第3話 賽は投げられた

 応接室で向き合うのはカーライル公爵に辺境伯、こちらは俺とセリアの二人だ。セリアの立場にも関係することだからと、セリアにも同席を求めたのである。まず、口を開いたのは辺境伯だった。


「えーと、ラキウス……様?」

「義父上、閣下は私にとって大事な義父です。様付けではなく、どうぞ今まで通りでお願いします」

「それでは、ラキウス君、君は今、この王国の置かれた状況を分かっているのか?」

「わかっていますよ。王太子候補二人は既にこの世に無く、ラウル殿下がまだ幼いこの状況で、テオドラ様のお相手が次の王になるのがいいという話でしょう? ですが、テオドラ様のお相手なら他にもいるんじゃないですか?」


 この状況は以前、ソフィアから聞いている。その時は他人事として聞き流していたが、まさか自分に降りかかって来るとは。


「だが、これはテオドラ様ご自身の希望でもあるのだ」

「は?」

「テオドラ様は君となら結婚してもいいとおっしゃった。むしろ是非結婚したい、とまでな」

「はあああ?」


 何考えてるんだよ、テオドラ様! 以前、俺とセリアの仲を応援してるって言ってたじゃ無いか!


「テ、テオドラ様の意向がどうであれ、私にその希望はありませんから。それならラウル殿下はどうなんです? 今はまだ幼くても、10年もすれば立派な大人です。ドミティウス陛下もまだ40代。ラウル殿下が大人になるのを待てばいいでは無いですか」

「ラウル殿下はダメなのです」


 俺の提案に異を唱えたのはカーライル公爵だった。だが、何故ダメなのかわからない。訝し気な俺の視線に、カーライル公爵は気が進まないと言う感じで渋々と説明を始めた。


「ラウル殿下の母上、マルガレーテ様が陛下の側室に入られたのは極めて政治的な妥協の産物によるもの。マルガレーテ様のお父上、エドヴァルト伯爵は旧ナルサス派の有力貴族でしたから」

「旧ナルサス派?」


 理解が追い付かない。旧ナルサス派の貴族は、辺境伯によって排除されたのでは無かったのか。その疑問に答えるように、辺境伯が説明を引き継いだ。


「俺は旧ナルサス派の貴族の多くを排除したが、当然、全てを排除できたわけでは無い。政治的な取引をして味方に引き入れた貴族も多くいる。エドヴァルト伯爵はその筆頭だ。寝返った旧ナルサス派の貴族を取りまとめ、我々の勝利に貢献した」


 当時を思い出すように説明している辺境伯の表情は苦いものだ。


「以降、見返りに彼は度々、様々な特権を要求して来た。その多くを陛下はのらりくらりとかわしていたが、そうなると、エドヴァルト伯爵は自分の娘、マルガレーテ様を側室に入れるよう要求してきたのだ。親子ほども年の離れた彼女を側室にすることに陛下は躊躇されたが、最終的には受け入れた。その他の特権要求の取り下げと引き換えにな」


 そうした経緯があったのか。考え込む俺に、カーライル公爵が再び口を開いた。


「ラウル殿下が王太子となり、次期国王となれば、エドヴァルト伯爵の権力がさらに強化されることになります。そのようなことは我々はもちろん、陛下も望んでおられません。こちら側に寝返ったとは言え、元はナルサス陛下の圧政を諫めず、むしろ与していた貴族ですから」






 説明を聞きながら、考え込んでいた。俺は平民上がり。王になることなど想像すらしたことも無かったし、望んだことも無かった。かつてテオドラに、クリスティア王国の王にならないかと持ち掛けられた時も断った。俺の望みはただ、セリアと平穏に暮らすことだけだったから。


 だが、俺が王族の血を引いていることは早晩、周囲にも明らかになるだろう。そうなったら逃げられまい。王になることなど望んでいないと言ったところで、誰が信じるのかと言う話だ。俺を神輿に担ごうとする者、俺を排除しようとする者、双方がこちらの意図とは関係なく動き出す。ならば、受け身になるのではなく、こちらから動くべきだ。───ここが腹の括りどころか。


 考えてみれば、俺はこの世界に来て、この世界のために何かを成そうなどと考えたことは無かった。考えてきたことは極めて利己的な事ばかり。最初は楽に生活するために貴族を目指し、セリアと出会ってからはセリアに釣り合うようになりたいと頑張った。それはそれで俺にとっては意味があったことではあるが、セリアと釣り合うようになり、結婚して望みを果たした今、俺は何をなすべきなのだろうか───。


 俺は熟考の末、立ち上がった。心は決まった。今、この時、後戻りは許されない。


「義父上、カーライル公爵、決めました。俺は……」


 二人だけでなく、セリアも俺の続く言葉を待っている。三人に聞かせるように、いや、自分自身に言い聞かせるために、俺は宣言した。


「俺は王になる! だが、それはテオドラに与えてもらうようなものじゃ無い。俺は俺自身の力で王になる。そして、この世界を、歴史を前に進めて見せる!」


 そうだ。魔力を持つ貴族が圧倒的な力を持つこの世界、放っておけば何百年経っても今の社会が続くだけ。この社会を変える。クリスティア王国のような、革袋だけ変えて中身が何も変わらない、意味の無い改革では無い。社会の在り様そのものを変える。


 それこそが、この世界より数百年前を走っている世界から来た俺の役割では無いか。もちろん、王であったとしても個人ではできることは限られる。だが、歴史の大きなうねりを生み出すきっかけになれれば、それでいい。


 一方、俺の宣言を聞いてカーライル公爵と辺境伯は困惑した顔をしていた。無理も無い。彼らは俺の素性を知らないのだ。それを知っているセリアのみが俺の言っていることを理解してくれている。


「自らの力で王になど、ラキウス様は王位継承権争いを厭わないと言うのですか?」

「公爵、たとえ王太子となったとしても王位を巡って争いは起こる。権力を求めて争うのは人の性だ。だからこそ、与えられた地位ではなく、実力で、それも二度と逆らおうなどと思わない程圧倒的な実力の差を見せつけて勝つことが重要なんだ」


 俺の言葉に二人は圧倒されている。だが、辺境伯が反論を試みた。


「しかし、ラキウス君。実際に王位継承権争いとなれば、大勢の血が流れる。それでいいと思っているのか?」

「覚悟の上です。義父上もかつて私の祖父の取り巻きを実力で排除した時、血が流れることを恐れましたか? 世界を前に進めるために、例え殺戮者の汚名を着ようとも、甘んじて受ける。その覚悟はできました」


 二人は声も無く、俺を見つめていた。その前に仁王立ちする俺の手を、隣に座るセリアがそっと握った。振り向くと、少し寂しそうな、諦観のこもったような笑みを向けてくる。


「ラキウス、あなたが決めたのなら、私は止めない。でも、忘れないで。私はいつでもあなたの隣にいるから。辛くなったら、言って。必ず支えるわ」


 セリアの言葉が心に染み入ってくる。ああ、彼女と出会えて本当に幸せだ。俺は王となり、彼女を必ず王妃とする。俺の隣にいるべきはセリアだ。テオドラじゃ無い。


 俺は未だ呆けているカーライル公爵に顔を向けた。


「公爵。お願いがある。実力でとは言ったが、宮廷の作法、裏事情に通じているとは言えないことは自覚している。是非とも秘書官を出してもらいたい」

「それは私にラキウス様の派閥に入れと言うことでしょうか?」


 俺の言葉に一転して公爵の視線が鋭くなる。


「そう思っていただいて結構。アルシス殿下の派閥の長だったあなたの助力を得たい」

「状況が違います。アルシス殿下の時は、彼の後ろ盾となることを決めた時、私はまだ王国宰相では無かった。あくまで娘の婚約者の後ろ盾として派閥に入ったのです。今は違う。王国宰相として中立でなければ」

「王国宰相だからこそ、俺に賭けるべきだ」

「どういうことですかな?」

「俺は竜の騎士だ。云わば龍神信仰の象徴、大きな権威を持つ。権威を持つ者が権力を握ってこそ、国民の支持を得て、大きな改革をできる。宰相にとっても腕の振るいどころだぞ」


 その言葉にカーライル公爵はしばらく考え込んでいたが、頷いた。


「いいでしょう。ですが、秘書官を引き受けるかどうかは、彼女自身の判断となりますので、この場でのお約束は難しいかと」

「いや、それでいいよ。彼女に、ラキウスが『一緒に国を盗ろう』と言っていたと伝えてくれ」

「畏まりました」


 これでいい。もはや後戻りはできない。前世的に言うならば、「賽は投げられた」と言うことだ。渡るルビコンの先がどうなっているかは今は見通せない。だが、それでも前に進む。そう、決めたのだ。

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