第28話 ヘルナの攻防

 その日、クリスタルを遠く離れたランドール伯領。その国境の街、ヘルナにテオドラ一行は近づいていた。同行する侍女、文官を極力絞り、4台あったキャラバンのうち、1台しかついてきていないとは言え、テオドラのコーチと合わせ、2台の馬車を擁する一行の歩みは遅い。


 しかも前方をランドール伯の護衛騎士200名、後方にヘルムート侯の護衛騎士200名がつき、総勢500名近い軍勢である。素早く行軍できるはずも無かった。


 一行は、山間部の細道を抜け、ヘルナに続く平野部に出たところ。そこは扇状地のように一気に開け、なだらかな傾斜がヘルナまで続いていた。テオドラが前方を見ながら感嘆したように声を上げる。


「国境だと言うのに、大きな街があるのですね。セーシェリアのところも同様なのですか?」

「いえ、帝国とは国交がありませんので、国境には砦しかありません。フェルナシアは国境からはかなり離れておりますし」


 テオドラからの質問に、馬車の横に騎馬でつくセーシェリアが答える。セーシェリアの方は、景色に感嘆するどころでは無い。帝国との国境に近い。国境から帝国軍がなだれ込んでくれば、為す術が無いのだ。それだけでは無い。前方と後方にいるクリスティア軍もとても味方とは思えなかった。


 行軍の最中、自分達女性騎士にあからさまに好色な視線を向けてくる騎士たちも複数いた。例え王国の正規の騎士でなく、地方領主の私兵だとしても、普通なら、もう少し規律がとれているはずなのに。そう思いながら前方に目をやったセーシェリアはヘルナの前に居並ぶ異形の一団を目にすることになる。


 ヘルナの街の前に横一列に並ぶその集団は騎士であった。その数およそ50。だが、騎乗しているのは馬では無い。馬の数倍はあろうかと言う体躯に頭から生えている2本の巨大な角。その姿は、テオドラ一行の先頭を行く、近衛騎士団副団長のサリナスの目にも留まった。サリナスが横にいるレムルスに聞く。


「あれは?」

「ああ、ご覧になりましたか。あれはランドール伯の誇る地竜騎士団です。突進力に優れているのですが、何分、行軍が遅いので、事前にヘルナでお出迎えの準備をしていたのですよ」

「そうなのか」

「そうしましたら、私はお出迎えの準備などもありますので、ランドール伯のところに行ってまいります」


 サリナスからの訝し気な視線から逃げるように、レムルスが列の先頭にいるランドール伯のところに駆けて行く。だが、次の瞬間、そのランドール伯の元から信号弾が上がった。






 それを合図に、隊列に劇的な変化が起こった。後方を進んでいたヘルムート軍がスピードを上げて、テオドラ一行の左側を並走し始めた。同時に、前方のランドール軍はスピードを上げていったん前進した後、右側に大回りして逆走し、また戻って来て右側を並走する。その、並走する両軍から魔法攻撃が始まったのである。


 セーシェリアはもはや理解するしか無い。自分たちは嵌められたのだと。


「ラーケイオス様、クリスティア軍の襲撃です! ラキウスに伝えて、お願い!」


 近くにいるはずのちびラーに伝わるように叫ぶと、続いて馬車にいるテオドラに叫ぶ。


「テオドラ様、クリスティア軍の襲撃です! 我々は嵌められたのです!」


 だが、テオドラの反応を伺ったセーシェリアはぞっとした。テオドラは───笑っていたのである。


「あらあら、やはりそう来ましたか。想定通り過ぎて笑ってしまいますよ」


 だが、王女が事前に想定していようとも、そうでは無い護衛騎士たちにはそんな余裕は無い。それは護衛騎士全体を指揮するサリナスも同様であった。しかし、さすがに近衛騎士団副団長、瞬時に状況を理解する。両側を並走するランドール軍、ヘルムート軍の狙いは挟撃しつつ、両側からの攻撃でこちらの数を削り、包囲した上で王女を拉致すること。このまま並走していてはまずい。例え、個々の騎士の力はこちらが上でも、こちらは80、向こうは400、地竜騎士団までいれれば450になるのだ。今は敵の攻撃を障壁で防げていても、このままではじり貧だ。サリナスは全軍に指示する。


「全軍、全速前進!左回りに転進し、山岳地帯に逃げ込む!」


 その指示の下、テオドラ一行がスピードを上げる。そのまま、左側を並走するヘルムート軍の前に出ると左回りに逆走して逃走を図った。その指示は、騎士団のみであれば、成功したかもしれない。だが、一行には馬車が含まれている。流石に6頭立ての王女のコーチは騎馬についていけている。だが、キャラバンの方は目に見えて遅れだした。それが分かっていても、騎士団が守るべきは王女。キャラバンの文官、侍女達を守るために進軍のスピードを落とすわけにはいかない。


 テオドラ一行を追って転進したヘルムート軍が、キャラバンに追いつく。御者が魔法で射殺されると、制御を失ったキャラバンは、小さな岩に乗り上げて横転した。そこにヘルムート軍の騎士たちが殺到する。横転したキャラバンから命からがら逃げだした文官や侍女は、無事でいられるはずも無かった。文官達は斬り殺され、侍女達は搔っ攫われた。ヘルムート軍の中には、その場で侍女の服を引き剥がし、暴行を始めた男たちもいる。その野蛮な行為は、だが、一瞬、ヘルムート軍の追撃の速度を遅らせることとなった。


 一方で、残りのテオドラ一行も無事逃げ延び───とはいかなかった。右翼にいたランドール軍が回り込んで来て前方を塞いだのである。一行はやむなく、再び転進し、ヘルナ側に向かうことを余儀なくされた。そのまましばらく並走する形となったが、左翼側からヘルムート軍が再び接近してくる。それを見て取ったサリナスは、逆に一行の向きを急に左に変え、ヘルムート軍の土手っ腹に突っ込ませた。王国最強を誇る近衛騎士団が全力で障壁を展開しつつ、槍系魔法をぶち込みながら突進してきたのである。ヘルムート軍は前後に分断され、大混乱となった。


 しかし、そのまま逃げられるほど、甘くはない。テオドラ一行がヘルムート軍の土手っ腹を食い破った直後、ついに地竜騎士団が戦場に到着したのである。地竜騎士団は、戦場に駆けてきたその勢いのまま、第1騎士団、第2騎士団の混成部隊に突っ込んできた。その被害は、近衛騎士団がヘルムート軍に与えた被害の比ではない。馬の数倍の体躯に長大な角を持つ地竜が大挙して突っ込んできたのだ。50人の第1、第2の混成部隊は20人ほどが即死。10人程が騎馬を失うか、大怪我をするなどして戦闘能力を失った。


 半数以下となった一行は、それでも抵抗を続けたが、やがて圧倒的に数で勝る敵軍に包囲された。残された男の騎士だけでは数が足りず、戦闘には通常参加しない女性騎士たちも前面に立って戦わざるを得ない。敵の包囲網が狭まり、全滅は時間の問題と思われた。


 だが、そこで敵の攻撃が鈍った。ただ、それは、喜ばしいものでは無い。なぜ、攻撃が鈍ったか。それは、包囲する男たちから聞こえてくる野卑な声を聞けば明らかであった。


「女騎士は殺すなよ。殺す前に楽しまねえとな!」

「俺はあの銀髪の女がいい。あんな上玉いないぞ!」


 女騎士を無傷で捕えて乱暴するために、意図して攻撃を鈍らせた。そんな、蛮族とも思えるような一軍の指揮官らしき男の声が響く。


「いいか、王女と銀髪の女騎士は無傷で捕らえろとのレムルス様の指示だ。お前ら間違っても殺したり、やっちまったりするんじゃねーぞ!」


 その言葉に周りからブーイングが起こるが、「他の女は好きにしていい」という指揮官からの言葉に男たちは改めて士気を上げた。


 その反吐が出るような光景を見て、セーシェリアは帝国の影を感じずにはいられない。王女はともかく、自分がターゲットとなるなど。もちろん、あの好色なレムルスが欲望を満たすために自分を捕らえろと言っている可能性はゼロでは無いが、むしろ帝国に買収されていると考えるべきだろう。


 だが、それが分かったところで事態が好転するわけでは無い。王女を抱えてこの包囲網を突破しないといけないが、とてもそのような事が出来る状態ではない。むしろ敵はどんどん包囲網を狭めつつある。彼女にできることはもはや、想い人に祈ることだけだった。


(お願い、ラキウス、助けに来て!)


 その時、その願いが天に通じたのか、はるか上空から100本ほどの漆黒の槍がドドドドドッと雨のように降り注ぎ、テオドラ一行とクリスティア軍の間に突き立った。


 クリスティア軍は驚いて包囲網をいったん広げて後退する。その前に、上空から一人の少年が舞い降りてきた。金色のオーラを放つ剣を抱えながら。


「お前ら、俺のセリアに手を出してタダで済むと思うなよ!」

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