第五話 呪いのグリモワール 2

「なにこれなにこれー!?」

「のっ、呪い!? 私はアレだ、そういう類のものは……」

「わ、私まで見学させてもらって……すいませんすいませんっ!」


 召喚儀式の際にはお馴染みとなった銀星館の地下室。机の上に圧倒的な存在感で鎮座する謎のグリモワールに、メンバーたちが多様な反応を見せる。

 既にひととおりの準備は済んでおり、後は儀式を行って対象を呼び出すだけだ。

 と、いうか……このままここで儀式を行ってよいのだろうか。召喚対象も明らかではないのだ。もし先日のワイバーンのような巨体が現れたとしたら……


「さて詠太えいた、ちゃちゃーっと呼び出しちゃって」

「いや、それなんだけどさ、リリアナ――」

 言いかけて顔を上げ、期待に満ちた視線が自分に集中していることに気付く。


「なによ詠太えいた?」

「どうしたのだ? 主殿」

「はやく♪ はやく♪」

「わくわく、です」


 ……わかった。わかりましたよ。あとは知らないからな。


 詠太えいたは諦めの表情でグリモワールを開き、儀式を開始するのだった。


 儀式は手順通りに進行していく。

 空中に現れた魔法陣が光を放ち、魔力が渦を巻く。ここまではいつもと変わらない流れだ。魔法陣の光がひときわ強くなり、その光の中に小さなシルエットが浮かぶ。

 サイズ的には問題ないようだ――が、光が弾けて現れたのは年端もいかない女の子。

 見たところ、人間なら小学校低学年ぐらいといったところだろうか。黒と白を基調としたゴシック風の衣服を身に纏い、ツヤツヤストレートの銀髪に小さな顔の組み合わせがアンティークドールを思わせる。種族は分からないが、どうやら危険はなさそうだ。


 ホッとした半面、戸惑う一同。

「この子、討伐隊に入れちゃ……まずいよな」

「そう……よね、さすがにね」


「…………」

 少女は手にした熊とも猫ともつかない微妙な造形のぬいぐるみで顔を隠すようにしながら、無表情で詠太えいたたちの様子を伺っている。


 ――これは明らかに警戒してるな。よし、ここは俺がサマナーとしてしっかりと……


「やあ。俺は秋月詠太あきづきえいた。キミのサマナーだ。……お名前、何て言うのかな?」

「…………」

「そうだお菓子、食べるか? 確か食堂に――」

 そう言って詠太えいたが目を逸らした瞬間。


 ガッ!


 突然、少女が詠太えいたの股間を勢いよく蹴り上げた。

「ぃぎっ!!」

 悲鳴とも何ともつかないくぐもった声を上げる詠太えいた

 皆の視線が詠太えいたに集中する中、少女はメンバーの間を器用にすり抜け部屋の外へと出て行ってしまった。


「ご主人、大丈夫ー?」

「大丈夫じゃないけど……それより……!」


 階段を上がり玄関を出て、辺りを見回す。

「いない……」

「そう遠くへは行ってないはずなんだけど……」

「主殿、サマナーであれば気配を感じ取れるだろう」

「そうか! ……って、あれ?」

「どうしたのだ、主殿」


「それが……全く感じないんだよ」


 儀式を行って現れたのだから、あの子との召喚契約は既に成立しているはず。しかし、不思議なことに詠太えいたはその存在を全く感じ取ることができないのだ。

 リリアナにマリア、メリッサ、メロウ……他のメンバーたちの気配は感知しているのになぜ? 召喚が不完全だったのか?

 いや、深く考えても仕方がない。まずは探さなければ。


 詠太えいたたちは銀星館を出て、少女を探すことにした。小さな子供の足だ。まだそう遠くへは行っていないはずなのだが……


「――いたか?」

「こっちはダメね」

「となるとまだあの近辺か……建物内にいる可能性もある。一旦銀星館に戻ってみよう」


 銀星館の前まで戻って来ると、門の前に佇んでいる人影がある。

 メイド服を着用した妙齢の女性。何となく、先程の少女のゴシック調の衣服とイメージが似通っている。女性はしきりに中を気にしているようで、どう見てもただの通りすがりではなさそうだ。詠太えいたは女性に近付き声を掛けた。


「あのー、何か御用ですか?」

「――こちらの関係者の方でしょうか?」

「そうですけど……」

「先程、こちらで召喚の儀式が行われたかと思うのですが」

「え……ああ。俺がサマナーです」


 それを聞くと女性は一歩下がり、深々と頭を下げた。

「申し遅れました。私はクローネンダール家に仕えております、イレーネ・ラインフェルトと申します」

「クローネンダールって……魔族を統べる名家じゃない!」

 リリアナのサキュバスもまた魔族を構成する種族のひとつ。このクローネンダール家については知っていたようだ。


 イレーネと名乗った女性はリリアナに軽く会釈をすると、再び口を開いた。

「実は……先程こちらで召喚されたのは――当家のご令嬢、ニーナ様なのです」

「ええっ!?」


 召喚対象のわからない謎のグリモワールで呼び出したのは魔族の上流階級のお嬢様だった、ということらしいが……しかしそれには疑問が残る。


「魔道具屋で売ってた格安グリモワールなのに!?」

「はい、それなのですが……」


 イレーネの話を要約するとこうだ。

 名家のご令嬢がどこの馬の骨ともわからない者に気安く召喚されないよう、クローネンダール家ではあらかじめニーナのグリモワールを練成し厳重に保管していた。名前の部分を削ったのもそれがニーナのものだとわからないようにするためである。

 しかし、少し前にグリモワールは何者かによって持ち出されて所在不明になってしまった。

 クローネンダール家中は大騒動となり、ニーナが誰かに召喚されてしまうリスクを少しでも抑えるためグリモワールが呪われていると嘘の情報を流しつつ、同時に極秘でグリモワールの捜索を行っていた。

 噂についてはどこまでの効果が見込めるか怪しいものではあったが、苦肉の策であったのだという。現に儀式を行ってしまった詠太えいたたちのような者が現れたのであるから、効力はそれほどでもなかったと言わざるを得ないだろう。


「――そのような訳で、お嬢様をエンティティとして使役することはご容赦いただけませんでしょうか。クローネンダール家より謝礼をお出しいたしますので、契約の破棄とグリモワールの返却をお願いできればと」

「や、あの、それなんだけど……」


 詠太えいたは事の次第を説明する。


「そうでしたか。少々厄介ですね……お嬢様はいわゆる『ステルス能力』の持ち主でして」

 悪魔の名家に生まれたニーナは、常に親族間の権力争いやいがみ合いにさらされてきた。

 その結果いつしかニーナは何者にも感知されない認識阻害の能力を身につけ、身の回りの世話や警護のため、常にイレーネが従者として側についている必要があったのだという。


「――おそらくそのせいでサマナーであるあなた様にも居所や気配などを感じ取ることができないのだと思います」


 ステルス能力――幼い子供がどんな思いでその能力を身につけるに至ったか、想像すると胸が痛む。今も知らない街でひとり、心細い思いをしているかもしれない。


「のんびりしていると日も暮れてくる。とにかくもう一度皆で探そう!」

 詠太えいたたちは再び街へと飛び出した。



「はうっ……!」

「おっと! ごめんよ」

 肩に荷物を担いだ大人に弾き飛ばされそうになる。

 ぶつかった相手はそのまま雑踏に消え、なお周りには人、人、人……


 ニーナは改めて周囲を見回した。

 ここはどこだろう。

 自分は屋敷にいたはず。朝から普段と何も変わりはなかった。

 いきなり……知らない場所にいて、知らない人に囲まれて――奴らは何なのだろう。

 急いで逃げてきたが、これからどうしたものだろうか。


 これまでニーナの側にはいつでもイレーネがいた。そうでなくても、屋敷の全員がニーナのことを常に気にかけていた。しかし行き交う人々はニーナに全く関心を示さず、ただ足早に通り過ぎるだけ。


 どこに行けばいいんだろう。どうすればお父様とお母様のいる屋敷に帰れるのだろう。

 太陽は傾きかけている。間もなく日が暮れてしまう。もうさっきの場所へ戻る方法すらわからない……


 途方に暮れるニーナの目の前を一つの小さな影が横切った。


「ねこ!」


 猫は通りを横切って建物の隙間へと入っていく。ニーナはその後を追いかけた。

 路地を抜け、壁の穴をくぐり……やがて開けた場所に出る。

 先程の市街地からはさほど離れていないが、一帯に人の気配はない。無人の建物が点在する中、石畳の道の真ん中に一本だけ、不自然に生えている木がある。猫はその幹をするすると登り始めた。

 ニーナも後を追い、木を登る。


「んしょ」

 ぬいぐるみを抱えたままでの木登りは傍目には危なっかしいものであったが、それでもニーナは何とか途中の太い枝までたどり着くことができた。


「追いついた!」

「……にゃ?」


 枝の上で休んでいた猫はニーナをちらりと見ると、丸くなって目を閉じた。

「……んふー♥」

 ニーナの目がキラリと光る。


 最初はそっと頭に触れ、次に指を顔の輪郭に沿わせながら優しくなぞる。そして徐々に喉、背中と範囲を広げて撫でていくと、猫は喉を鳴らしてニーナに身を任せてきた。

 そして――喜んでいるのは猫だけではなかった。ニーナにとってもまさに至福のアニマルセラピー。先程までの不安も綺麗さっぱり忘れて、ニーナはただひたすらに猫を構うことに没頭するのだった。



「ふう」

 ひとしきり猫を撫でまわしてご満悦のニーナは幹に寄り掛かる。


 これから、どうしようか……


 気が付けば周囲は薄暗くなってきているが、街の方角からはいまだにざわざわとした喧騒が小さく聞こえる。


 ――あそこへ戻るのは嫌だな


 慣れない土地で歩きまわったせいだろう。少し疲れてしまった。

 時折吹く風が少し肌寒い。ニーナは一つ身震いをして、猫に寄り添い目を閉じる。


 ――あったかい……


 風がひときわ、強く吹いた。



 ふと目が覚める。どうやら眠ってしまったようだ。


「あ……れ……?」


 やけに静かだ。人の住んでいない区画とはいえ、市街地までは遠くない、はずだ。現に、さきほどまでは街のざわめきも聞こえていたのだ。

 今、聞こえてくるのは風が葉を揺らす音だけ。

 ニーナは枝から身を乗り出し、下を覗き込んだ。日も落ちているので暗くてわかりづらいが、とりあえず地面が見当たらない。そのかわり、遥か下の方に小さく灯りが見える。


 あれが……街?


「――ふぎゃっ!」

 咄嗟にまだ寝ていた猫を抱き寄せる。


 ――なんで!?


 この枝はせいぜい大人の身長分ぐらいの高さしかなかったはずだ。でなければそもそも、ニーナがぬいぐるみを片手に登ってこられるはずもない。

 ここからどうやって降りればいいのだろうか。ニーナは手探りで周囲に手を伸ばす。


「あっ!」

 バランスを崩した拍子に、ぬいぐるみがニーナの手を離れる。

 途中の枝葉にぶつかって軌道を変えながら、ぬいぐるみは漆黒の闇の中に吸い込まれていった。


 ぬいぐるみが消えた先に小さく見える街。それは知らない街で、そこにいるのは知らない人たち。自分がいるのはその遥か上空。まったく意味が分からない。

「お父様……お母様……。イレーネ…………」


 寒い。暗い怖い。帰りたい。

 帰りたい――帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい。

 ニーナの瞳に見る見る涙が溜まっていく。


 ――――帰りたいっっっっっっ!!!!!!


 そう、強く願ったその時。


「…………ーぃ…………」

「え?」


 風の音に掻き消されそうになりながらも今、人の声が聞こえた気がする。ニーナは暗闇に目を凝らした。


「おーーーーーーい!!」

 次の瞬間。その声は、実体を伴いニーナの元へ現れた。

 大きな黒い影。ワイバーンに乗った詠太えいたがニーナの方へ手を伸ばしている。


「あ……」


 ワイバーンはその鋭い爪を幹に突き立てて巨大な体を木に固定すると、ニーナの方へ片翼を伸ばした。

「掴まれ!」

「この子も……!」

 ニーナが猫を強く抱く。

「よし! こっちに……」


 詠太えいたの補助により、ニーナと猫は無事ワイバーンの背に収まることができた。寒さと恐怖で震えるニーナを、詠太えいたは自分の懐に包み込むように座らせる。


「戻ろう」

 ワイバーンは小さく呻くようにひと鳴きすると、銀星館を目指して飛び始めた。


「うっ、ひぐっ、えぅぅ……」

 詠太えいたの懐で泣きべそをかくニーナ。詠太えいたはその頭をやさしく撫でる。


『帰りたい!!!!』


 あの時――確かにニーナの感情が流れ込んできた。それがなければあんな所にいるニーナを発見できなかっただろう。

 イレーネの話ではステルス能力により遮断されるはずだったが……

 現に今も、こうして触れたり視認することはできてもサマナーとしては感知できていない状態のようだ。


 しかし――そんなことは今、さほど重要ではない。こうして無事でいてくれたのだ。

 詠太えいたはニーナを抱く腕に力を込め、ワイバーンを加速させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る