第24話 結局、生きてる人間が

 参謀くんが、ここにいる。

 困ったような泣きそうな顔をして、

 でも口元は笑っている。


 私たちに話しかけるのを奇妙に思われないように

 スマホをずっと耳に当てている。

 

 外出なんて絶対無理って言っていたのに。

 自分を追い出した会社の近くになんて、

 なおさら来たくなかったろうに。


 それなのに私は、仇討ちが出来なかった。

 私は申し訳無さと悔しさで、わんわん泣きだしてしまう。

「ごめんね、ほんとに、ごめん」

「ちょちょ、ちょっと落ち着いて」

 スマホを耳に当てたまま、参謀くんは大慌てで、

 私たちを小さなビルの影に手招く。


「何も、なんにも出来なかったよ……」

「そのほうが僕としては大喜びですよ」

 参謀くんがなだめるように言う。

 先輩霊もオロオロしながら、

「いや、今日はあの人の状態を報告できるだけでも

 十分な成果と言えますよ」

 と言い、おばあさんは優しく背中をたたいてくれる。


だよ。また、何も」

「また? なんのことです?」

 参謀くんに聞かれ、私は正直に話した。

 実は弟がイジメにあった時の話をした時、

 何か”どデカい報復”をしたように振る舞ったけど

 実際は、私は何もしなかったのだ。


 ”このままで良い、頼むからほっといてよ”

 弟がそう言うのをうのみにし、

 ただヤキモキと静観するしかできなかった。


 結局、結構な日々を耐え忍んだあと、

 当時の担任が面倒くさそうに、やっと動いた。

 クラスのみんなの前で、明るくほがらかに

「はい! みんなお互いに謝って仲直りね」

 などと言って納め、なんとなく沈静化したのだ。


「何が仲直りなの?

 弟が何を謝らなきゃいけなかったの?

 あんな綺麗事で丸く収めるくらいなら

 それこそイジメたヤツを全員、

 トラウマになるくらいぶっ飛ばしてやれば良かったよ!」

 私には、その後悔がずーっとあったのだ。


 やった後悔は割とすぐに忘れるけど

 やらなかった後悔は、

 抜けないトゲのようにずっと痛むのだ。


「あなたの妙な機動性の高さは、

 それが遠因となっていそうですね」

 先輩霊さんがさらりとディスってきた。


 参謀くんは口元に笑みを浮かべ、

「それは弟さんの言う通り、

 何もしなくて良かったんですよ。

 僕の件も、もし親が出てきたら

 それこそ最悪の結果になったろうし、

 今でも皆さんに何かしてもらいたいとも思ってません」

 参謀くんは腕が疲れたのか、スマホを下に下げた。


 私は食い下がる。

「いや、ちょっとは復讐してやりたいよ。

 私、ちょっとだけパワハラ野郎のスマホに繋がったんだけど

 あいつのSNSサイトの……」

「ねえ電話、終わった? ちょっと良いかな?」

 誰かの声に、参謀くんがガバっと振り向く。

 そこには先ほどからちょいちょい

 こちらをうかがっていた女性が笑いかけていた。


 シンプルなショートヘア、パンツスーツの

 参謀くんと同じくらいの若い女の人だ。


 参謀くんは息を呑み、素早く会釈してその場を去ろうとする。

「待ってよ。OK、あなたは何も言わなくていいわ。

 私の話を黙って聞くだけ、それもNG?」

 参謀くんは首を軽く横にふって歩き出す。

 でも彼女は諦めない。参謀くんの横にピタリとくっつく。

「んーそうね、聞いて損がある話じゃないのよ。

 むしろ聞いておかないと、

 あなたの周囲に多大な迷惑がかかる可能性が高いわ」

 さすがに立ち止まる参謀くん。

 ……なんだろう、この人の雰囲気。ちょっと独特だ。


 その女性は眉を片方上げてニヤリと笑い、

 近くのカフェに参謀くんを誘った。

 そしてテーブルに着く前に、

 会社にランチ休憩の連絡をすると言って

 いったん席を外したのだ。


「ちょっと、誰よ。あの人」

 私の涙はすっとんで、興味津々にたずねる。

「隣の部の同期ですよ。帰国子女で才媛だって評判でした。

 僕は話したことなんて数回だし

 彼女も噂の割には目立たない人だったんですが」


 彼女が戻って来た。

 私は参謀くんと才媛さんの間に立ち、

 おばあさんは参謀くんの横、先輩霊さんは才媛さんの横に立った。

 つまり、幽霊で生者をサンドウィッチにした感じだ。


「ここに来てくれてありがとう。感謝するわ。

 ……ずいぶんラフな格好ね。今は外資? 

 それともみんなが言っていたとおり院に進むの?」

 別に気を遣っている風でもなく、才媛さんはさらりと尋ねる。

「……別に外資系とか、学校に戻ったわけでもないよ」

 彼女は興味なさげに”ふうん”といってコーヒーを飲む。


「で、迷惑がかかるってどういうこと?」

 彼女はふふっと笑い、

「単刀直入にいうとね、私、訴訟を起こすの」

「訴訟? なんの?」

「もちろんあいつのパワー・ハラスメントよ」


 参謀くんは明らかにムッとする。

「今さら……」

「もちろんあなたの件じゃないわ。私に対してよ。

 あの人、あなたが居なくなってから、

 ちょっと調子に乗ったのよね」

 それで、今度は隣の才媛さんにパワハラを始めたらしい。

「私も最初の一年は、と思っておとなしくしてたからね。

 伸びる新芽は切っておきたかったみたいだけど、

 おあいにくさまだわ。フフッ」

 黙っているとおとなしく上品に見えるが、

 少し話すと彼女がものすごく気が強い事が伝わってくる。


「証拠はね、まだ十分とはいえないわ」

 そういって彼女、才媛さんは肩をすくめる。

「だから、あなたの分もあわせたいのよ。

 彼が常習的にパワーハラスメントを行っていたという

 有力な証明になるから。

 資料だって、あなたが作ったんじゃないでしょ?

 こっちはそこまで調べてるんだから、協力してよ」


 参謀くんだけじゃなく、私たちまで衝撃を受ける。


 職場の上司や幹部の前で、

 粗悪なニセモノの資料を提出され、

 ”学歴を鼻にかけた協調性のない人間”に

 仕立て上げられ断罪された、あの会議。

 

 参謀くんは思い出したのか、悔し気に俯いて吐き出すように言う。

「あの資料は僕が作ったものではあり得ない。

 何故なら、僕はパワーポイントでなくCanvaで書いてたから。

 先輩が僕のパソコンにログインして、

 勝手にデータを移行したんだと思う。

 ……まあ、それに気づいたのは退職する最終日、

 自分のパソコンのデータを整理してる時だけどね。

 会議の最中は、本当にダメ出し食らってると思ってたよ」

 引きつった笑いを浮かべる参謀くん。


 辞める瀬戸際で、先輩が仕組んだことが露呈したけど、

 もうそこで反撃に出る気力は残っていなかったのだろう。

 職場にも、自分にも絶望していたから。


 参謀くんの苦しみを気にかけることもなく、

 才媛さんは”証拠”の収集に余念がなかった。

「Canvaね。あと、他に何か侮蔑的な発言って残ってる?」


 参謀くんが返事をする前に。

 先輩霊さんが身を乗り出し、彼に忠告する。

「待ってください。彼女は完全な味方とは思えません。

 彼女はただ、あなたを利用したいだけでしょう」


 参謀くんは軽くうなずく。

 それは先輩霊さんに対しての同意だったが、

 才媛さんは誤解して、嬉しそうに手を左右に広げ

 オーバーアクションで喜びを表現する。


「でも、僕は彼を訴えるつもりはないよ。

 証言もできない。

 僕の退職はあの人だけの責任ではないから」


 反論するとおもいきや、彼女は軽くうなずいた。

「そうよね、あなたの選択だもの。

 でも、あなたを巻き込みたいのには

 証拠を増やす以外にも理由があるのよ」


 そう言って彼女はいたずらっぽい口元に笑みを浮かべて

 参謀くんをじっとみつめる。

 おお?! 少女漫画ソムリエを自称する私にはピンと来たぞ。

 これは……もしかして、恋の予感?!

 

 ワクワクしている私をよそに、才媛さんは意外なことをいう。

「ヘイトを分散したいのよ。

 もし彼が何かしらのペナルティーを受けた場合、

 間違いなくこちらを恨むhold a grudgeするわよね?

 その対象を、私以外にもなるべく増やしておきたいの」


 ガクッと崩れる私。なんて、あけすけな本音だろう。

 先輩霊さんも呆れている。おばあさんは

「この子の性格はともかく、嘘は付いてないよ」

 そう言って微笑んでいる。

 参謀くんは怒るかな。いや、彼はそういう人じゃない。


 しばらく黙った後、フッと小さく笑って言ったのだ。

「……なるほど。僕はそれにはピッタリかもしれない」

 これは、協力する気だな。

 そう踏んた私は、参謀くんのスマホに触れてみる。


「で、なんかパワーハラスメントを受けた証拠ないかな?

 証言なんていらないわ。

 証拠さえ揃えておけば、パパが何とかしてくれるから」

「父親に頼むの?」

「ええ、弁護士なの。

 まあ、部下の誰かに割り振デレゲートするだろうけど」

 そ、そうなんだ。間違いなくやり手のパパだな。


 参謀くんはそこで、困ったような顔になる。

 前に話した時、会社に関するデータは、

 アドレスも含め、一切消去したと話していたのだ。

「でもあの人からのメールは……」

 私がすかさず割り込む。

「大丈夫! いま、復元したよ」


 参謀くんが協力する気になったと気付き、

 先ほどスマホにつながって、すぐにやっておいたのだ。

 参謀くんが私の言葉を聞き、あわてて言い直す。

「ありますが、でも……」

「あら? 案外早かったわね」

 

 彼女の視線をたどると、そこには。

 カフェの窓、車道を挟んだ正面の歩道に、

 あのパワハラ男が立っているのが見えたのだ。

 そして参謀くんを見て驚愕している。


 激しく動揺する参謀くんに、先輩霊さんがつぶやく。

「おそらくこの女性が呼んだのでしょう。

 いったん会社に連絡を入れたのはこのためです。

 あなたと一緒にいるところを、彼にみせるために」


 一緒に訴訟を起こす計画をしていると思わせることで、

 パワハラ野郎に精神的なプレッシャーを与えるのが目的だろう。

 才媛さんとは今、偶然再会したばかりなのに。

 参謀くんを見かけてすぐにそれを思いつき、行動するとは。


 私は才媛さんがちょっと怖くなる。

 この人、とことん、そして完璧にやるタイプの人だ。


「見て、あの慌てっぷり。

 いつものスマートさはどこ行ったやら」

 キョロキョロし、焦ったように車道を横切り、

 こちらに向かってくるパワハラ野郎を見て

 才媛さんはクスクス笑っている。


 参謀くんは立ち上がる。さすがに会いたくないのだろう。

 それを見て才媛さんが口を尖らせる。

「無視すれば良いじゃない?」

「無視をするのさえ嫌なんだよ。じゃあ」


 しかし参謀くんが振り返ると、

 そこには息を切らせたパワハラ野郎が立っていた。

 本当に、猛スピードで来たのだろう。

 その様子に、参謀くんは唖然としていた。


 パワハラ野郎は衣服を軽く整え、歯をキラッ☆とさせながら

 爽やかに、そしてフレンドリーに挨拶をした。

「ああ、久しぶりだね。元気だったか?」

 そう言って、今度は悲し気な顔をする。

「あっという間の事で、俺には何もできなかった。

 あれから心配していたんだ、本当に」


 参謀くんは無表情のまま、返事もしない。

 私と先輩霊さんはチベットスナギツネの顔で見ている。

 すると、おばあさんが言った。

「この人の足元を見てごらん」

 その言葉に視線を落とすと、パワハラ男の足は、

 黒い毛細血管のような穢れがびっちりと張り付き

 ウネウネと脈打ちながら蠢いていた。


「げ! 気持ち悪っ」

 私がそう言うと、参謀くんもうなずいた。

 ……見えてるんだ、これ。


 彼のうなずきを返事と勘違いしたパワハラ男は

 首をかしげ、優し気な声で話を続ける。

「そうだ! ずっと連絡を取りたいと思ってたんだ。

 良い会社を、君に紹介してあげるよ。

 俺のコネクションの広さは知ってるだろう?

 何件か、君にピッタリな企業があるんだ、ぜひ」


「その企業、ご自分のために取っておいたほうが良いと思いますよ」

 パワハラ野郎の言葉をさえぎるように、

 才媛ちゃんが馬鹿にした口調で言ったのだ。


「な、何を言って……」

「彼には、紹介の必要なんて無いわ。ねえ?

 あなたのコネクションなんてたかが知れてるし」

 その言葉で、すでに才媛さんが報酬の一部として

 条件の良い仕事を参謀くんに提示した印象を与えるではないか。


 パワハラ野郎は顔を引きつらせながら、

「訴訟なんて、うちの会社相手に勝てると思うのか?

 馬鹿なことはしないほうが良い。君のキャリアに傷がつく」

 そんな言葉を鼻で笑い、才媛さんは肩をすくめる。

「私の訴訟の相手は会社ではないもの。

 ま、会社でも楽勝だけどね」

 恐ろしいまでの自信を見せる。でもこれは自信というより確信だ。

 本当に勝つ算段がある者の余裕をみせていたから。


 才媛さんはナンセンス、というように首を振る。

「だいたい、何で会社に守ってもらえると思ってるのかしら?

 日本の企業や学校って、

 ”傷もの”はすぐ除去リムーブされるんでしょ?」

 パワハラ野郎の顔は、すでに紙より白かった。


「確たる証拠を前にしたら、ペナルティは避けられないわ。

 ……ねえ?」

 いきなり立ったままの参謀くんに話を振ってくる。

 それには返事をせず、参謀くんは歩き出す。

「ランチの時間、終わっちゃった。またね」

 そう言って才媛さんも立ち上がり、店を出て行く。

 血走った目で、パワハラ野郎がそれを見つめていた。


 私たち幽霊三人組は、その一連の流れを

 狐に追われた子ウサギたちのように固まって見ていた。

 そして。三人ともつぶやく。


「やっぱり生きてる人間が一番コワイ……」


 

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