第17話 金色の竜王

 夜会が始まった。

 アルシス殿下の挨拶と乾杯の音頭の下、集まった300名ほどの人々が飲み交わし、歓談する。

 俺はリアーナの横で場違いな雰囲気を味わっていた。


「ラキウス君、アルシス殿下の元に参りますよ」


 リアーナに言われ、彼女の手を取る。序列は彼女が上でも、エスコートするのは男の役目。アルシス殿下の前に出ると、リアーナの横で略式の騎士の礼を取る。彼の隣にはソフィアがいて微笑んでいた。


「これは、リアーナ様、相変わらずお美しい」

「ありがとうございます、殿下。今日はご紹介したい者がおり、お連れしました」


 リアーナに目で促され、挨拶をする。


「アルシス殿下、お初にお目にかかります。王国騎士のラキウス・リーファス・ジェレマイアと申します。今は王立学院の2年に所属しております」


 王子は少し戸惑ったようで、リアーナに視線を移すが、リアーナが頷くと、笑顔になる。


「そうか、君があの。噂は聞いているよ。それに私の婚約者ソフィアと同じクラスだとか」

「ええ、ソフィア様にはいつも助けていただいております」


 王子はソフィアの方を見ると、学院での様子や俺の評価などを聞いた。ソフィアは俺の方をチラッと見るとクスリと笑う。


「ええ、とても頼りになりますわ。例の魔族に襲われた時に助けてくれたのも彼なんですよ」

「そうなのか。それでは君は我がフィアンセの命の恩人と言う訳だ。改めてお礼を言わなければならないね」

「身に余るお言葉でございます」


 その後も、傭兵団撃破のこと、シーサーペント退治のこと、レイヴァーテインのことなど、色々聞かれた。王子様との会話など、それだけでも消耗するのに、その後も色々な出席者を回り、挨拶を繰り返す。解放された時には、すっかり疲弊していた。


 会場の片隅に立って、周りを眺めていると、リアーナが飲み物を持ってやって来た。酒では無い。この世界では、未成年は酒を飲んだらいけないなどの決まりは無いから酒を飲んでも怒られはしないが、何となく前世からの習慣で、未成年のうちは酒は飲まないようにしていた。持ってきてくれた飲み物は果汁を炭酸水で割ったようなもので、少し酸味のある甘みが、疲れた心身に心地いい。


「疲れましたか?」


 リアーナが微笑みながら聞いてくる。正直、これほどの人達に囲まれ、挨拶をして回るのは初めての経験でかなり疲れた。主賓となった叙任式の後の宴席でもここまででは無かった。


「確かに少し疲れました。リアーナ様は元気ですね」


 リアーナはいつにも増して明るく振る舞っているように見えた。彼女は「そうですね」と言いつつ、夜空を見上げる。その視線を追って天空を眺めると、あの日、異世界に来たことを実感させた二つの月が冷たく光を放っていた。


「少し、はしゃいでいるかもしれませんね」


 彼女はそう言うと、昔語りを始めた。


「私は50年前に竜の巫女の座を継ぎましたが、それより遥かに前から、『お前は次の竜の巫女だ』と言われて育ちました。でも、私が生まれた時には竜の騎士であった祖父は既に死亡しており、ラーケイオス様は眠りについていらっしゃいました。竜の巫女を継いだ時、半覚醒状態のラーケイオス様にはお会いしましたが、竜の騎士様にも、起きた竜王様にも会ったことが無いまま、100年以上を過ごしてきました」


 それは、人間である自分には想像もできない長い期間。ハイエルフと人間では時間感覚は違うだろうが、それでも100年待ち続けるのは、どれほどの苦痛だろうか。


「ラキウス君、知っていますか? 竜の騎士と竜の巫女は、魂をつなげて戦うのです。それはどんな男女の結びつきよりも深い絆。私の祖母、テレシアはいつも私に惚気ていました。自分がどれほど祖父に愛されていたか、と。幼い頃からそんな話を聞かされて、私もいつか、素敵な騎士様と心をつなげて戦いたい、そう思うようになりました。でも、それから100年、何もなく、もしかしたら、私の生きているうちには騎士様は現れてくれず、竜王様も眠ったままでは無いか、そう思うようにもなってきました」


 そう言うと、リアーナは真っすぐ俺を見る。


「でも、ラキウス君がレイヴァーテイン様の声を聞くことができたと聞いて、少し希望が出てきました。もうすぐ、あなたと同様、ラーケイオス様の声を聞くことができる人が、私の騎士様が現れてくれるのではないか、そう思えるんですよ」


 そうだったのか。エヴァに馬鹿話と切って捨てられたような会話も、そう言う背景を知ると違って感じられる。リアーナに何か声をかけねば、そう思った時、視界の片隅で、セリアが男に絡まれているのが見えた。


 一人の男がセリアにしきりに話しかけており、セリアが迷惑そうな顔で何か振り払うようなしぐさをしている。何だ、あの男!


「リアーナ様、ちょっと失礼します」


 リアーナに悪いと思いつつ、その場を離れ、セリアの元に駆け寄った。だが、セリアは俺を見て驚いた顔を見せると、手を横に振る。


「何でも無いの、何でも無いから、リアーナ様の元に戻って」


 何でも無いってことは無いだろ、と思いつつ、男の方を見ると、どこか見覚えがある。そうだ、入学式の時に挨拶してた、超絶イケメンの近衛騎士団長じゃないか。彼は、俺を一瞥すると、冷たい声をかけてきた。


「君は何だ」

「セリアの友人だ」

「リオン様、彼は関係ありませんから!」


 睨み合う俺と近衛騎士団長の会話にセリアが割り込む。リオンと呼ばれた男はフッと笑みを浮かべた。その、人を小ばかにした笑みすら気障ったらしい


「ほら、彼女も君は関係ないと言ってる。さっさと消えるんだな」

「友人が困ってるのに関係ないなんてことは無いな」


 一触即発の空気が流れ、周りの人達も何だ、何だと集まってきた。セリアが頭を抱えているけど、ごめん、引き下がる気は無い。


 そこにリアーナがやって来た。「リオン様」と呼びかける言葉に、近衛騎士団長は恭しく首を垂れる。


「これはリアーナ様」

「リオン様、彼は私のパートナーです。あなたの立場であれば、それが何を意味するかお分かりですよね」


 リアーナの言葉にリオンは愕然とした表情を浮かべ、俺を見る。


「え、では、彼がそうだと言うのですか?」

「ええ、リオン様。ですので、ここは私の顔を立てて、お引きくださいませんか?」

「……わかりました。リアーナ様がそうおっしゃるのでしたら」


 笑顔の裏に有無を言わせぬ迫力を秘めたリアーナの言葉にリオンが引き下がり、去っていく。

 それを確認するとリアーナは俺の方を向いた。いや、笑顔が怖いんだけど。


「ラキウス君、エスコートしている私をほっといて何をしてるんですかね?」

「ご、ごめんなさい」

「ちょっと来てもらえますか? お嬢さんも一緒に」


 こうして、俺とセリアは神殿の控室に拉致されたのだった。





 控室にいるのは、リアーナとエヴァ、俺とセリアの4人。エヴァは呆れ果てた顔をしている。


「せっかくリアーナ様のパートナーという立場をお膳立てしてあげたのに、衆人環視の中で、他の女を巡って近衛騎士団長と喧嘩とか何考えてるの? 馬鹿なの? 死ぬの?」

「エヴァ様、ラキウスを責めないでください。私がもう少しうまく立ち回ることができていたら」

「セリアちゃんは絡まれてた被害者なんだから悪くないの。大人の対応ができないこいつが悪い!」

「全くですね」

「……ごめんなさい」


 俺を断罪するエヴァの言葉にリアーナが同調し、益々小さくなって、ただただ謝るしかない。


「それで、セーシェリア様でしたっけ。何があったのですか?」


 リアーナに促され、セリアが説明を始める。俺の方を気にしながら、おずおずと。


「……彼、リオン様に縁談を申し込まれてたんです」

「なっ」


 何だってーと叫ぼうとした言葉はエヴァにぎろりと睨まれて言葉にならないまま消える。


「で、でも、断ったの。本当よ。なのに、お返事はお互いをよく知ってからでもいいでしょう、とか言って、しつこく絡んできて……」


 あの野郎、絶対許さん。今度会ったら、ギッタギタにしてやる、と思ってたが、女性陣の雰囲気が重い。真っ先に口を開いたのはエヴァだ。


「困ったことになったわね」

「困ったことって、セリアは断ってるんだよね」

「バカね。相手は公爵家なのよ。辺境伯家より立場上なの。それに王家にも顔がきくから、国王陛下に働きかけて王命で結婚しろってなったら断れないわ」

「じゃ、じゃあ、その国王陛下に断ってもらうとか。後はほら、アルシス殿下がいるから殿下にお願いするとか」

「それは無理だと思う」


 そう答えたのはセリアだ。


「ドミテリア公爵家はカーライル公爵家と並ぶ、アルシス殿下の最有力支持者なのよ。殿下はドミテリア公爵家と敵対することはできないと思う。それをさせようとしたら、それこそ、フェルナース家が殿下の派閥に入るくらいの交換条件が必要になるし、さすがに私の判断でそこまではできないわ」

「じゃあ、どうすれば」

「とにかく、国王陛下に話が来ても断ってもらうよう、お父様からお願いしてもらうようにするから」


 そうか、辺境伯は国王陛下の従兄弟だから、陛下に口利きはできるはず。だが、エヴァがそんな淡い期待に水を差す。


「問題は、辺境伯にとっては、公爵家とのつながりの方が魅力的に映るってことよねえ。国王陛下にお願いしてくれるかしらね」





 セリアからはとりあえず、辺境伯に頼んでもらうことになったけど、今のところ他に取るべき手段は無い。暗い気持ちで、夜会の会場に戻ろうと控室を出た、その時、奥に向かう人影が見えた。そっちは神殿のホールの方で、この時間は閉鎖されているはずなのだが。


「リアーナ様、誰かホールの方に行ったようですけど、心当たりあります?」

「いいえ、怪しいですね。行ってみましょう」


 みんなでホールの方に急ぐ。すると、灯りの消えた暗いホールの中、龍神剣の下に人影があった。


「リカルド?」


 そこにいたのはリカルドだった。こちらを見て、ニヤニヤと笑っている。何かおかしい。あいつ、何をするつもりだと思った瞬間、龍神剣に向けてジャンプした。一瞬、龍神剣を盗むのかと思ったが、そうでは無かった。手で剣の宝玉に触れただけ。だが、その行動を訝しんだのは一瞬だった。突然、リアーナが胸を押さえて苦しみだした。


「ああああああああっ!」

「リアーナ様⁉」


 リアーナの息が荒い。立っていることもできなくなった。床に這いつくばり、蒼白な顔で喘いでいる。


「ラーケイオス様が、ラーケイオス様が……」

「アハハハハ! いい気味だ。ラキウス、セーシェリア、お前らを滅茶苦茶にしてやる」

「どういう意味だ⁉」


 リカルドの言っている意味が分からない。そもそも俺を滅茶苦茶にするとか言って、苦しんでいるのはリアーナだ。だが、考えている暇など無かった。リアーナが突然、切羽詰まった顔でエヴァに叫ぶ。


「エヴァ様! 障壁を! 早く!」

神霊大盾ディビナススクータム!!」


 エヴァは理由を問うたりはしなかった。すぐさま、最上位の障壁を貼る。それと同時に、大理石の床が赤熱し始めたかと思うと、次の瞬間、分厚い床をぶち抜いて、巨大な光の柱が立ち昇った!

 あまりに強烈な、金色の光───。

 障壁越しにすら押し寄せる熱風に息もできない。眩しさに目も開けられない。

 その光が神殿の天井を貫き、吹き飛ばして消えた後には何も残っていなかった。障壁を貼ることができた俺たちは助かったが、吹き出した光の間近にいたリカルドは影も形も見当たらない。今の光で文字通り蒸発してしまったのか。


 皆が顔を見合わせたその時、今度は地面が鳴動を始めた。神殿全体が大きく揺れ動き、崩れ落ちる。光の柱によって大穴を開けられた床もどんどん崩れ落ちて行く。


 広がっていく大穴を前に、俺たちは、動けないリアーナを抱え、急いで飛び退った。その目の前で、その大穴から、何か巨大な物が飛び出して行くのが見える。


 その飛び出した巨大な物体は、はるか上空に達するとゆっくりと翼を広げた。長い首、長い尾、巨大な翼。───神話そのままの竜の姿。


 空を見上げることができないリアーナを除き、皆が皆、呆然と空を見上げていた。


「……竜王、ラーケイオス様……」


 その言葉は誰が発したものであったか。

 俺たちの視線の先、金色の竜王が天空にあった。

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