空空寂寂

三鹿ショート

空空寂寂

 自分が何のために生きているのかということを、毎日のように考えている。

 友人も恋人も存在せず、趣味も無ければ熱中するものも無い。

 寝て起きることが出来るのならば、どれほど古く、大量の虫が姿を現したとしても、その家に住むことができる。

 栄養が存在するのならば、どのようなものであろうとも嫌悪することなく口に運ぶことができる。

 そのような人間が、誰のために、何のために生きているというのだろうか。

 自身の仕事や生活によって、利益を得ることができる人間を喜ばせるためだろうか。

 確かに、生きていれば、何かと金銭を必要とする。

 執着するものが無いとはいえ、最低限の衣食住に関して金銭を支払っているために、それによって利益を得ることができる人間も存在していることだろう。

 だが、私が支払いを止めたとしても、他の人間が同じような行為に及ぶに違いない。

 そして、その人間はおそらく、私よりも人生における愉しみというものを持っているだろう。

 それならば、私よりも、そのような人間が生きていた方が、幸福と化す人間は多いと言うことができる。

 そのことを考えるたびに、私はますます、自分の存在理由が分からなくなってしまった。

 そんなとき、私は彼女を目にした。

 みすぼらしく、傷だらけの状態で路地裏に倒れている姿から、恵まれた環境で生きているわけではないということを推測することができる。

 常ならば、何事も無かったかのようにその場を後にするのだが、その日の私は異なっていた。

 彼女を支えるということを人生の目的にすれば、胸を張って生きることができるのではないか。

 自分が自由に使うことができる金銭が少なくなってしまうというにも関わらず、家族のために働き続ける人間の存在を思えば、これは良い目的ではないだろうか。

 そのように考えると、私は彼女を病院に運ぶために、身体を持ち上げた。

 想像以上に、軽かった。


***


 私が病院まで運んだということを知ると、彼女は頭を下げた。

 そして、私が訊ねていないにも関わらず、己の身の上を話し始めた。

 いわく、彼女の両親は酔っているか、薬物で正気を失っているか、暴力を振るうかのいずれかの状態であり、耐えることができなくなったために、彼女は逃げ出してきたらしい。

 しかし、若い彼女が生活費を稼ぐことは難しく、簡単ではあるものの危険が付きまとうような仕事を選ぶ他なかった。

 だが、それなりの立場の人間に許可を得ることなく客を取ったことが明らかになる度に、先ほどのように気を失うまで暴力を振るわれていたようだ。

 涙を流しながら語る彼女には悪いが、そのような凄惨な人生を送っている人間ならば、それを支える私の存在価値も良いものと化すに違いない。

 私は彼女の手を握り、若い彼女が危険な世界で生きていることを知っては見過ごすことができないと告げてから、私と共に生活をしてはどうかと提案した。

 しかし、彼女が首肯を返すことはなかった。

 そのような態度を示すことは、仕方の無いことである。

 恩人とはいえ、見ず知らずの人間と共に生活するなど、私が彼女の立場だったとしても、即座に頷くことはないからだ。

 だが、住み込みで家事をしてほしいと告げると、彼女の表情はわずかながら変化した。

 無償で共に生活するのではなく、仕事として共に生活することとなれば、話は別なのだろう。

 彼女はしばらく悩むような様子を見せたが、やがて私の言葉を受け入れた。

 おそらく、私の人生は、此処から始まったのだろう。


***


 彼女の家事の能力は絶望的だったが、半年後には何処に出しても恥ずかしくは無いほどに成長した。

 同時に、清潔感を得たためか、道を歩けば振り返る人間が多いほどに、彼女は美しく変化したのである。

 何時私の家を出て行ったとしても不思議ではないほどに変わったものの、彼女は私から離れようとはしなかった。

 その理由は、彼女が私に向ける視線を思えば、明らかである。

 しかし、私が彼女を異性として認識することはない。

 何故なら、私にとって彼女は保護の対象であり、それ以外の感情を抱くことは露ほども考えていなかったからだ。

 たとえ彼女が一糸まとわぬ格好で迫ってきたとしても、私が彼女のことを受け入れることはないと断言することができる。


***


 買い出しに向かった彼女がなかなか帰宅することがないことに疑問を抱いていたところ、呼び鈴が鳴った。

 応ずると、其処には制服姿の人間が立っていた。

 いわく、自動車に轢かれそうになった子どもを救うために、彼女は生命を擲ったということだった。

 その報告を聞いていた私の胸中といえば、驚くほどに落ち着いていた。

 共に生活することが長かったために、愛着を感じているかと思っていたのだが、どうやら私は彼女という人間を、自分が存在理由を得るための道具としてしか見ていなかったかもしれない。

 他者の手前、涙でも流すべきなのだろうが、それは不可能だった。

 病院へと向かいながら、私は次なる彼女を何処で探そうかと考えていた。

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空空寂寂 三鹿ショート @mijikashort

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