第27話 リアーナの涙

 夢を見ていた。

 今はもう、思い出すことさえ少なくなった、100年以上も昔の記憶。


「ねえ、おばあちゃん。おじいちゃんってどういう人だったの?」

「あなたのおじいちゃんは、それは素敵な人だったわ。とても強くて、優しくて。何よりおばあちゃんをとても愛してくれたの。おばあちゃんに会うためだけにこの世界に来たって言ってくれるほどに」

「この世界に来た?」

「そう、あなたのおじいちゃんは別の世界から来たの。ここでは無い、どこか遠い世界から」

「そんな遠いところからおばあちゃんに会うために来たんだ」


 300歳を超えてなお美しい祖母に、幼かった私は目を輝かせて問う。


「いつか、いつか私にもそんな素敵な騎士様が来てくれるかなあ?」

「もちろん、リアーナはこんなに可愛いんですもの。きっとあなたに会いに騎士様がやって来るわよ」

「えへへへへ」


 ああ、これは夢だ。遠い、遠い、記憶。叶わなかった夢。私の前に騎士様は現れてはくれなかった。


 ベッドから身を起こす。随分と昔の夢を見たものだ。

 ふと、頬に手をやると濡れている。夢を見ながら泣いていたらしい。


 昨日───、昨日も泣いてしまった。それもみっとも無く。あの少年は訳も分からず、謝ってくれたけど、私が何故泣いていたかなど思い至りもしなかっただろう。


 魂をつなげた時、全てが流れ込んできた。記憶も感情も、そして少年の想いも。自分では無い少女に向けられた想い。一度は命を投げ出してまでも守りたいと願った少女への想い。


 笑ってしまう。100年───100年、待ち続けた。もはや自分の前には現れないのだと諦めていた。それがやっと現れたと知った時、年甲斐も無く、胸が高鳴った。冗談めかして口にした「私の運命の人」という言葉。あれは紛うことなき本心だった。大聖女に縁談を断れと言われた時も、本当は同意などしたくなかった。同意したのはただ、初対面の少年に焦がれているなど、そんな馬鹿な乙女かと思われたくなかっただけ。だが、そもそもそんな心配をする必要自体無かった。少年の心の中にいたのは、あの少女だけ。縁談など、向こうの方からお断りだろう。


 すぐにパスに枷をかけたから、動揺に気づかれてはいるまい。竜王様とパスを通すのも何食わぬ顔でできた。でも、ようやく魔族から解放されて、目の前で二人が仲良く痴話げんかをしているのを見た時、自分が入り込む余地など無いことを実感してしまった。あんな、自分があんなみっとも無く泣くなんて思ってもいなかった。


 もちろん、男女の関係が恋愛関係だけじゃ無いなんてわかってる。竜の騎士と竜の巫女の関係だって恋人同士で無い在り方なんていくらでもあるだろう。だけど、幼い頃から祖母に聞かされ続けた話が心を縛る。それは今となっては呪いのようだ。祖母はどうして、疑うことを知らなかった子供にあんなロマンティックな夢を吹き込んだのだろう。叶わない夢など、いっそ見ない方が良かった。


「でも、そうも言ってられませんね」


 ため息をついてベッドから起き上がる。そうだ、竜の騎士のパスを全て通してしまった。それは、龍神剣アルテ・ドラギスの全ての鍵を外すこと。王室の許可も得ずにだ。そうなったのも全て私を救い出すために彼が来てくれたから。自らの危険も顧みず。───だから、私も彼を守らなければ。


 あの少女も好感が持てた。少年を本当に思いやっているのだろうことが見て取れる。彼女とはパスをつなげられないから分からないが、もしもつなげられたなら、やっぱり、心の中は、あの少年のことでいっぱいなのだろうか。ただ、最後に一つだけ試させてもらおう。少年を託すに足るかを。嫌な女だと自分でもわかってる。でも、それでも───。





 呼び出した3人がやって来たのは昼過ぎだった。私はまず、助けてくれたことへのお礼を述べた。でも、今日の本題はそこには無い。


「ラキウス君、竜の騎士となるあなたには、私の祖父、先代竜の騎士であるアレクシウスのことについて話をしておかねばなりません。あなたは、『異世界』と言うものをご存じですか?」


 パスを通したときに垣間見えた彼の記憶から、彼が祖父と同じ転生者であることはすぐにわかった。彼の方は、パスを通すことに慣れていないようだし、すぐに枷をかけたから、私の記憶など殆ど読み取れなかっただろうが。


 現れた竜の騎士が、祖父と同じ転生者であることに運命を感じざるを得ないが、そうしたことを知らないあの少女は、彼が転生者であると聞いて、どう思うだろう。異質な者として忌避するだろうか、それとも、それすら受け入れてしまうのだろうか。


「何も変わらないわ。あなたは私の大切な友達よ」


 少女の答えは後者だった。それも何の躊躇も無く。ああ、やはり彼女にとって、彼への想いに比べれば、そのようなことは些細なことなのだろう。


 目の前では、彼女の答えを聞いてうれし涙を流す少年と、その涙を拭こうとする少女。少年が思い詰めたように、彼女に想いを伝えようとしている。


 そんな光景を見るためにあなた達を呼んだんじゃ無いのに───


 エヴァ様が制止してくれたから収まったけど、結局、二人の絆を見せつけられただけだった。もう、諦めて、この少女に託そう。───いや、まだ、もう少しだけ。帰り支度を始めた少女に伝える。  


「セーシェリア様、お話したいことがあります。お残りいただいても?」





 私は改めて目の前の椅子に座る少女と向き合う。

 なんて綺麗な人なのだろう。私も周りから「王国一の美姫」などと祭り上げられているが、自分の美醜など良く分からない。でも、目の前の少女の美しさは本物だ。あの少年が夢中になってしまうのが良くわかる。それに今日のやり取りでも良くわかる。彼女は外見だけでなく、心の在り様までも美しい。それに比べて自分はどうだ。未練たらたらで醜いことこの上ない。


「セーシェリア様、今日はいきなり、あのような突飛な話にお付き合いいただいて、すみませんでした。それに、彼の事を受け入れてくださってありがとうございます」

「もちろんです。彼は大事な友人ですから」

「ありがとうございます。でも、敢えてあなたの覚悟を問わせていただきます」

「覚悟?」


 訝し気な彼女に竜の騎士のことを説明する。竜の騎士とは国の象徴、ある種、宗教的権威を持つ存在だ。かつてのアレクシウスはいい。王国で一番の権力者だったのだ。王国一の権力者が王国一の権威を得たからと言って何の問題があろう。だが、彼はどうだ。成人後に男爵になると言っても、一下級貴族に過ぎない。そんな存在が権威を得たならば、必ず歪みが生じる。


「この先、ラキウス君には、竜の騎士故の苦悩が訪れるでしょう。そして敵も増えると思います。大貴族や、場合によっては王族までもが敵に回るかもしれません。その時、あなたは彼の味方でいられますか?」


 だが、私の問いに彼女は真っすぐな視線を返すときっぱりと答える。


「もちろんです。誰が敵になろうとも、例え、国王陛下が、いいえ、世界中全てが彼の敵になったとしても私は、私だけは彼の味方です」


 迷いの無い口調に、思わずたじろいでしまう。


「どうして、そこまで?」

「彼は、私を命がけで、いいえ、文字通り命を捨てて助けてくれたんです。彼がいなければ、私は人質にされて、慰み者にされて、……殺されていたでしょう。だから、私がここにこうしていられるのは、全て彼のおかげなんです。……だから、私の命は彼のために使います。だって、だって私は……」


 そこで一泊置くと、彼女は意を決したようにその言葉を口にする。


「彼を愛していますから」


 ああ、やっぱりそうだ。あの少年がこの上なく、この少女を大事に思っているのと同様、この少女もあの少年のことが好きで好きでたまらないのだ。


 私はもう諦めるべきだ。理性がそう言っている。でも、口を突いて出たのは別の言葉だった。それもとっておきの爆弾を。


「セーシェリア様、これから竜の騎士となる彼とあなたは同じ時間を過ごすことは叶いません。それを覚悟しておいてください」

「同じ時間を過ごせないとは?」


 少女が不安そうに問う。その顔を見て、言い出してしまったことを後悔する。しかし言い出してしまった以上、引っ込めることはできない。


「竜の騎士は、数千年を生きるラーケイオス様の魔力により、常人より遥かに寿命が長くなります。あなたはアレクシウスが何歳で死んだかご存じですか?」

「……いいえ」

「そうでしょう。祖父は死ぬはるか以前に王位を譲って、表舞台から退いていましたから。彼が死んだのは147歳の時です」

「147歳⁉」


 目を丸くする彼女に残酷な現実を突きつける。


「祖父が死んだ時、王位は玄孫が継いでいました。祖父が初代国王だったことを知る者は祖母テレシアしかおらず、祖母のみに看取られて逝ったそうです。国王であった者が、たった一人に看取られて。同じことがラキウス君にも起きます。いつまでも若々しい彼の横で、あなたを含めた周りの人間は年老いて死んで行く。それに耐えられますか?」


 彼女は今度こそ目を伏せた。だが、顔を上げた時には、その瞳に決意が宿っていた。


「……それでも、それでも、彼が私を選んでくれるなら、私の命ある限り、彼を支えます。もし、老いさらばえていく私をいらないと彼が言うのなら、大人しく身を引きます。だから、その時はリアーナ様、彼を支えてください。お願いします」


 そう言って儚げに笑う彼女に圧倒される。───認めざるを得ない。彼女の想いは本物だ。私は言葉に詰まり、ただ一言伝えるのが精いっぱいだった。


「……彼の事をお願いします」





 私は彼女を部屋の外に送る。ちゃんと笑顔は作れていただろうか。不自然に引き攣れた笑顔になっていなかっただろうか。冷たい口調になっていなかっただろうか。


 でも、これで安心だ。彼女なら安心して彼の事を託すことができる。


 ああ、なのに、それなのに───、どうしてこうも涙が止まらないのだろう。


「どうして、……どうしてっ⁉」


 今日だけ、泣くのは今日限りだ。明日からはまた笑って接するようにしなければ。

 それにそうだ、やらなければいけないことは山積みだ。まずは国王陛下に面会して、龍神剣アルテ・ドラギスの事を謝罪して、そして、彼の事も認めてもらわなければ。神殿上層部にも根回ししなければ。明日から、明日から忙しい。でも、でも、今だけは、この涙で、悲しいことも、自分の醜さも、全て、全て洗い流させてください。

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