第11話 シーサーペントとの戦い

 大海原を2隻の帆船が進む。


 1隻はサルディス伯爵家の所有する外洋航行船フェレイダ・レオニダス号。「海神の愛娘」を意味する名前を冠するこの船は、4本のマストを有する最新鋭の高速船。順風であれば時速10ノット以上のスピードを出せる。計算上は、馬車で10日かかったフェルナシアまでの距離を1日で移動できるのである。もちろん、それに地上での移動がプラスされるし、常に順風とは限らないから、単純に10日が1日に短縮されるわけでは無い。それでも、船での移動による時間短縮効果はかなりのものであった。


 もう1隻はレオニードの商会が所有する沿岸航路用帆船ヴァルディース号である。こちらもフェレイダ・レオニダスほどでは無いが、最新鋭の高速船。この2隻がサルディス伯爵領からの全戦力で、他に複数の領地から同様の船が、シーサーペントの出没する海域に向かっているらしい。


 フェレイダ・レオニダスにはカテリナの他、サルディス伯爵家の騎士・魔法士が乗船し、ヴァルディースには冒険者が乗船している。今回は離れた海上の敵を攻撃しないといけないため、冒険者の中でも魔力持ちが厳選されていた。


 俺はカテリナの友人としてフェレイダ・レオニダスに乗船。まだ目標の海域には到達しておらず、今は何もやることが無い。甲板を散歩していると船の舳先に立ち、じっと前方を見つめるカテリナの姿が目に留まった。何もこんな危険な航海に同行しなくてもいいのに、敢えて同行しているのには何か理由があるのだろうか。舷側に立つ護衛騎士の隊長に話しかけてみた。


「カテリナ様って何で同行してるんですか? 危険じゃないですか」

「ああ、君はお嬢様のご友人だったか。いや、我々も危険だからレオニードで待っててくれって言ったんだがね。『部下を危険な戦闘に向かわせるのに、領主一族が安全な後方にいるわけにはいかない』って聞かなくてな」

「いや、でもそれ、伯爵閣下のお仕事でカテリナ様のお仕事では無いのでは?」

「まあ、色々と考えるところがあるんだろうさ」


 隊長はガシガシと髪をかいて、言おうか言うまいか迷っているような感じであったが、口を開く。


「君は随分と強いと聞いたけど、本当かい?」

「まあ、それなりには。一応、紅玉級冒険者でもあります」

「そうか、じゃあ、いざとなったらお嬢様を守ってくれ」

「それはもちろん、そのためにいますから当然ですけど、何かそれ以上にあるんですか?」

「……いや、まあ憶測でしかないんだが、お嬢様は死ぬために、この船に乗ってるんじゃないかって、みんなで話をしていてな」

「何ですって⁉」


 思わず大声を出してしまった。隊長は慌てて口に手を当てて「シーっ!」というゼスチャーをして俺を黙らせると続ける。


「旦那様が先日、お嬢様の縁談を纏めてきたんだが、テシウス殿下の側室になるらしいんだよ」

「テシウス殿下の側室、ですか。それはおめでとうございますと言うべきなのでしょうかね?」


 王族の側室になる。それは実質的にはかなりの権力を得ることを意味する。貴族の中には娘を何とかして側室として送り込みたいと考える者は少なくない。一方で、側室はあくまでも臣下であって妻ではない。表には出ない、日陰の存在だ。


「まあ、お嬢様の場合、正妃って立場にこだわるとも思えないけど、側室だと、お嬢様の夢からは遠のくだろうからねえ」

「カテリナ様の夢って?」

「あれ、聞いてない? お嬢様は、自分の船を持って、世界中を旅するのが夢なのさ。それこそ、この大陸の外までもね」


 そうだったのか。確かに、後宮で王子が渡ってくるのを待つ側室という立場では、世界を旅すると言う夢は遠のくだろう。せめて正妃なら外交の場に一緒に出るという名目で外国に行くこともあるだろうが。だが、思考は、カテリナの声で破られた。


「良くもまあ、主家の秘密をペラペラと。感心しませんね」


 いつの間にか、カテリナが後ろに立っていた。隊長はビシッと敬礼して、そそくさと逃げていく。カテリナはそのまま、俺の横に立った。


「カテリナ様、今の話は?」

「……まあ、テシウス殿下の側室になると言う話は本当。でも、だからと言って自棄になって死のうと考えているとか、そういう事は無いから安心して」

「本当ですか?」

「もちろん。貴族としての役割を放棄したりはしないわ。それに」


 カテリナは舷側の手すりに頭を乗せ、こちらをジッと見つめる。


「それにいざとなったら、あなたが助けてくれるでしょ?」


 その眼差しが艶っぽく、思わずドキリとしてしまい、目を逸らす。


「もちろん全力はつくしますけど、船が沈んだりしたら、どこまで守り切れるか」

「その時はその時よ。運が無かったのだと諦めるしか無いわね」


 その言葉にはどこか諦観が含まれている。自棄になったりはしないと言いつつ、自らの夢を諦めなければならないことをまだ十分には飲み込めていないに違いない。彼女を見つめ返すと、その視線の意味に気づいたのだろう。


「まあ、貴族のしがらみになど囚われない生き方にも憧れるけど、私には無理。だから、あなたはそんなものには囚われないで自分の想いを貫いて」


 だから、昨日、俺の言い訳を「くだらない」と切って捨てたのか。彼女はさらに笑って見せる。


「そんな顔しないの。王子様の側室なんて、誰もがうらやむ立場なんだから。今に宮廷の陰の主人として名を残してやるわよ。それに、テシウス殿下におねだりして、船をもらったりもできるかもね。そうなったら、西大陸にでも行ってみようかしら」

「西大陸って30年くらい前に魔法災害で大陸殆どが変な雲に覆われて出入りすることが出来ないって聞きましたけど?」

「だから、その謎を解き明かそうってことよ。心躍る冒険だと思わない?」


 彼女の姿は無理矢理元気に振る舞っているようにしか見えない。その笑顔が痛々しい。だが、そんな感傷は、突如、響き渡った「出たぞー!!」という、見張りの警告に中断された。






 見張りの指さす方向を見ると、今まさに巨大なシーサーペントがヴァルディースに襲い掛かろうとしている。その全長は50メートルは下るまい。


 ヴァルディースからはバリスタでの攻撃や、魔力持ちの冒険者から投射系の魔法攻撃が飛んでいる。だが、あまり効果を上げているようには見えない。一方、こちらから攻撃しようにも、広大な海の上。ヴァルディースまでの距離は300メートル以上ある。この距離だと騎士による近接攻撃用魔法の有効射程を超える。その状況を見て、魔法士たちが長距離魔法による攻撃を始めた。だが、その攻撃すら致命傷を与えるには至らない。逆に、シーサーペントの注意がこちらに向いた。その頬が大きく膨らんでいる。


「ブレスが来るぞ! 障壁を貼れ!」


 隊長の指示の下、複数の魔法士が強力な障壁を貼るための術式を編む。シーサーペントのブレスはドラゴンなどの炎系ブレスと違い、水をジェット水流のように吹き出すというものだ。攻撃範囲は狭いが、その威力はすさまじく、小型船なら一撃で沈没するだろう。フェレイダ・レオニダスのような大型船でも直撃すれば舷側に大穴が空くことは避けられない。


 直後、シーサーペントのブレスが船を襲う。舷側を直撃するかに見えた寸前、障壁が展開された。障壁にはじかれ、爆散した水の飛沫で視界が白く染まる。


 何とかブレスを防ぐことができたが、この位置関係では戦いは不利だ。騎士の攻撃は届かず、魔法士も単身による攻撃では、致命傷を与えられない。複数の魔法士による大規模魔法では、ヴァルディースを巻き込んでしまいかねない。それに、ブレスの射程圏内では障壁を貼るために魔法士を複数張り付けておかねばならず、十分な威力の大魔法を編むには魔法士が足りない。本来は他の領地の軍勢と合流してから対峙する手はずだったのに、いきなり襲われてしまったために、窮地に追い込まれていた。


 今、攻撃できる手段を持っているのは俺しかいない。俺ならシーサーペントまで駆け抜けていける。


「カテリナ様、行きます!」

「お願い!」


 傍らのカテリナに告げると、甲板を蹴って空中に跳んだ。反動で甲板の一部がはじけ飛ぶ。ごめんなさい、カテリナ様。後で弁償しますから。


氷結空堡スカーラエ!」


 そのまま、空中に作り上げた足場を駆け抜ける。10メートルおきくらいに並んだ氷の足場を跳ねていく俺の姿は、遠目には飛んでいるようにも見えるだろう。あっという間に、シーサーペントの頭上に躍り出ると、氷結槍グレイシスハスタを10本ほど胴体に叩き込んだ。こんな衆人環視の中で闇魔法は使いたくなくて選んだ魔法。だが、巨体故に致命傷にはならない。ただ、俺を敵と認めたようで、こちらを向いた。その頬が膨らみ、ブレスが襲う。


 しかし、シーサーペントのブレスは直線的。モーションさえ分かっていれば避けるのは難しくない。空中を跳ねながらブレスを避け、シーサーペントに近づくと、ミスリルの刃を突き立てた。そのまま、重力に任せて落下しながら切り裂いていく。しかし───。


「浅いか」


 人間のような高度な魔法障壁を貼る魔獣は殆どいない。だが、体内の魔核から供給される魔力で常に身体強化状態にあるために武器が通りにくい。ましてやこれだけ巨大なモンスター。体内の魔核も大きく、その魔核から生み出される魔力で強化された外皮は、生半可な攻撃は通さない。


 攻めあぐねていたが、さらに悪いことに、シーサーペントが海中に潜ってしまった。これでは通常の槍系魔法での攻撃は殆ど通らない。水で減速してしまう上に、強化された外皮で弾かれてしまう。


 しかも、シーサーペントは標的をヴァルディースからフェレイダ・レオニダスに変えたようだ。水中を突進していく。これはまずい。体当たりされたら、さすがのフェレイダ・レオニダスと言えども無傷ではいられないだろう。喫水線より下に穴が空いたら沈没は必至である。こんな状況で、出し惜しみできる訳が無い。高速で移動するシーサーペントを追って空中を駆けながら叫ぶ。


黒闇槍ダルク・ハスタ!」


 数十本生み出した漆黒の槍を、間断なく海中に撃ち込んでいく。闇魔法と言えど、水の抵抗は無視できないが、それでも身体強化は突破できる。


 これは効いたようで、シーサーペントがたまらず、俺に噛みつこうと水中から飛び出してきた。だが、これこそ狙い通り。空中を跳ね、シーサーペントの背後に回る。闇魔法と風魔法を融合すると剣を振るった。


闇風刃ダルク・エクサイル!」


 漆黒の風の刃が駆け抜ける。その一撃でシーサーペントの首が飛んだ。そのまま海中に没していく。魔石の材料となる魔核を回収できないのは痛手だが、この状況では仕方あるまい。






 シーサーペントは倒した。ホッとしてフェレイダ・レオニダスに帰還した俺を皆が遠巻きに出迎える。彼らの口から漏れ出るのは賞賛の嵐───では無かった。沈黙と異様なものを見る視線。少しずつざわめきが広がっていく。


「マジかよ」

「人間業じゃ無い」

「あれ、闇魔法じゃないの?」

「魔族?」


 ───ああ、やっぱりこうなるのか。いきなり闇魔法を見せれば、こうなるのは分かり切っていたのに。それを知った後でも普通に接してくれるセリアやソフィアの態度に慣れて、こちらもどこか甘く考えていたのだろう。冷静に考えれば、そのような人の方が例外的だったのだ。だが、そんなざわめきはカテリナの一喝で静まった。


「何をバカなことを言っているのですか! ラキウス君はあなた達を守って戦ったのですよ! それに対する態度がこれですか? サルディス家に連なる者として恥ずかしくないのですか⁉」


 そう言うと彼女の瞳が真っすぐに俺を射た。


「胸を張りなさい、ラキウス君! あなたは凄いのよ。私は友人として、あなたを誇りに思うわ!」


 カテリナの高潔さに心が震えた。思わず涙が出そうになってしまったほどに。


 だが、その時───いきなり海が大きく荒れた。大型船であるフェレイダ・レオニダスがまるで小舟のように波に翻弄される。船員たちの何人かが海に放り出されそうになり、悲鳴が響き渡った。俺はカテリナが海に落ちないように支えるのが精いっぱい。蒼白になったカテリナに語り掛ける。


「大丈夫ですか、カテリナ様」

「え、ええ、ありがとう」


 誰もが驚愕した激しい大波。ただ、長くは続かなかった。突然来てすぐに治まった大波に、誰もが訝しげに周りを見渡したその時だった。船の横の海面がいきなり盛り上がったかと思うと、「それ」が姿を現した!


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