第3章 漆黒の大聖女編

プロローグ

 アラバイン王国の東方に位置する大国、ミノス神聖帝国。その聖都イスタリヤにある教皇庁の一画にて、二人の男が顔を合わせていた。


 一人はアラバイン王国と国境を接するゼーレン地方を教区とする大司教にして、帝国に7人いる選帝侯の一人、ラオブルート・ミナス・バルド・エアハルト。


 もう一人は、教皇を補佐する教皇庁の最高幹部、12人いる枢機卿の一人、ヴァルター・ミナス・トリア・シグナシスであった。


「エアハルト大司教、お聞きになりましたか。アラバインにて邪竜が目を覚ましたという話」

「うむ、しかも竜の騎士などと名乗る男も現れたそうだな」

「その竜の騎士なる男、王国に潜り込ませている者の情報によると、あのエルネストの部隊を一人で打ち破った男とか」

「ああ、あの傭兵団か。全く、娘一人連れてくることすら出来んとはふがいないと思ったが、まさか一人の男に破れたのか?」

「そのようです。何しろ生き残りがいなかったので、どういう最後だったのか、最近まで分かっていなかったのですが。それだけでなく、その男、第二王子の反乱の鎮圧、魔族の討伐など立て続けに大きな功績を上げているとか」

「厄介だな。このことは教皇猊下はご存じなのか?」

「邪竜と竜の騎士のことはもちろん。傭兵団のことはまだ。そもそもあれは猊下に話が上がっておりませんでしたから」

「そうか」


 ラオブルートは考え込む。教皇はこの事態にどう対処してくるだろうか。

 教皇ティターニア・ミナス・ガルド・セレスティア。セレスティア2世と呼ばれる教皇は、若き頃はその美貌で知られ、年を経た今でも怜悧な顔に面影を残す。純粋とまで言える神への信仰により支持を集め、政敵を追い落とし、ついには史上初の女性教皇にまで上り詰めた女傑。先々代の教皇である父親、セレスティア1世の七光りもあっただろうが、教皇まで上り詰めたのは紛れも無く彼女の実力であった。


 しかし、純粋な神への信仰故の危うさをラオブルートは感じざるを得ない。何より彼が恐れるのは聖戦の発動。邪竜ラーケイオスとその使途たる竜の騎士を神敵として討伐することを命じる聖戦が発動されれば、彼の教区、ゼーレンは最前線だ。そこに押し寄せるのは、聖戦軍とは名ばかりの、食い詰め者の集団。下手をすれば、何十万もの野盗と紙一重の連中が押し寄せ、教区内で略奪、暴行、虐殺、凌辱の限りを尽くしかねない。


(何としてもそのような事態は避けなければ)


 彼は自らの教区の信徒を守らねばならないと言う使命に燃える。信徒を愛するが故では無い。信徒が失われてしまえば、自らの富の源泉が無くなってしまうでは無いか。金の卵を産むガチョウを、食い詰め者どもに奪われてなるものか。その極めて利己的な理由は、だが、それ故に強烈に、彼の信念を確たるものにする。聖戦を避けると言う信念を。


「そう言えば、皇帝あの男はどうしているのだ?」

「皇帝陛下からは、情報を収集して対応を検討する故、もう暫くお待ちいただきたい旨連絡が来ておりますが」

「いつまでかかっているのだ!」


 苛立ちを隠せない。皇帝の役目は、教皇の心を安んずるために死力を尽くすことであろう。いつまで検討だけしているつもりなのだ。


「皇宮に行ってくる」


 そう言うと、ラオブルートは教皇庁を後にするのだった。





 一時の後、ラオブルートの姿は、皇宮の中にあった。皇帝への面会など、普通であれば、どんなに急いでも1日、2日待たされるものである。だが、選帝侯である彼は特別だ。謁見の間ではなく、皇帝執務室へと続く廊下を歩いていると、前から女官たちに囲まれた女性がやって来るのが見えた。


「おや、ゼーレン大司教ではありませぬか」

「これはこれは、ルクセリア様、いつ見てもお美しい」


 女は皇女ルクセリア・エルク・バルド・ラザリオネであった。ウェーブのかかった豪奢な金髪に、エメラルドグリーンの瞳が美しい。だが、今はその瞳に剣呑たる光が宿っている。彼女は大司教の心のこもらぬおべっかにも不機嫌さを隠さない。


「世辞などいらぬ。そなたに皇家への忠誠など期待しておらぬ故な」

「これは手厳しい。私めの行動の規範は全能なるミノス神にありますれば、全ては神の思し召しかと」

「ふん、まあ良い。父上に会いに来たのであろう。行くが良い」


 ラオブルートは去っていくルクセリアの姿を見ながら、ふん、と鼻を鳴らす。個人名では無く、あえて教区名で「ゼーレン大司教」などと呼ぶところに、彼女の自分に対する距離感を見出すことができる。まあ良い、あのような生意気な小娘がどう思おうと、自分の権力にかなう訳もない。皇帝と選帝侯の、それも聖教会所属の選帝侯との力関係も分からぬ世間知らずなど。


 そうだ、いっそ破門でもしてやろうか。神への信仰が絶対のこの国で、破門されたら身の破滅である。そうなった時、あの娘はどうするだろうか。泣きわめくだろうか、地に頭をこすりつけて許しを請うだろうか。そうだ、ベッドで組み敷いてやるのもいいかもしれない。その時、あの娘はどういう顔をするだろう。


 だが、彼はその下卑た妄想を一瞬の後に拭い去る。妄想の中で小娘を嬲るより大事なことが彼にはあるのだ。皇帝の行動を促し、聖戦を避けると言う大事な仕事が。


「まずは竜の騎士とか名乗っている男を始末することが第一だな」


 そうつぶやくと、再び皇帝執務室へと続く廊下を歩き始めるのだった。

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