第25話 抱いて下さい
隣に座るルクセリアをチラリと見る。気丈そうに唇を引き結んでいるが、テーブルの下の手はカタカタと震えていた。
「破門ですか、理由は?」
かろうじて紡ぎ出された質問に、ヒルマーは心底馬鹿にするような目を向けると言い放った。
「もはや人間ですら無い者の質問に答える必要など無い!」
その言葉に、ルクセリアがビクリと震える。破門とは接触を禁止されると言うことだったが、人間としてすら扱われなくなるのか。一方、ヒルマーは質問に答える義理は無いと言ったにもかかわらず、ルクセリアへの罵詈雑言を連ねていた。
「自分を拉致した蛮族に心奪われた淫売が。蛮族の要求に従って一方的に停戦して神の御心に背いた元皇帝と共に地獄に落ちろ!」
「ヒルマー枢機卿、そこまでにしたまえ! 君たちの決まりによると、破門になった相手と会話することも禁じられるのだろう。彼女への罵詈雑言は、その決まりを破ることになるのではないか?」
あまりの酷さに口を挟むと、ヒルマーはフンっと鼻を鳴らすと、テーブルの上のコップを隣のゼオンの前に置いた。
「ゼオン将軍、元皇女などと言うも卑しきあの肉塊に水をかけてやれ」
「は?」
その驚きの声はゼオンだけでなく、俺を含む複数から上がったもの。いくら破門されたとは言え、元皇女をそこまで辱めるのか。
「待て、ヒルマー枢機卿。接触禁止だと言う話では無いか。水をかけることも禁じられているのでは無いのか?」
止めようと必死で理屈を紡ぎ出すが、ヒルマーは馬鹿にしたような笑みを浮かべるのみ。
「なあに、手が滑ってこぼれた水の先に肉塊があるだけだ。何の問題も無い。そうだろう、ゼオン将軍。それとも何か問題があるかね?」
ゼオンが苦悩の表情を浮かべる。ヒルマーの言葉は、やらねばお前も破門だぞ、と暗に恫喝したものであることは明らか。しばらく葛藤していたゼオンであったが、意を決したようにコップを取った。
「姫様、御免!」
コップの水が、ルクセリアに向かってぶちまけられる。俺は咄嗟に間に立った。
「……ラキウス様?」
水を避けようと咄嗟に手で顔を覆ったルクセリアが、目を開けて目の前にいる俺に気づいたのだろう。震えるような呼び声が聞こえてきた。一方、周りからは俺の家臣たちの大声が響いてくる。
「殿下!」
「殿下に水をかけるなど、何たる無礼!」
「生きて帰れると思うな!」
「静まれ!!」
いきり立っている家臣たちを一喝して黙らせる。ルクセリアの代わりに頭から水を被っているから、締まらない絵面だけど。その情けない姿のまま、ヒルマーを睨みつける。彼は少し怯んだようだったが、強弁した。
「そちらが自分から水の前に飛び出てきたのだ。そちらの落ち度であって、こちらに責は無い」
「ああ、そうだな。そういう事にしておいてやるよ」
その言葉に安心したのか、彼はまたペラペラとしゃべり始めた。
「それにしても、そんなもはや人間ですら無い肉塊を庇うとは。アラバインの王太子は余程その肉塊が気に入ったと見える」
「黙れ!」
「は?」
「黙れと言っている。もはや人間では無い? 知るか、お前たちの国の風習など。破門など俺たちの国では効力を有しない。彼女は人間だ。そして俺の客人だ。俺は彼女の父親との約束に従い、彼女を守る、それだけだ!」
こちらの勢いに怯みそうになりながらも、フンと鼻を鳴らして出て行こうとするヒルマーを呼び止める。
「ちょっと待て。土産がある」
「土産?」
そう言うと、文官が持ってきた手紙のようなものをヒルマーに渡す。これは交渉が決裂した時のために、昨日から用意していたもの。相手への最大の挑発だ。
「これは?」
「お前たちの教皇セレスティア2世への死刑宣告書だ。必ず教皇に渡せ」
「貴様!」
いきり立ちそうになるヒルマーら聖教会関係者を近衛騎士団が取り囲み、追い立てるように部屋から出させる。ゼオン将軍を始めとする交渉団も悄然として後に続くのだった。
「ラキウス様……」
ルクセリアが呆然とした顔で俺を見つめていた。そこに侍女が濡れた俺を拭くためのタオルをもってやって来る。ルクセリアはそのタオルをひったくるようにして、俺を拭き始めた。
「申し訳ありません、申し訳ありません。私のためにラキウス様がこんなになってしまって」
「大丈夫だよ。水がかかったくらい」
「どうして……」
そこで途切れた言葉に、彼女を見つめると、涙でうっすらと濡れた瞳が真っすぐに俺を見ていた。
「どうして、そんなに優しくしてくれるんですか? 私はもう、皇女でも何でもないのに……」
「言っただろう。破門なんか俺の国じゃ関係ない。だから、君は今でも俺の客人だ。安心しろ。必ず守ってやる」
彼女の声はもう、言葉にならなかった。あふれる涙を隠しもせず、彼女は俺に取り縋って泣き続けたのだった。
その日の夜遅く、ルクセリアから至急相談したいことがあるという連絡が来て、彼女の部屋に急ぐ。こういう場合、向こうから赴いてくるのが通常だが、彼女の場合は、外出が制限されている。もちろん、手続きを踏めば、俺の屋敷に来るくらいは問題無いが、まあ、時間が時間だからな。
部屋に入ると、既に侍女たちも人払いされており、ルクセリア一人だった。それはいいのだが、夜着の上にガウンを羽織っただけの格好である。もう夜も遅いし、部屋で寛いでいるからってのはわかるけど、男の前に皇女様がその恰好で出てくるのはどうなんですかね。
勧められるままにソファに座ると、隣に座って来る。いや、相談事があるってことだったよね。何で対面じゃ無くて隣に座るの? 困惑してしまうが、まあいいか。とにかく話を聞こう。
「相談事と言うのは何?」
「すみません、こんな時間に。父と母のことなんです」
「皇帝ご夫妻の?」
「はい、ヒルマーは皇帝一家に対する破門宣告書と言ってました。だから、父と母も私同様破門されていると思います」
それはそうだろう。彼は「皇帝と共に地獄に行け」とも言っていた。皇帝も破門されていると考えるのが当然だ。
「ラキウス様にこんなことまでお願いするのは誠に心苦しいのですが、どうか、父と母を助けていただけないでしょうか?」
そう言うことか。確かに、皇帝を帝国の権力中枢に戻さないと、今後の帝国との交渉に支障があるから、皇帝の救出と復権は最優先事項の一つだ。実はすでに軍内部で作戦検討を始めてはいる。問題は、破門された皇帝がどこにいるかわからないと言うことだ。野垂れ死ぬことを望まれて、どこへともなく追放されたのだとすると、場所を特定するのは困難を極める。国交も無い、外交団もいない国では情報収集もままならない。なかなか難易度の高い要請だった。
一方、俺が考え込んでいるのを、依頼の受諾を渋っていると受け取ったのか、ルクセリアは必死で懇願して来た。
「お願いします。お願いします。必ずお礼は致しますから?」
「お礼?」
いや、お礼など無くても、王国として皇帝救出は必要だからやるんだけど、つい聞いてしまった。
「はい、今は破門された身で大したお礼はできませんが……あの……その……私の身体を好きにしていただいて結構ですから!」
「は?」
思いきり間抜けな声が出てしまった。一方、彼女はそれ程明るいわけでは無い魔石灯の光でもわかるくらい真っ赤になっていた。
ああ、そう言うことかと納得する。最初から彼女は自分の身体を差し出すことを考え、セリアのいる俺の屋敷に来るのではなく、自分の部屋に来てくれと伝え、夜着にガウンと言う、いつでも脱ぐことのできる格好で待ち構えていたのだ。思い切りため息が出てしまう。
「ルクセリア、勘違いしないでくれ。皇帝救出は今後の帝国との交渉のために必要だから、君の依頼が無くてもやるつもりだったんだ。だから、君がそんな思い詰めなくてもいいんだよ」
「……本当に?」
「ああ、本当だ。だいたい、君を抱いてしまったら、君の父上との約束を果たせない。君を辱めたりしないと誓ったのだから」
「違います! 私が……私が抱いて欲しいんです。好きなんです、ラキウス様!」
え? ええーーーーっ!!
ちょっと待って、そんなの全く想定外だよ。無理矢理拉致して来た皇女様に惚れられちゃうとか、そんなの有り?
ルクセリアは身を乗り出してきて、今にも俺をソファに押し倒そうかという勢いだ。いけない、ここで流されてしまう訳にはいかない。
「ダメだよ、ルクセリア。君の気持は嬉しいけど、前にも言ったように、俺が好きなのはセリアだけだ。それに君はすぐに皇女に戻るんだ。その時のために、こういうことは慎重にしてくれ。一時の気の迷いに流されちゃダメだ」
「気の迷いじゃ無いのに……」
のしかかってこようとするルクセリアを押しとどめ、諭すように伝えるも、不満そうだ。うーん、どう言えばわかってくれるのだろう。
「ルクセリア、君は知らない国にいきなり拉致されて、しかも母国からは破門されたり、酷いことばかりに見舞われて混乱しているんだ。だから君を庇護下に置いている俺が唯一の拠り所になってしまって、勘違いしているだけなんだよ。そのまま突っ走ってしまったら、いつか必ず後悔する時が来る。だから、冷静になって、きちんと考えて欲しい」
「……わかったわよ」
不承不承ながらも身を引いた彼女にホッとする。取りあえずはわかってくれたようだ。一瞬、口調がまた元に戻ってしまったような気もするが、拒絶するような感じは無いし、良しとしよう。
さて、落ち着いたところで、皇帝救出の話の続きをしなければならない。
「君の父上救出の件なんだけど、作戦検討は始めてるんだけど、どこにいるかわからないのがネックなんだ。追放されているとしたら行先とか見当がつく?」
何かヒントが無いかと聞いた問いだったが、明確な答えが返ってきた。
「恐らく皇宮内に幽閉されていると思います。破門されたとはいえ、元皇帝ですから。野に放ったら反乱の火種になりかねません。恐らく接触禁止の禁を犯しても、目の届くところに監禁しているはずです」
「そうか、それは盲点だった。ちなみに幽閉されている場所に心当たりは?」
「貴人幽閉用の塔がありますが、そっちは多分無いでしょうね。破門された罪人ですから。恐らく地下牢では無いかと」
「地下か。ありがとう、ルクセリア。これで君のお父上を救うことが出来るよ!」
俺はルクセリアの手を取ってブンブン振ると、呆気に取られている彼女を残して部屋を飛び出したのだった。
========
<後書き>
次回は第6章第26話「皇帝救出」。お楽しみに。
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