継承は、大樹の下で ―― 支配樹の眠り

保坂紫子

魔導師長の目に留まる、予兆。

 玉座に座る彼女は怒りさえ滲ませる半眼で、片膝を床につけて騎士の礼を尽くす彼を見下ろしている。

 明日には十五の誕生日を迎える彼女の苛立ちを、自身の未熟さからくる焦燥だと理解している彼は、そんな睥睨をにこやかに微笑んで受け止めていた。




 ※※※




 神話の時代まで歴史を遡ると、神に管理を放棄されたと、この世界について語り出される。

 管理されない世界は当然のように秩序を失い原初の混沌へと戻り、崩壊した。

 幕切れとなるはずだった世界は、しかし、再構築を果たす。

 世界の声を聞ける者、世界の目となる者、世界の腕と化した者、それぞれの存在が世界を新しき時代へと導いたのだ。

 そうして再生した世界に神足り得ない神と呼べぬ者達が降り立った。

 ひとつは陸の民と名乗り、

 ひとつは空の民と名乗り、

 ひとつは海の民と名乗り、

 かれらは後世に語り継がれる次第にいつしか古代種と呼ばれ始めたのだった。




 ある大陸に、陸の民を祖に持つ陸竜の一頭が守護するセレンシアと名付けられた王国が在る。

 ここはそんな王国の首都の中心に建造された象徴的な王城の数多く在る渡り廊下のひとつ。

 男は磨き込まれた石の廊下を城壁に向かって放射状に伸びる離宮へと向かって歩いていた。

 着込む法衣の基調色と装飾とで、男が宮廷魔導師のひとりであり、魔術士団の一師団を担う人とわかれば、衛兵は無言で通過を許し、頬を染めて背を正して見送っていく。

 王城内を権限を有して自由に歩き回るザレスは、そんな一兵の誇らしげな眼差しから顔を背けて辟易と嘆息した。立場上形式的なものも含まれているのだから慣れてはいても、ただ、羨望と共にときめかれてしまうと形容し難い苦いものが胃の底から迫り上がってきて、相変わらず自分の沸点は低いなと呆れる。

 屈強な軍人さえ見惚れさせる自身の相貌をザレスは心底嫌っているのだ。

 鍛えても必要以上に筋肉は増えず、布をたっぷりと使った法衣は全身をすっぽりと包んで体型を隠すものだから、下手な女性よりも痩身な印象を与えてしまう現実も勘弁してほしいと思う。

 男女問わず下心もたっぷりと近づいてくる輩を、生来の男性声とぞんざいな扱いとで追い払うこと数知れず。

 けれども、白金の髪に青い瞳。男性でありながら女性的な、美しいと称えるに相応しい顔立ちに、視線を向けられただけで天にも昇りそうなほどの喜びを覚えてしまう心境こそ、ザレスには理解できた。大小の差はあれど人間誰しも綺麗なものには心踊るものだろう。

 ただ、納得できないのは、そんな麗しい容姿を自分が手に入れた経緯の不本意さと、それを許容せざるをえない周りの環境だ。

「駄目だな。考えが悪い方向に向かっている」

 繊細ではないが自意識過剰な面が強い性格のせいか、特に考え事をしている場合において、誰かが自分を特別視していると認識してしまえばどうにも勘に障って、引っかかってしまう。

 そうだ、思考の隙間を埋めるようにザレスは考えてしまうのだ。

 竜族も人間も精霊も世界に対しての解釈が違う。

 何を以て何とするのか。解釈がはっきりとしているから定義が曖昧になることはない。

 竜の定義では、肉体に記憶は残るとされている。だから、記憶は保持される。

 人の定義では、魂に記憶は残るとされている。だから、記憶は引き継がれる。

 精霊の定義では、存在意義において記憶は不要とされる。だから、記憶は消滅する。

 故に、ザレスは粘ついて纏い付くような違和感に対し苛立ちを隠さない。一切合切隠さない。

 しかし、過去から現在までそのような違和感について口外はしなかった。素振りすら見せず、気配さえ感じさせない。相談など以ての外で、回答を持っている可能性が高いだろう相手にも疑問を投げ掛けたことは一度たりとも無い。

 苛立ちを増長させるだけの腹立たしい違和感はいまだ言語化できず、もどかしさが予感という抑止力を生み、辛うじてザレスの裡にわだかまりとして留まっている程度に収まっていた。

 眠りに入る直前に思い出しかけて飛び起きたというのに肝心の内容を忘れてしまった不安にも似た、不甲斐なさを刺激するこの感覚を大げさと笑い飛ばせない自身の度量の狭さが、ザレスの神経を更に刺激するのだから始末が悪い。

 習慣化してしまった無意識での歯軋りをしようとして、その動きが止まった。

 窓の向こう、硝子越しに見慣れたふたりの子供が互いに手を取り合って東の森庭と呼ばれる東側の庭へ向かって走っていくのが見えた。

 と、ザレスが認識した次の瞬間には子供達の姿は庭の奥へと消えていく。

「何やってんだあいつ」

 ふたりのうち、ひとりは自分の息子だ。

 ふたりのうち、ひとりは王の娘だ。

 あっという間の出来事で間抜けにも見送った形になったザレスは眉間に皺を寄せる。自然と、訝しみの呟きは息子に向けられた。

 息子は年齢の割に育ちが遅い。手を引かれてついて行く姿は飼い主に牽引されるのろまな家畜そのもので、先頭を担う少女よりも二つも年上なのだとは言われないとわからないだろう。

 少女の手でなかば引きずられていく息子を目撃し、情けない気分になったザレスは物騒に目を細めた。

 東の森庭は王族しか入れないのが掟である。

「注意だけではすまないぞ」

 王城内を自由に歩けるザレスはしかし王家の者ではないし、祖を遡っても王族貴族の系譜に掠りもしない。故郷を失っているザレスの妻は論外だ。

 少女こそ第一王位継承者という由緒正しいお姫様ではあるが、少年はそうはいかない。

 東の庭には、王族のそれこそ王様の了承を得てでさえ、立ち入りは許されない。物心ついた頃から口を酸っぱくして、耳にたこができるほどに教え込んだはずなのだが、警備の目を盗んで侵入を果たす手際の良さは常習犯のそれであり、子供らしい無鉄砲さに教育すべき言葉が見つからない。同年の子供と比べて聞き分けは良いほうのはずなのだが、どうにも自分の息子は少女に分別の注意はしないし、そもそもが逆らわない。少年は少女に従順だ。立場として逆らえないのではなく、惜しみない協力で賛同し同調しているようだ。少女を自分の妹のように接しているわけでもなく、早熟に恋をして盲目になっているというよりは、まるでそうするのが当然という説得力を醸し出して、周囲に少女との関係性を納得させていた。

 昔ながらの共犯者。それがザレスが子供達に抱く印象である。

 少女にされるがまま共に消えた息子の見えなくなった背中を睨むように原生林を彷彿させる広大な庭を見据えていたザレスは数秒後には肩を竦めていた。

「掟と、言われても、な……」

 庭の向こうへと消えてしまっては後の祭りだ。掟という大前提がある限りザレスは子供達の後を追うことはできない。

 掟と称し規律として掲げているものの、禁忌ではない。血縁ではない無縁の者が入り込んだからといってすぐに何かが起こりはしないのだ。

 目撃してしまえば報告義務が発生する。だだそれだけのこと。

 しかも、その一報を受け取りかつ処断を下すのが自分だとすると、この状況について処遇の判断に悩むのが無意味だともいえる。

 舌打ちをする。

 そうだとしても、実子だからと甘い顔もできるが、そもそもが姫様が率先して掟破りを促しているので、それこそが問題だし、大事(おおごと)だった。

 こうして数秒ほどザレスが沈黙していても、この間に警備兵も、城勤めの人間の誰もが騒ぎだてしていない。注意なり悲鳴なり怒号なり聞こえてきてもいい頃合いだというのに平穏な日常そのものだ。

 頭を抱えるべきは、庭への侵入を目撃したのがおそらくはザレスひとりだという事実のほうだろう。

「たまたまならいいんだが」

 小さな闖入者達への応対は庭に横たわる者がするだろう。追い返しはするのだろうか、むしろ歓迎しているかもしれない。進入不可を決めているのは人間側の都合だったりするのだから。

 考えなければならないのは日常に潜む兆しに気づいてしまったのかもしれないという、変化へのおそれだった。

「できるのが様子見ってのも、なかなかに面倒な話だよ」

 とりあえずは子供達の悪行は見逃すことにしようとザレスは判じた。

 自分自身は紛れもなく親であり、また立場もある。それなのにと、軽く肩を竦める。

 けれど、拭いきれない予感にザレスは子供達が消えた庭奥へと視線を向けた。

 一方的にとはいえ掟は絶対だ。そうするに結論至った理由を蔑ろにはできない。

 絶対であるはずなのに、違和感が拭えない。

 どうしても、拭えない。

 ねばりつくような不快感が拭えない。

 苛立ちが、増す。

「考えても終わらないし、 ……行くか」

 そう言えばと、東の森庭の主が件の庭ではなく、国王と共に謁見の間に缶詰状態だったのをザレスは思い出して、なんだかなと首を傾げてから当初の予定通り離宮へと向かう為に大理石の床を歩き出した。


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継承は、大樹の下で ―― 支配樹の眠り 保坂紫子 @n_nagisa

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