第15話 聖都の父娘

 ミノス神聖帝国の聖都イスタリヤ。その皇宮の皇帝執務室に、将軍ゼオンが呼び出されていた。彼は皇宮・皇族警護を統括する将軍で、皇帝からの勅命による合法・非合法の工作活動も管轄する立場にある。執務室の椅子に座る皇帝レオポルドは、つい先ほどまで、自らが選帝侯ラオブルートに浴びせられていた詰問をゼオン相手にぶつけていた。


「いったいどうなっているのだ。竜の騎士と言うのは、そこまで手ごわい相手なのか?」

「恐れながら陛下、手ごわいなどと言う生ぬるい言葉では言い表せません。アラバイン王国に潜伏させていた工作員は殆ど全て殺されました。しかも生き残りの証言によると、全て一人で殺したそうです」

「一人でだと?こちら側は何人だったんだ?」

「80人です。全員が魔力持ちで、特殊な訓練を受けた軍人でした。その殆ど全て一夜にして殺されました」


 皇帝はため息を吐くと机に肘をつき頭を抱える。


「竜の騎士とは本物の悪魔か何かなのか?」

「それ以外にも、過去に収集した情報ですと、シーサーペントを一人で退治したとか、空高く飛んでいる邪竜を叩き落としたとか、およそ人間業とは思えぬ逸話が語られております」

「どこまでが真実で、どのくらい誇張が含まれているか分からぬがな」

「ええ、ですが、全てが嘘とも言い切れません。検証しようにも、工作員は全滅。新たに送り込んだ工作員も送り込む端から始末されている有様です」

「それも竜の騎士が?」

「いえ、冒険者ギルドだけでなく、非合法の闇ギルドまで彼に協力しているようで、情報を取りに行くと、逆に殺されるという状況のようです」


 皇帝は頭を抱える。ラオブルートの怒りに触れてしえば、良くて廃位、悪くすれば破門ということにもなりかねない。


「竜の騎士に弱点は無いのか?」

「これも過去に収集した情報ですが、フェルナース辺境伯の娘と恋仲にあるそうです」

「では、その娘を人質に取れば」

「それを実行しようとした結果が、工作員皆殺しです」


 皇帝の顔に一瞬浮かんだ喜色が、瞬く間に失われる。それでは打つ手なしでは無いか。だが、ゼオンは言った。


「方法が無いわけではありません」

「どうするのだ?」

「要はその辺境伯の娘を竜の騎士の手の届かぬ国外で拉致すればよいのです」

「しかしどうやって国外までおびき出すのだ」

「彼女は近衛騎士になっています。つまり、王族の外遊に同行させて国外に連れ出すことは可能です。すぐには無理ですが、少しお時間をいただければ、必ずや」

「……わかった。任せる」


 王族の外遊を仕立てるなど、計画だけで数か月はかかるだろう。まして、ミノス神聖帝国はアラバイン王国と国交が無いから、他の周辺諸国に工作をしないといけない。実際に計画を実行できるのなど半年以上先だ。そのような迂遠な方法をラオブルートは待ってくれるだろうか。しかし、待ってもらわなければならない。他に方法は無いのだ。





 ゼオンが退出すると、レオポルドは深い深いため息をつき、背もたれに身体を預けた。そこに、扉をノックする音がする。


「誰だ?」

「ルクセリアです。お父様」

「ルシアか、入りなさい」


 レオポルドは娘を愛称で呼ぶと部屋に招き入れた。そのルクセリアは、険しい顔を隠そうともせず、部屋に入るなり、父に問うた。


「お父様、ゼオン将軍と何を話していらしたのですか?」

「お前が知る必要は無い」


 けんもほろろな、その回答は当然、ルクセリアを満足させるものでは無かった。


「あのゼーレン大司教の指示によるものでしょう? 何故です? 何故、お父様はあのような俗物の言うことに従うのですか?」

「言葉を慎みなさい、ルシア。仮にも選帝侯をとらまえて俗物などもってのほかだ」


 父親の言葉にルクセリアは涙目で反論する。


「例え、選帝侯とは言え、皇帝であるお父様に対し、不敬にも程があります。それに大司教と言う立場にありながら私腹を肥やすことしか考えていない卑しい男です!」

「卑しい男、か。そなたからはそう見えるのだな」

「当たり前です。大司教でありながら、民から賄賂を受け取り、神の教えを歪めていると、もっぱらの噂ではありませんか!」


 その娘の抗議が、父である自分を慮ってのことであることを理解し、レオポルドは嬉しく思うと同時に、娘にきちんと伝えるべきことを理解した。指導者の立場からは異なる風景が見えることを。


「ルシア、良く聞きなさい。かつてゼーレンは飢饉で餓死者が出ることも珍しくないほど貧しい土地だった。だが、今では帝国でも有数の豊かな地となっている。何故だかわかるか?」

「それは民と領主たちの努力によるものでは?」

「もちろん、それもあるだろう。だが、ラオブルートの功績も大きいのだ」

「まさか。あんな男が?」

「ラオブルートの前任の大司教は、清廉で厳格な男だった。その指導の下、ゼーレンの民は皆、平等に極貧にあえいでいたのだ。富を求める行為を卑しいものとし、商人や金貸しを虚業として不当に低く扱い、時に異端審問で拷問し、時に破門した。その結果、ゼーレンの民は誰も皆、努力しなくなった。努力して富を得れば迫害されるのだ。当然だろう」


 ルクセリアは目を丸くして話を聞いている。これまで、そのような視点で物事をとらえたことが無かったのだろう。


「ラオブルートは教義の解釈を柔軟にし、富を求める活動を大いに奨励した。もちろん、その下で、貧富の格差は拡大し、腐敗も横行しているだろう。だが、清廉であっても貧困を強いる指導者と、腐敗していても豊かな暮らしを提供してくれる指導者と、民にとっては、どちらが望ましいのだろうな?」

「清廉で、かつ、豊かな暮らしを提供してくれる指導者はあり得ないのでしょうか?」


 娘の精いっぱいの抵抗に苦笑しながら、だが、断固として皇帝は答える。


「あり得ないと言うことはあるまい。だが、そうした指導者は極めてまれだからこそ、聖人君子と言われるのだ。人の世の統治を、そうした極めてまれな例外に頼るわけにはいかない」


 そうだ。民の視点と指導者の視点は違う。指導者はたとえ非道であっても、それが国家のためになると信じるのであれば貫かねばならない。隣国の英雄を亡き者とするために、その想い人を拉致する。そんな後ろ暗い企みであっても為さねばならぬ。聖戦を避ける、その一点において、皇帝とラオブルートの理念は一致している。決してこの国を混乱の極みに落としてはならない。皇帝はそう、意を強くするのだった。

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