第11話 セーシェリアの補習授業
朝、目が覚める。
起きると、周りの皆はまだ眠ったままだ。
ここは王立学院に併設する寮の一室である。
王立学院のある王都は俺の街サディナから馬車で2日ほどかかるから当然、家から通う訳にはいかない。それは他の生徒も同じで、上級貴族の多くは領地の他に王都に別邸があるから問題ないが、下級貴族や平民はそうはいかない。
寮に入るか、王都に部屋を借りるかの二択である。
入学前、どうしようか迷っていたが、フィリーナが、毎日食事を作ってあげるから王都に部屋を借りて二人暮らししようって言ってきたので、部屋を借りるオプションは全力で却下した。妹には早く兄離れしてもらわないとな。
この寮の部屋は4人部屋。
一緒に住んでいるのは、まずライオット。彼はフェルナース辺境伯家の陪臣となる騎士爵家長男で、上に姉が一人いるらしい。魔王な姉じゃなければ良いが。
次にレイノルズ。彼は王宮に務める文官貴族の次男で、王都に家がありながら、家族が多くて家が狭いという理由で寮に入ってきた男だ。
最後にパルマー。彼は平民で、王都にある大きな商会の跡取り息子らしい。こちらも王都に家があるが、人脈形成の観点で寮に入れられた口である。
皆が起きたので、一緒に食堂に向かう。
食事をしていたら、パルマーがライオットにいきなりな質問を向けた。
「そう言えば、ライオット君ってあのセーシェリア様の家の陪臣なんだろ。セーシェリア様、美人だよなあ。どんな人なの? 話したりする機会ある?」
「言っておくが、セーシェリア様に不埒な視線を向けたら承知しないからな。まあ僕も直接話をする機会は多くは無いんだ。でも姉様が、セーシェリア様の侍女をしてるからね。姉様からは、とてもお優しい方だって聞いているよ」
うーん、イメージが違うなあ。外には厳しくて、身内には優しいタイプなのだろうか。そう考えていたらライオットに注意された。
「ラキウス君もセーシェリア様と同じクラスだからって不埒な視線を向けたりしたらダメだからね」
すみません、既に不埒な視線を向けて撃沈されてます……。
さて、食事も終わり、午後の授業の時間だ。が、俺は今針の
「何でこんなこともできないの⁉」
セーシェリアに怒りの質問を浴びているのは俺である。
前期のカリキュラムは一般教養と魔法学初級、それに社交儀礼となっているのだが、前2者はともかく社交儀礼など基礎すら知らないのだから仕方ない。宮廷序列の考え方や、序列によって異なる挨拶などの儀礼、テーブルマナーなど、ちんぷんかんぷんである。ましてやダンスなど論外。
授業で男女ペアになってエスコートだの食事のマナーだのロールプレイでやってみたが、ダメダメで、ペアになったセーシェリアは怒り心頭である。しかも、その後男女別でやったダンス練習での醜態も気に入らなかったらしい。授業中はさすがに何も言わなかったが、休み時間に入り、文句を言ってきた。
嵐が通り過ぎるのを待とうと思っていたが、セーシェリアに言い渡されてしまった。
「あなた、放課後、自習室に来なさい!」
自習室に行くと、セーシェリアと侍女が待っていた。ライオットのお姉さんだろうか。優しそうな人である。
セーシェリアは俺の前に立つと宣言する。
「これから毎日、できるようになるまで補習だから!」
意味が分からない。
彼女に、俺に教える義理は無いはずだが、と聞いたが、叩きつけるような答えが返ってきた。
「あなたができないと、周りが迷惑するのよ!」
しかし、さすがに説明が足りないと思ったのか、大きなため息の後、言葉を続ける。
「あなた、この王立学院の、それも特待生クラスで求められるものを理解してる? あなたは平民であっても特待生クラスに入ってこられたということは、魔力は相当なものだと思うけど、そんな個人レベルのことで評価されるほど甘くは無いわよ」
「それは良くわかります。でもそれと、あなたが僕に教えてくれることが結びつきません」
「個人レベルでは判断されないと言ったでしょ。クラスの中で落ちこぼれを出すと、クラス全員の評価に響くのよ。普通クラスまでなら個人でいい成績を残せばいいけど、特待生クラスに入るような人間に求められるのは、仲間みんなの能力を高めていく力だもの。教育を教師に任せておけばいいと言うのは普通クラスまで。私がやらなければ、恐らくソフィアが同じことやってたわよ。あの子はこういった事にすごく気の回る子だから」
段々と分かってきた。
「つまり、我々は生徒であるだけでなく、全員がリーダーとして他を導かなければいけないのですね」
セーシェリアは頷く。
「2年生になれば、普通クラスや初級クラスの子達を指揮して試合をするようなこともあるわ。普通クラスや初級クラスと言っても殆どは貴族の子弟。その時、基本的な貴族の儀礼も知らないような人間に彼らが従うと思う? 儀礼というのは形式的なものだけじゃなくて、貴族の価値観そのものなのよ」
目から鱗が落ちる思いだった。
前世の学校生活の延長程度に考えていた自分が恥ずかしい。
それと共に、再びセーシェリアへの印象が変わってくる。何故、平民がいるのか、と問いかけた時や俺をにらみつけた時は、平民を見下す、高慢なお嬢様なのかと思ったが、こうして話していると、言葉はきつくとも、限りない善性を感じる。ライオットのお姉さんが、彼女をとても優しいと評することがよくわかる気がした。
「わかりました。よろしくお願いします」
俺はお礼を言い、補習をお願いした。
……30分後、後悔したけどね。すげえスパルタだったよ。
こうしてセーシェリアの補習を受けることになって数日が経った。彼女の教え方は厳しいけど、単に形式的なことだけではなく、様々な所作の根底にある考え方などを根気強く教えてくれたから、すごく分かりやすかった。
それだけで無く、彼女は何とダンスの相手もしてくれた。最初に彼女の腰に手をまわした時は、こんな幸運があっていいのかと天にも昇る気持ちだった。もちろん、毎回彼女が相手してくれたわけでは無く、侍女が相手をする方が多かったが、要所要所で、セーシェリアが直接、手取り足取り教えてくれた。
ちなみに侍女の方はやはりライオットのお姉さんだった。ヘンリエッタさんと言うらしい。「ライオットをよろしくね」と言っていた。優しいお姉さんで羨ましいぞ、ライオット。
しかし、その後、大きな問題が起こった。
俺とセーシェリアが密会している、という噂が立ち始めたのだ。
誰が広めたかわからない。それに普通クラスや初級クラスで広まっていたため、俺もセーシェリアも気付くのが遅れた。
ライオットが他のセーシェリアの取り巻きと共に、俺のところに詰問に来て、ようやく気付くことになる。
その日、俺を取り囲んだ彼らの目は血走っていた。
「おい、ラキウス、お前がセーシェリア様と密会しているってのは本当か?」
「密会? そんな訳無いだろ!」
「お前がセーシェリア様とダンスをしているのを見たって奴がいるんだぞ!」
え、そんなところを見られてたのか、まずい。上級貴族のお嬢様が平民の俺なんかとダンスなんて、明るみに出たら、彼女にとってもスキャンダルになる。そう思って、うろたえて答えた言葉が間違いだった。
「違う、ダンスしてたのは、ヘンリエッタさんだから」
「何でお前が姉様とダンスなんかしてるんだよ!!」
ライオットは激昂して掴みかかってくる。
やべえ、こいつ、思い切りシスコンだった。
仕方なく、身体強化して取り押さえるが、すごい形相で睨みつけていた。
翌日からセーシェリアの取り巻きたちによるいじめが始まった。
と言っても、クラスが違うから最初は大した実害は無かった。寮の中で無視されるくらいのことである。だが、そのうち、所持品が無くなったり、落書きがされるようになったりしだした。
そしてある日、教科書やノートが無くなっていた。探すとゴミ箱に破り捨てられているのを発見する。
困った。教科書は凄く高価なのに。そうそう簡単に買い替える訳にもいかない。仕方なく、可能な範囲で補修するが、とても実用に耐える程度には戻らない。
それでも仕方ないので破れた教科書を授業に持って行くことにした。
教室でため息をついていると、セーシェリアが横に立った。その目が破れた教科書に注がれている。
「どうしたのよ、その教科書」
「いや、何でもありません。ちょっと落として汚れてしまって」
「そんなレベルじゃ無いわよ。ボロボロじゃない。落書きまでされてるし……」
いかん、いかん。彼女の陪臣たちに破られるだけじゃなく、落書きまでされていたんだった。これは見られるとまずいな。そう思って急いで落書きを隠そうとしたが、彼女はその落書きをジッと見つめていた。
翌日、俺はセーシェリアに呼び出された。
そこには、新しい教科書一式が用意されており、彼女からは謝罪の言葉があった。
「あの落書き、筆跡に見覚えがあったから問い詰めたら、白状したの。当家の陪臣の子達があなたに酷いことをしてしまいました。ごめんなさい。主家である私の責任です。これで許されるものでは無いかもしれないけど、陪臣の皆には私から厳しく注意したから。皆を責めないであげて」
そう言うと教科書を渡してくる。
俺はふいに涙が出そうになった。
誰だ、こんないい子を高慢だなんて思った奴は。高慢? 高潔の間違いだろ。
平民を見下してる? 俺みたいな平民にまで礼を尽くしているじゃないか。
陪臣に罪を被せず、自らの責任だと詫びる姿は誇り高い貴族そのものだ。
「ありがとうございます」
そう言うのがやっとだった。それ以上何か言おうとすると、本当に泣いてしまいそうだったから。
その日の夜、ライオットが謝罪に来た。
聞くところによると、セーシェリアが陪臣や取り巻きを集めて、噂は事実ではないこと、実際には何をしていたのかを説明し、決して流言に惑わされることの無いよう、貴族としてあるまじき行為を行うことの無いよう諭したのだと言う。
俺はライオットの謝罪を受け入れ、今後も友人として接していくことを約束した。
それがセーシェリアの誠意に応えることだと思ったから。
❖ ❖ ❖
同時刻、ソフィアは再び父、アルベルトの前にいた。
「6歳で冒険者登録、12歳で紅玉級冒険者ですか。俄かには信じ難い話ですね」
娘の言葉にアルベルトは頷く。
「しかも紅玉級冒険者への推薦状を書いたのはクリストフという話だ」
「では、特待生クラスに魔法士団長の推薦で入ったというのも?」
「うむ、クリストフからサヴィナフに話が行ったのだろう」
「アナベラル家があの子を取り込みにかかっているということなのでしょうか?」
「わからん。サヴィナフが何を考えているかは私でも読めないからな」
アルベルトはそれ以上、サヴィナフの意図を追及しても無駄だと考えたのか、学院での状況を聞いてくるが、それにソフィアは苦笑を返す。
「セーシェリアがいろいろお節介を焼いてますわ。密会しているって噂が流れるくらいに」
「密会?」
「根も葉もない噂ですわ。もっとも、誰がその噂を流したかは気になりますけど」
「おおかた、ガイウスに恨みを持つ家の連中だろう。それよりガイウスの娘が動いているというのは、フェルナース家がそいつを取り込もうとしているということなのか?」
ソフィアは首を横に振る。
「いいえ、良くも悪くもセーシェリアはそんな搦め手ができる子ではありませんから。単にお節介なだけですよ。あの子は昔からそうなのです」
「そうは言っても、その平民の子の方が夢中になるということは無いのか? ガイウスの娘は母親に似て、たいそう美しい娘だと聞いたが」
ソフィアは思いもかけない質問を受けたとでも言うように、目をパチクリとさせたが、薄く笑う。
「その可能性は否定できませんが、あまりにも身分が違いますから、ご心配には及ばないかと。男爵家の娘を妻にした辺境伯でも、まさか自分の娘を平民に嫁がせるほど酔狂では無いでしょう。それに、少なくともフェルナース家は中立派閥ですもの。あの少年が身分違いの恋に夢中になるなら、他の女性がらみで敵対派閥に取り込まれる心配をしなくて良い分、好都合ではありませんか」
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