第4章 白銀の花嫁編

プロローグ

 陽光の降り注ぐ庭を小さな少女が駆けている。

 年のころは3歳か4歳くらいだろうか。広大とは言い難いが、それでも十分に広く、瀟洒に整えられた庭の中。少女は元気いっぱい走り回り、片隅に座る男女に朗らかに声をかけると、二人の元に駆けこんだ。


「パパ! ママ!」


 父親と思しき男が、愛おしそうに少女を抱きとめる。母親らしき女の方は、笑顔を浮かべながらもお小言を忘れない。


「もう、お父様とお呼びしなくちゃダメでしょ」

「いいんだよ。マリアはパパが好きかい?」

「うん、大好き!」


 屈託のない笑顔に相好を崩した男が少女を抱き上げると頬ずりする。それに少女はキャッキャッと喜ぶのだった。


 しばらく男は少女と遊んでいたが、それに飽きた少女が別の一人遊びを始めると、女の方を向いた。


「なかなか来ることが出来なくてすまない」

「何をおっしゃるのですか。公務がお忙しい中、こうして足を向けて下さるだけでも望外の至りです。私のような卑しい女が、愛を注いでいただけること自体、奇跡なのですから」


 男の謝罪に、女は首を横に振る。だが、その答えに男は同意できないようだった。


「そんなことは無い。そなたは美しい。何より、お前の心が私は好きだ。宮廷に蠢く権謀術数に塗れた女たちとは違う、そなたの優しい心が」

「……ありがとうございます。私も……のことが」


 女は胸いっぱいになり、言葉が出てこないようだった。そんな女を男は抱き寄せる。


「愛してる。誰よりもお前を」

「私もです」


 二人はしばらく抱き合っていたが、男がふと思いついたように手元のカバンから箱を取り出した。


「私の気持ちだ。これを受け取って欲しい」


 そう言われて箱の蓋を開けた女の顔が驚愕に染まる。


「こんな、こんな高価なもの、いただくわけにはまいりません」

「言っただろう、私の気持ちだと。私がお前に持っていて欲しいんだ」


 そう言うと、男は箱の中からネックレスを取り出した。青い大きな貴石が眩しいネックレスを。それを女の首にかけると、男は満足そうに頷くのだった。


「とても似合っている。綺麗だよ、フィリーナ」






「うう、何だろうね、今の夢。昔の事かねえ」


 マリアは自宅のベッドに身を起こす。もはや自分でも忘れていた記憶、それを夢に見たと言うのか。どうも、子供たちに母親の遺品を見せたことがきっかけで頭のどこかが刺激されたのかもしれない。


 だが、そんな昔のことを懐かしんでいても始まらない。朝の仕込みをしなくては。頭を振って起き上がると、てきぱきと着替え、1階に行く。


「あ、女将さん、おはようございます!」

「おはようございます」


 声をかけてきたのは、最近、息子の紹介で雇った元冒険者の女たちだ。最初は使い物になるのかと不安だったが、意外とよく働く。給料は雀の涙ほどの上に、原資は息子からの仕送りだが、意外と掘り出し物だったかもしれない。


 夫はと言うと、既に厨房で仕込みを始めていた。全く、若い女が二人入ったことで、格好つけようということか、夫が以前にも増して真面目に働くようになったのは、いいことなのか、悪いことなのか。


「ま、考えても仕方のないことさね」


 マリアは気持ちを切り替える。今日も忙しい日になるだろう。しっかり仕事をしなければ。レオニードの領主になったらしい息子からは、店をたたんで一緒に行かないかと誘われたが、断った。この街には思い出がある、友人、知人がいる。何不自由ない暮らしを約束されていようとも、この街を離れたくは無かった。ならば一生懸命働くだけだ。


 そう言えば、その息子からは2週間後に婚約式をやるから出席して欲しいとも言われている。相手は何と以前この店にやって来たお嬢さんだと言う。上級貴族の娘とも知らず、お尻を叩いてしまったが、根に持たれてはいないようで何よりである。フィリーナとうまくやっていけるのかだけが少し心配だが。


「それにしてもあの子が婚約ねえ。時が経つのは早いものだわ」


 しみじみと呟くと、マリアは再び仕事に集中するのだった。

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