第五話 呪いのグリモワール 1

 とある日、昼下がりの銀星館。

 この日は任務による出動もなく、メンバーはそれぞれ思い思いにオフの一日を過ごしていた。

 詠太えいたもだいぶ日が高くなってから起き出し、現在は食堂でメリッサの喉元を撫でてチャージを行っている最中である。


 ――これチャージにもだいぶ慣れたよなぁ……


 そんな事を思いながら、自分の手元を見つめる。

 魔力なのか、生命エネルギーなのか――詠太えいたの手からは青く淡い輝きが放たれている。マリアにメリッサ、そしてメロウ。自らのエンティティに日々チャージを行う中ですっかり馴染んでしまっていたが、元いた世界では到底考えられないことだ。


「くぁ……」

 メリッサが気持ちよさそうにあくびを漏らす。

 と同時に詠太えいたの手から出る光が弱まり、そしてふっと消えた。チャージが完了したようだ。


「ん、ありがと、ご主人♪」

 満足顔のメリッサは窓際に置かれたソファの上にひょいと飛び乗ると、そのまま丸くなって目を閉じる。


 柔らかな陽光が降り注ぐ中での昼寝はさぞかし気持ちのいいことだろう。どれ、自分も部屋に戻ってもうひと眠り――そう思ったその時だった。


詠太えいた、ちょっと……」

 どこからか小さな声で自分の名を呼ぶ者がいる。声のした方向を見ると――食堂の入口でリリアナがこちらに向かって手招きをしているのが目に入った。


 うっすらと頬を赤らめ、下を向いたまましおらしくしているリリアナの姿は、普段目にしている彼女のキャラにはそぐわず、明らかにおかしい。しかし逆にその様子から、詠太えいたは即座に彼女の用件を察することができた。


 ――チャージか……


 リリアナからチャージのお呼びがかかる際は、いつもこうなのだ。なぜならば――



「あの、さ……」

「……なによ」

「あ、いや……」 


 詠太えいたの自室。二人の間ではいつからか、チャージはこの場所で行うというのがお決まりとなっていた。

 カーテンが閉め切られた薄暗い部屋。

 向かい合って立つ二人の間には拳一つほどの隙間もない。

 詠太えいたが気まずそうに口を開く。


「な、なあリリアナ。チャージって……その……」

「あっ、アタシはっ! ……これしかやり方、分からないから……」


 リリアナからの初めてのチャージ、それは詠太えいたのファーストキスでもあった。

 それにより、チャージをキスによって行うものと勘違いした詠太えいたがマリアへのチャージを行おうとした際にちょっとした騒動になったのは記憶に新しいのだが――結果単なる手かざしで問題ないという事が判明し、現に詠太えいたも今しがたメリッサへのチャージを手かざしの形式で行ったところである。


 しかしその後もリリアナは、詠太えいたへのチャージを変わらずキスという形式で行っていた。本人がこれしかやり方を知らないと言うのだから仕方ないのだが、思春期の男子としてはどうにも気恥ずかしさが勝ってしまう。


 普段はがさつで女らしさのかけらもないようなリリアナではあるが、こうして向かい合うと詠太えいたより身長が低く、華奢で頼りないその体つきに『女の子』を感じる。

 何か香水の類を使用しているのか、それともサキュバス特有の天然フェロモンなのか……立ち上る甘い芳香が詠太えいたの鼻腔をくすぐり、詠太えいたは思わずごくりと生唾を飲む。

 と同時に――リリアナの腕がしなやかに伸び、詠太えいたの首に絡みつく。密着することでリリアナの体温がダイレクトに伝わり、その柔らかい感触に詠太えいたは頭に血が昇ったような感覚に包まれる。


「ん……」

 唇を重ねた瞬間、詠太えいたの背筋に電流が走った。これは初めてのチャージの時から変わらない。

 リリアナの腕が背中に回り、腰に回り、詠太えいたの体を強く引き寄せる。次第に体がとろけ、思考がとろけ、詠太えいたはもはや見えているのかも不確かなその目を閉じ、波のように押し寄せる感覚に身を委ねた。



「ん……」

 気が付くと詠太えいたはベッドの上で仰向けに寝転んでいた。


 ――チャージ……終わったのか?


 まだ余韻がぐるぐると渦を巻き、思考がはっきりとしない。横になった状態のまま、詠太えいたはうつろな目で辺りを見回す。


 ――!!


 何気なく横を向いた詠太えいたの目の前。ほんの数センチほどの距離に、上気したリリアナの顔があった。

 わずかに乱れたリリアナの吐息を鼻先に受け、詠太えいたは弾かれるように飛び起きる。

 改めて状況を確認してみると――ベッドの上は大変なことになっていた。

 毛布はずり落ち、シーツはくしゃくしゃの状態。枕などは明後日の方向に吹っ飛んでいる。さらにはその上で寝転んで無防備に四肢を投げ出したリリアナの姿――


 一体何があったんだ……まるで激しくアレをアレした後のような……って実際のところは知らないけど。


「ふぅ……」

 乱れた前髪を手で直しながらリリアナが起き上がる。

「んもう、激しいんだから……えーたクン♥」


 だだだだだから何があったんですかぁぁーーーーーー!?


「……というのはまあ冗談として――やっぱりだいぶ持ってかれるわねー」

「え……えっ?」

「だから、チャージよ」


 周囲を取り巻くこのアダルティな状況に慌てふためく詠太えいたとは対照的に、既にリリアナのテンションは普段通り。さすがはサキュバスと言うべきなのか……

 リリアナはベッドから立ち上がり、カーテンを一気に開け放った。逆光の中振り返るその姿に、詠太えいたはリリアナと出会った日の記憶を重ね合わせる。ただ一つ、違うのは――


「あたたたた……やっぱ腰に来るわー」


 こんな色気の欠片もない奴じゃないはずだったのだが。てか、腰使うようなことしたか?


「で」

「ん?」

「――アンタの方は、何ともないわけ? こないだ、メロウとも召喚契約を結んだでしょ? 普通はエンティティが三体もいれば、相当しんどくなってくると思うんだけど」

「え? いや、何ともない……な」


 確かリリアナは以前にも詠太えいたのサマナーとして身体への負担を訴えた事があった。しかし詠太えいたの方はこれまで特に体調の変化や疲れなどといったものは感じたことはない。


「アンタ実は魔力、強かったり……? だったら魔法もいけるかしら」

「俺、魔法使えるのか?」


 意外だった。

 魔法そのものはこれまでも幾つか目にしてきてはいるが、詠太えいたの中には自分がそれを使うという発想は全く無かったのである。

 魔法もチャージもその根源を同じとするのであれば、この世界では、詠太えいたが魔法を使えたとしても不思議はない……のだろうか。


「……いいわ。今日はオフだし、行ってみましょ。魔道具屋」

「魔道具屋?」

「魔法関連を色々と取り扱ってる店よ。そこでアンタの魔法適性も見てもらえるから」


 魔法、ねぇ。


 期待と懐疑の入り混じった複雑な心境で、詠太えいたは身支度を整えるリリアナの姿を見るともなしに眺める。


「あ、ねえ」

 唐突にリリアナが口を開いた。

「そういえば今までの契約の時、アンタみんなに何を願ったの?」

「や、暁ノ銀翼に入って一緒に行動してくれって……」

「アタシたちの時と一緒か。ふーん」

 リリアナはさもつまらないといった風に鼻を鳴らすと、出発は三十分後と言い残してそのまま部屋を出ていった。



詠太えいたー、離れないでついてきなさいよ」

「ちょっ、待ってくれよ! 人が多くて……」


 再び訪れるルメルシュの武具街区。リリアナの話によると、魔道具屋もそこに連なる店のひとつなのだという。


「ほらこっちよ」

 見慣れた表通りを抜け、路地裏へと進み入る。

「……っと。ふぃー」

 道を一本入っただけで街の喧騒が一気に遠ざかり、路地裏特有の薄暗さも手伝ってまるで別世界に入り込んだかのようだ。

 その路地をひとしきり進んだ先、袋小路の一番奥に、その店はあった。


「ちわーす……っと、おおっ!!」

 店内に足を踏み入れると同時に、所狭しと陳列された数々の商品に圧倒される。

 書物や鉱物、怪しげな小瓶やよくわからない干物、果ては何に使うか想像もできないような道具も何点か。そのいかにもな雰囲気に詠太えいたの好奇心はいたく刺激され、もはや目に入るもの全てに興味津々である。


「これ、何なんだ?」

「儀式用の装飾ね。これが剣でこっちが杖をかたどってる」

「こっちの巻物は?」

「ああ、スクロール化された魔法よ。それを使って魔法を覚えるの。でも適性のない魔法を選んでも意味ないから。まずは見てもらいましょ。すいませーん!」

 リリアナが店の奥に声を掛ける。

「いらっしゃい!」

 野太い声と共に店の奥から現れたのはスキンヘッドのいかつい男だった。どうやらこの男が店主のようである。


「ちょっとこの子の適性見てもらえるかしら」

「あいよ。じゃあこちらへどうぞ」


 奥の部屋へと通され、詠太えいたは店主と向かい合うように座らされた。二人の間、机の上には大きな水晶玉が置かれており、原理は分からないがどうやらこの水晶玉によって魔法の適性を見るらしい。


「うーん……」

 水晶玉を覗き込みながら店主が眉間に皺を寄せる。

「魔法の適性はだいぶ低いみたいだね。……というか、ほぼ、無いな」

「えっ!?」

「使えるとすれば炎の下位魔法ぐらいだが、それすらまともに扱えるかどうか……」


 事実は残酷だった。魔法が使えるかもしれない、というのは今日初めて意識したことではあるが、しかしそうであってもやはり、それなりの期待はしてしまうものである。その期待をこれだけはっきり打ち砕かれたとなれば、今の詠太えいたにできるのはがっくりと肩を落とし、未練がましく水晶玉を覗き込むことぐらいであった。


 ――ん?


 不意に、玉の中に何かが見えた気がした。

 実際に見えたというより、イメージが脳裏に浮かんだという方がしっくりくるのかもしれない。一瞬、ほんの一瞬ではあるが詠太えいたは水晶玉の中に何かを感じ取った。


 これは……何だ? 枝分かれ……回路図――?


「――残念だったわね」

「わっ!!」


 急に水晶玉の中に大きな目玉が映し出される。リリアナが反対側から覗き込んだのだ。

「そんな落ち込むことないわよ。アンタ召喚の方はそれなりに向いてそうだし、それでいいじゃない」

「あ、いや、うん……」

 正直まだ水晶玉の中は気になるが、リリアナに促されて詠太えいたはトボトボと店内へ引き返す。

 明かりが消され、無人となった部屋の中で、水晶玉に小さな亀裂が走った。



 結局、詠太えいたたちは店主の見立てで炎系の最下級魔法を購入することとなったのだが、その会計を待つ間、詠太えいたは店内に見慣れた装丁の書物が並んでいることに気付いた。


「これ……グリモワールだろ? 普通に売ってるんだな」

 手に取って眺める詠太えいた

「うん。基本は自分で錬成するんだけど、作ったものを売って稼ぐ錬成師がいるからね。ただ、総じて値段は高いわよ……って、これ!?」

「何だこの値段!? ……でも他のより豪華に見えるんだけど」


 リリアナが見つけたのは他の商品よりも桁一つほども安い値のついたグリモワールだった。見た目には高級感があるのだが、表紙のタイトル部分は綺麗に削り落とされており、読み取ることができない。


「これ……中もご丁寧に名前のところだけ文字が消されてるわね」

「何が出てくるかわからないってことか……価格設定といいヤバそうだな」

「でもこの安さは魅力よね。すいませーん! これも買うわ」

「え、おぁっ!?」

 あまりの即決ぶりに詠太えいたのツッコミも間に合わない。


「――お客さん、そいつは呪われてるって噂だ。召喚対象も分からないし、お薦めはしないよ」

「そうだよリリアナ、やめとこうぜ」

 店主が渋い顔を見せ、詠太えいたもそれに同調する。しかしリリアナは詠太えいたの顔を正面から見据えると、薄気味の悪い笑顔を浮かべて囁いた。


「ね、詠太えいた。暁ノ銀翼のメンバーは今何人?」

「リリアナと俺、マリアにメリッサ、それにメロウ……五人だろ」

「討伐隊としてチームを組める人数は?」

「確か、五人まで」

「休み……欲しくなぁーい?」

「…………」


こうして二人は『呪われたグリモワール』を入手し、銀星館へと戻ることとなったのだった。

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