第24話 子供は正直ですからね

 翌日、レオニードとリドヴァルの貿易協定調印式は滞りなく進んだ。二つの街の商船ギルドの長が二通の協定書正文にサインをし、さらに立会人である俺とレティシアが署名する。そうしてお互いの正文を交換してギルド長同士が握手。これで調印式は完了だ。


 今後、レオニードに立ち寄るリドヴァル船籍の船の荷物にかかる関税は免除される。逆にリドヴァルではレオニード船籍の船荷への関税免除がなされることになる。細かい原産地証明など望むべくもない時代。あくまで船籍により課税の有無が判断される。


 逆に言うと、レオニードやリドヴァルの船に乗せれば、周辺都市の荷物でも恩恵を受けられるのだ。レオニードとリドヴァルにとっては、周辺都市からの荷を一手に引き受けることが出来、交易ハブとしてメリットは大きいのである。


 立会人として出席したレティシアの髪に、あの髪飾りは無かった。今も軍服を着ているし、似合わないと言われたのもあるだろう。さらには、それを俺に贈ったリドヴァルの随行団の前で身につける訳にもいかないという事情があるに違いない。


 その彼女は調印式の前にカテリナと少し話をしていた。調印式が終わった今は、すっかり意気投合したかのように二人笑顔で話をしている。昨日、言い争いをしていたとは思えない光景。いったい何があったのだろう。


 カテリナに聞いても、レティシアに聞いても「秘密です」とはぐらかされてしまった。時々、こちらを見ながら「朴念仁」とか、「頑固」とか、罵詈雑言が飛んでる気がするが、彼女たちにそのように言わせるなど、酷い奴がいたものである。


 そんな風に歓談する二人を眺めていたら、横にラドクリフが立った。


「昨夜はどうなる事かと思いましたが、和解できたようで何よりですね」

「そうだな」

「それにしてもうちのお姫様が随分とご機嫌なようで。昨日、あれから何があったんですか?」

「何って、彼女の悩みを聞いてたくらいで特段こちらからは何も」


 話の具体的内容に触れる訳にはいかないので、適当に濁して答えるが、嘘はついてない。ラドクリフだって本当のことを話してもらえるとは期待していないだろう。


「そうですか。お悩み相談の回答をたいそう気に入られたんでしょうなあ。昨日までとは別人のようだ」

「レティシア様って普段そんなに人当たりきついの?」

「いえいえ、レティシア様はあまり表には出てこられませんので、普段のお姿は我々平民には知り様が無いことですよ。ただアレクシアまでの道中、ご一緒させていただいている間は、かなりピリピリしていらっしゃいましたからねえ」


 それはあれか。がんじがらめの生活から抜け出したいとすがった藁にまで袖にされて、しかもその藁に会いに行くということで機嫌が悪かったということか。昨日の話を聞いていると、少し彼女に同情してしまう。だが、そんな思いは次の言葉で吹き飛んだ。


「それよりどうです? 髪飾り足りなくなったでしょう? 何ならまだ予備がありますので、後でお届けしますよ」

「お前、どうしてそれを……?」


 見られていた? いや、そんなはずは無い。あそこは完全に人払いがしてあった。遮音障壁も張っていたのだ。盗み聞きも無いはず。いったいどうしてレティシアに髪飾りを渡したことを知ったのか? だが、彼はニヤリと笑う。


「やはりそうでしたか。いやあ、カマかけただけなんですけどね。そうですか、そうですか。それはレティシア様も上機嫌になるでしょうなあ」

「は?」


 カマかけ? え、まさか俺引っかかって自分から白状したってこと? ───何だよ、それ。


「……お前もたいがい性格悪いな」

「ははは、商人としては褒め言葉と受け取っておくことにしますよ。それより、申しあげたとおり、後でもう1本、予備の髪飾りをお届けしますので、お納めください」

「……」


 ダメだ、何を言っても、手のひらで踊らされてる感じがしてしまう。まあいい。母さん用の髪飾りが無くなっていたから、もう1本は有り難くいただいておくようにしよう。こうして調印式は何やら釈然としない思いを残しつつも、無事終了したのだった。






 その日の午後は街の視察。あまり物々しくならないよう、案内役は俺とカテリナの二人のみ。オルタリア側はレティシアとその護衛騎士数人に加え、ラドクリフを始めとする商船ギルド、商業ギルドのメンバー数人である。正直、これでも多すぎるくらいだ。


 数人の護衛騎士など、俺が本気でレティシアを害しようと思ったら、何の役にも立たないんだから遠慮してもらいたいところだが、王族を単身で行かせるわけにはいかない、オルタリア側の事情を酌んだ次第である。


 広場が近づくと馬車を降り、徒歩での視察に移る。この広場に来るのも約一か月ぶりだが、以前よりも確実に活気が増している。露店の数も増え、人出も増えていた。レティシアは物珍しそうに眺めている。


「思ったよりも賑やかですね。失礼ながら、王都からはだいぶ離れた地なので、もう少し寂しい街かと思っていたのですが」

「ここは、昔から交易で賑わっていましたよ。私が来てからしたことと言えば、税制を少し変えたくらいですかね」

「税制?」

「ええ、街門での物品税を無くして低率の売上税に替えたんです。街門での物品税は内国関税として都市間流通を妨げますからね」

「なるほど。しかし税額の把握や徴収は難しいのではないですか? 脱税が横行したりするように思いますが」

「商業ギルドに徴税権を委託しています。民間の自治に委ねることでコスト効率性を上げているんですよ。おかげで流通量も増えてますし、税収も上がっています」


 この辺りの改革は、アイディアは俺が出したが、実行に移したのはカテリナの尽力が大きい。彼女には本当に感謝しか無い。


 そうやってしばらくレティシアを案内しながら街を見ていたが、次第に周りの皆に俺たちの存在が知られ始めた。まあ、軍装の麗人レティシアが目立つ上に、護衛騎士がたむろしていれば人目を引くのは仕方が無い。周り中の店主たちから声がかけられ始めた。


「領主様、お久しぶりですね!」

「ああ、親父さん、久しぶり」

「ちょっとお前さん、領主様じゃ無くて、王子様だよ。失礼したらいけないよ」

「ああ、いけねえ、いけねえ。王子様、失礼しました」

「構わないよ。王子になったけど、ここの領主でもあるんだ。好きに呼んでくれ」


 串焼き屋の親父は今は奥さんと一緒に商売しているようだった。売り上げが上がって人手がいるようになっているということなら何よりである。そうしたやり取りをいくつかの店でやっていたら、今度は服の裾を引っ張られた。振り向くと子供たち数人がたむろしている。


「領主様、セーシェリア様いないの?」

「その女の人誰?」

「領主様、浮気?」

「違っ! てか、どこで覚えたっ、そんな言葉!」


 子供の無邪気極まりない質問を慌てて否定するも、遅かった。


「領主様、いけないんだー」

「セーシェリア様に言いつけてやる」

「セーシェリア様の方が美人なのに!」


 おい、最後! なに反応に困ること言ってるんだよ! そりゃセリアの方が美人ってのは俺個人としては同意するけど、そんなの好みによるところが大きいし、だいたい、本人の前で言ったら血の雨が降るだろ!


 恐る恐るレティシアの方を見ると、ズーンと肩を落としていた。やばいやばい。


「レ、レティシア様、こ、子供の言うことですから」

「そうですね。ハハハ……子供は正直ですからね」


 フォローしようと思ったのに、さらに傷を抉ってしまったらしい。光を失い、死んだような目で乾いた笑いを上げるレティシアを前に焦ってしまう。


「い、いや、レティシア様もとてもお綺麗ですから!」


 実際、それは嘘では無い。彼女を見れば、10人が10人とも美人と評するだろう。単に比較相手が悪すぎるだけで。しかし、それを聞いた彼女は恨めしそうにこちらを見た。


「じゃあ、ラキウス様はどう思われるのですか?」

「ど、どうとは?」

「私とセーシェリア様、どっちが綺麗ですか?」


 えええええっ!! それを俺に聞く? そんなの決まり切ってるじゃ無いか。

 俺は頭を下げた。王族が頭を下げるのは云々の話では無い。これから失礼なことを言おうというのだ。人として頭を下げるのは当然だろう。


「申し訳ありません。私にとって妻以上の美女などこの世に存在しないので」

「異国の姫に少しは忖度しようという気は無いのですか?」

「すみません。でも心にも無いことを言って、その場を取り繕うのは、かえって失礼でしょう?」


 彼女は何度も首を横に振ると大きなため息を吐いた。しかし、上げた顔の表情はどこか吹っ切れたようなもの。


「あなたは本当にブレませんね」

「だから言ったじゃ無いですか。ラキウス様はこと、こういうことに関しては本当に頑固だって」


 横から口をはさんできたのはカテリナ。そうか、あの「頑固」と言うのは、こういう意味だったか。そのカテリナに「本当に」と同意を伝えつつ、彼女はこちらを向くと笑顔を見せた。


「でも、心にも無いことを言って、取り繕うことはしないというのであれば、先ほど私を綺麗だと言ってくださったのは本心からなのですよね?」

「あ、え……と、それはそう……ですね」


 果たして肯定するべきだったのか、否定するべきだったのか、正解は分からない。だが、確かに彼女を綺麗と評したのは嘘では無かった。考え込む俺をレティシアは、微かな笑顔でじっと見つめているのだった。






 それから数日後、ドミティウスに挨拶をすませたレティシアはオルタリアへの帰国の途についた。「また、近いうちにお会いしましょう」、俺にそう言い残して。


 彼女との出会いが、今後の俺の人生にどう影響するのか、今はまだわからない。ただ、がんじがらめだった彼女の人生が少しでも明るいものになればいい。そう思うだけである。


 さて、もらった髪飾りだが、皆に配った後に残された1本は、母さんに上げようと思っていたのに、突然部屋にやってきたアデリアに強奪されていった。「いや、君のじゃ無いから」という言葉が喉まで出かかったが、嬉しそうな彼女を見ていると、どうしても言えなかった。


 ───本当に何やってるんだろうな、俺。

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