第26話 弔鐘という名の銅鑼の音
俺の正式お披露目が行われてから半年と少し経過した。水面下では俺とラウルの陣営が鍔迫り合いをしていたが、今はまだ表面化してはいない。形式的には、俺やラウルよりも王位継承権が上のヨハンの存在が、重しになっていたとも言えよう。
ヨハンは、現在14歳。ドミティウスと側室であるアリシアの子で、亡きアルシスの実弟である。アルシスとテシウス亡き今、王太子候補筆頭のはず。
だが、彼は生まれつき病弱で、幼い頃は、医師から10歳まで生きられないだろうと言われていたと聞く。それをここまで延命させてきたのは、医師たちの懸命の治療と、エヴァの魔法である。
だが、医療の発達していない時代のこと、治療と言っても対症療法がせいぜい。そして頼みの綱であるエヴァの光属性魔法も効果は限定的であった。
彼女の魔法は規格外で、あらゆる外傷を癒し、死の直後なら、死者すら蘇らせることができる。だが、そんな彼女の魔法も病気を治すことはできない。彼女にできることは、体力を回復させ、強化された自然治癒力に頼ることだけだった。
しかし、それでも魔法を使わないよりは遥かにまし。10歳にも満たない年齢で聖女認定を受けたエヴァは以降、定期的に王宮を訪れ、ヨハンに魔法をかけ続け、懸命に彼の延命を図っていたのである。
そして今、俺はヨハンを病床に見舞っていた。俺だけでは無い。ドミティウスを筆頭に、アリシア、テオドラ、ラウルと、国王の家族が勢揃いしていた。
もちろんヨハンは側室であるアリシアの子。正妃であるアウロラは同席していない。もう一人の側室であるマルガレーテも不在だ。だが、そうしてヨハンの家族がそろう中、国王の甥とは言え、直接の家族では無い俺が呼ばれたことには違和感しかない。
しかし、今はそんな違和感は心の奥にとどめておこう。目の前では、病床脇で医師とエヴァが真剣に話し合っていた。そして一つの結論に達したのか、医師がドミティウスに深々と頭を下げる。その横では、エヴァが唇を真一文字に引き結んでいた。
「陛下、これ以上の延命は無意味です。いたずらに殿下の苦痛を長引かせるだけでしかありません」
「……そうか」
短く、端的に答えられた一言、その言葉にどれほどの思いが込められているのか、俺には想像もつかない。仮にも国王。息子とは言え、人一人の死に動揺するなど許されないのかもしれない。
国王の家族はどうかと見渡してみると、ラウルはまだ人の死というものを実感できないなりに、ただならぬ周囲の人々の様子に不安を感じているのであろう。病床の兄と、父の間にせわし気に視線を彷徨わせていた。
一方、テオドラはと言うと、こちらは全くの無表情である。彼女は10数人の記憶を有している。その記憶の中で、数限りない人の死に直面しているのだ。いや、何人もの人を殺めた盗賊の記憶すら有していると言っていた。今さら腹違いの弟一人が死に瀕していることで動揺する感情など有していないのだろう。
そもそも、実の兄を間接的にとは言え手に掛けた彼女だ。弟の死も、邪魔者が一人減った、くらいに思っているのかもしれない。───いや、流石にそれは彼女のことを悪く言いすぎか。彼女の端正な横顔を眺めるが、その表情からは何も読み取ることが出来なかった。
そうやってテオドラの表情を伺っていたが、そこに悲痛な声が響いた。
「先生、何とかならないのでしょうか⁉」
絞り出すような懇願の声の主はアリシア。彼女は必死だった。それはそうだろう。母親としては、我が子が死んで行くのを黙って見ていることなどできるまい。
まして、アリシアは既に長男であるアルシスを失っている。ここでヨハンまで失うことは耐えがたいはず。彼女の子としては、アナスタシアが残っているが、既に他家に嫁いだ人間だ。傍から見てもアリシアの憔悴は見て取れた。だが、医師は首を横に振る。
「もう、手の施しようがありません。ここまで生きていらっしゃったのが、むしろ奇跡なのです」
医師の言葉に愕然とするアリシアは今度はエヴァの手を取った。
「大聖女様、大聖女様のお力でどうか、どうか! この子をお救い下さい!」
だが、エヴァも下を向いたまま。何かに耐えるように俯く彼女の唇が微かに動いて震える声を紡ぐ。
「……ごめんなさい、……ごめんなさい。私に……力が……足りなくて……」
彼女は当代随一の光属性魔法の使い手。彼女に治すことが出来ないものは、誰にも治すことが出来ない。そもそも、病を治すことが出来ないのは、彼女の力が足りないからでは無い。魔法で病気を治すことは不可能なのだ。
だが、アリシアは一縷の望みにしがみつく。
「でも、でも、エヴァ様は死者をも蘇らせることが可能なんですよね? ヨハンが死んでも、生き返らせることが出来るんですよね?」
「……殿下を生き返らせることはできても、病気を治せない以上、またお亡くなりになってしまいます。……そんなの、殿下にとっては……地獄です……」
母の望みを打ち砕く言葉、それを伝えなければならないエヴァの顔は苦しみに歪んでいた。一方、それを聞いたアリシアはずるずると床に崩れ落ちてしまう。
「ああああああああああっ! そんな! そんな! あんまりですっ!」
「……母……様……エヴァ……様を…………苦し……め……ない……で」
病床からかけられた言葉に皆が一斉にそちらを見た。ヨハンはその枯れ木のような腕を精一杯、母とエヴァに向けて伸ばしていた。
「もう……いい……のです」
「ヨハンっ!」
アリシアが縋りつくように、その腕を握りしめる。その母に不器用に笑顔を向けると、ヨハンはその落ちくぼんだ眼をエヴァに向けた。
「エヴァ……様……ありが……とう……ござい……ゲホッ、ゲホッ」
「殿下!」
「ヨハン!」
咳込むヨハンに慌てて医師が薬を飲ませる。その甲斐あって咳はおさまったが、疲れもあったか、彼は気絶するように眠ってしまった。その様子を見て、医師が皆に向き直る。
「もって後数日でございます。どうぞ、最後のお別れを。悔いの残らないように」
その後、家族だけで看取りたいというドミティウスの意向を受け、俺はエヴァと共に部屋を後にしたのだった。
ヨハンの部屋を出た俺は執務室に向かっていた。エヴァは俺の数歩後ろをトボトボとついてきている。ヨハンと初対面の俺と違い、彼女は聖女になって10年を超える年月、ヨハンに魔法をかけ続けてきたのだ。その心痛は俺には計り知れない。
「どうして、どうしてこうなのよっ⁉」
「エヴァ?」
苛立ったような彼女の声に驚いて振り返るとギリギリと唇をかみしめていた。
「何でこの世界じゃ回復魔法が大した力を持たないのよ! 漫画じゃヒールは万能だったじゃない⁉ なんでも治せて、なんでもできて! どうしてこの世界はそうじゃ無いのっ!」
いや、それはその漫画だけの設定だろうという、正論による反論など何の意味も無い。そんなこと、彼女にだってわかり切っているのだ。わかっていて、なお、当たり散らさずにはいられない。俺にはいつも毒舌だけど、本当は誰よりも優しい奴。彼女はしばらく悪態をついていたが、ポツリと呟いた。
「無力だわ……」
下を向く彼女を見ていられない。気づいたら彼女の肩を掴んでいた。驚いたように見上げる彼女に言い聞かせるように語気を強める。
「お前は無力なんかじゃ無い! 俺はお前に命を助けられた。セリアだってお前に感謝している。ここにお前に助けられて、お前に心の底から感謝している人間が二人もいるんだ! お前が自分を無力だといくら言っても、俺がいくらでも否定してやる! お前は無力なんかじゃない、決して!」
「……聞こえてるわよ、そんな大声で言わなくても」
少し恥ずかしそうに目を逸らす彼女に、こちらも羞恥が湧き上がって来る。彼女を力づけようと、柄にも無く、臭いセリフを吐いてしまった。
「と、とにかく、俺はお前に感謝しているから」
彼女から目を逸らすように、執務室へと続く方へ向き直ると、背中にドンッと柔らかいものがぶつかってきた。
「エヴァ?」
「こっち向いたら殺す」
震える声で紡がれる悪態に苦笑とも安堵ともつかぬ笑みを漏らす。そうだ、彼女はそうで無くては。そのためなら、俺の背中などいくらでも貸そう。
「ああ、俺は何も見てないし、聞いてないよ」
俺の背で漏らす彼女の嗚咽は、二人の他には誰もいない廊下に溶けて消えて行った。
二日後、ヨハンの逝去が発表された。さらにその一週間後に行われた葬儀で、ドミティウスの家族の列に続いて並びながら、周りからの視線を感じずにはいられない。
王位継承権第一位とは言え、これまでずっと病床で過ごし、表に出たことの無かった
ヨハンに手向けられた弔鐘、それは、戦いの始まりを告げる銅鑼の音にしか聞こえなかった。
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