Chapter 2 王子様の秘密

 噴水を囲うように整えられたバラの庭園を早足で通って、リクライニングチェアが設置されたリゾート風のプールサイドに辿り着く。


 よかった。誰もいないみたい。


 強張っていた神経がほろほろとゆるんで、脳に新鮮な酸素が行き渡り始めた。ある程度空気の入れ替えが完了すると、おなかの底から湧き出た食欲が、胸を突き破るほどに上を向きだす。……だめ、もう我慢できない。


 私はウッドデッキの上の、一センチの隙間もなくスイーツで埋め尽くされたデザートビュッフェ台に歩み寄った。


 本当は最初からこのデザートコーナーに行きたくて仕方がなかった。でもみんなが「まずはディナーよね」なんて言うから手が出せなかったの。


 なぜだか分からないけれど、みんなは私を優等生として扱っている。それに最近は劇の印象が強いのか、王子様像を求められるときさえある。もしみんなの前でスイーツにがっついたら、引かれてしまうこと間違いない。


 ああ、シャルロットに飾られたキウイ、ブルーベリー、オレンジといったフルーツが、涙が溢れた瞳みたいに潤んでいてとっても綺麗。たっぷり絞ったクリームにアラザンをトッピングしたマカロンも、太っちょで可愛らしい。こっちのチーズケーキはレモン風味でさっぱりしているわ。うそ、このフォンダンショコラ、中にキャラメルソースが入っているじゃない。なんて贅沢なの──。


「よく食べるねぇ」


 背後からの言葉に、思わずフォークを動かす右手を止めてしまった。……見られていたの?


 恐る恐る振り返ると、ロッティが口元を緩ませながら立っていた。


 ロッティは金髪に編み込んでいる、大きなリボンが特徴的な女の子。なんでもメルヘン趣味らしく、今日の彼女はおとぎ話の主人公をイメージしていそうな、スカートが膨らんだ深紅のドレスを着ている。


 仲間外れにされてはいないけれど、少なくとも私は彼女が誰かと親しげに話しているところをみたことがない。


 私はできるかぎり平静を装って、「どうしてここに?」と尋ねた。


「私もデザートが食べたくなったから。ねぇ、それ美味しい?」

「えっ、ええ。それはもちろん。……あの、違うのよ。誰も手をつけないというのも料理に失礼だと思ってね。少し味見しようかしらと……」

「そんな量じゃなかったでしょ」


 ほほえみを浮かべたまま、上目遣いをされた。強面の刑事に問い詰められているわけでもないのに、嘘を言ってもしょうがないと悟ってしまう何かがあった。迫力、とでも言うのかしら。


 抵抗したいけれど、認めざるを得ないわね。


「……お願いだから、誰にも言わないと約束して。あんなに食べていたのを知られたら私、幻滅されちゃうわ」

「いいよ」


 調子が狂うほどあっさり答えると、ロッティはバニラのマカロンを口に放り込んで、幸せな妄想を繰り広げるみたいに目を閉じた。


「おいしーい。こういうお菓子と紅茶を出してくれるような魔法使い喫茶ってないのかなぁ」


 さっきまでの迫力は消え失せ、甘ったるい雰囲気に包まれた彼女がそこにいた。

 なんだかこの子ってよく分からない。

 私はため息をついて彼女から顔を背けた。

 その、数秒後。


 ──わうわうわうわう──。


 悪夢にうなされた人が発するような、何語とも言い難い言葉が耳に入った。やたらと鋭く耳に痛く、短時間に何度も空中を振動させるこの感じ。まさか、今のって。


「……悲鳴?」

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