第31話 お別れです

 教皇セレスティア2世の死から4か月ほどが経った。


 その間、帝国では、皇帝位への復帰を自ら宣言したレオポルドを中心とする皇帝派と、破門されたレオポルドの皇帝位への復帰に反対する教皇派の貴族たちによる内戦状態にあった。当初、皇帝派は劣勢だった。刻印は消したとはいえ、破門された事実自体が消えているわけでは無い。味方となる貴族も少数だった。


 だが、新たに教皇に就任したラオブルートが破門の撤回とレオポルドの皇帝位への復帰を認める宣言を出したことにより、形勢は一気に逆転する。教皇を味方につけた皇帝の前に、仮にも「教皇派」を名乗る貴族たちは抵抗する大義を失い、雪崩を打ってレオポルドへの恭順を示したのだった。


 一方、ラオブルートによる改革の方も、徐々にではあるが、着実に進んでいる。ラオブルートと、コンビを組む現実派の枢機卿であるヴァルター・ミナス・トリア・シグナシスは、周囲の反感を買いながらも強引に改革を進めていた。


 既に選帝侯から聖職者を外すことについては内部の了解が得られ、近々、教皇庁から皇帝位不関与の宣言と共に発表されるだろう。まあ、この裏では、俺が残り二人の選帝侯である大司教を思い切り脅迫したというのもあるのだが。アデリアによる無限の拷問も想定していたが、生涯で痛みや恐怖など受けたことも無い高位の聖職者は、身体の周囲に魔法の槍を数百本叩き込んで威圧しただけで、あっさりと転向したのだった。


 他宗教との融和についても、教皇庁内での検討が続いている。当初、ヒルマー枢機卿を始めとして強固な反対派が多かったが、彼らが次々と変死していき、反対意見は影を潜めた。なお、ヒルマーは殺すのでは無く、ラオブルートに命じて破門させた。殉教者気分で死なせるより、その方が彼にとっては屈辱だっただろうから。


 こうして、帝国における皇帝権力の宗教権力への優越を着々と進め、自由に動けるようになったレオポルドとの交渉を進めた。そして今日はいよいよ和平条約締結の日である。







 調印式はイスタリヤの皇宮前広場で行われる。通常、和平条約の調印などは国境地帯で行われるか、勝った方の国で行われるもの。つまり、今回のような場合、アレクシアで行うのが普通なのだ。だが、今回はあえてイスタリヤで行う。それには理由があった。


 最大の理由は、イスタリヤ市民にアラバイン王国との融和を見せつけることである。半年前にイスタリヤを襲撃してきた邪竜とその使徒が再び訪れる。しかし今度は和平条約調印のために。それにより、両国の融和を強く印象付けるのが狙いなのだ。それと同時に拉致していたルクセリアを帝国に返す。攫われた皇女様が無事に戻ってきた姿を見て、市民たちは感激の涙を流すことだろう。


 もちろん、帝国に対する王国の優越を見せつけることも忘れない。その最大の要素は条約の署名者が、帝国側が皇帝なのに対し、王国側は王太子である俺と言うことだ。つまり、まだ王では無い俺が皇帝と同格であることを文書に残る形で示す。加えて、立会人としてのラーケイオスの存在である。竜王に睥睨される形で皇帝がサインする姿は大きなインパクトを与えるだろう。


 それだけでは無い。賠償金に関しては、象徴として帝国から王国に帝国金貨1枚だけ払ってもらう形に抑えたが、代わりにゼーレンを軍事緩衝地帯として独立させることとなった。ゼーレンは今後、自治権を持った都市国家として運営されていくことになる。これには、「血のゼーレン」で理不尽な暴力に見舞われたゼーレン市民の、帝国とミノス教への悪感情も影響していた。


 王国は今後、このゼーレンを通じて帝国と交易を始めとした交流を図っていくことになる。これまでの鎖国状態をいきなり解くことはできないが、徐々に交流を進め、いずれは王国と帝国双方が直接やり取りをすることも可能になるだろう。その前準備として、アレクシアとイスタリヤ双方に互いの大使館を開設することも合意している。歪だった両国関係はようやく正常化に向けて舵を切ったのである。






 そうして今、俺はルクセリアと共に、イスタリヤに向かっている。ラーケイオスの上には俺とルクセリアの二人だけ。今回は戦闘に行くわけでは無いので俺一人で十分と言うのもあるし、ルクセリアが未だにリアーナを苦手としていることもあって、リアーナの方から遠慮してきたのだ。


 飛んでいるルートはかつてイスタリヤを襲撃した時と同じルート。左手には万年雪をいただく竜の背骨の山々が連なっている。


「ルクセリア、見てごらん。山々が綺麗だ」

「……そうね」


 かつてリアーナに心に余裕を持てと言われ、同じようにルクセリアに言ってみたが、彼女はどこか心ここにあらずだった。そうしているうちに、山脈の頂上を目指し、上昇を始めたラーケイオスは一気に竜の背骨を越えた。そこに広がるのは、あの時と同じ大パノラマ。世界はやはり美しかった。その世界を見せたくて、ルクセリアの手を取り、立たせる。広がる景色に、彼女の目は釘付けだった。


「……なんて綺麗」

「ああ、世界は美しいよ」


 俺に寄り添いながら、その景色を見ていた彼女は俺から離れ、前に数歩進むと、その景色をまるで独り占めするかのように大きく手を広げた。しばらくそうしていたが、振り返ると微笑む。


「ラキウス様、私やっぱり、あなたのことが好き」

「ルクセリア……」

「気の迷いなんかじゃ無い。……最初は恨んだ。なんて礼儀知らずで傲岸な男って。……でも違った。あなたは優しくて、私を守ってくれて。何より、広いこの世界を教えてくれた。帝国の宮廷の中しか知らなかった私に、帝国の外にも世界があって、そこには違う考えや価値観があって、でも、それもただの普通の人なんだって教えてくれた。だから、今この景色を心から綺麗だと思える」


 訥々と語る、その声はどこまでも真摯で誠実なもの。途中で口を差し挟むことがためらわれる程に。


「あなたには恩がある。一生かかっても返し切れない程の大きな恩が。だから、だから……」


 彼女はそこで一度口を閉じると真っすぐに俺を見た。


「お別れです」


 少し寂し気に微笑む彼女の口から紡がれる声は静かだった。


「私は皇女として、次の皇帝となる男の妻となります。父の進める王国との融和政策を引き継ぐために。二つの国の懸け橋となるために。それがあなたへの本当の恩返しになると思うから……」

「……ああ、次に会うときは、俺は王で、君は皇后だ。離れていても、二つの国の未来を共に作ろう」


 それは別れであり、同時に、新たな絆が生まれた瞬間。俺たち二人の誓いを乗せ、ラーケイオスはイスタリヤに向けて降下していくのだった。


       第6章 清冽の皇女編 完



========

<後書き>

第6章「清冽の皇女編」完結です。いかがでしたでしょうか。

よろしければフォロー、☆レビュー等いただけますと励みになります。

明日から始まる第7章は最終章。この世界の秘密の一端と竜の騎士の真実が明らかになります。

それでは第7章「アラバインの竜王編」、お楽しみに。

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