第2話 外出禁止レイ

 湯船に半分沈む自分。

 それを見つめる半透明の私。


 もう、頭痛も酔いも、寒さも暑さも感じなかった。

 フワフワとした感覚だけど、世界はクリアに見える。

 まるでVRを体験した時のように。


 洗面所の時計の針を見ると、真夜中の3時を指していた。

 お風呂に入ってからすでに4時間以上経っている。


 水に浸かっている私の顔を見なおす。

 数時間この状態だったのだ。

 もう手遅れなのは間違いない。


 だんだんと状況を理解してくる。

 私が湯船に沈んでいる理由を。

 あのいきなり頭に感じた激痛。

 意識を失い、湯船に落ちて……


 私は健康だった。それに転んでもいない。

 こんなことになったのは、あいつのせいに違いない。


 私は殺されたのだ。

 婚約破棄の報復を恐れた、元・婚約者の彼に。


 ****************


「アンタとあの子は何百万円も慰謝料を私に払って、

 社会的な信用を失って、エリートコースからも外されて

 最後には会社をクビになるんだよ!

 当たり前でしょ! 常識だよね?!

 親からも友だちからもみーんなから非難されて、

 一生”あいつらは最低の人間だ”って言われるんだよ!」

 私にそう責められ、さらに弁護士という言葉に怯え

 追い詰められた単細胞の彼は

 風呂上がりの私の頭を鈍器か何かで殴り、

 よろけて湯船に落ちた私を放置して逃げたのだろう。


 なんて愚かな男だ。そして許せない。


 めまいを覚えるような強い憎しみに囚われる。

 あいつは浮気した挙句の婚約破棄どころか、

 私の夢や未来、希望、仕事、全て奪ったのだ。


 そして両親や弟、友だちの顔が浮かんでくる。

 どんなに悲しむことだろう。

 何より、こんな死に方、申し訳なさすぎる。

 彼らは残りの一生、誰かを恨んで暮らさなくてはならないのか。


 元・婚約者あいつ、なんてことをしてくれたんだ!


 婚約破棄を告げられた時と同様に、

 悲しみより強く怒りを感じた。

 燃えるような憤怒が突き上げてくる。

 どうしてくれよう。


 発狂しそうな怒りにつつまれながら、

 私はうつむいていた顔を上げた。


 すると、そこには。

 鏡にうっすらと映った己の姿があった。


 ぶほっ! 


 私は思わず噴き出してしまう。

 それと同時に怒りや恨みが一瞬で吹き飛んだ。


 本来なら、鏡に映った半透明の女など、恐ろしく感じるはずだろう。

 しかしうっすらと鏡に映った私は、なんともマヌケな姿だったのだ。


 私が着ているバスローブポンチョは

 マリリン・モンローが着ていたような、

 胸元をチラ見せしているようなセクシーなやつではない。

 お笑い芸人がで着るような、

 着ぐるみ感のある、クセが強いものだった。


 ぽわんとした丸襟がついた、膝までの丈の、くびれのないデザイン。

 使い込まれているため、タオル生地のパイルも潰れており、

 元はピンク色だったのにくすんだ”肉色”だ。

 左右のポケットには、それぞれマラカスを持って踊り狂っている

 真顔まがおのマンボウ(あの上半身だけの魚だよ)が描かれている。

(なんでマンボウなんだ? そうは思ったけど気にせず着ていた)

 そしてとどめに、背中に大きく”New York”のロゴ、

 その下にはおなじみの温泉マーク♨。


 これはお菓子かなにかの懸賞で当選したのだった。

 別段欲しくもなかったが、年賀状の余りを使って

 何の気なしに応募したら、見事当選してしまったのだ。

 まあデザイン的に、応募する人は極めて少なかったと思われる。


 私はせっかく当たったのだから、と着ていたのだ。

 でも届いた時にはわからなかったけど、

 着てみると余計にマヌケさが際立つデザインだった。


 でも自分自身はしみじみと見ることがないため

 そのうち慣れてきて、気にも留めていなかったけど

 改めて見ると、ほんとこれ可笑しい。

 こんなに深刻さや緊張感のない服があるだろうか。


 霊感のある人がその場にいたら、

 ずいぶんと間抜けな姿に見えたのではないと思う。

 これはダメだ。この状況にふさわしくないにも程がある。


 亡くなった時の恰好がキープされる可能性が高いけど

 大抵の幽霊は制服でもあるのか?ってくらい

 真っ白のワンピースを着ているではないか。

 普段、そんなの着てる人なんて滅多にいないのに。


 ちょっとひねったやつでも真っ赤なレインコートとか。

 渋いところでは着物だよね。

 学校なら制服かな。んで、幽霊さんだけ、昔の制服なの。

 看護師さんの服もあるなあ。

 でも最近病院で見かける看護師さんの制服って

 昔みたいな白いタイトなワンピースじゃないよね。

 色がついてるし、機能的なパンツスタイルが増えているような。


 あれ? うっかり全裸で死んだら全裸なのかな?

 …それは聞いたことないよなあ。

 ああ、なんとか着ていただけも良しとすべきか。

 殺される前にバスローブポンチョを着たあの時の私、

 グッジョブすぎる。


 私の心からは浮気も婚約破棄も、自分の死さえすっとんでいた。

(比較的冷静で取り乱すことなく、ウッカリそのまま暴走して

 怨霊になんてならなかった自分を褒めてあげたいが)


 恥ずかしい、そう思う気持ちは、いろいろなものを凌駕するものだ。

 以前、駅前で階段をダイナミックに滑り落ちた時も、

 体の節々に感じる強烈な痛みや、

 すげえランディング! と大受けする高校生に対する怒りより

(パルクールじゃねえぞ小僧!)

 羞恥のあまりに早くここを立ち去りたいという力が勝り

 ”なんでもありませんわホホホ”という余裕の笑みを浮かべて

 立ち去ることが出来たのだ。……後で泣いたけど。


 着替えたい! 私は強く願った。

 友だちの結婚式で着た可愛いドレスや、

 ここ一番で着るブランドのカッコいいスーツ、

 お気に入りの可愛い服だってあるのだ。

 これはない、この姿はないでしょ!


 *************


 私は大急ぎで、脱衣所をスーッとすべるように移動する。

 歩くというより、意思や意識を前に進める感じだ。

 その労力は感じない。もう酔いも気分の悪さも痛みもない。

 そのままクローゼットの前に到着する。


 が、しかし。扉が開けられない!

 というより、何を触ってもスカッと空振りしてしまうのだ。

 ハンガーにかかっているコートも触れなかった。

 そもそも、どんな家具や小物に触れてもスカッと素通りしてしまう。

 あ、じゃあもう二度と、ローテーブルの角に足をぶつけて

 痛みの余りに転げまわることもないんだ。やった~良かった。


 ……いや、良くないよ!


 参ったなあ。

 確かに、今まで聞いた怖い話の中でも

 幽霊の皆さんはみんな扉の向こうにたたずむばかりだった。

 奥ゆかしいというか、消極的なのかと思ってたけど

 あれは開けられなかったのか。


 ん? でもたまにドアも壁もスルーできる上級者がいるよね。

 ドアをノックできるテクニックも持っていたり。

 ポルターガイストみたいな、いっせいに物を飛ばせる技術って

 かなりのスーパー職人のレベルなのかな。

 国家資格持ってる人、みたいな。


 どうやって身につけたんだろう、あのスキル。

 やっぱ訓練とか勉強するのかな。

 学校とかあったりして。

「がんばれ! その手につかむまで!」

 先生に励まされながら、何度も素振りをするとか。

 ……ないだろうなあ。自力で身につけるしかないかも。 


 くぅー! 人間死ぬまで、じゃなくて死んでも勉強か。

 スキルアップしないと、より良い幽霊ライフを送れないとは。


 私は試しに、バスローブの袖を上に上げようとする。

 しかし袖は全く動かない。

 ポケットの中身を見ようとしたが、開くこともできない。


 見事なまでに私と一体化し、その状態をキープしているらしい。

 これではそもそも、脱ぐことすらできないではないか。


 ふう。

 私は着替えるのを諦めた。切り替えは早い方なのだ。

 とりあえず、このままで行くしかない。そう決意した。


 行くって、どこにって?

 もちろん憎き元・婚約者あいつのところだ。


 そもそも成仏するなら、服なんてどうでも良いだろう。

 私はすぐには成仏なんてする気はなかったからね。

 死んだ! 殺されたんだ! って思った時から

 すぐに頭に浮かんだのは報復だ。


 だいたい浮気が分かったとたんに

 ”弁護士”って単語が出せたくらいの気の強さだよ?

 おとなしく泣き寝入りしてたまるか。


 恨みを持って死んだんだから、その権利はあるはずだよね。

 もともと社会的な制裁をするつもりだったけど、

 もっと、もーっと上乗せしてやる! 倍返しだ!


 とはいえ、私を殺したんだから、

 お前は2回死ね、というわけにはいかない。

 憎いけど、殺すというのは私の道徳心が許さない。

 なんというか、生前の価値観はそのままなので

 真面目な両親に育てられたせいもあり、

 どうしても”殺してやりたい”とは思えないのだ。


 死ぬほどの恐怖、ってやつが良さそうだな。

 めちゃめちゃ後悔させてやる!

 待ってろよ! うーんと怖い霊になって

 怖い体験を募集しているテレビ番組に投稿できるくらい

 いろんな恐怖体験させまくって、

 それで、最後には警察に捕まってもらうんだから!


 どんなふうに追い込もうかな。

 ここはひとつ、女優にならないとね。

 役作り……の前に脚本が必要だな。


 ふふふ、例えば、そうね。


 草木も眠る丑三つ時。

 元・婚約者あいつがふと目を覚ますと、足元に誰か立っている。

 ぼんやりとたたずむそれは、薄暗くてよく見えない。

「……誰だ?」

 そう言ってあいつが身を起こすと、そこには……

 

 ってダメだ!

 そこに見えるのはマラカスを持って踊るマンボウだ!


 彼はこのバスローブを見て、一回、大笑いしてるのだ。

「ハハハハハ何、このへんなマンボウ!

 なんでバスローブにマンボウなんだよっ!」

 涙を流し、酸欠を起こすかと思うほど笑っていた。

 それ以来、彼の前では着ていなかったが。

 この姿を見せたら、どんなに怖い顔つくっても

 盛り上がらないだろうなあ。

 きっと反省も後悔もしてくれないだろう。


 じゃあ後ろ向きかな。怪談にもよくあるよね。

 薄暗い部屋の奥に、背中を向けて立っている女が見える……

 いや、ダメでしょ、これも。

 その女の背にはどデカいニューヨークのロゴと、

 温泉マークがあるんだから。

 こっちの破壊力もなかなかのものだし。


 体、ってか服を出さないようにしないとダメってことか。

 彼が歯磨きしているときに、鏡のはしに睨んだ顔で映るとか

 ドアやカーテンの隙間から真顔でのぞくとか。


 そうなると、今まで聞いてきた怪談に出てくる

 ”チラ見せ系幽霊”さんたちは、

 何らかの事情で全身見せられないのかもしれない。

 カレーの染みがついたTシャツとか、

 大昔に流行ったボディコンのスーツとか

 死んだときうっかりに着ていたとか。


 でもあいつ、めちゃくちゃ怖がりだったから、

 もしかすると状況だけで怖がってくれるかもしれない。

 テレビでホラー映画のCMが流れるだけでも、

 バレバレなくらい硬直して視線を逸らしたり耳を塞いでたのに

 私の視線に気が付くや否や、

「こ、このホラー映画見に行こうぜ! 面白そうじゃん!」

 なんて言ってきたのだ。私は興味あったから

「いいね! じゃあ、来週末ね!」

 と答えたら、ハァ? と言って顔をしかめて、

「普通さあ、女の子だったら嫌がるだろ?

 ”えええ、そんなのコワイからヤダァ”とかさ」

 これを聞いた時の私の顔は、

 きっと点々2つに横棒1本で描けただろう。

 (・_・)


 こう思い返してみると、つくづくダメな奴だったなあ。

 好きだとか、可愛いって言われて、

 なんかぼおーっと流されてきたけど、

 結婚相手としては論外な男だったのかもしれない。


 自分の見る目のなさに腹が立つ。

 落ち込んできたぞ。


 と、とにかく、一番悪いのは間違いなく元・婚約者だ。

 絶対に報復してやるのだ。

 怖がらせる方法は現場で工夫してみよう。

 今まで見てきたホラー映画や、聞いてきた怖い話。

 その中から選りすぐりのやつを選ぶんだ。


 私は鼻息荒く(息してないけど)、玄関の扉に向かった。

 狭いワンルームはあっという間に玄関へと行きつく。


 しかし近づくにつれ、重力がかかったかのように動きが鈍る。

 なに?これ。この力。


 もともと着替えにタンスへと向かった時から、

 お風呂場に引き寄せられる力を感じていた。

 玄関に向かうと、その力はどんどん強くなってくる。

 ドアノブに必死に手を伸ばしても、

 それじゃと部屋の窓から脱走を企てても、

 一瞬のうちにキューンとお風呂場に戻されてしまうのだ。


 室内の移動は出来ても、ちょっと気を抜けばお風呂場。


 これって……わかった。私。

 お風呂場の”地縛霊”なんだ。

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