第33話 私は……化け物です
王宮の一画、テオドラは自室でうっとりとした表情を浮かべ、側仕えのアリスティアに謁見の間での出来事を話していた。
「それでラキウス様は、お父上にお願いしたんですよ。『セーシェリア様との結婚を許可いただきたい』って。ああ、素敵ですわ。ラキウス様はそんなにもセーシェリアを愛しているのですね!」
「はいはい、テオドラ様。さっきから何度目ですか? その話」
アリスティアは若干、辟易したような目を向ける。最初は微笑ましく聞いていたが、そう何度も聞かされるとうんざりする。そんな側仕えにテオドラは少し不満そうだ。
「あら、アリスもそんな素敵な恋がしてみたいとは思わないのですか」
「そうですね。貴族と産まれたからには政略結婚は当たり前と思っておりますから、あまり夢は見ないようにしています」
アリスティアの考えは上級貴族の娘であれば普通の感覚である。彼女は伯爵家の出身。テオドラ付として、幼い頃からテオドラと一緒に育ってきたと言う点では、セーシェリアとヘンリエッタの関係に近いかもしれない。だが、彼女は上級貴族の娘として、単なる侍女としてではなく、側仕えとしてテオドラの政務の前捌きなども行っていた。
「もう、アリスは夢が無いのですね。あなたはとっても綺麗なんだから、もっと周りの殿方に目を向けてはいかがでしょう。きっと引く手あまたですよ」
「はいはい、今はそんなことより、テオドラ様の事の方が大事ですよ」
「もう真面目なんだから」
そう言いつつ、テオドラは嬉しそうだ。それだけこの年が少し上の伯爵令嬢を気に入ってるのである。名を愛称で呼ぶだけでは無い。今回のクリスティア王国への外遊の際、王都に留守番を命じるくらい、大事に思っているのだ。テオドラには何が起こるか、全てわかっていたが故に。そんな主の想いを知るべくも無いアリスティアは、自分がついていない間の主のことを思って気が気では無かったのだが。
「とにかく今はラキウス様です。あれ程の力を持って、周り中に女を侍らせていてもおかしくないのに、セーシェリアにひたすら一途で。とっても素敵ですよね」
アリスティアはまた始まったかと、若干呆れつつ、しかし、そんな無邪気な主を微笑ましく見ないではいられない。だが───。
「……でも、……そんな素敵な殿方をこちらに振り向かせることが出来たら、もっと素敵だと思いません?」
振り返ったテオドラの目には暗い光が宿っていた。アリスティアは思わずぞくりとする。だが、一瞬の慄きを心のうちに隠すと、テオドラの顔を覗き込み───デコピンした!
「痛ーっ!」
部屋にテオドラの悲鳴が響き渡る。
「酷いですう、アリス!」
「はいはい、テオドラ様、くだらないこと言ってないで下さいね」
涙目で抗議するテオドラに、アリスティアは苦笑しながら注意する。いくら親しい間柄とは言え、王女にデコピンして許されるとも思えないが、それを許しているのは、テオドラの度量の広さなのかもしれない。
「テオドラ様、アウロラ様から言われているでしょう? 王族の殿方のどなたかとご結婚して次の王妃様を目指しなさいと」
「ええー、今の王族にいい男いないんですもの」
「贅沢言わないでくださいね。次の王妃様を目指さないといけないんですから、平民上がりの伯爵風情に現を抜かしている暇はありませんよ」
アリスティアとて、主に自由に振る舞って欲しい。しかし、王族が自由に振る舞うなど許されるはずも無い。内心で、年下の主に同情しつつも、その我儘を許すわけにはいかなかった。
半刻の後、テオドラはアリスティアを下がらせ、部屋に一人でいた。
「……アリスは優秀でいい子なんですけど、真面目過ぎて常識の枠を超えられないのが玉に瑕ですね」
独り言ちる。幼い頃から一緒に育った姉のような存在で、とても大事に思っている。しかし、常人であれば仕方が無いのだろうが、テオドラとは見えるものが違うのだ。
その時、違和感があった。何かがずれたような感覚。それと共に、後ろからカツンカツンと近づいてくる足音。テオドラは振り返りもせず呼びかける。
「いたのですか。リュステール」
「私は常にあなたの隣におりますから」
足音の主はリュステールだった。黒き大聖女のローブに身を包み、ねじれた角と黒き翼を持つ異形の姿。それが何故、王宮の中にあるのか。
「ご苦労様です。あなたのおかげで事前にレムルス達の計画も知ることが出来たし、証拠も押さえることが出来ました。あなたには感謝しないといけませんね」
「いえ、契約した仕事をしているだけですので」
少しぶっきらぼうに答える魔族を眺め、テオドラは面白そうにクッと笑う。
「本当に感謝していますよ。あなたのおかげで、邪魔な兄二人も排除できましたし、クリスティア王国の帝国派貴族も一掃できました。それに軍に対する私の発言権も確保しましたし、満点ですね」
「ああ、そのために私を神殿に行かせたのですね」
「そうです。竜の騎士や竜の巫女ですら対処できないかもしれないあなたと言う存在に対抗するために、軍は王族の関与を必要としています。一介の王女でしか無い私は、これまで軍からは見向きもされていませんでしたが、今後は違います。軍の完全掌握にはまだまだ時間がかかりますが、足掛かりはできました」
そこまで言って来て、テオドラは少し表情を引き締める。
「ただ、魔法士団長、彼は警戒しないといけないですね。協力してはくれていますし、彼が竜王様を起こしたおかげで、龍神剣を狙った兄の暴発を誘えました。切り時だと思っていたアスクレイディオスも竜の騎士が始末してくれましたし、結果としては満点なのですけど。彼の意図がわからないだけに不気味です」
リュステールはと言うと、同じ魔族であるアスクレイディオスのことを捨て石のように言われているが、特に動揺した様子も無い。元より特殊な例外を除き、魔族に仲間意識などと言うものは希薄なのだ。アスクレイディオスについても、本来であれば、リュステールが始末することになっていたのだが、その前にラキウスが始末してしまった訳である。
「アスクレイディオスで思い出しましたが、クリスティア王国軍についても、最後の最後、本当に危なくなったら、あなたに皆殺しにしてもらうつもりでしたが、竜の騎士が出てきたので、あなたの出番はありませんでしたね」
「……」
「どうですか? 久しぶりに見た竜王様は? 勝てそうですか?」
「ラーケイオスは今回、一度も本気を出していないので、わかりませんね。以前と同じだとしても戦ってみないとわかりません」
「大聖女の力を取り込んでなお、勝てるか分かりませんか?」
「もともと、魔族の力と大聖女の力は相性が悪いので」
「ご謙遜を。私の見るところ、今のあなたはラフィノールよりも上ですよ」
「……それこそ、ただの買い被りですよ」
400年もの昔、この地を治めた72柱の魔族、その序列第1位であった存在。愛する人を失った悲しみに、自ら龍神剣の前に身を投げ出した魔族の名を挙げ、それすら凌ぐと言うテオドラの言の根拠は何なのか。しかし、リュステールはそこを問うことはせず、ただ一言呟くように返すのみだった。
「では、竜の騎士はいかがでしょう?」
「そうですね。今でも、かつてのアレクと同じくらいの強さがあります。あの少年はまだまだ強くなるかもしれませんね」
「あら、気に入ったのですか?」
「……」
テオドラの声音に少し嘲笑するような響きが混ざる。
「彼はアレクシウス陛下の生まれ変わりではありませんよ」
「そんなことは言われなくても分かっていますよ。私にはアレクの記憶があるんですから。同じ金髪金眼で、雰囲気も少し似たところはありますが、別人ですね」
「そうですか。私にもアレクシウス陛下についての記憶はありますが、そこまでは分かりませんね」
テオドラはとんでも無いことをさらりと言うと、リュステールに更に問う。
「それで、勝てそうですか?」
「あなたは、私に竜の騎士を殺させたいのですか?」
質問に質問で返したリュステールに、テオドラは首を傾げる。
「まさか。単に聞いただけですよ。私はまだ、彼をお婿さんにすることを諦めてませんので」
「それでは、彼の婚約者を殺せと言うことでしょうか?」
「何故、私がセーシェリアを殺させなければいけないんです?」
「あなたは竜の騎士を婿として迎えたいんですよね? だとしたら、婚約者は邪魔なのではないですか?」
その問いに、テオドラはニタァっと笑った。もしも、悪意というものが形を得たならば、こうなのでは無いかというような笑顔。
「
リュステールは絶句してしまう。この目の前の少女が抱える闇に。魔族である自分よりも深い闇。いや、自分のこの感覚は元は大聖女のものだったかもしれない。だが、今となってはそれはどうでもいい。それより目の前の少女だ。いったい何があれば、この年でこのような考えになるのだ。
「……歪んでますね」
思わず呟いた言葉。しかし、それがテオドラに激烈な反応を引き起こした。
「あなたに言われたくありませんね! あなたこそ歪みそのものではありませんか! 魔族と大聖女のあり得ない混ざり物! あなたみたいな化け物に!」
何が、テオドラの逆鱗に触れたのか分からない。だが、その言葉はリュステールの心に深く突き刺さった。もはやアデリアの心とも、リュステールの心ともわからない心に。彼女の助けを求める声は誰にも届かない。ただ、絞り出すように呟くのだった。
「ええ、私は……化け物……です」
第3章 漆黒の大聖女編 完
========
<後書き>
第3章「漆黒の大聖女編」完結です。いかがでしたでしょうか。
続く第4章では、セーシェリアを迎えるためにレオニードの統治に奔走するラキウス君が描かれます。
それでは第4章「白銀の花嫁編」、お楽しみに。
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