第14話 エルミーナ

 教官に絞られた後、とぼとぼと寮に向かう俺の前に黒髪の少女が立った。


「エルミーナ様?」

「ラキウス君、さっきの凄かったね。……それで、ちょっと付き合ってくれない?」


 ここで、「えっ、付き合ってくださいって、いやあ、イケメンは辛いわあ」みたいなボケをかますつもりは無いよ。何か用事に付き合えってことでしょ。


「ええと、それは構いませんが、どちらに?」

「……私の部屋」


 マジすか? まあ、部屋に何かあるんだろうとついていったが、着いたところを見て固まってしまう。


「エルミーナ様、ここ、女子寮じゃないですか!」

「……そう、私の部屋、ここの3階」

「いやいや、まずいですって。女子寮に男の僕が入ったりしたら、ただじゃ済みませんよ」

「……大丈夫。窓から入るから」


 尚更誰かに見られたら大変なことになりそうな気がするんだけど、仕方ない、乗り掛かった舟だと裏手に回るエルミーナについていく。しかし、3階の窓からってどうやって入るんだ? いや、窓を破っていいなら、3階くらい、身体強化してジャンプ一発だけど、そう言う訳にはいかないだろ。どうするのかとエルミーナを見ていたが、一言、魔法を唱える。


氷結空堡スカーラエ!」


 すると、空中に氷の足場がスーッと浮かび上がる。彼女がそれに登ると、次の足場が目の前に浮かぶ。そうやって、次々に現れる氷の足場を階段のように使って昇っていく。マジかよ。


「エルミーナ様、その魔法は?」

「水系魔法と風系魔法の組み合わせ。空気中の水分を凍らせて浮かべてるの」

「凄いですね。オリジナルの魔法ですか?」

「……うん。ラキウス君もコツさえつかめば、すぐ出来るようになると思うよ」


 凄い。この魔法は使い方次第で凄く役に立ちそうだ。空中を駆けるような機動も可能になるだろう。


「エルミーナ様、今度やり方教えてください!」

「いいよ。……それより、早く来ないと、足場消えちゃうよ」


 見ると、最初の足場が霧散しつつある。慌ててエルミーナの後を追って足場を昇る。氷の足場という事で滑るのでは無いかと思ったが、思ったよりしっかり歩ける。


「お邪魔します」


 エルミーナの部屋は個室だった。さすがに子爵家の令嬢だけあって、寮ではあっても個室を使っているらしい。4人部屋に寝泊まりしている俺とは違う。しかし……


「凄いですね」


 室内は雑然としている。別に汚部屋と言うわけでは無い。こんなシーンでお約束の、下着が干してあって、女性が「見ないでー!」と叫ぶ、みたいなことがあるわけでも無い。とにかく、そこら中、魔法書の類が山のように積み上がっているのだ。魔法への高度な理解によって特待生クラスへの入学を許された彼女ならではの部屋だった。それにしても、これだけの本、相当高価だったのでは無いだろうか。この世界にはまだ活版印刷が存在しない。一応、木版印刷などはあるが、版を作るのに手間がかかるし、本は非常に高価なものだ。不躾とは思ったが、ついつい好奇心に負けて聞いてしまう。


「これだけの本、相当高かったんじゃないですか?」

「父さんがね、私が特待生クラスに入れたことに喜んで、王都に屋敷買ってくれるって言ったんだけど、断って、代わりに本をいっぱい買ってもらったの」


 屋敷より本か。彼女らしいなと思ってしまう。しかし、ここに来たのは、本の話をするためではあるまい。と、思っていると、彼女がスクロールを何枚も持ってきた。


「それは?」

「私が研究している魔法陣。ちょっと実験に付き合って欲しいなって」

「いいですけど、何の魔法陣なんですか?」

「治癒の魔法陣」

「えっ、マジ?」


 いけない、いけない、驚いて、貴族のお嬢様にタメ口聞いてしまった。でも、彼女はそんなことは気にしないみたいで説明してくれる。


「君も知ってると思うけど、治癒の魔法は光属性魔法を使える聖者や聖女で無いと使えない。その魔力を込めたポーションは効果が格段に落ちる」


 彼女の言うとおりだ。この世界では、そもそも治癒の魔法を使える人間自体極端に少ない。ポーションは即効性は無い。一応、軽い出血位ならすぐ止まるけど。治癒の魔法をスクロール化できるなら、助けられる命が格段に増えるだろう。


「ただ、これはまだまだ初期段階で使い物にならない。術式そのものは大きく間違ってはいないと思うんだけどね」

「込める魔力が光属性魔法でないと効かないとか?」

「そうかもしれないけど、それだと意味が無いよ。一般人が込められる魔力か、究極的には魔石から供給できるようにしないと使い勝手が良くない」


 確かにその通りだ。例えスクロール化しても供給する魔力を極々少数の聖者・聖女に頼っていたのでは、供給量が相当に限定される。


「と言うことで、実験に付き合って」

「それはもちろ……て、ちょっと待って下さい。治癒魔法の実験って何やるんですか?」


 気軽に申し込まれた提案を安請け合いしそうになったが、あることに思い至って慌てて取り消す。治癒魔法ってくらいだから、「今からラキウス君の指切り落として治るか実験するから」なんてやられるんじゃ無いだろうな?


 その俺の反応に、何を想像したか分かったのだろう。エルミーナは両手をブンブンと振って否定して来た。


「ラキウス君を傷つけたりとかしないから! と言うより、今の段階ではまだ生きてる動物とかも使わないから」

「そうなんですか?」

「いずれは動物実験とかも必要になると思うけど、まだ治せるって確証が持てないうちに動物実験とかしたら可哀そうじゃない」

「でも、じゃあどうやって実験するんですか?」

「実家の農地から、食肉用に解体した直後の肉を冷凍して送ってもらってるの。その肉を使うから」

「ええ……。でも、死んだ肉でやってみて効果あるんですかね?」

「だ、大丈夫。サイボウって奴が死滅してないうちは少し反応あるからって、エヴァンゼリン様も言ってたし」

「細胞? エヴァンゼリン様って誰なんですか?」

「王都の大神殿にいる聖女様。8歳で聖女になった凄い人なんだよ」


 ……王都の聖女様か。しかし、細胞を知っているなんて、何者なんだ。この世界にはまだ顕微鏡とかは存在しないはずだが。いや、異世界を馬鹿にするのは止めよう。医療の世界では、顕微鏡みたいな能力のある魔法や魔道具などもあるのかもしれない。俺は知らないけど。


 と言うことで、しばらく彼女の実験に付き合うことになった。と言っても、彼女の言う通りスクロールに魔力を流し込んだ後は、彼女が解凍した肉に使ってみて、魔法陣を書き換えるのを見ているという、それだけである。治癒のスクロールは確かに他の単純な魔法のスクロールより魔力を食うようだが、特殊な魔力を使う訳でも無く、俺が必要とも思えない。


「エルミーナ様、これ、僕必要ですかね?」

「ああ、ごめん、夢中になってて。君に本当に手伝って欲しいのはこっち」


 そう言うと、彼女は車輪の付いた大きな箱をガラガラと運んできた。その中身は、大量の魔石。


「これ、魔力を使い切った空の魔石なんだよね。お肉を保存しておくための冷凍魔法の維持に大量の魔力が必要でさ。魔石すぐに使い切っちゃうの。新しい魔石買うのも大変だし、魔力の補充をして欲しいなあって」

「ええ……」


 いや、半端ない量があるんですけど。これ全部に魔力込めるの?


「他の皆はすぐに魔力切れ起こしちゃって、手伝ってくれなくなっちゃうんだよね」


 つまり、大量の魔力供給源が必要。さっきの演習での俺の魔力量を見て、声をかけてきたという訳だ。俺としても、治癒の魔法が気安く使えるようになれば言うことは無いんだけど、それはそれとして俺のメリット何?


「あの、それはいいんですけど、僕、ただ働きってことですかね?」

「……氷結空堡スカーラエだけじゃ無くて、他の魔法も教えてあげるから。後、実験に使ったお肉を提供するってのでどう?」

「え、そんなにいいんですか? やります、やります!」


 魔法を教えてもらえるのは凄い。彼女は魔法の天才らしいから、いろいろ俺の知らない魔法を教えてくれるだろう。それにお肉も、寮の貧しい食生活からすると地味にありがたい。どうやって調理するかって問題はあるけど、何とかなるだろう。


 その後は、大量の空魔石に魔力を注ぎ込んでいった。量が量だけに、かなりの時間がかかったが、魔力量そのものは、俺にとっては、それ程たいしたことは無い。


「やっぱりラキス君、凄いね。その魔力量。平民の君がどうしてそんなに魔力があるんだろう?」

「昔から鍛えてましたからね。6歳の時から冒険者とかやってましたし」


 そんないい加減な説明で納得してくれたかは分からないが、彼女は真剣な表情でこちらを見て来る。


「ねえ、またお手伝いお願いしてもいい?」

「もちろんですよ。ただ、さすがに女子寮でってのはどうかと思うので、今後は、魔石だけ渡してもらえば、補充してお返ししますから」

「うん、わかった」


 和やかな雰囲気が流れる。だが、それは、突然に扉をドンドンと叩く音で終わりを告げた。ドアの外にいる寮監らしき人の大声が響く。


「エルミーナさん、ドアを開けてください。男の声がしたって言う報告があったんですけど!」

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