第31話 殺意の皇女

 ミノス神聖帝国の聖都イスタリヤ、皇宮の皇帝執務室にて、皇帝レオポルド、選帝侯ラオブルート、将軍ゼオンの3人が膝を突き合わせていた。皆、一様に重苦しい雰囲気である。


「300人が剣の一振りで蒸発だと? 本当なのか?」

「潜入させていた工作員が直にその目で見ております。嘘とは思えません」

「竜の騎士とは正真正銘のモンスターなのか?」


 ラオブルートがゼオンの報告に驚愕して問い詰めているが、ゼオンとしては受けたままの報告を伝えるしかない。


「しかも、竜の騎士は襲撃当時、王都にいたはずなのに、襲撃後1時間とかからず駆けつけています。これがどれ程の脅威か、お分かりになりますか?」

「どういうことかね?」

「竜の騎士がその気になれば、同程度の時間で、この聖都を攻撃することが可能だということです。我々が一か月以上もかけて進軍する距離を1時間程度で踏破してくるんですよ。しかも空から。これを脅威と言わずして、何を脅威と言うのかと」


 レオポルドもラオブルートも沈黙してしまった。ゼオンの言うことはもっともである。しかも襲撃してくるのは、聖都すら灰燼に帰しかねない程の力を持った邪竜なのだ。ゼオンは二人に通告する。


「申し訳ないが、軍はこの件から手を引かせていただきます。このまま竜の騎士に関わっていたら、帝国全土が滅びかねませんぞ!」

「ではどうすればいいと言うのだね?」

「戦うのでは無く、外交で何とかしてください。軍はとても面倒見切れません!」


 だが、ゼオンの提言に対し、ラオブルートは冷ややかに言う。


「外交によってと言うが、先の敗戦によって、十侯会議内の帝国派貴族の席を失った。これは明らかに軍の失態ですぞ。欲張らず、辺境伯の娘を秘密裏に拉致するに留めておけば良かったのに、王女まで拉致しようなどとスケベ心を出すから、このような事態になったのだ!」

「な!」


 絶句しているゼオンにラオブルートは畳みかける。


「ゼオン将軍の教区はシオン大司教の教区でしたか。彼とは昔馴染みでしてね。彼は厳格な神の信徒でしたから、神の御心に沿わない方を破門することを厭わないでしょうな」

「エアハルト大司教、ご無礼を大変失礼いたしました。決して神の御心に逆らうつもりなどございません」

「お判りいただけたのであれば僥倖」


 破門をちらつかせた途端、ゼオンは蒼白になり、ラオブルートに屈したのだった。それ程、この国において破門が持つ意味が大きいのである。それは死刑宣告と同義であった。いや、命ある限り、人間扱いされない時間が続く分、死刑よりもたちが悪いかもしれない。


 とにもかくにも、軍の関与継続は決定したが、かと言って具体的な案があるわけでは無い。レオポルドから、再度対策について問われたゼオンは躊躇しながら、話し始める。


「実は今回、竜の騎士と対等に戦っていた存在が報告されています」

「それは誰だ?」

「……それが魔族の女だと言う話で、詳細はよくわかっていません」


 竜の騎士と対等とされる存在の話を聞いた皇帝の顔は、だが、苦いものとなった。


「邪竜とその使途に対抗するためとは言え、魔族と手を結ぶなど考えられん! 神への冒涜そのものでは無いか!」

「もちろん、魔族と手を結ぶつもりはありません。しかし、お互いに潰しあってもらえば我々にとっては一石二鳥。この魔族について調べてみる価値はあるのではと」


 皇帝はふむ、と頷きつつ、だが、慎重な姿勢は崩さなかった。


「調べるのはいいが、結果が伴うかも不明だ。その魔族についての調査は進めても良いが、あくまでも他に効果的な手段が無かった時のための予備的手段として調べておくに留めるべきだろう。あまり派手に調べると、魔族に関わっていると誤解されて、逆に足をすくわれかねん」

「わかりました」






 結局、有効な対抗手段が思いつかぬまま、ラオブルートとゼオンの二人は退出していった。背もたれに身を預け、深いため息を吐いたレオポルドはドアから顔を出して覗き込んでいる少女に気づく。


「ルシアか、どうした。入りなさい」


 招き入れられたルクセリアは心配そうな表情を隠さない。


「お父様、最近ため息ばかり。何があったのでしょう? 私ではお力になれませんか?」

「ルシア、お前がそのように私を心配してくれるだけで力になっているよ。お前は私の大切な宝だ」

「そうでは無く、ちゃんとお父様のお力になりたいのです!」


 真剣に訴えかけてくる娘を見て、皇帝は心が温かくなる。権力者の一族など、親兄弟でさえ蹴落としてやろうと鵜の目鷹の目で狙っている者が少なくないと言うのに。だから、彼女に今できることは無くても、真摯に語っておきたいと思う。何より、自分の皇帝在位が長くはあるまいと思えるが故に。


「ルシア、良く聞きなさい。今から父さんが言うことは、もしかしたら神への冒涜として異端審問にかけられるような内容かもしれない。だが、国を統べる者の一人として、お前には伝えておきたい」


 いきなり切り出された話にルクセリアは当惑を禁じ得ない。ルクセリア自身、敬虔なミノス教徒であるという自覚もあったし、父もそうであると信じてきた。しかし、有無を言わせない父の真剣な眼差しに、反論などできようはずも無い。


「隣国で竜王が目を覚ましたのだ。それと共に、竜の騎士と呼ばれる若者が出現した」

「竜の騎士?」

「竜王の魔力を使って戦う戦士だ。数百人を一瞬で倒し、それどころか地形すら変えるほどの魔力を持つと言う」

「……それは教義に言う『邪竜の使徒』なのでしょうか?」

「違うな。教義には『邪竜』や『邪竜の使徒』などという言葉は一言も書かれていない。そのような言い方をしているのは、聖教会による解釈によってだ。それはそう言う方が、聖教会にとって都合がいいからだ」


 今度こそルクセリアは愕然としてしまう。父はこの話をどこに持って行こうとしているのか。


「聖教会はミノス神以外の神を認めず、特に龍神信仰を邪教として忌み嫌ってきた。それは龍神の使徒とされる竜王が現存し、その力を目の当たりにする機会があるため、人々の信仰が龍神の方に流れることを恐れたからだ」

「それでは、お父様は、今の聖教会の教えは間違っているとおっしゃるのですか?」

「そうだな。その答えはそうだとも言えるし、違うとも言える。人の組織である以上、正しいことだけをやっていけるわけでは無い。時に正しくないことでも、やらなければならないことがあるのだよ。だけど、それを自分は正しいとただ盲目的に信じ込んで行うのと、正しくないかもしれないがやらなければならないと自覚して行うのでは雲泥の差だ。為政者は常に自らの行いがどういうものなのか、自覚しておく必要がある」


 その言葉はルクセリアにも理解できるものであった。しかし、何故今この話を始めたのかわからない。


「父さんやエアハルト大司教は、竜の騎士の恋人を拉致しようとしていたのだ。失敗してしまったがね。竜の騎士を脅迫するために、罪も無いその恋人を誘拐しようとする。果たして客観的に見た時に、悪者はどっちかな?」

「しかし、お父様には、そうせねばならぬ理由があったのですよね?」

「そうだ。私たちは聖戦を避けようとしていた」

「聖戦?」

「そうだ。このまま竜の騎士の名声が大きくなっていけば、ミノス教への脅威として、教皇様が聖戦を発動するかもしれない。しかし、聖戦が引き起こすのは、むしろ混乱だ。食い詰め者やならず者が聖戦を口実に国内で暴れまわることは目に見えている。それを防ぐために、竜の騎士の名声が大きくなる前に始末しようとして、このざまだ」


 ルクセリアは聖戦のイメージを正確には持っていない。戦場に立ったことも無い彼女には、戦時に繰り広げられる蛮行についての思いも至らない。だが、父が国内の混乱を避けようと必死だったことだけは分かった。同時に、そんなにも必死だった父に立ちはだかる竜の騎士を許せない。


「分かりました。お父様が何と戦っていたのか。お父様の言いたいことも。でも、私にとっては竜の騎士は敵です!」

「ルシア、ちゃんと聞いていたのか?」

「もちろんです。竜の騎士は必ずしも悪者では無いかもしれない、その見方は立場によって違うとおっしゃりたいのでしょう? それでも、お父様を苦しめると言うだけで竜の騎士なる者は私の敵です。いつか会う時があるのなら、私がこの手で殺してやります!」


 ルクセリアの心に、竜の騎士は敵として刻まれた。彼女は、まだ見ぬ少年への殺意を募らせるのだった。

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