第18話 決闘
後期の授業が始まってしばらく経った。
あの後、レジーナは姿を見せない。
それと無くギルド内で情報収集しようとしたが、皆、一様に口を噤んで答えない。彼女のことは誰も触れたがらない、一種のタブーとなっている様子が伺えた。進展も無いまま、いつまでも警戒しているわけにもいかず、徐々に日常が戻ってきている。
そうした中、事件が起こった。
その日、近隣諸国の歴史を学ぶ授業が行われていた。
題材とされたのは南の隣国、クリスティア王国。アラバイン王国同様、東の大国ミノス神聖帝国と国境を接するクリスティア王国はアラバイン王国にとって重要な同盟国である。現国王ドミティウス陛下の正妃はクリスティア王国の王室から嫁いできていた。
このクリスティア王国は60年ほど前、当時の開明的な国王が「執政権の国民への返還」を掲げて、立憲君主制に移行した国家である。いわゆる「君臨すれども統治せず」という体制になったのだ。一方で、強力な貴族制に手を付けることができなかったため、制定された憲法は空文化し、政治の実権は有力貴族を中心とする十侯会議に牛耳られていた。国民による政治を夢見て設立された国民議会は、十侯会議の
この立憲君主制についての議論の中で、国王の
議論は平行線をたどっていたが、苛ついたリカルドがセーシェリアを「謀反人の家系」と罵ったことで事態は急変する。
謀反人、そう言われた途端、セーシェリアは蒼白となり、何も言えなくなった。
「さすが、前国王陛下を裏切った家の娘は言うことが違うな!」
「……お父様は間違っていない」
そこまで悪罵されても、セーシェリアは反論できず俯いたまま。つぶやく言葉にも力は無い。
一方で、反論が来ないことで調子に乗ったリカルドは更に挑発を重ねる。
「父親は謀反人の上に色狂い。母親は色香で上級貴族に取り入った姦婦。親が親なら娘も娘だな」
ついにセーシェリアがキレた。
「お父様とお母様を侮辱するなああっ!」
我を忘れたセーシェリアが、今にもリカルドに掴みかかろうとしている。このままではまずい。例え、挑発されたとはいえ、先に手を出した方に、重く責任がのしかかるだろう。そんなことはさせない。それに、リカルドの暴言は俺にとっても許せるものでは無い。俺は二人の間に割り込んだ。
「何だ、お前? 平民が何か用か?」
「謝れ!」
「は?」
「彼女への暴言を取り消して謝罪しろ!」
リカルドは一瞬、ポカンとした顔をしていたが、すぐに嘲りの表情を浮かべる。
「はっ、平民が一端の騎士のつもりか? それともお前もセーシェリアの色香に迷った口か? まあ、こいつは顔だけはいいからな、母親と同じだ」
激昂しそうなセーシェリアを制し、リカルドに冷たい視線を向ける。
「貴様こそ、反論できないからと言って、本人の罪でもないことで相手を貶める。彼女のお父上が何をしたかは知らんが、だからと言って親の罪が子に及ぶなどあってたまるか! 彼女に罪は無い! 彼女に謝れ!」
リカルドも、セーシェリアでさえも目を丸くして聞いている。
この世界、親の罪は子のみならず、時に親類縁者に及ぶ。前世の価値観など通用しない。しかし、言わずにはいられなかった。だが、やはりリカルドには通じない。
「平民が何を偉そうにほざいてる! 俺は侯爵家の次期当主だぞ。
我を忘れたセーシェリアの代わりにと思っていたはずなのに、俺自身、頭に血がのぼってしまった。そこから先は完全に売り言葉に買い言葉。
「貴様こそ地位を笠に着ることしかできない卑怯者め! 先祖の威光にすがっているだけのクソ野郎が!」
手袋が飛んできた。
「拾え!」
リカルドが冷たく言い放つ。
いいだろう、受けて立ってやる。
手袋を拾うとリカルドが嘲るように言う。
「いいか、俺が勝ったらお前は退学だからな」
「いいだろう。その代わり僕が勝ったら……」
俺はリカルドをにらみつける。
「誓え! 二度と彼女にあんな暴言を吐かないと!」
休憩時間、俺はセーシェリアに呼び出されていた。
テーブルを挟んで前に座る彼女は難しい顔をしている。
「あなたが私のために決闘など、意味が分からないのだけれど」
「あなたの言い分の方が正しいと思いました。それを関係ないことで封殺しようとしたあいつにむかついただけですよ」
「……関係ないこと、ね」
つぶやくように言う彼女に、疑問に思っていたことを問うた。
「セーシェリア様、差し支えなければあなたのお父上に何があったのか教えていただけませんか?」
彼女は逡巡していたが、大きく息を吐く。
「そうね、あなたはもう巻き込まれてしまっているのだから知る権利があるわよね。それに中央の貴族なら誰でも知っている話だから、今更隠すことでも無いでしょう」
そう言うと話してくれた。
「もうずいぶん昔の話よ。25、6年前にはなるかしら。私の父は、当時の国王ナルサス陛下を幽閉して退位させたの」
「!!」
あまりの衝撃によろめきそうになるが、続きを聞く。
「お父様に聞いても、誰に聞いても理由を教えてくれない。でもその後すぐに即位されたドミティウス陛下はお父様を咎めていない。だから絶対、お父様の独断では無くて、ドミティウス陛下の同意があったはずなの。そもそもお父様が野心を持っていたのなら、その時に侯爵にでも公爵にでも、いいえ、王になっていてもおかしくない。でもお父様は辺境伯のまま。お父様は決して謀反人なんかじゃ無い!」
最後は絞り出すような声だった。彼女は一拍置いて自らを落ち着かせると続ける。
「その時、政変に巻き込まれて、前国王派の多くの貴族が追放されたり、閑職に回されたりしたの。そうした貴族たちからフェルナース家は恨みを買っているという訳」
そう言うことだったのか。おそらくはリカルドの家もその時に何らかの不利益を被ったのだろう。
「だからね、あなたが私のために戦う必要なんて無いのよ。今からでも決闘は辞退しなさい。退学なんてならないようにしてあげるから」
セーシェリアの申し出は俺を慮ってのものなのだろう。だが、俺は引き下がるつもりは無かった。
「いいえ、今の話を聞いてなおさら引けなくなりました。だってあなたに何の非も無いじゃないですか。生まれてもいない頃のことのために、あなたが非難されるなんて間違ってる!」
「!!」
セーシェリアは衝撃を受けたかのように手で口を覆った。その手が小刻みに震えている。
「……ありがとう、ラキウス君。でも、相手は侯爵家なのよ。無茶はしないで」
「大丈夫です。あんな奴に負けませんよ」
「例え決闘で勝ったとしてもどんな報復を受けるかわからないのよ」
「僕は平民ですから。たとえ退学になっても平民の生活に戻るだけですよ」
今度こそ理解不能と言うように彼女は首を振る。
「何で平民のあなたがこんな事のために戦ってくれるの?」
「平民とか貴族とか関係ありませんよ。正しいと思ったことのために戦う。それだけです」
その言葉にセーシェリアは止めても無駄だと悟ったのだろう。
「わかったわ、もう止めない。でも安心して。何があっても必ずあなたを守るから。フェルナース家の名誉にかけて」
決闘は王立学院のグラウンドで行われることになった。
周りには2年生も含めて全校生徒が見物に来ている。
リカルドはミスリル製の装飾過多な剣をこれ見よがしに掲げて立っている。練習用の刃を潰した鉄剣で無くていいのかと聞いたら、真剣勝負だと言う。あの剣を見せびらかしたいだけなんじゃないのか。
事前にセーシェリアから聞いている情報では、リカルドは侯爵家の嫡男らしく魔力は相当のものらしい。剣の腕も高名な剣術師範に学び、かなりの腕前だとか。だが、俺は6歳のころから魔獣と戦ってきた。命のやり取りも何度も経験している。騎士にもなっていない貴族のボンボンになど負ける気は無い。
決闘の形式は?と聞いたら、身体強化以外の魔法を使わず、剣で勝負と来た。おそらく、
「始め!」
立会人の掛け声の瞬間、俺は魔力で強化した身体で突貫するとリカルドの剣を弾き飛ばし、その首筋に刀を突き付けていた。
観客が一斉に静まり返る。
リカルドは訳が分からないという顔をしていたが、顔を真っ赤にして「卑怯だ!」と喚きだした。どうやら俺が掛け声よりも前に動き出したと言いたいらしい。バカバカしいが、言い返すのも面倒なので、やり直しを認めてやる。
「次は文句を言われないように、お前が打ち込むのを待っててやるよ」
そう言うと、顔を真っ赤にして飛びかかってきた。だが遅い。振り下ろした剣を再び弾き飛ばすと、刀の峰で思い切りリカルドを打ち据える。
無様に地面に這いつくばるリカルドに再び刀を突き付ける。
「お前の負けだ」
屈辱に顔を歪めていたリカルドは、次の瞬間、叫んだ。
「
こいつ、身体強化以外の魔法無しって自分で言い出したことを破りやがった。しかし術式構築が遅い。
「
俺は相手の炎の槍をそれに数倍する槍で相殺すると同時に、リカルドの周囲に何本もの槍を突き立ててやった。
ガタガタと震えるリカルドに改めて告げる。
「僕の勝ちだ。約束通り、二度とセーシェリア様にあのような暴言を吐かないと誓え!」
「……誓い……ます」
俺は呆然とうずくまるリカルドを残し、その場を去る。
駆け寄ってくるセーシェリアが「全く、あなたって人は」と言いながら笑うのを見て、彼女との距離を少しでも縮められたことに幸せを感じるのだった。
しかし、本当の事件はこの数日後に起こった。
更衣室からセーシェリアの下着が消え、あろうことか、俺のカバンから出てきたのである。俺は必死に無実だと主張した。だけど、誰がやったのか、どうして自分のカバンに入っていたのかを説明できない。
セーシェリアはブルブル震え、目尻に涙をためている。
「あなたのことを見直してたのに。少しはできる奴だって思ってたのに」
そして叫んだ。
「最低! 顔も見たくない!!」
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