5話 自動車学校とキレ芸




 この日の俺は、会社から二十五キロ離れた、湖畔にある自動車教習の合宿所にいた。

 その合宿所は、十四日で自動車免許を取れるという口コミだったので、社長にお金を立て替えてもらい、俺は自動車教習所に通うことになった。

 理由は単純明快で、自動車がないと不便であるし、いざという時、頼りにならないということである。

 社長が、「三週間は、仕事に出なくていいよ」と送り出してくれた。

 合宿所に泊まり込み、集中的に自動車免許を取るためのカリキュラムをこなす。

 ありがたいと思う反面、十四日という短い期間で運転免許を取らないといけないというハードなスケジュールにプレッシャーもある。

 合宿所にやってきてるのは、総勢十五名の男女の若者だ。若いと言っても、俺より明らかに年上のやつもいる。

 免許取得よりも、日頃の疲れを癒せることが、何よりありがたかった。

 林業を始めて一か月半。チェーンソーを使うようになって、約一か月。

 腕はパンパン、足は靴擦れを起こし、どこもかしこも筋肉痛であった。

 どんな仕事でも慣れるまでは大変だが、林業を始めて思ったのは、今までやってきたどの職より、慣れるまでの時間がかかるとことだ。


 初日から、合宿に来ていたほとんどのメンバーとしゃべれるようになった。

 合宿で免許を取ろうという連中なので、多少の癖はありそうな感じだ。

 しかも合宿所は、狭い部屋の相部屋であった。おまけに、一緒の部屋のヤツが変わっていた。


「おい、お前……そこのお前だよ。タバコ持ってねえか?」


 部屋に入るなり、声をかけてきたのは、俺より年上に見える、ふた昔前からタイムスリップしてきたような男であった。


「持ってない、吸わないんだ」


 俺はわざとぶっきらぼうに答えた。下手にでると、つけあがりそうだと判断したからだ。


「禁煙なんてするのか?お前?」

「禁煙じゃなくて、元から吸ってないんだ。タバコなんて、ろくなもんじゃないから」

「はっ、誰から聞いたよ、そんなこと?」

「いや、常識でしょ」

「常識?……お前どっから来たよ?」

「東京だけど、今はこっちに住んでる」

「俺も東京なんだよ、色々あってな。そんで免許を取ることになった。そのいろいろって、聞きたいか?」

「いや、別に」

「俺、お前のこと、なんか見たことある気がすんだけど、どこかで」

「へえ、どこで?」


 内心、ドキリとした。


「いや 思い出せない」

「……そう?気のせいじゃない。他人の空似でしょ、よくある顔だもの」

「そうだな、それは確かにそうかも。……でも、本当はそうじゃないかも」


 実際、この男が見たのは、俺ではなく写真であった。俺たち三人が写っている指名手配写真が出回っていた。


「だいたい、いまどき挨拶さえ、出来てねえやつが多すぎる。ここにいる連中もそうだ。お前も気をつけろよ」


 なぜだか分からないが、上から目線で言われてしまった。



  *         *         *



 森林組合の事務所に入ると、野田が気づき、立ち上がる。野田の案内により、別室に入る。


「うちの事務から、新人が入ったって聞いたけど」

「はい、そうです」

「よく見つけたね」

「ええ、たまたま、東京から知人の紹介で」

「へえ、東京から。幾つくらいの人?」

「二十五と六の二人です」

「若いね、良いじゃない。それで、どうなの、使えそうなの?」

「はい、なかなか、頑張ってくれてます」

「それは良かった。これで、認定事業体の申請もできるね」

「ありがとうございます」

「ちゃんと手続きしておけば、いろいろと補助金も下りやすいし、仕事の幅も広がるよ」

「はい。そうなったら、ありがたいです」

「そしたら、うちとしても、もっと利益率が高い現場も紹介できるしね」

「お願いします」

「それで、新しい現場はどう?」

「はい、ありかとうこざいます。順調です」

「よかった、それで、材の引き受け先なんだけどね」



  *        *        *



「ちょっと、事務所まで来てくれないか?」



 作業が終わり、事務所でチェーンソーの掃除をしている、ゆうじに森林組合から戻ってきた元治が近づき、話しかけた。


「緑の雇用?なんですか、それ?」


 事務所に入ると、元治は、いきなり本題に入った。


「緑の雇用は、林野庁が主催している林業の求人雇用、研修教育するための研修制度だ。それを受けることによって、作業員を育成につながり、資格なんかも取らせてもらえるし、事業体としても、メリットの大きい」

「えー、そんなのがあるんですか。林業って、何か色々、優遇されてますよね。補助金とか色々あるし……それってどうなんですかね、少しまずいような気がしますが?」

「そんなことないさ、第一次産業は、外国でも優遇されている。外国に比べて、少ないぐらいだよ」

「そうなんですか?」

「ああ……それで、緑の雇用は来年六月から始めるんだが、大丈夫だよね?申し込んでも」

「それって、俺たちが辞めるっていうことを考えているんですか?」

「まあ、そうは思いたくないけど、君たちも君たちの都合ってものがありそうな感じだからさ。どうだい?ここでしっかりと決めてきておきたいんだ。正式に社員になるか、どうか?それとも、トライアル雇用でやめておくか、今後の事は、考えているかい?」

「そうですね、確かに、それはちゃんと考えた方がいいですね」


 ゆうじは真面目に返事を返した。



 会社から、借家に戻らず、ゆうじは自分のチェーンソーを見に行こうと、会社から、十キロ離れた、道具屋へ向かった。

 その店は、林業や農業の機械や部品を数多くそろえた、業界で知らない者がないくらい有名な店であった。


 名前を「山楽」といい、山本老人に聞いて、一度は訪れたいと思っていた。

 現在、チェーンソーは、会社のモノを使わせてもらっているが、補助金が下りれば、自分のチェーンソーを買ってもらえるというのを元治に聞いた。


 店内は古くて、照明は暗く、所狭しと雑多な道具類が置かれてある。


「何でも、この界隈じゃあ、有名な店らしいぜ」


 若い二人組が、大きな声で話しながら、ゆうじより、少し遅れて入ってきた。


「ただし、林業界の中だけどな」

「そうですか」

「いらっしゃい」


 この時、店内には、年寄りがたくさんいた。


「ここには、年より連中しかいないみたいだ」

「声が大きいですよ」


 若者たちは、近くにいた老人の店員に向かって、話しかけた。


「チェーンソーの刃がほしいですが、刃」

「ソーチェーン、サイズは?」

「サイズ?40cmのバーだから、それに合うヤツ」

「メーカーは?」

「メーカー?」

「チェーンソーのメーカーは何?」

「何だっけ?」

「たしか、白と黒のボディーだったよな?」

「うん」

「スチールか。排気量は?」

「排気量?チェーンソーの刃が欲しいんだけど……?」


 若い二人に対して、周囲にいた老人たちが、ニヤニヤと見つめていた。

 ゆうじは、その光景を見ながら、鼻で嗤っていた。



  *        *        *



 次の日、山本さんと組まされた、ゆうじがやらかした。


「やってられか、ふざけんじゃねえっての」


 ゆうじがキレて、チルホールを投げ出して、山から降りようとする。


「待てっ、この野郎」


 山本さんが、切り株から腰を上げて、タバコを地面に投げ捨てた。

 

 ゆうじがキレた原因は、山本さんが、例のごとく伐採をミスして、かかり木になった杉の大木をチルホールで引いて落とそうとしているのだが、先ほどから、どうやってもうまいこと落ちないので、チルホールをいろんな場所に移動しているが、山本さんが一切手伝おうとせずに、タバコをふかして眺めていたからだ。


 棒を持って、「コノヤロー、殴るぞ」と脅してくる山本さん。が、老人の脅しなど、どこ吹く風のゆうじ。


「やれるのか?……せいぜい、狙いを間違わないようにしろよ」

「あ、あんだと?」

「大体あんたは、人に仕事をやらせ過ぎのくせに、威張ってばかりいる。ミスばかりするくせに、反省も改善もない。まあ、だから、いつまでたっても、同じようなミスを繰り返すんだかな」

「このクソガキ……」

「あんたが働けるのは、会社が人手不足からだ。ちゃんとした会社なら、とっくにお払い箱になっている。だいたい、あんたは人を殺しかけたんだぜ、オモシをな。あいつは社長には言わないが、死にかけたって話してくれた。あんたは、本来なら仕事をしちゃいけないんだ」


 この時、ゆうじは今まで溜まっていた鬱憤を全て話すようにぶちまけた。

 それを聞いた山本さんは、いきなりチェーンソーを「バーン」とゆうじの方に投げつけて、山を降りて行ってしまった。

 

 会社に戻ったゆうじは、事務所にいた社長に、山本さんとの一連の流れを説明をした。


「なんてことをしてくれたんだ」


 いきなり、椅子から立ち上がると、社長は聞いたことのない大声を上げた。


「そんなことをしたら、仕事にならないじゃないか?」

「俺が悪いんだろ?あんな、狂ったじいさんと仕事をするなんてまっぴらだ」

「あの人がいないとやっていけないんだよ、この会社は」

「それなら、この会社が悪い」

「そんなことは、今はどうでもいい。とにかく謝りに行くぞ」

「嫌だね」

「何だと?」

「オモシは、あのじいさんに殺されかけたんだ。それをあのじいさんは軽く見ている。人の命を軽く見ているようなヤツとは仕事ができない。それに、謝るなんて、絶対に嫌だ」

「うるさい、出て行け」

「ああ、出ていくさ」


 ゆうじは、事務所を飛び出した。

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