第19話 お願い、助けて

 やって来たのは、領主専用のプライベートビーチ。と言っても、この世界では海水浴の習慣が一般的では無いから、泳ぐためのビーチでは無い。せいぜい浜で水遊びしたり、ボートに乗って水上で遊ぶくらいの用途に使われるビーチである。だいたい、貴族の女性が、夫以外の異性に肌を見せるなど、破廉恥極まりないと思われてるから、肌を露出するような水着すら無い。でも、俺には野望がある。セリアと結婚したあかつきには、彼女にエロい水着を着せて海水浴するんだ。その前に水着の製作から始めないといけないけど。


 いけない、いけない。妄想に浸っている場合じゃ無かった。目の前にものすごく危険な奴がいるのに、俺もたいがいだな。そのリュステールは、海に突き出たボート用の船着き場に腰掛けて、足をブラブラさせ、水をバシャバシャさせて遊んでいる。こうして見る限りでは、美女が水遊びをしているようにしか見えない。


「なあ、リュステール、本当に何しに来たんだ?」

「あなたに会いに来た、と言ったはずですが」

「何それ、また俺と戦いに来たってこと?」

「安心してください。今日はあなたと戦うつもりはありませんから」


 こちらを見つめる彼女の口調からは、不思議と嘘は感じられなかった。肩の力を抜く。


「そっかあ、良かったよ。また君と戦うことになったらどうしようかと思った」

「あなたは随分とお人好しですね。私が嘘を吐いているとは思わないのですか?」


 彼女が呆れたような顔を向けてくるが、俺の考えは変わらない。何より、これまでの戦いで、彼女の人となりは、何となく掴めたような気がする。


「君は嘘を吐くような奴じゃ無いよ。これまでだって、真正面から戦いに来たじゃ無いか」

「それを信じて、最後に裏切られた人を私は知ってますけどね」


 目を伏せた彼女が誰を思い浮かべたのか分からない。魔族と大聖女が融合してしまった彼女は、俺には想像もつかない過酷な経験をしてきたのだろう。まして、彼女が戦っていたのは、魔族と人間が血で血を洗う戦いを繰り広げていた時代だ。その彼女の経験を軽々しく扱うことは憚られた。代わりに、彼女のことをもっと知りたい。


「なあ、リュステール。君はやっぱり本当はアデリア様なんじゃ無いのか?」

「何を言うかと思えば。私は魔族ですよ。それは間違いありません」

「でも、アデリア様の記憶があって、アレクシウス陛下のことをアレクと親し気に呼んで。それに何より、君はそんなにも優しいじゃ無いか」

「は? 優しい? 私がですか?」


 こいつは何を言っているのかと言う彼女に向かって俺は続ける。


「そうだ。最初に会った時も君は俺たちに全く攻撃してこなかった。国境で会った時も、君は俺なら、ラーケイオスの力を使える俺なら、流星召喚メテオすら吹き飛ばせることを知った上で使ったんだ。それにあんな戦闘をしたのに、俺たちの一行は無傷だった。あれは、君が被害が出ないように位置取りしてなくては起こらない。そうじゃ無いのか?」


 その指摘に、だが、彼女は目を伏せて、首を横に振る。


「あなたは本当にお人好しですね。私は魔族。契約主の言うとおりに動いているに過ぎませんよ。契約主があなたを殺せと言えば、私はあなたを殺すことにためらいはありません」

「そうなのか? ちなみに誰が契約主かってのは?」

「教えるわけが無いでしょう」


 やっぱりそうだよな。でも、誰が契約主だろうと関係あるものか。


「契約主が誰であろうと、俺は君自身を信じるよ」


 その言葉にリュステールが驚いたように目を見開いた。


「あなたは……バカなのですか? ……本当に、アレクにそっくり……」

「初代国王にそっくりって言われるなんて、光栄だよ」


 盛大にため息を吐かれたが、構うものか。俺は彼女に手を差し出した。戸惑う彼女に笑いかける。


「例え、いつか戦わないといけないのだとしても、それまでは信じあえる友人でいたい。そして戦う時には、正々堂々と戦おう」


 何度か、ためらいながら、彼女がおずおずと手を差し出そうとして、しかし、手を握ることはできなかった。頭の中に突然、巨大な声が響いたから。


『ラーケイオスの騎士よ! 魔族と手を取り合うとは何事だ!』





 突然のパスに驚く俺の前に、波を割り、レイヴァーテインがヌーっとその姿を現した。もっとも、水深の浅い沿岸には近づけないため、少し沖合にであるが。しかし、遠くにいるはずなのに、その巨体故に、目の前にいるようにしか思えない。


『魔族はこの世界の理に無い。他の世界からの異物。それに心を開くとは何事だ!』

「待って下さい! 彼女は魔族であると同時に人間です! 優しい心を持った、俺たちと同じ人間なんです!」


 リュステールにも何が起こってるか理解させるため、パスと言葉と両方を使ってレイヴァーテインに訴えかける。しかし、彼は聞く耳を持たない。


『問答無用! 少しは面白い奴かと思っていたが、失望したぞ! 統治する地ごと死ぬが良い!』

「待って下さい!」


 だが、レイヴァーテインからはもう何の返事も無い。代わりにその目が金色に光り輝いた。何だ、何かの魔法を使ったのか? その疑問は、すぐにわかることになった。水平線に押し寄せる、巨大な波と言う形を取って!


 何だ、あれは? 津波? 高さが数十メートル、幅に至っては何十キロに及ぶのか、全容を掴むこともできない、巨大な波が押し寄せようとしていた。


「嘘だろ、あんなの、どうやって防げばいいんだよ……」


 呆然とつぶやく。俺の力どころか、ラーケイオスの力を使ったとしても、あれを防ぐことなどできない。一か所吹き飛ばしたところで、残る圧倒的な水量が全てを押し流してしまうだろう。どうする? どうしたらいい? このままでは全滅だ。だが、その時。


「やめてええええ!! アレクの作った国を壊さないでえええええ!!!」


 リュステールが空中に跳んだかと思うと、その両手を広げた。その身体からオーロラのような光があふれだし、どんどん横に広がっていく。気が付いた時には、光が水平線の彼方まで覆っていた。


 そして、押し寄せた津波が、光にぶち当たり、───止まった。これが───リュステールの力だというのか。空間を操り、津波が押し寄せる空間全てを切り離してしまったと。何と言う力! 何と言う魔力! すさまじいまでの魔力の奔流が、この地を守るために使われていた。


 しかし、いくらリュステールの魔力が大きいとしても、これほどの力を振るって大丈夫なのか。やがて、津波が収まり、波が平常に戻ったころ、俺はリュステールの元に飛んだ。彼女は大丈夫だろうか?


 その彼女は肩で息をしていた。いくら巨大な魔力を持つとは言え、あれ程の魔力を使えば平気ではいられまい。大丈夫か、と彼女の顔を覗き込んだ俺はゾッとした。彼女の顔が憎しみに大きく歪んでいたから。


「……アレクの作った国を、よくも!……許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない!!」


 そして彼女が叫んだ!


「死ねええええええええええええ!!!!」


 次の瞬間、レイヴァーテインの巨大な体が一瞬にしてバラバラになった! ただの巨体では無い。強大な魔力を秘めた水龍を一瞬である。ボトボトと水面に落ちていくレイヴァーテインの残骸を呆然と眺めていたが、俺の横に立っていたリュステールも、ぐらっと姿勢を崩すと海面に落ちて行った。


 慌てて彼女を海から救い上げ、陸に引き上げる。魔力を使い果たしたらしい彼女は息も絶え絶えだった。彼女はレイヴァーテインに何をしたのか。想像でしか無いが、恐らくは空間ごと切断したのだ。ラーケイオスと同等の力を持つレイヴァーテインをいとも容易く解体してしまったこの力はやはり危険だ。ラーケイオスでも防ぐことは容易では無いだろう。将来のことを考えるならば、気を失っている今のうちに殺しておくべきだ。だけど───


「寒い、寒いよ、……お願い……アレク……助けて……」


 うわ言で助けを求め続ける彼女を前に、殺すなど、どうしてもできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る