第三話 山中の攻城戦 1

 霧の立ち込める早朝の森に、鳥のさえずりが響く。

 ここはルメルシュから西、セレニアとの国境付近の山中。

 ケットシーのメリッサを仲間に加えた暁ノ銀翼は、晴れてこの地で山間部の任務を開始していた。


「ハァ、ハァ……なあリリアナ、まだ着かないのか?」

「んー、もらった地図によるとこのあたりなんだけどなー」


 今回の任務内容は伝令である。

 国境ぎりぎりに存在し、リドヘイムにとって脅威となっているセレニアの砦。一か月ほど前、その砦の急襲を目的としてリドヘイムで部隊が組織された。詠太えいたたちは現在、その部隊に接触すべく道なき道を進んでいる最中である。


「何だって、こんな、山奥に……」

「敵の砦から近いから潜伏には最大級の注意を払う必要があるって……言ってたわよ……」

「確かにこの原生林……潜伏するには最適だが、しかし、これは……」

「んにゃっ☆ ちょうちょはっけーん! ……あ、蛾だったテヘー!!」


 一人を除き、疲労困憊の暁ノ銀翼メンバー。

 鬱蒼とした森の中を、身の丈ほどもある下草を掻き分けながら進むこと二時間近く。加えて延々と続く急激なアップダウンが容赦なく皆の体力を奪っていく。


「もう、ムリ……だ。このまま……帰ろうぜ……?」

 詠太えいたが消え入りそうな声で弱音を吐く。

「アンタ……討伐隊の仕事を……何だと……思っ……て」

 リリアナの返しにもいつものようなキレがない。

「しかし主殿……もし仮にここで戻ることが許されたとして、結局は同じ道を、同じ時間をかけて戻るだけだぞ」

 マリアの言葉が一行を絶望の淵へと誘う。行くも苦難、戻るも苦難。暁ノ銀翼には、もはや進むしか選択肢はないのである。


 その後、さらに歩くこと数分。

「にゃっ!? ご主人、これ!」

 突然、先頭を歩いていたメリッサが立ち止まり、振り返って手招きをする。


 見渡す限り手付かずの自然の中で、僅かに人の手が入ったと思われる痕跡。

 一見した限りわからない程度に偽装はされているが、よくよく目を凝らすと下草が掻き分けられた跡があり、さらに茂みの枝が一方に寄せられて僅かな空間が出来ている。

 メリッサによる報告が無ければ見落としていただろう。詠太えいたたちはそのおそらく入口と思われる箇所を通り、奥へ進み入ろうとした。


「誰だッ!」

 突如前方の茂みから何者かが勢いよく飛び出す。


 詠太えいたたちの行く手を阻んだ者――それは両手に短剣を構えた少女であった。

 人形を思わせる端正な顔立ちと白い肌。肩のラインで切り揃えられた金色の髪を風になびかせ、少女は深みのある翠眼でこちらを真っ直ぐに見据えている。

 ここが山中という事もあるのだろう。少々武骨にも見える兵装ではあるのだが、すらりと伸びた四肢からは細身の体つきであることが見て取れる。


「わ……とと、本部からの伝令だ」

 詠太えいたが慌てて命令書を掲げ、胸に付けた討伐隊のバッジを示す。少女はそれを確認すると構えを解き、二本の短剣をその華奢な腰の両側へ収めた。

「失礼しました。これも任務を成功へと導くため。お許しください。」

 少女が深々と頭を下げ、謝意を示す。


「お見事」

 マリアが少女に声を掛ける。

「先程の構え、この人数を相手にして一切の隙が無かった。相当の修練を積んでおられるとお見受けする」

「いえ。まだまだです。――さあ、どうぞこちらへ」


 案内されて内部に足を踏み入れる。入り口こそ狭かったがその先はそれなりのスペースを有して陣が敷かれ、今回の作戦の前線基地を形成していた。

 もともと草木が多量に生い茂る場所柄ではあるが、カモフラージュのための枝などが追加された陣の内部はさながらドームのようだ。

 詠太えいたたちはその中を進み、最奥部のテントの前で中に入るよう促される。


 通されたテントの中で詠太えいたたちを出迎えたのは、髪を短く刈り込んだ精悍な若い男だった。

「よく来てくれた。俺は本作戦の指揮を任されている討伐隊ノーザンライツのリーダー、ハインツ・ベルクールだ」

「アタシたちは討伐隊暁ノ銀翼。私がリーダーのリリアナ・エルクハートよ」


 ハインツはふむ、と頷くと再び口を開いた。

「聞いてるとは思うが、今回の作戦はこの地にあるセレニアの軍事拠点、チェルモッカ砦を叩くことが目的だ。その砦というのはここからさらに西へ進んで国境を越えたところにあるんだが……」

 ここまで話したところで、ハインツは表情を曇らせる。


「地形的にやっかいなところにあってな。攻め入るには正面突破のルートしかない」

「しかし、そこに油断が生まれるんです」

 先程入口で出会った少女が口を開く。

「あ、すみません。自己紹介が遅れました。キリエ・ユミネール。僕もノーザンライツの一員です」


「おいキリエ」

 横からハインツが口を出す。

「……自己紹介するなら性別も言っておいた方がいいんじゃないのか?」

「なっ……! 僕はどう見ても男じゃないですか!!」

「え……? 男……?」

 ニヤつくハインツ、顔を赤らめて憤慨するキリエ。そして意外な事実を突きつけられ言葉もない詠太えいた以下暁ノ銀翼メンバー。


「ハハハハハ!」

 突然、ハインツが堰を切ったように笑い出す。

「やっぱりあれか。キリエを女だと思ったな?」

「隊長ーっ!」

「キリエは俺のエンティティでな、こんな見た目だけどれっきとした男だぜ?」


 男だって――? 詠太えいたは改めてキリエをまじまじと観察する。

 ハインツの隣でそっぽを向いて膨れているキリエは何というかとても可憐で、男と聞かされてもなお、それを素直に信じることが難しい。


 やっぱりこれで男だなんてとても……

 ……ん?

 サマナーが男でエンティティも……男?

 え? え? おいおい男!? ……てことはチャージとかどうなっちゃって……


 脳裏にリリアナからチャージを受けた時の記憶が甦り、あらぬ想像を膨らます詠太えいた

 たちまち頭に血が昇り、倒れそうになるのを必死で堪える。

 いや……いやいやいやいやそこは他人様の趣味嗜好だ、俺が口を出すことじゃない――!!


「は……話を戻します!」

 キリエの一言で場の空気が元に戻ると同時に、詠太えいたの動揺も多少持ち直す。


「砦は自然の要塞とも言える造りで非常に難攻不落なものとなっています。しかしまた、敵はその堅牢な砦に安心しきっています。あの砦、岩山の中腹にあって背後はかなり急な斜面なんですが、砦の上部、張り出した岩の陰にある程度の人数が駐留できるスペースを発見しました」


 ハインツが続ける。

「そこでだ。俺たちは一か月かけて少しずつ、砦の背後へ兵を移動させてきた。作戦はこうだ。まず俺たちが表からセオリー通りのルートで攻め込む。だがそれは陽動。砦の兵力を正面に集中させたところで背後から急襲部隊が斬り込む!」


 ハインツの得意満面な表情に水を差すようにマリアが口を開く。

「前後から挟み討つというアイデアは確かに素晴らしいがしかし……兵を分散させるというのはこちらにも不利があるのではないか?」

 その問いに答えたのはキリエだった。

「部隊は分けますが比率は一対一ではありません。陽動部隊を少人数で抑え、その分本隊となる急襲部隊の人員を限界まで増やしています。その分陽動部隊側の負担は大きくはなりますが……」

「それをなし得るだけの精鋭揃いだってことだ。このキリエも含めてな」

 ハインツがキリエの頭に手を置き、乱暴に撫で回す。

 キリエもそれに対し困った表情は見せながらも……どこかまんざらではない様子だ。


 ――おいおい、この二人やっぱり……!


「隊長、おられますか」

 テント入口の布が持ち上げられ、ひとりの兵士が顔を覗かせた。

「急襲班第一〇隊出発の準備が整いました。いつでも出られます」

「よし! じきに出発の命令を出す。入口に待機させろ」


 ハインツは兵士にそう告げた後、詠太えいたたちの方を振り向いて言った。

「お前たちは同行して急襲部隊の潜伏位置を確認してきてくれ。今後向こうの部隊との伝令役を務めることになるわけだからな。あとはお前たちが持ってきてくれたこの命令書と……こちらからの指示書も持っていってもらおう」



 出発の時。

 陣の入口まで見送りに来たハインツが詠太えいたたちの背中に声を掛ける。

「道中、上にも気をつけろよ。チェルモッカ砦は別名『ワイバーン城』とも呼ばれている。砦というにはあまりにも大きいその規模、そして敵にとっても不利なまでのあの立地は常駐部隊の兵の多くがワイバーン乗りだからこそだ。俺たちがこんな奥の奥に潜伏してるのもワイバーンによる哨戒を避けるためなんだ」


 ワイバーン……大きな翼を持ち飛行に特化したドラゴン種。

 こないだのホダッグも凄かったけど、そんなのまでいるのかよこの世界――

 見上げた詠太えいたの瞳に映るのは、上空をびっしりと覆う木々の枝。しかしその向こうに悠然と飛行するワイバーンの姿が見えるようで、詠太えいたは思わず身震いするのだった。

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