第18話 龍神剣の力

「あれが、竜王……ラーケイオス……」


 呆然とつぶやく。

 250年以上の長きに亘り眠り続け、今や神話の中の存在とすら思われ始めた伝説の竜王。それが今、目の前にある。


 何より息を呑むのはその巨大さ。遥か天空にあるその大きさは正確には分からない。だが、目測だけでも、全長、翼長ともに100メートルを優に超すだろう。全長だけならレイヴァーテインに軍配が上がるかもしれない。だが、全長を超える翼を広げ、天空に座すその存在感はレイヴァーテインに勝るとも劣らない。あの巨大な竜が、神殿の真下で眠っていたと言うのか。


 冴え冴えとした月の光に照らされて煌めく金色の鱗。だが、その神々しかったであろう姿は瘴気がかかったかのように揺らぎ、目は鮮血を思わせる赤に染まっている。その禍々しき姿のまま、竜王が咆哮した! ビリビリと空気が震え、鼓膜を撃つ。耳を押さえ、思わず跪いた横で、地に伏せていたリアーナが漸く回復したのか、ラーケイオスを見上げていた。


「呪いです」

「リアーナ様、大丈夫ですか?」

「ええ、今、ラーケイオス様とのパスを切りましたから」


 パスとは何のことか分からないが、何か、ラーケイオスの影響を受けていたのだろう。それにしても呪い? その言葉を聞いて、エヴァがラーケイオスを見つめる。その瞳に魔法陣が煌々と輝く。


「確かに呪いですね。さっきの少年、何らかの呪具を使いましたね」

「エヴァ様、解呪は可能ですか?」

「無理。あんな遠くにいる奴の解呪なんてできる訳無いわ。しかも竜王を狂わせるほどの呪いなのよ」


 目の前でラーケイオスは更に苦しんでいるように見える。もだえる竜王の口元に魔法陣が浮かびつつあった。それを見たリアーナが蒼白になる。


「ダメ、またブレスが来る!」


 ブレス? さっきの光か。直撃せず、最上位の障壁を張ってさえ、耐えるのが精いっぱいだったあの光。直撃すればエヴァの障壁すら保たないだろう。


「来たれ、アルテ・ドラギス!!」


 突然、リアーナが叫んだ。その声に応え、龍神剣が飛んでくる。あの光のすぐ近くにあったはずなのに、全くの無傷の姿で。リアーナは龍神剣を俺に差し出すと言った。


「ラキウス君、アルテ・ドラギスでラーケイオス様のブレスを斬って下さい!」

「は?」

「リアーナ様、何を⁉」


 エヴァの抗議にリアーナは激しく首を横に振った。


「時間がありません! 王族の許可など取ってられません! ラキウス君、あなたがやるのです!」

「な、何を?」

「あなたが、竜の騎士なんです!!」


 あまりの衝撃に言葉も無い。横でセリアも驚愕して口を手で押さえていた。


「アルテ・ドラギスに魔力を流して『目覚めよ』と命じてください。それで第一の鍵が外れます」

「でも、ブレスを斬るって?」

「大丈夫です。アルテ・ドラギスは魔力を喰う剣。ラーケイオス様のブレスは魔力。アルテ・ドラギスでラーケイオス様の魔力を喰ってください!」


 あまりの展開に頭が付いていかないが、時間が無いのは確かだ。ラーケイオスの口元にはもう、魔法陣が二重に浮かんでいる。今にもブレスが発せられるだろう。


「目覚めよ、アルテ・ドラギス!」


 その瞬間、龍神剣の宝玉がまばゆい光を放ち始めた。鞘から剣を抜くと、半透明の幅広の刃が姿を現す。その刃の中央に溝があり、そこにスパークするような火花が飛び散っていた。


「エヴァ様は障壁を張って! セーシェリア様は障壁の後ろに!」

神霊大盾ディビナススクータム!」


 エヴァが障壁を張ってセリアを後ろに庇う。俺は障壁の前に立ってラーケイオスと対峙した。その時、リアーナがそっと俺の横に立つ。


「リアーナ様、危ないですから、障壁の後ろに下がって下さい!」

「騎士様が死ねば、巫女だけ残っても仕方ないですから」


 そう言うと微笑んだ。


「私の命、あなたに預けます」


 無茶をする。だが、説得するような時間は無い。ぶっつけ本番。失敗はできない。俺は龍神剣を握りしめる。その時、妙な感覚に襲われた。まるで、剣が自分の体の一部になったような、自分の腕のように、意のままに振るうことが出来る、そんな感覚。その感覚をいぶかしむ暇はだが、無かった。


 閃光!

 突如視界が黄金一色に染まる。ラーケイオスのブレスが放たれたのだ!

 俺は条件反射のように剣を振るう。死んでたまるか。自分だけじゃない。エヴァも、リアーナも、誰よりもセリアを死なせたりしない。


「ラーケイオスの馬鹿野郎おおおおおおお!!!」





 気が付くと、ブレスは消滅していた。

 いくばくか、喰いきれなかったのであろうブレスによる破壊の跡は残る。だが、その跡は龍神剣を起点に左右に分かたれ、エヴァの障壁によって更に分かたれていた。

 後ろのエヴァもセリアも無事だ。リアーナも。恐らくはさらに後方にいるはずの庭園の客たちも無事だろう。


 そして、ラーケイオスのブレスを喰らった龍神剣は、刃全体がまるで放電するかのように眩い光を放っていた。それを見たリアーナは力強くラーケイオスを指さす。


「ラキウス君、次はその剣でラーケイオス様をぶった切って下さい!」

「は?」


 この巫女様、何をやらせようと言うのか。


「大丈夫です。自分の魔力で死んじゃうようなやわな竜王様じゃありません。それにラーケイオス様の魔力は破邪の力。その力でラーケイオス様にかかった呪いを断ち切るんです!」


 そう言う事か。はるか上空にある竜王を剣でどう斬るのかという疑問も、剣と一体化した今、無用なものだ。この剣は、竜王までも届く、それが自然にわかる。


「ラキウス君、寝起きの悪い竜王様をたたき起こしてください!!」


 龍神剣を振りかぶると、剣が一層の光を放ち、周辺をまるで真昼のように照らし出した。喰ったラーケイオスの魔力を放出しているのだ。その光はどんどん収束していき、一条の光となった。天空に光の刃が伸びていく。どこまでも。その刃を、俺は思い切り振り下ろした!


「目を覚ませええ、ラーケイオス!!!」


 両断! 光の刃がラーケイオスを真正面からとらえた。だが、斬ったのは身にまとう瘴気のみ。


 ぐらりとラーケイオスは傾くと、落下してくる。大地に激突するかと思われた寸前、立て直すと、神殿のがれきの上に舞い降りた。目の前にすると、その大きさに改めて驚く。一方、リアーナはその巨体に怯むこと無く、猛然と抗議を始めた。


「ラーケイオス様、何やってるんですか! 滅茶苦茶じゃないですか!」

『むう、すまぬ……』

「あの程度の呪いにかかっちゃうなんて、寝ぼけてた証拠です!」


 リアーナに叱られて子犬のように縮こまっている竜王の構図はシュールこの上ない。いや、大きさは子犬何十万頭分だよという感じだが。その竜王がこちらを見た。


『で、お主が新たなる騎士と言う訳か。ふむ、アレクシウスによく似ておる』


 どういう事? いや、違う種族の顔の違いなんて分からないだろうから、同じ人間ってレベルで似ているってことかもしれない。そう思ったら通じたのか、返答があった。


『似ていると言うたのは魂の色の事だが、何なら顔つきもよく似ておるぞ。その金色の瞳。アレクシウスにそっくりだわい』


 アレクシウス陛下も金眼だったのか。いや、孫娘のリアーナが金眼なんだから、そうであってもおかしくは無いのか。


 それにしても、とりあえずはひと段落、なのか?

 後ろを向くと、エヴァとセリアがへたり込んでいる。


「セリア、大丈夫? 怪我は無い?」

「え、ええ、大丈夫」

「こらあ、私の方の心配もしなさいよ!」


 セリアに手を伸ばして立たせてると、横合いから文句を言われた。いや、お前、怪我しても自分で治せるだろ。


「はいはい、大丈夫か、エヴァ?」

「心がこもってなあいっ!」


 もう面倒くさいなあ。まあ、でも今回、こいつには本当に助けられた。


「ごめんごめん。ありがとうな、エヴァ。みんなを、セリアを守ってくれて」

「わ、分かればいいのよ、分かれば」


 フン、と横を向いてしまったエヴァの頬が少し赤い。こいつも少しは可愛いところがあるんだな。

 だが、エヴァはすぐに真面目な顔に戻り、まだラーケイオスに小言を言っているリアーナの元に向かった。


「リアーナ様、この後始末、どうされるおつもりですか?」

「緊急事態という事で納得してもらうしかありませんね。それに、アルテ・ドラギスの鍵はまだ二つありますから、完全解放には至っていません。王室には改めて説明しましょう」





 そこにようやく、庭園の方にいた人たちが集まってきた。しかし、皆一様に巨大な竜の姿に圧倒されて、遠巻きに眺めている。だが、そうしていても埒が明かないと判断したのか、アルシス殿下とカーライル公爵、それに近衛騎士団長の3人がリアーナの元に進み出てきた。


「リアーナ様、この竜がラーケイオス様なのでしょうか?」

「ええ、ようやくお目覚めになりました。寝起きがひどくて大変でしたけど」


 アルシスの問いにリアーナが答える。呪いの事は敢えてこの場では伏せておこうという事なのだろう。答えを受けて、アルシスはラーケイオスに挨拶をしていたが、俺の方を見てギョッとした表情を見せた。そう言えば、俺、まだ龍神剣を鞘にしまってなかった。剣はいまだにバチバチと火花を放つように発光している。この剣を見て、何があったか感づいたのだろう。


「リアーナ様、彼に話してしまったのですか? それに王家の宝である龍神剣を許可なく渡してしまうなど!」

「それでは、アルシス殿下はあのままラーケイオス様のブレスで吹き飛んでも良かったと? 彼がラーケイオス様を止めてくれなければ、ここにいる全員、誰も生きていませんよ」


 リアーナの言葉にアルシスは反論できない。しかし、王家をないがしろにされたという思いは拭い切れないのだろう。俺は龍神剣を鞘に戻すと、アルシスの元に跪き、差し出した。


「アルシス殿下、畏れ多くも王家の至宝である龍神剣を一時的に使用させていただきました。この剣は王家にお返しいたします」


 差し出された剣にアルシスは戸惑い、リアーナは焦ったように翻意を促す。


「何を言っているのですか。アルテ・ドラギスは竜の騎士のもの。あなたが持つべきものなのですよ!」


 おいおい、周りの目があるのに、俺を竜の騎士だと言ってしまったよ。案の定、周りの人達から「竜の騎士……」という言葉が漏れ始めていた。このまま既成事実化してしまうのはまずいだろう。


「リアーナ様、全ては王室のご判断かと思われます。アルシス殿下、王室のご沙汰をお待ちいたします」

「良かろう、ラキウス。賢明な判断である。龍神剣は預かる故、沙汰を待て」


 アルシスが剣を受け取ると、リアーナがさらに口を挟む。


「アルシス殿下、王都にお戻りになるのであれば、私も同行いたします。竜の巫女として、国王陛下に直接ご説明をさせていただきたく思います」

「わかりました。リアーナ様がそうおっしゃられるのであれば」


 龍神剣は王都に運ばれることとなった。だが、この時俺は、これが後に続く騒動の引き金になるなど、想像すらできていなかったのだ。


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