第30話 悪魔の契約
潰走した聖戦軍の後を追うように、2000人の兵を率いてゼーレンに入る。街は酷い有様だった。人々の目からは生気が失われ、外国の軍勢を見ても無反応な人が大半である。残りの半分の目に宿るのは怯えか。軍隊への恐怖が街を支配していた。
街の中央部に到達すると、一部が崩れた聖教会の建物の前に人だかりがある。それは炊き出しを待つ人々の行列だった。その列の先頭に向かい、炊き出しをしている聖教会関係者のうち、皆に指示を出している、一番位が高そうな人物に話しかける。
「君はこの聖教会の責任者なのか?」
「あなたは?」
「アラバイン王国王太子ラキウス・リーファス・アラバインだ」
その名乗りに、相手は驚いたような目を向けた。
「それではあなたが名高い竜の騎士という訳ですか。失礼しました。私はこの教区の大司教、ラオブルート・ミナス・バルド・エアハルトと申します」
「そうか、君が」
「私をご存じなのですか?」
「ルクセリア様から聞いているよ。他にもいろいろとね」
「そうですか」
目を伏せるラオブルートは思うところがあるのだろう。
「君には後で話があるが、まずは持ってきた食料と医薬品を配給する手伝いをしてくれないか?」
「食料をですか? 我々を助けていただけると?」
「困っているのに異教徒も何も関係無いだろう」
「……わかりました。おい、みんな、アラバイン王国軍が食料を持ってきてくださった。配るのを手伝ってくれ」
その呼掛けに周囲から歓声が上がり、用意した食料は次々と配給されていった。その他、臨時の救護所を作り、持ってきた医薬品で負傷者の手当てを行う。そうした活動が順調に動き出し、ひと段落したところで、ラオブルートに話があると声をかける。彼は了承すると、俺を聖教会のかつての自分の部屋に連れて行った。
そこは何もかもが略奪されて半壊した部屋。椅子と破れたベッドだけがかろうじて残っているような状態だった。椅子に座ると、彼に質問する。
「最初に聞きたい。君は俺の妻を拉致しようと画策していたのか?」
その直球過ぎる質問に彼は目を伏せた。
「その通りです」
「やけにあっさり認めるんだな」
「今更隠し通せないでしょうから」
「理由を聞いてもいいか」
その質問に彼は初めて顔を上げた。その瞳が真っすぐに俺を見る。
「聖戦を起こさせないためです。聖戦が起これば、こんな事態になることはわかっていました。元々ゼーレンには20万も30万も兵を受け入れる余地は無かった。略奪がおこることは予想できた。だからそうなる前にあなたを始末しよう、そのためにはあなたの想い人を拉致して言うことを聞かせるしか無いと考えて。結局すべて無駄になってしまいましたがね」
自嘲気味に力なく笑いながら答える彼の言葉に違和感を覚える。何より聖職者である彼が何故聖戦を忌避するのか。その質問に、彼は吐き捨てるように言った。
「信仰で飯なんか食えませんよ! 私は孤児だったんです。幼い頃は残飯を漁り、汚水を啜って生きてました。酔狂な司祭が私を拾って養子にしてくれたから、死なずに済んだ。聖教会の中で出世することだけが私の生きる道だったんです。二度とあんな生活に戻りたくない。ただそれだけです」
「では、君はミノス神を信じていないのか?」
「逆にあなたは龍神を信じているのですか?」
そう問われてハタと思い出す。龍神を信じてもいないのに、竜の騎士をやっているのだ。ミノス神を信じていないミノス教の大司教がいることなど、何の不思議も無いのかもしれない。
「私は自分が豊かになるために全てを利用して来ました。教義の解釈を変え、人々を豊かにしました。人々が豊かになれば、聖教会のために金を使ってくれるから。私が豊かになれるから。それで築いた人脈で大司教にまで成り上がりましたが、結局、このざまです」
「その割には率先して炊き出しを指示したり、信徒を大事にしているように見えたが?」
「ええ、大事に思っていますよ。私の富の源泉としてね。また立ち上がってくれないと、私が困るじゃ無いですか」
その赤裸々すぎる告白を受けて、俺は思っていた。ああ、この男はどこまでも利己的で自己中心的で、だからこそ───使える。
「なあ、エアハルト大司教、お前、次の教皇になりたくは無いか?」
「はい?」
わかっている。これは悪魔の契約だ。俺は自分の計画のためにセリアを拉致しようとした男と契約を交わそうとしている。だが、この男以上の適任者を俺は知らない。
「いいか、良く聞け。セレスティア2世は2週間後に死ぬ。それまでに準備を整え、お前が次の教皇になれ」
「それは現教皇を殺すということですか?」
「言っただろう、2週間後に死ぬと」
あくまで殺すと言う言葉は使わない。言質は取らせない。一方、彼は震える声で聞いて来た。
「代償は?」
「いくつかある。まず、選帝侯から聖職者を全て外せ。それで聖教会は今後一切、皇帝選出に関わらないと宣言しろ」
「な?」
これは自らも選帝侯である彼にとって承服しがたい条件だろう。だが、俺も譲るつもりは無い。帝国の問題は教皇と皇帝の二重権力、それも教皇が優位にある事。宗教は人の内心に関わる。特定の宗教が政治に優越することなど、あってはならないのだ。
「飲まなければこの話は終わりだ。と言うより、口封じのためにお前を殺す。聞いた以上、後戻りはできん。安心しろ。戴冠式くらいは許してやる」
思い切り脅迫だが、この際、手段を選んではいられないのだ。うなだれるラオブルートにさらに追い打ちをかける。
「それと教義の解釈を変え、ミノス神以外の神を認めろ。龍神信仰を邪教とする教えを捨て、ラーケイオスと俺を邪竜とその使徒とする考えを否定しろ」
「教義には『ミノス神は唯一絶対の神』と書かれているのです。解釈を変えるにしても限度がありますよ」
「お前たちの都合など知らん。何なら教義そのものを書き換えろ。これも絶対条件だ」
有無を言わさず、条件を叩きつける。
「そうは言っても聖教会の中も一枚岩ではありません。私が教皇になったとて、私が言えば全てが通るという訳ではありませんよ」
「大丈夫だ。改革を邪魔する奴の名前を教えてくれれば皆、数日後には改心するか、あるいは死んでいるだろう。お前の改革を邪魔する奴はいない、いや、いなくなる」
それはこれ以上無い程の脅迫。お前も改革を推進しなければ殺すぞと言っているのだ。彼は震えながら下を向いていたが、俺を見た。
「……わかりました」
「合意できてうれしいよ、エアハルト教皇猊下」
これでいい。セリアの拉致をたくらんだ男だが、今後、彼は一生、俺による暗殺を恐れて生きていくことになる。それこそが最大の復讐。まあそれで教皇になれるのだ。改革さえしてくれれば、彼がその地位と権力で贅沢三昧な日々を過ごそうが、愛人を何人も作ろうが俺の知ったことでは無い。帝国の政教分離を進め、他宗教との融和を進める。そのために必要なこと以外は全て些細なことだ。
二週間後、俺はアデリアと共に再びイスタリヤにやって来ていた。ただし今度忍び込むのは大聖堂にある教皇庁。地下に潜った前回と違い、大聖堂の塔に直結する4階建ての建物の最上階に向かう。
教皇ティターニア・ミナス・ガルド・セレスティア。彼女は執務机に向かい、ひっきりなしに訪れる部下たちに指示を飛ばしていた。聖戦軍が12万人もの死傷者を出したのだ。それだけで無く、ゼーレンでは虐殺までしている。それらの後始末で、彼女はもう寝る暇も無い程忙しいのだろう。部下の来訪が途絶え、一人になると、眉間を押さえ、椅子に深々と座りこんだ。髪には白いものが目立つようになったとは言え、若い頃はさぞ美人だったのだろうと思わせる怜悧な顔が押し寄せる疲労に歪んでいる。
さて、疲れているようだから、そろそろ永久に疲れから解放してあげよう。アデリアに彼女をこちら側の空間に引き込ませると声をかけた。
「初めまして、教皇セレスティア2世猊下」
「誰⁉」
「邪竜の使徒です」
驚いて口をパクパクさせている彼女に告げる。
「あなたには死刑宣告書をお渡しするように言っていたのですが、届いてますかね? そろそろ死刑執行の時間だと思いましてまかり越しました」
「だ、誰か! 曲者!」
彼女は驚いて叫ぶが、誰も部屋にはやってこない。
「無駄ですよ。この空間は向こう側と切り離されていますからね」
「いったい、いったい何故こんなことを?」
「おや、わからないのですか? 人の信仰を一方的に邪教と断じ、邪竜の使徒などとレッテルを張って、聖戦軍などと自分たちの正義を信じて疑わない馬鹿げた名前の侵略軍を送って来る。その全てにあなたは責任があるでしょう?」
「ふざけないで、この蛮族が! 邪竜の……ううう」
全てを言い切ることは出来なかった。彼女は突然胸を抑えて苦しみだす。俺の横に立ったアデリアが冷たく言い放った。
「ラキウス様への暴言は許しません。あなたはもう死になさい」
次の瞬間、ティターニアの口から血が流れ、倒れ伏した。外傷は無く、外見だけだと死んでいるかよくわからない。
「心臓だけを切り刻みました。確実に死んでいます」
「そうか、良くやってくれた」
床に転がっているティターニアだったものに一瞥を向けて告げる。
「悪いな。俺は時代を前に進めなければいけないんだ。古臭い権威はいらないんだよ」
そうだ。近代的な国家を作り上げる。そのために強すぎる宗教などいらないのだ。この世界にはルネサンスも宗教改革も存在しなかった。ならば無理矢理進めてやるだけ。そう心に念じ、教皇庁を後にするのだった。
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<後書き>
次回は第6章最終話。第31話「お別れです」。お楽しみに。
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