第5話 大丈夫か、これ?

 カテリナを連れて神殿を出た後、旧サルディス邸に向かうことになった。屋敷は伯爵が囚われた後、押収されて今は空き家となっている。この屋敷も俺に下げ渡されており、修繕次第ここに移ることになるのだが、まずは現状の確認に行こうという訳である。


 カテリナの他に同行するのはフィリーナ。彼女はまだ1年ほど王立学院に通学する必要がある。俺は準備が出来たらレオニードに着任する予定だから、この屋敷に住むことは当分無い。屋敷の主は妹だ。


 と、言うことで、カテリナを連れてフィリーナと合流したのだが、視線が痛い。ゴミを見る目だ。


「お兄ちゃん、昨日セーシェリア様と婚約したばかりなのに、また違う女の人連れて! 女の敵!」

「人聞きの悪いこと言うな! そんな関係じゃ無い! カテリナはお兄ちゃんが拝領した領地を前に治めていた領主のお嬢様で、俺の補佐官をやってもらうように頼んだんだ。今から行くお屋敷も元は彼女のものなんだよ」

「ふーん」


 反論されても疑いの目を向けてくるフィリーナの前にカテリナが進み出た。


「ラキウス様はただの一度も私に不埒なことをなさったことはございません。例え妹君と言えど、ラキウス様を侮辱することは許しません!」


 うーん、ついさっき、カテリナとキスしちゃったけど、あれはカテリナからしてきたことだからノーカンと言うことなのか。まあ、あれで不埒なことしたと言われても困るけど。一方、カテリナに凄まれたフィリーナは怯えて俺に身を寄せてくる。


「お兄ちゃん、この人、なんか怖い」

「カテリナ、それ位にしてやってくれ。悪意の無い兄妹同士のじゃれ合いだから」

「かしこまりました。ラキウス様がそうおっしゃるのであれば」


 カテリナは引き下がったが、フィリーナは俺にピトッとくっついて離れなくなった。やれやれ、仲良くして欲しいんだが。





 そんな小さなトラブルはありつつも、その後は何事も無く、無事、旧サルディス邸に着いた。


「これは酷いな」


 鉄製の門扉には錆が浮き、門から見える前庭は雑草が生い茂っている。ここからでは奥の方はどうなっているか分からないが、恐らくはここと同様だろう。


 とりあえずもらってきた鍵で扉を開け、中に入る。屋敷の中はやはり酷い状態だった。崩れているところこそ無いが、そこら中蜘蛛の巣だらけ。床には埃が溜まり、ネズミなどの小動物が走り回っている。トイレからは排泄物処理用のスライムが増えすぎてあふれ出し、その後干からびてしまったのだろう。大量のスライムの死骸が床に積み重なっていた。


「ねえ、お兄ちゃん、ここに住むの?」

「そうだなあ。これ、元通りにするのにどれくらいかかるかなあ」


 フィリーナが恐々と周りを見回す横で、思わず呟く。なまじ広い屋敷なだけに、片付け、掃除だけでもだいぶ人手がいりそうだ。それも一度掃除すればいいと言うものでは無い。継続的に維持管理していくためには、十数人、下手をすれば数十人単位で人を雇う必要があるだろう。


「そうですね。以前この屋敷で働いていた者たちを呼び寄せられればいいのですが」


 俺の呟きを聞き取ったカテリナが横に立つ。確かに人を雇うにしても誰でもいい訳ではない。貴族の屋敷に勤める者たちは、自身が貴族で無くても、数代に渡って勤め上げていた者たちが多い。そうした信頼できる使用人たちを雇いたいが、サルディス家が取りつぶしになってしまい、その多くが故郷に帰ったり、他に働き口を求めたりしているだろう。そう簡単に呼び戻すことはできまい。


「まあ、この屋敷がまた使われるようになったことを聞いて戻ってくる人たちもいるだろうけど、それまでは商業ギルドとかで人を紹介してもらうしかないかな」


 その後、屋内を一通り見て回り、いったん外に出ようかと、玄関の方に向かったところで、不意に声をかけられた。


「誰ですか、貴方たち⁉」


 逆光になっているので顔が良く見えないが、女性がこちらを見ている。


「扉が開いているから何事かと思えば。ここはサルディス伯爵様のお屋敷ですよ。何を勝手に入っているのですか?」


 いや、王室からこの屋敷を下賜された正当な持ち主なんだけどな。俺に誰だと言っているお前こそ誰だよ? そう反論しようとしたが、声を出す前にカテリナが前に出た。


「クラリッサ?」


 呼びかけられた女の反応は劇的だった。


「お、お嬢様? まさか、お嬢様なのですか?」


 まろび寄ってカテリナの顔を確認した女は、彼女の足元に跪いた。涙を流しながら。


「お嬢様、よくぞ、よくぞご無事で。良かった、良かった……お嬢様!」

「クラリッサ、心配をかけましたね」


 クラリッサと呼ばれた女はもう言葉にならなかった。ただひたすら泣き続け、カテリナはそんな女を抱きしめ、優しく宥めるのだった。そんな二人を眺めながら、フィリーナが耳元で聞いてくる。


「ねえ、あのお姉ちゃん、本当は優しい人なの?」

「ああ。カテリナは誰にも分け隔てなく接することのできる高潔で優しい人だ。お兄ちゃんがすごく尊敬する友達だよ」

「そうなの? 私も仲良くできるかなあ?」

「もちろんだよ」


 さっきのは俺への忠誠心が暴走しただけ。カテリナならフィリーナとも仲良くしてくれる。一方、クラリッサは期待に満ちた目でカテリナに問いかけている。


「お嬢様、お嬢様がお戻りになったと言うことは、サルディス家が再興されるということですよね?」

「そうでは無いの。お父様の領地はここにいらっしゃるジェレマイア伯爵が治められることになったの。この屋敷もジェレマイア家に渡るのよ」

「そ、それではサルディス伯爵家は?」

「取りつぶしは覆らないわ。私はジェレマイア伯爵の尽力で命を助けられて、今は女男爵として、彼の陪臣になっているの」


 クラリッサの顔に納得いかないという表情がありありと浮かび上がった。


「ジェレマイア伯爵、お嬢様はどうなるのでしょうか? 伯爵の奥様にしていただけるのですか?」

「いや、俺の妻は別の女性だ」

「それでは側室にされるおつもりなのですか?」

「そんなことはしないよ。カテリナを側室にするとか、そんな扱いは決してしない」


 成り上がり貴族の俺が元伯爵家の娘を、ましてや尊敬する友人を側室に堕とすなど考えられない。だいたい俺はセリアを愛している。彼女以外の女性をそう言う意味で近づけるつもりは無かった。だが、クラリッサはますます困惑したような表情を浮かべている。


「妻にも、側室にもして下さらない。それではお嬢様をどうされるおつもりなのですか?」


 あれ? むしろ側室にしてやってくれって言われてたの? いや、確かに権力者の側室になるって、貴族社会じゃ普通のことかもしれないけど、そんな価値観には馴染めないよ。


「カテリナには俺の補佐官を務めてもらう。以前のような領主一族としての待遇はできないが、陪臣筆頭として扱うつもりだ。安心してくれ。彼女をないがしろにするつもりは無い」


 それを聞いても、まだ不安そうな目を向けてくるクラリッサに、カテリナが優しく諭していた。


「ジェレマイア伯爵……ラキウス様は宰相閣下に直談判までして私の命を助けてくださいました。今回、私が貴族に復帰できたのも、彼の尽力によるものです。大恩あるラキウス様を支えることは私が望んだことでもあるのですよ」


 元の主にそこまで言われては、納得するしか無いのだろう。ただ最後に確認したいことがあるようだった。


「……わかりました。それでもお嬢様は補佐官として、この屋敷に住まわれるのですよね?」

「ええ、そうなるでしょうね。もっともラキウス様と一緒に、すぐにレオニードに向かうことになりますが、王都に来た時に滞在の拠点となることは変わりません」

「畏まりました。そうしましたら、3週間ほどお時間をください。辞めていった者たちを呼び戻し、元のように、いえ、さらに快適にいたします。家具の入れ替えなどにどうしても時間がかかりますので、そのくらいの時間がかかってしまうのはご容赦いただければ」


 そう言うと俺に向かい、丁重に挨拶した。上級貴族に長年使えてきた優雅さで。


「ジェレマイア伯爵、ご無礼、大変失礼いたしました。サルディス伯爵家の王都別邸で侍女頭を務めておりましたクラリッサ・フィルツ・ドーファンと申します。伯爵を新たな主とし、仕えさせていただければ幸いでございます」

「クラリッサ、こちらこそよろしく頼む」


 懸案だった屋敷の立て直しについても、力強い味方を見つけることが出来た。それで安心して、そろそろ屋敷を出ようかと思ったのだが、そこでカテリナが思いついたようにクラリッサに声をかけた。


「クラリッサ、先ほど伝えたように、私はラキウス様の補佐官になりました。何かあったらすぐにラキウス様の元に駆けつけなければなりません。だから、私の寝室はラキウス様の寝室といっ……隣にしてください。壁にはお互い行き来できる扉を付けて……」

「却下だ!」


 思わずカテリナの頭を軽く叩いてしまった。今、何かすごい不穏なことを口走ろうとしなかったか? 寝室を一緒にとか。


 ウルウルと抗議の涙目を向けてくるカテリナを見ながらため息を漏らす。───大丈夫か、これ? ただの忠誠心の暴走───だよな?

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