく出現したのは、

 私に止めてもらいたかったのだろう。

 このままでは悪霊化し消えてしまう、

 かつての飼い主を止められるのは、

 猫の霊である自分には無理だったから。


 私はチコちゃんの頭を撫でさせてもらう。

「良かったね」

 猫は目を細め、お礼を言うように喉をならした。


 先輩霊さんは申し訳なさそうに言う。

「私は、憎む相手のないあなたが羨ましかった。

 でも死因が他殺であれ、病気であれ、寿命であれ、

 ”そのせいで死んだ”と、原因に対してのみ固執するのは

 問題を増長させるだけなのかもしれません」


 人は、何か自分を不幸にする問題が起きた時

 どうしてもその原因が無かったら良かったのに、と思ってしまう。


 しかし原因がなくなっても結果は変わらないし、

 下手すると(今回みたいに)さらに多くを失ってしまう可能性もある。


 それよりも、辛くても悲しくても、

 それがもたらした結果に対して向き合い、

 より良い結果を目指して行動を再開することが

 手っ取り早く確実に、解決や幸福につながっていくのだ。


「まあ、悔しい気持ちも憎い気持ちも変わりませんけどね。」

 そういって移動霊先輩は笑った。ほんと、それ。

 絶対許せないし、許さない。

 絶対納得がいかないし、受け入れることはできない。

 でも、気持ちはそのままでも行動は別だ。


 私もうなづきながら、

「でも私たち、これ以上アンラッキーになってたまるか!ですよね」

 そう、私たちはこれからだって幸せになれる。

 たとえその生を終えた後でも。


 猫が小さな声でないた。首を伸ばし、誰かを見ている。

 その方向を見ると、ビルの前でおばあさんが立っていた。

 優しい笑顔で、こっちに来いと呼んでいる。


 私たちは彼女のところに移動する。

 いよいよ彼女の正体がわかるのだ。

 

 

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