第5話 愛しい人
2年。
ヴァンパイアにとって大したことない年月が経った。
だが俺にとってはいつまでも進まない時間。
俺の生活に紫月がいない。
俺の許に走ってくる紫月がいない。
初等部を卒業して入寮してから紫月に会うことができなかった。
たまに校舎から見かける紫月は日に日に美しくなっていた。
長い黒髪を靡かせて。
白い肌は誰にも触らせたくない。
紫月を愛している俺は誰に求めることはできなかった。
定期的に香美から定期連絡で紫月の現状を聞いてはいても、実際会うといろいろな気持ちがこみ上げた。
綺麗になった。
愛らしくなった。
細い体はすぐにでも折れてしまいそう。
抱きしめたい。
紫月の香りは、ヴァンパイアを惑わせる。
ヴァンパイアの血が薄まっている猥雑な奴らにはそうわかる代物じゃない。
あいつの血は他の何にも代えられない。
本当は父上もあいつの血を求めていた。
だけど、欠点があった。
あいつの血は量が少なく少しでも吸ってしまうと貧血になること。
それは女なら毎月経験するアレでも命に関わるほどだった。
初めてを迎えたあの時は屋敷中のヴァンパイアが血相を変えたのを覚えている。
だから紫月にホルモン剤を飲ませることにした。
本来なら来るはずのものが来ない。
紫月はどう思っているんだろう。
滅多に自分の気持ちを離さないお前がどう思っているのか、怖いよ。
恨んでいるか、憎んでいるか。
過去を思い出すことはないか。
ごめん、紫月。
俺とお前だけならこんなにも不憫な思いはさせないのに。
いや、俺がいるから紫月は自由になれないんだ。
必ず俺が自由にするよ。
入学初日。
ずっと待ちわびていた。
俺の手の届くところに紫月がいる。
教室が違うだけで不服そうにしているのがバレたのは、恐らく幼馴染という関係のせい。
「授業は半日だけだからすぐ会えるじゃん!」
「そうよ!そんな顔しないの!
今日紫月ちゃん生徒代表の挨拶なんでしょ?
後でどうだったか聞こうね!」
うるさい。
俺の気持ちも知らないで。
だけど、誰よりも俺の気持ちを知らないのは一番大事な紫月だ。
そんな感情を抑えて放課後、紫月の教室に行くと居たのは香美だけだった。
「紫月はどうした」
「お嬢様は…」
話しにくそうに事情を説明し始めた。
どこにいるのかはわからないがとにかく探した。
それでも見つけられず、再び教室に戻った時目についたのは、紫月に一生会わせるつもりのなかった男と話をしている姿。
「紫月」
「お兄様?!」
心底驚いた表情を見せる紫月も愛らしい。
だが、俺に黙ってこいつにあったことも、もしかしたら記憶が戻ったのかもしれないという、怒りと不安が同時に襲ってきた。
「なぜお前がここにいる」
俺の質問に鼻で笑い真っすぐ目を見て
「ここの学園長から推薦を受けたんだよ」
と言った。
ここの学園長は、教会の人間。
裏切るつもりか。
俺の許から紫月を奪うのか。
「ヒーロー気取りか」
「俺がヒーローならお前は悪役だな」
あぁ、俺はいつだって悪役だ。
紫月をこの手に収めたあの日から。
だけど助けるヒーローはお前じゃない。
「帰るよ、紫月」
これ以上紫月に知られてはいけない。
この様子だと何も知らないでこの男と話していたようだし。
「で、でもお兄様…。
この人はSクラスにいるべき人でしょう?」
流石にそこは気づいてしまったようだけれど。
「…今日は帰ろう、紫月。
これ以上の許容はできない」
俺よりこの男を気にかけないで。
「…はい、お兄様…」
教室を出ようとしたとき
「鬼柳、俺は理事長と契約を交わしている。
内容は、紫月が俺の正体がS側だとわかったら即転入すること。
これで俺は長年の恨みが晴らせる」
男はそういった。
脅しなどではない。
だが紫月をお前に渡すつもりはさらさらない。
「Sに来ただけで晴らせるなんてちっぽけだな。
今更お前が来たところで何も変わらない」
そう、何も変わらないでくれ。
余裕をなくした俺は強引に紫月の腕を引っ張ってしまった。
赤くうっ血して痛々しい。
ごめん紫月。
「彼の事、知っているんですか?」
聞かないで。
俺の醜い秘密を知られてしまう。
俺の中でのすべてが崩れてしまう。
「お兄様?」
「紫月、今日は早く休むんだよ。
初日からいろいろあって疲れただろ」
教えられない。
教えたら君はいなくなってしまう。
大切なんだ、俺にとって君がすべてだから。
部屋に戻ると剛毅が紅茶とチョコを用意していた。
「教会が裏切ったと捉えるべきでしょうか」
あの男が紛れ込んでいることに気づいていたのか。
「いつ気づいた」
「今朝、門の前で護衛をした時です」
「なぜ言わない」
「確証がなかったので。
あれからもう10年以上。
成長した人間を見分けることは我々には難しい」
剛毅の言っていることもわかるが、今はそういうことを言っていられない。
「…廊下が騒がしいですね」
かすかに漂ってくる香美の血の匂い。
「黒緋、やりすぎだな」
「放っておくのですか」
「今日は、俺よりあの男を優先させた罰だ。
紫月。
紫月はどうしてあの男に会ったんだ…。
やはり、何かわかるものがあるんだろうか」
頭の中で考えても全く答えが出ない。
「紫月…」
ぼそっと声を出した途端、広がる甘い匂い。
「これはっ」
「全員に部屋の外に出るなと伝えろ!」
これは間違いなく紫月の血だ。
「紫月!!」
「お兄様、どうして」
やはり、香美に血を分けようとしたか。
「紫月…血をあげるのがどういう意味か分かっているのか」
お前の血は特別なんだぞ。
「わかっています。
これでも鬼柳家の人間です。
主従関係を結んでも問題ないはずです!」
…生半可に理解しているが…
「それはできない」
「どうしてっ」
「鬼柳家の使用人はみな当主と主従関係を結んでいるからだ」
そんな顔をするな。
剛毅に合図を送り香美を連れて行かせる。
「当主の血液は剛毅が持っているから安心しろ」
やばい。
俺まで酔うほどの血の匂い。
「…っ」
「お兄様?」
来るな…
ヴァンパイアとしての血が濃いほど血には抗えない。
「血の匂いに酔っただけだ。
止血するから、タオルを」
早く止めないと。
甘い、花の蜜の匂い。
誘われる蝶のように、俺の口は蜜の味が広がった。
「おにい、さま」
やってしまった。
吸ってしまった。
愛しいこの子の血を。
貴重な血を。
だけれどもう我慢できない。
これが醜いヴァンパイア。
怖がらせた、痛いだろう、ごめん、ごめんな、紫月。
「ごめん、紫月…
もう無理だ…」
噛み跡と切り傷が交わっている。
俺の唾液が混じったところは治癒が始まっているが。
「どうして泣いているの…?」
泣いている、俺が…
俺は…後悔している。
「俺は紫月を餌としてみないと決めていたのに…
ずっと我慢していたのに…」
抱きしめる紫月は暖かい。
「お兄様、大丈夫、大丈夫ですよ」
頭をやさしくなでるお前は、いつもこうやって俺を安心させた。
「ごめん、紫月…俺にすべてをくれないか…」
俺は紫月を苦しめてしまうだけなんだろう。
それなら
「私はいつだって青藍お兄様のものです」
そして、俺は紫月の首筋に嚙みついた。
婚約者としての契約のために。
「今は記憶を消そう。
今日の出来事をすべて」
時が来てお前を正式に婚約者とするまで。
お前は俺の許から離れられない。
俺の中の庭に綺麗に咲いている花でいて。
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