第23話 素顔のお転婆姫
カテリナと共に、レティシアの元に戻ったが、事前の心配は、全てが杞憂に終わった。何故なら、レティシアの方から謝って来たから。
戻ってきたカテリナを見ると、駆け寄って来て、その手を取り、頭を下げたのだ。申し訳なかった、許してほしいと言いながら。
仮にも王族が他国の貴族に頭を下げる、その意味がわかっているだろうに、敢えてそうしてきたことの意味を取り違えてはなるまい。
俺はレティシアに大きな借りを作ってしまったと言うことなのだろう。まさか、こうなることを見越して、最初から意図してカテリナを挑発していたとは思いたく無いが。
パーティーは何となくお開きになり、今、俺は控室でレティシアと二人、対峙している。心を落ち着けるため、カテリナには自室に戻ってもらった。人払いもしており、完全に二人きりである。
未婚のレティシアが俺と密室に二人きりというのはまずいのでは無いかと思ったのだが、むしろ彼女の側から二人きりで話をしたいと言ってきたのだ。
そうした経緯もあり、最初に口火を切ったのは彼女の方。騒ぎの簡単な謝罪の後、ズバリ斬りこんできた。
「あなたは私に言いたいことがあるのでは? 私の言葉は伝わっているのですよね?」
「カテリナを弄んで利用しているということですか? まあ愉快な話ではありませんが、髪飾りの顛末をご覧になっていれば、そういう誤解を招くのも仕方ないかなと思いましたからね」
「怒ってはいないと?」
「自分への評価としては別に。ただ、カテリナへの評価としては不愉快ですね。私が批判されるのは構いませんが、彼女を貶めることは許せない」
そう、俺が彼女を弄んで利用している、という評価は、裏を返せば、カテリナは弄ばれて利用されているだけの、その程度の人間と評されていることに他ならない。
俺自身が最低だという評価を甘受するにしても、彼女を蔑むことは許されることでは無かった。
「ソフィアの時にも言いましたけど、私は男性だから、女性だから、そういう基準で部下を選んだりしない。カテリナを補佐官にしているのは、私が何より彼女のことを尊敬しているからです」
「……尊敬ですか?」
「そうです。私がかつて平民だったことは聞いておられるでしょう? 彼女はその時から分け隔てなく接してくれて、励ましてくれて、私のことを友人として誇りに思うとまで言ってくれた。この地を任されるとなった時、むろん、前領主の娘としての人脈などは欲しいと思ったけど、何よりの決め手は彼女の高潔な人格です。それだけは汚して欲しくない、決して」
レティシアは少し考えこんでいるようだったが、顔を上げると痛いところをついて来た。
「そこまで大事に思っていても主従以上の関係では無いと? 失礼ながら、カテリナさんの方は、あなたに異性としての好意を向けているように見えました。側室にしていないのが不思議なくらいに思えますけどね」
「彼女の想いに応えることが出来ないまま縛り付ける形になっているのは悪いと思っています。でも、私が女性として愛しているのは妻だけです。心が別の女性の元にあるのに、側室にするのは、逆に彼女に対する侮辱ではないでしょうか?」
「そんなにも奥様のことを愛していらっしゃるのですか?」
「ええ、妻は、セリアは、私の全てです。彼女は目的も持たず生きてきた私に目標をくれた、生きる意味をくれた。彼女以外の女性なんて目に入らない」
それを聞いたレティシアは目を丸くしていたが、軽くため息を吐いた。
「誠実であろうとしているのかもしれませんが、面倒くさい人だったんですね、あなたは」
「自覚してます」
元より貴族社会では政略結婚が前提。もちろん、愛のある結婚もあるし、結婚後に愛を育む夫婦もいる。
だが、愛無きまま結婚し、子供が産まれた後は夫婦ともに側室や愛人を抱えても、度を越さない限りは不道徳と誹られることは無い社会では、俺のような考え方は理解しがたいだろう。
ましてや俺は王族。しかも王になろうとしているのだ。国の存続のために子孫を残さなければならない。
一人の女性が産むことのできる子供の数には限りがあるし、乳幼児死亡率が高い現状では、側室を複数囲って子供をバンバン作ることは、むしろ義務とさえ言えた。
しかし、セリアへの想いが、そんな種馬みたいな生き方を拒絶する。王位を目指すことを決めたとは言え、そもそも俺は王になりたかったのではなく、セリアの夫になりたかったのだ。
一方、レティシアは再び自分の考えに沈んでいるようだったが、頭を振ると、こちらを見た。
「私はあなたという人を誤解していたようです。いえ、誤解というよりは偏見と言うべきでしょうか。今回、この国に来たのは、単に私を振った男の顔を見てみたいと思ったからですが、それが先入観になって、あなたという人物像を歪めていたようです」
「ははは……」
振った男の顔を見てみたいで外国までやって来るとか思い切り良すぎだろう。それにしても、本当に俺を結婚相手として取り込むつもりだったのか。
「レティシア様、良ければあなたが協定の立会人になった経緯を教えていただけませんか? 当時、私は一地方領主です。竜の騎士の肩書があるにしても、王女のあなたに釣り合うとは思えません」
考え込む風を見せたレティシアであったが、少し悪戯っぽく笑うと、手を広げてことさら軍服姿を強調して見せた。
「それに答える前に、この格好についてどう思いますか?」
いきなりの質問に戸惑ってしまう。女性に服について聞かれたのだから、褒めればいいのだろうか?
「ええと、似合って……ます」
「そんなことを聞きたいのではありませんっ!」
怒られてしまった。レティシアはぶつくさ文句を言っている。何々、「誠実な人かと思ったのに、やっぱりただの女たらしだったのでしょうか」って? おおい、聞こえてるぞ。
しかし、するとあれか? お転婆姫云々の方か? さて、どう答えるのが正解か。まさか否定して欲しいわけでは無いだろうから肯定すればいいのだろうが、彼女が騎士をしている事情など知りもしない俺が表面的に肯定しても嘘にしかならない。
どう答えるかについての一瞬の逡巡の後、俺が選んだのは正直に自分の考えを述べることだった。
「王女が騎士をしていることをどう思うかって話なら、そんなの、周りの評判なんか気にする必要は無いと思いますけどね」
「……どういうことですか?」
「正直、レティシア様がどういう思いで騎士をされているのかなんて私にはわかりません。でも、自身の信念があるのなら貫けばいい。王女だから淑やかに守られていなければならないなんて誰が決めたんです? そんな決めつけくだらない。男性だから、女性だから、王族だから、貴族だから、平民だから……だから、こうあらねばならない、そんな決めつけで自分の可能性に蓋をする、そんなの勿体ないです」
「勿体ない?」
「ええ、勿体ないです。そんな決めつけで社会に埋もれている人たちがどれほどいることか。そんな人材を掘り起こして活用出来たら、よほど社会は活性化しますよ」
レティシアは少し戸惑うような表情を見せていたが、微かに笑みを浮かべた。
「面白い考えをされるのですね? それもご出自によるものですか?」
「ええ、私は平民から貴族、王族と成り上がってきましたからね。そんな固定された役割を押し付けられるのはごめんですよ」
本当は前世の価値観によるものが大きいのだが、そんなことは説明できるものでは無い。何より、平民としての役割を固定されることが嫌で、上を目指したことは嘘では無い。
レティシアは考え込むように何度か小さく頷いていたが、顔を上げてこちらを見た。
「ありがとうございます。何と言うか、凄くしっくりきました。とても素敵な考えだと思います」
そう言って笑う彼女の、飾り気のない笑顔はとても可愛らしいものだった。だが、彼女は何か思いついたように、笑顔を引っ込める。
「そうだ、私が立会人になった経緯でしたね。それには私がこんな格好をしていることから話をした方がいいでしょうね。正直、あなたがおっしゃったような立派な信念があったわけでは無いんです。むしろ子供の我儘とでも言った方がいいような、つまらない意地でした」
「意地ですか?」
「ええ、ご存じのとおり、私は第7王女。王族と言えど末席。誰からも、何も期待されず、父である王にとってすら、ただ権力基盤を固めるために有力貴族にくれてやる価値しか無い、それだけの存在でしか無かった」
淡々と話す、その口調に、彼女の諦観に満ちた過去が伺えた。
「周りの貴族たちも、誰も私を見ていなかった。私を見る目は、降嫁により王家とつながりを持つための道具、それだけだった。そんな境遇に反発して、周り中の反対を押し切って騎士になったんです。王女のくせに剣を振り回す、そんなガサツなお転婆姫であれば、誰も嫁に欲しいなどと言わないだろう、そう思ったんです」
「それなのに立会人になったのですか? 立会人とは名目で、実態は私とのお見合いと言うのは理解していらっしゃったのですよね?」
「もちろんです。私にも少し期待があったのかもしれません。私のことを知らない国に行けば、私自身を見てもらえるのでは無いかと。それに、あなたにも興味はありましたしね。平民出身でありながら領主貴族にまで成り上がった竜の騎士。王族でありながら誰からも期待されなかった私からは凄く眩しく見えたんです」
王族である彼女から眩しかったと言われるとは想像もしていなかった。セリアに釣り合う男になるように、ただそれだけのために突き進んできた。それをこのように評価されるなど、過大評価もいいところだろう。
だが、そう思わずにはいられないほど、彼女は追い詰められていたのか。
「これが立会人に立候補した経緯です。信念とも政治的意図とも無縁な、ただの我儘……。軽蔑……しましたか?」
軽蔑するか、と問うた彼女の瞳が揺れている。否定して欲しい、でも、自分でも王族にふさわしくない振舞いとわかっている、それが故の迷いか。確かに、彼女の振舞いは軽率なのかもしれない。
だが、その立場に無い者が彼女の選択をどうこう言えるのか。何より、社会的立場を得れば得るほど、採れる選択肢も減ってくるものなのだ。その少ない選択肢の中でもがいた彼女を誰が非難出来よう。
「軽蔑などしません。与えられる運命に唯々諾々と従うを良しとせず、自らの道を切り開こうとした、その思いをどうして笑うことが出来ましょうか」
レティシアは一瞬、涙をこらえるように顔を歪めると俯いた。その手が胸の前で固く握りしめられている。
「……ありがとうございます」
その一言に込められた思いの深さは俺にはわからない。ただ、彼女の抱えていた重荷を少しでも軽くすることが出来たのであれば何よりだろう。後は明日の調印式を乗り切るだけ。
「レティシア様、この件はもうこのくらいにしましょう。明日の調印式ですけど……」
「その前に、もう一つだけいいですか?」
「……何でしょう?」
強引に明日の調印式の話に持って行こうとしたのに、遮られてしまった。これ以上、何を続けようと言うのか。
「……その、髪飾り、知人に配ると言うことでしたけど、余ったりするんですか?」
「え、何でそんなこと? ええと、髪飾り全部で7本で、カテリナにはもう渡したし、後はセリアとリアーナとエヴァとソフィアとフィリーナで6本だから、1本余りますね。まあ母親にでもあげようかな」
「その1本、私に下さい」
「……えええっ、これあなたの国からもらったものですよね?」
「もうあなたが受け取ってるんですから、あなたの物でしょ」
いやいやいや、意味が分からない。レティシアからもらったものでは無いとは言え、オルタリア側からのプレゼントだぞ。1個返せってことかよ。
「いいじゃないですか。私だってそれなりに覚悟して立会人に立候補したのに放置されて、既に結婚したと聞かされて……。私がどれほど落胆したかわかりますか? 宮廷の口さがない者たちには、『平民出身の成り上がりにすら断られて』と陰で笑われてるんですよ! 少しくらい誠意を見せてくれてもいいじゃ無いですか!」
えええっ⁉ 俺が悪いの? と言うより、レティシア、最初とイメージ違いすぎだろ! あの凛々しく振る舞ってたのは演技だったのかよ?
───仕方無いなあ。
「わかりました。1本選んでください」
髪飾りを持ってきて彼女の前に並べる。しばらく真剣に眺めていた彼女が選んだのは小さな花がいくつも連なった形の髪飾りだった。
「これにします」
そう言って選んだのはいいが、髪飾りを持ったまま、彼女がジッと俺を見ている。
「どうしたんですか?」
「髪に差してはくださらないのですか? カテリナさんの時みたいに」
「えええっ、本気で言ってます?」
いや、家臣のカテリナはともかく、他国の王女の髪に髪飾りを差すとか、どう考えてもアウトだろう。カテリナの場合だって、前世でならセクハラと言われかねないところだ。でも、彼女は相変わらず髪飾りを突き付けている。
「本気です。お願いします」
「えぇ……」
マジかよ。何考えてるんだ、この王女様。仕方ないので彼女から髪飾りを受け取ると髪に差す。どうしても彼女の髪や肩に触れざるを得ないが、それは勘弁してもらうしか無い。
しかし、密室でこんなに接近して、この場を誰かに見られたら、外交問題待ったなしだよ。
そんな至近距離で、一瞬視線が交錯したが、すぐに彼女は恥ずかしそうに目を逸らす。その頬はこれ以上無い程、赤く染まっていた。そんなに恥ずかしいなら、こんなことやらせなければいいのに。
「差しましたよ」
「……どうですか?」
どうかと言うのは、今度こそ、似合ってるかと言うことだろう。そう判断して彼女を改めて眺める。
髪飾りはどちらかと言うと可愛らしい感じのデザイン。単体で見ると綺麗だし、レティシアの顔立ちとも合ってないわけでは無い。でも、トータルで見ると、軍服姿の彼女には壊滅的に似合ってない。
ううむ、困ったぞ。正直に言うべきか、それとも気を遣って適当に褒めておくか……。
「……その、似合ってないわけでは無いのですが、軍服姿だとちょっとトータルコーディネート的にどうかなあと」
「そうですか……」
「あ、えと、でもお顔立ちと髪飾りは凄く似合ってると言うか、綺麗ですから」
肩を落とすレティシアに慌てて言葉を取り繕うが、取って付けた感が否めない。それでも彼女は苦笑かも知れないが、笑みを浮かべてくれた。
「そうですか。では次はドレスを着てリベンジしてみましょう」
「楽しみにしています」
聞きようによっては失礼極まりない言い方になっている自覚はあるが、他にどう返せばいいと言うのか。まあいい。彼女の人となりが知れた、今日はそれで良しとしよう。少なくとも悪意を持って腹芸のできる人では無い、そう思うことが出来たから。
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