4話 危機一髪




 この日は、新しい現場を見に行くことになった。

 朝から、知らない場所に車を走らせていくと、草木が鬱蒼としている、入るのにも苦労する現場にたどり着いた。


 その現場に入った時、いつもうるさい山本さんが、やけに静かであった。

 その理由は分かったのは昼の休憩の時である。

 いつもは車で寝ていた山本さんが、その日は車の横にいる俺たちに向かって話しかけた。

 ちなみに俺たちは、ブルーシートを引いて、外で飯を食べる。


「おめえたち、ここら辺をどこか知ってるか?」

「何言ってんですか、知っているわけがないでしょう」


 ゆうじが冷めた口調で言った。


「ここは、鎮守の森の入り口辺りだぞ。昔は禁忌の森と呼ばれててな、ここら辺では、山の木を伐っちゃいけなかったんだ」

「なんでですか?」


 俺が 聞く。


「この辺りには神様が祀ってあって、そこに入り込むと災いが起こると昔から、土地の人たちに信じられてたんだ」

「へえ、何か、変わったことが起こったことがあったんですか?」

「俺の子供のころから、神隠しやキツネに化かされたなんて話はしょっちゅうあるぜ。この周りではな」

「そんなことって、あるんもんなんですね」


 俺は笑みを浮かべて、適当に話を合わせる。


「俺の知る限りでも、二人死んでるな」

「えー、マジすか?」

「俺の知り合いじゃないかな。まあ、そういうとこがあるだよ、山の中にも行っちゃいけねえ場所とか、伐っちゃいけない木とか、そういうのがあるものさ」


 山本さんが、真顔で話す内容を聞いていると、鬱蒼とした山の姿が、心なしか、気味の悪いものに見えてきた。


「だから、ここら辺の仕事をやる時は、お清めをしてやるっていうのに、元治のヤツ、お神酒をもってこやがらない。今日は作業は止めにすることにしたからな」


 こともなげに言った山本さんの言葉に、内心、ラッキーと思っていたが、少しするとエンジン音が聞こえ、社長がやってきた。

 車から降りると、日本酒の一升瓶を持って、山本さんに近づいてきた。



 仕事始めの、山の神様のお清めを済ませて、俺は山本さんと一緒に伐採の作業をすることになった。

 山本さんが木を伐り、俺がチルホールで引っ張る、二人一組の作業だ。

 一組でやる作業なので効率を重視するのだが、案の定、全部、俺が一人で山本さんのサポートをする羽目になった。


「おい、早くしろ」


 例のごとく、タバコを吹かし、切り株に座って、俺がチルホールをセットするのを待つ山本さん。

 俺はそれを横目に見ながら、チルホールとワイヤー、二段梯子、滑車、スリングベルトを順番に持って、山の斜面を移動していく。

 ようやくチルホールを所定の位置にセットし終わると、今度は梯子をもって伐採する木に、呼び出しという長いワイヤーを梯子を上った位置に取り付けて、下りたらチルホールまで移動してワイヤーを張って、セット完了だ。その間、十分以上かかる。

 しかし、山本さんはチェーンソー1台を持って、伐る木の間を移動するだけだ。

 その間、わずか三十秒。

 セットした後に、山本さんがチェーンソーのエンジンを入れる。唸りを上げて、一瞬で受け口を作り、すぐに、背面に追い口を入れる。

 そして、「おい引け」というのである。

 その間、わずか一分。

 俺は、チルホールのレバーを左右に動かして、 懸命に、山本さんが切れ込みを入れた木を引き倒す。

 すると、木が倒れるはずなのだが、偶に倒したはずの木が、立木に引っかかっり、倒れないことがある。

 掛かり木だ。


「ここにチルホールを持ってこい」


 そんな時は、山本さんの指示した場所に重たいチルホールを移動して、スリングベルトを立木の根元にくくりつけ、横から、かかった木を引っ張り、引っかかった伐倒木を横にずらして枝から落とす、という余計な作業をしなくてはならない。

 細い木なら、大したことはないのだが、ヒノキのなかなかの枝振りのある木になると、枝と枝の絡まりあい、思うよう落ちてくれない。

 仕方がないので、山本さんが、「一緒にやってやろう」と言って手伝い始めた。

 二人で一つのポールを手に取り、シーソーのように、チルホールを動かすと、ワイヤーが引かれて、木が引っ張られる。

 先程より力は出るが、しかし、突然、変な音がして軽くなった。力がかかりすぎて、ワイヤーが耐えきれなくなり、切れたようだ。

 山本さんは、またタバコを取り出して吸い始める。


「あの、どうするんですか?」


 俺は聞いた。


「飯の時間だ」


 腕時計に目を落とし、山本さんがつぶやいた。

 車に戻り、昼飯を食べた後に、替えのワイヤーを持ってきて、セットし直す。そして三十分後、ようやく木を落とすことができた。

 たった一本の木を倒すのに、計一時間ぐらいかかっている。

 こんなんで本当にいいのか?疑心暗鬼になってくる。

 だが、山本さんはそんなことは気にしてる様子はない。



 昼の作業は、根元が一メートル以上ありそうな、杉の木の伐採に入る。

 しかし、ちょっとした問題が起きた。

 周囲が平らで、木が生えておらず、周囲に滑車をつける木が見当たらない。

 チルホールで伐採を補助する場合、滑車を支点として V の字にチルホールと伐採木が平行になるようにする。

 伐倒木は滑車の方に向かって倒すというイメージである。

 しかし、滑車をつける場所がないということは、どういうことかになるのだろうか?


「じゃあ、あそこにチルホールをつけて、直接引け」


 はるか先の、岩場に生えた木を指さして、山本さんが言った。


「あそこで引けば届かんだろう」


 その時に俺は、言われるままにチルホールを持って行き、根元にセットを始めた。

 疲れと慣れない仕事で、完全に思考停止状態だった。

 そこは、五メートルくらいの岩場の上にぽつんと太い木が立っていた。

 セットし終わり、呼び出しを引き始めると、すぐさま、山本さんが、スターターを引いて、チェーンソーの音が鳴り響く。

 つい先日、民家の裏で伐採をやってる時に、山本さんの指示で行ったのを思い出していた。

 本当に伐採木が届かないかと不安がよぎる。

 さすがに太い木なので、二分ぐらいかかり、受け口と追い口を作り終える。いつもより、時間がかかっている。すると、山本さんが叫ぶ。


「引けぇ」


 俺は言われた通りにチルホールを漕ぎ始めた。

 すると、木がバタバタバタという音を鳴らし、倒れ始める。

 届かないと言っていたが、徐々に倒れてくる木の先端を見ていると、確実に伐採木は、ここまで届くと確信した。

(マジ、このままだと、絶対に当たる)

 逃げようと思って、周囲を見回すが、右手は壁のように岩があり、左手は五メートルくらいの岩場の上で、すぐに逃げることができず、後ろは斜面になっていた。

 これはさすがにやばい、と思った俺は、チルホールを台付けしていた大木の根元の背面に隠れて、木を背にして、右か左か、どちらに倒れるかを見極めて、反対側に逃げればやり過ごせる、と覚悟を決めた。

 木が間近に迫っていた。

 どちらに倒れてくるかは、ギリギリまで見極めて、木の背面に隠れ、倒れる反対側に移って、やり過ごした。

 次の瞬間、枝が周囲に散らばり、風が巻き起こり、砂埃と凄まじい音を鳴らし、枝がわずかに体に触れた。

 心臓がバクバクなっていた。

 しばらく動けずに、そこにじっとしていると、


「おーい、返事をしろ」


 という山本さんの声がした。

 俺は、ヨタヨタと立ち上がり、枝の間から顔を出し、「はい、大丈夫です」と言った。

 後々、考えてみると、全然、大丈夫かじゃねえし、ふざけるなよ、と思ったが、なぜかその時は何も言えなかった。



  *        *        *




 その日の夕方、いつものように、保養施設の銭湯に三人で行く。


「全く、あのじいさん、マジでヤバいっすよ。あやうく殺されそうになりましたよ」


 俺は、思い返すたびに、腹が立ってきて、二人に対して愚痴をこぼした。


「お前も気をつけんとかんな。危ないなら、危ないって言わないと。あのじいさんのこと信用すると本当に殺されるぞ。万が一、事故になっても、じいさんしか証言する人間がいないんだから、いくらでも自分の都合のいいことが言えるしな」


 ゆうじがいった。


「そうですね、気をつけます」

「そんなとこ、やめちまえ。それで、俺の仕事を手伝った方がいいんじゃないの?」


 奈多がいった。


「多分、鎮守の森ってのも、引っ掛かって……」

「関係ないだろう。そういう風に、考えるから余計に悪いことが起こる」


 ゆうじの言葉はいつも冷静だ。


「それよりも逃亡犯が気になるな。警察がうろうろしてるのは気に入らない。さっさと捕まりゃいいんだがな」


 湯船につかり、ゆうじがいった。この日は、浴場には俺たち三人しかいない。


「警察なんて大したことないぜ。特にここら辺の田舎のオマワリなんてさ」


 奈多が哂った。


「免許証、見られたんだろう?」

「で、何ともなかったら、いいじゃん」

「馬鹿野郎、俺たちは一応こう見えても犯罪者だぞ。細心の注意をしないとな?」


 その時、誰もいないと思っていたサウナから、小さなじいさんが出てきた。ゾッとする三人。


「いつからいた?」

「さあ?」

「あのじいさん、耳が悪いから大丈夫だろう」


 奈多がいう。


「何で知ってんだ?」

「いや、なんとなくそんな感じがして……」


 奈多の言葉にあきれる俺たち。

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