第20話 君の名は

 目が覚めたら、目の前にリュステールの顔があった。


「おわっ!」


 一瞬驚いたが、昨日のことを思い出す。

 あの後、気を失った彼女を屋敷の自分の部屋に運んで寝かした後、ベッドわきの椅子で見守っていたのだが、いつの間にか寝落ちしてしまったか。そのリュステールが目を覚まし、俺の顔を覗き込んでいたのだった。


 昨日は魔力を使い果たし、今にも死にそうな感じだったが、取りあえず元気を取り戻しているようで何よりである。


「おはよう、リュステール。気分はどう?」


 挨拶された彼女は、少し困惑しているようだった。


「あなたは魔族である私を看病したのですか? しかも、魔族と同じ部屋で熟睡していたと?」

「看病って言っても、ベッドに寝かせただけだし。それに、君を信じるって言っただろう? 君は不意打ちなんかしないって信じてるから」

「……お人好しすぎますよ、本当に」


 呆れたように呟く彼女だったが、今更のように、自分が着ているパジャマに気づいたらしい。パジャマをじっと眺めた後、咎めるような視線を向けてくる。


「あ、いや、着替えさせたのは俺じゃ無いよ! リアーナ様が着替えさせたの。誓って俺は何も見てないから!」


 レイヴァーテインが津波を起こす程の魔力を使ってリアーナが気付かないはずが無い。あの後、すぐに駆けつけてきたのだ。リュステールは魔力を使い果たし、隠蔽魔法も使えなくなって、角も翼も丸見え状態になっていたから、屋敷の侍女たちに任せることもできない。ずぶ濡れの彼女のローブを脱がし、着替えさせたのはリアーナだった。


「リアーナ様?」

「そう、竜の巫女のリアーナ様」

「竜の巫女と言うことはテレシアの……?」

「うん、お孫さん」

「……そうですか。アレクとテレシアの孫なのですね……」


 彼女の呟きに、どのような思いが込められているのか、知る由も無い。しばらく遠くを見るように沈黙していた彼女だったが、顔を上げた。


「看病していただいたことには感謝します。私を信じてくれたことにも」

「お礼を言うのはこっちだよ。君のおかげで助かった」

「私が守ったのは、アレクの国、ですから」


 助けようとしたのはお前では無いから、礼には及ばないと言うことなのだろう。それにしても、自らの魔力を使い果たし、死にそうになってまでもアレクシウス陛下の建国した国を守りたいと願う彼女はやはりただの魔族とは思えない。


「やっぱり、君はアデリア様なんだよ」

「また、それですか? しつこいですね」

「だって、そんなにもアレクシウス陛下のことを思って、その国のことまでも思って」

「今の私は、リュステールと融合しています。もはや昔のアデリアではありません」

「だったら、リュステールでも無いよ。君はリュステールであると同時にアデリアなんだろう? じゃあ、アデリアって呼んでもいいじゃ無いか。……よし、決めた。俺は君をアデリアと呼ぶから。いいよね?」


 唖然とした表情を浮かべた彼女は、だが、俯くと頷いた。


「……好きに呼んで下さい」

「決まりだ。君はアデリアだ」

「あなたの名前も教えてください。いつまでも竜の騎士と呼んでるわけにはいきませんから」

「俺はラキウスだ。ラーケイオスにちなんで名づけられた恥ずかしい名前だけどな」

「……ラキウス」


 俺を見つめてくる彼女に改めてお礼を言おう。彼女が助けたのは俺では無いとしても、結果として助けられたのは事実なのだから。


「アデリア、改めてお礼を言わせてくれ。君はこの沿岸に住む何万人もの人達の命を救ってくれたんだ。君は俺たちの命の恩人だよ」


 驚いたように俺を見つめてくる彼女の目から涙がこぼれ落ちた。魔族が涙?と驚いたが、一番困惑しているのは彼女のようだった。


「え、あれ? 私、なんで?」


 手にポトリと落ちた涙に驚き、濡れる頬に触れて困惑している彼女を見て思う。ああ、やっぱり彼女は魔族なんかでは無いと。


「アデリア、やっぱり君は人間だよ。魔族がそんな涙なんか流すもんか。君はそんなにも優しい心を持ってるじゃ無いか」


 彼女はもう、涙が止まらなかった。顔を覆って泣き続ける彼女の肩を優しく抱く。その身体の震えを通して、助けを求め続けていた彼女の心が伝わって来るようだった。


 しばらくそのままでいたが、ようやく泣き止んだ彼女が顔を上げる。その瞳が揺れている。


「ありがとう、ラキウス。……私を、人間だと言ってくれて」

「お礼を言うのはこっちだよ。さっきも言っただろう、君は命の恩人だって。ありがとう」


 その言葉に彼女は今度こそ、輝くような笑顔を見せてくれたのだった。


「どういたしまして!」






 アデリアが帰って行った後、控えめにドアをノックする音が響く。


「どうぞ」


 入ってきたのはリアーナだった。彼女はアデリアを着替えさせた後、同室にいる俺に危害が加えられないか心配し、また、魔族をかくまっている部屋に不用意に近づく者がいないかを見張るために、ドアの外で寝ずの番をしてくれていたのである。俺が起きてからはパスを共有して、アデリアの様子もずっと見ていた。


「ラキウス君、本当に彼女を信用するのですか? 人間の心を持っていることは分かりましたが、魔族であることは変わりませんよ」

「分かってる。それでも俺は彼女を信じるよ」


 リアーナはため息を吐いた。説得しても無駄だと悟ったのだろう。


「分かりました。あなたがそう言うなら、私も信用するようにしましょう。何より、私の祖父を愛して下さった方ですしね。祖母から見れば恋敵だったでしょうが」

「それでもテレシア様が勝ったんでしょう?」

「そうですね。祖母も彼女にはいろいろ複雑な感情を抱いていたようです。信頼する仲間であると同時に恋敵。しかも自身が彼女を死に追いやったのでは無いかと言う負い目。昔の私には理解しづらいところもありましたが、今ならわかる気がします」


 リアーナの言葉を受け、400年前の彼らに思いを馳せる。そして現代まで続いた封印。その孤独と絶望がどれほどのものか、俺には想像すらつかない。その果てに魔族と融合してしまったかつての大聖女に、少しでも人間らしく生きて欲しいと願うしか無かった。

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