2話 夜の訪問者



 普通自動車の運転免許証を取得して、久しぶりの会社に向かう途中、警察の車両がたくさんいることに気づいた。


「今日から、また、お世話になります」

「よく帰ってきてくれたよ。正直、君まで辞めてしまうかと思い、ヒヤヒヤしていたよ」


 社長は、冗談半分に、言っているようだが、本心からそう思っているのだろう。自分の身の振り方を考えて、俺自身、このままバックレてしまおうと思っていたくらいだ。

 しかし、どうしても決心がつかず、戻ってきてしまった。結局のところ、辞めたとて、行くところはないのだ。


「……何かあったんですか?」


 会社に来る途中に、パトカーが走っていたことを、社長に尋ねた。


「さあ、わからんな」

「まさか、例の逃亡犯がここら辺に潜んでるんじゃないんでしょうね?」

「考えられるな。何十年か前に、この近くの民家に逃げ込んで、人質を取り、立てこもった事件があったよ。まあ、その時とよく似てるな。あん時は二十時間ぐらいで、結局、警察が踏み込んで、解決したが……」


 社長は事務作業をしながら、答えた。


「それより、今日は山本さんについて、仕事をしてくれるかい?」

「わかりました」

「山本さんはね、君が戻ってくるのをずいぶん待っていたようだよ」

「ホントですか?」


 後に聞くところによると、ゆうじがキレて会社を辞めてから、現場作業はじいさん連中がやっていたのだが、作業の進捗状況は芳しくなく、おまけに親方と山本さんの折り合いが悪く、仕事にならなかったという。


 山本さん曰く、「親方は、口は出すが手は出さん。五月蠅くてかなわん」


 俺からしたら、どっちもどっちだと思うが、当人にはわからないらしい。

 その日の山本さんは、何とか機嫌よくできたようだ。

 会社に戻ると、社長が事務所から出てきて、俺に近づいてきた。



「どう、作業の進み具合は?」

「伐採がまだかなりの範囲のこっているみたいです。けど、山本さんは、もう架設したいと言ってます」

「それは、まあ、構わないが……清水さんは、腰の調子が悪いと言うし、親方は、山本さんが嫌がるし、君が一人で大丈夫かい?」

「まあ、やれないことはないです」

「必要なら、俺も手伝うから、その時は事前に言ってくれ」

「はい」

「山本さんはちょっと、気難しい人だが、根はいい人だからさ。それでも、十分、気をつけるようにね。まあ、君は大丈夫だと思うけどね」



  *         *         *



「ガタガタガタ」という音で目が覚めた。

 夢の中の出来事と思い、枕もとのスマホの時刻を見ると、二時半を表示していた。

 明日も朝早くから起きて、仕事に行かなくてはいけない。

 思えば、早朝に起きて活動するなんて、学生の時以来であった。

 大学を中退して東京に出てきてからは、完全に夜型の生活に慣れ、昼過ぎから夕方ごろ起きて、居酒屋のバイトに行って、その後、深夜まで活動をして、明け方眠るという完全に今と逆の生活をしていた。

 それが、今ではじいさんのような早朝生活をしている。

 しかし、それが思いのほか体調がよく、自分に向いていることに気づき始めた。

 もう少し寝ようと思い、目を閉じた瞬間、またしても、ガタガタガタと外から音が聞こえてきた。

 気のせいではない、誰かいる。

 イノシシか、シカかもしれない。

 納屋からの方からだ。

 イノシシやシカなら、食べるモノもないから、さっさとどっかへ行くだろう。すると、今度は玄関の方に移動する足音がした。

 どうやら人間のようである。

 ゆうじが帰ってきたんだ。だったら問題がないか、と思い、目を閉じた。そして、いつの間にか眠りに落ちた。


「あれ?車がない」


 翌朝、カーテンを開けて、外を見ると、ゆうじが乗っていった軽自動車が庭先になかった。

 ゆうじの部屋をのぞくと、姿はなかった。

 ゆうじが帰ってきたわけではなかった。

 玄関も、鍵がかかったままである。

 夢では見ていたのか?わからなくなった。



  *        *         *





「山の中に逃げた犯人のことが今、大騒ぎになっている。昨日の夜に民家に侵入して、家主と遭遇して、警察が出動したそうだ」


 作業現場へ行く途中、山本さんが言った。

 それで、はっとした。

 なるほど、そういうことか。昨夜の訪問者はそいつだったのかもしれない。


「どうやら、まだ近くにいるみたいだぞ」


 昨夜の話をしようとしたが、「じゃあ、警察に通報しろよ」となりそうだったので、俺は口を噤むことにした。



  *          *          *



 その日の夜、奈多さんが俺を起こしに来た。


「おい、起きているか?」

「ん?あ、はい」

「なんか、外にいるぞ。例のヤツが来たんじゃないのか?」


 夕食の時に、話をすると、奈多も彼女から逃亡犯のことを聞いていたらしく、見つけ次第、捕まえると息巻いていた。

 俺は眠い目を擦りながら、聞き耳を立ててみると、確かに、外で何かガサゴソと音がしている。


「みたいですね」

「ぶっ飛ばして、警察に突き出してやる」

「いいんですか?あんまり派手な行動するのはよくないって、ゆうじさんが言ってましたよ」

「フンッ、別にこれぐらいは構わんさ、良いことをするんだからな。ゆうじは臆病者なのさ、だから、すぐにケツを捲る。よし、オモシ、オトリになれ。俺が背後から、バッドで殴って動けなくするから」

「そんなことしたら、死んじゃうんじゃないですか?」

「何度もやって、今まで死んだヤツはいなかったから安心しろ」


 そんな根拠のないことで安心はできないと思いながらも、外着に着替える。

 外に出ると、十一月の夜気が冷たく、身震いをした。早く終わらせたかったので、闇の中に気配を探る。

 その時、一瞬だが、何かが腐ったような臭いが漂ってきた。何だろう?と思いつつ、後ろの林の方でガサという音がした。

 俺はビクリと体を震わせた。

 奈多さんがどこにいるのかわからない。

 とりあえず俺は、そこの方向に向けてライトを照らした。するとそこに黒い塊がうずくまっているようである。人間ではない、明らかに大きい。俺は一瞬で全身が鳥肌が立つのを感じた。

 クマである。

 言葉が出てこない、全身が何かで固められたように動かない。奈多はどうしているのか?

 このことを知らせた方がいいが、知らせようとして、こちらに向かってこられたらどうしようという思いがあり、何もできない。


 熊はゆっくりと振り返り、 周囲の匂いを嗅いでいる。

 熊は、とても鼻が利くというのは聞いたことがある。匂いで全てを悟るように、鼻をクンクンとさせている。

 その時、後ろから物音がしたのに、熊が気づき、そっちの方へ動く。

 奈多が近づいてきているのか?

 やめろと心の中で叫んだ。

 次の瞬間、熊が一気に走り出し、山の方向に向かった。

 ものすごいスピードで木々をなぎ倒していく音が遠ざかっていく。

 奈多も、それが人ではないということを気づいたのだろう。

 いきなり、悲鳴があがった。やたらめったらバットを振り回す音が聞こえてくる。。

 そして、クマが逃げていく音がやんだ。

 一瞬で、全力で力が抜けた。

 奈多は何に怯えていたのだろうか?だが、しかし、動きを話すこともできない。

 とりあえず俺はへたり込んでしまった。

 ふと見ると横に人が立っていた。驚き、見上げると、ゆうじが立っていた。


「……ゆうじさん?」

「奈多は?」


 ゆうじの問いに、俺は指先を暗闇の方へと指さした。


「ちょっと見てくるわ」


 ゆうじは行ってしまった。しばらくすると暗闇から二人が現れた。

 奈多は腕を抑えて、バットを杖代わりにして 歩いてきた。


「へへへ、思いっきりぶん殴ってやったら、逃げてったよ」

「お前、誰と戦っていたんだ?」


 ゆうじは言った。


「逃亡犯だ」

「そんなの見かけなかったがな」

「それより、熊が出ました」


 俺はわれに返り、二人に向かって言った。


「は?夢でも見てたんじゃないのか?」


 ゆうじが言った。


「え?だって、聞きませんでしたか?ものすごい音で獣が逃げ去っていく音」


 俺の言葉に二人とも首を傾げる。

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