2話 新居の内見



「何言い出すんだよ、こんなとこで働くことなんかないだろう?何をして働くんだよ?」

「木を伐る仕事だ。木ならほれ、山ほどあるんだよ。その割に伐る人間がいない。どうだ、やってみないか?」

「バカバカしい、この爺さん、正気か?」


 奈多は呆れる。タバコをふかして、地面でもみ消した。


「おじいさんは、木を伐ってんのか?」


 ゆうじがついでのように聞いた。


「あー、伐ってるよ。家業で伐っている。だから、お前らみたいな若いもんがいたら、ずいぶん助かるんだけどな、やらない?」

「いくらぐらい、もらえるのですか?」


 俺が付き合い程度で聞いた。


「月に二十万ぐらいかな」

「二十万?安すぎるだろ」


 奈多はあきれる。


「但し、衣食住はタダでいい。この上に空き家があるから、そこに三人で住めばいい」


 じいさんは真顔だ。


「やらねぇって」

「この上に家があるの?三人が住めるくらいの?」


 ゆうじが聞いた。


「ああ、上がって見てみるといい」


 と、老人は坂の上を指差した。


「でも、いきなりできないでしょう?木を伐るなんて。長い年月、修行するんじゃないの?」


 俺が坂を上がりながら聞いた。


「そんなことはない。三日、講習受ければ、すぐにでも、チェーンソー使って木を伐れるようになる」

「やるかっての」

「しかし、ここに住むのは悪くないかも」


 ゆうじがぼそりと言った。


「そうだ。見晴らしは最高だぞ。試しに一ヶ月だけやってみたらどうだ?どうせ、お前ら暇だろう?」

「そうだな、悪くないかも」

「ハア?お前、マジで言っているのか?」

「ああ、オモシは?」

「俺ですか?……まあ」


 ゆうじは俺の返事をイエスと取ったようで、奈多を見た。


「だから、やらねえって」


 奈多は拒絶反応を示すように、首を横に振った。


 老人はスタスタと歩いて行き、俺たちを追い抜いて行った。

 俺たち三人は、互いに顔を見合わせて、ゆうじが老人の後についていき、そのあと俺、奈多と続いた。

 車一台が上がれる道を上がりきると、そこに、古びた一軒家が建っていた。

 瓦屋根の二階建て、隣に納屋があって、母屋の裏には庭がある。なかなか広い家だ。

 庭木が植えられているが、伸び放題になっており、人が住まなくなって、しばらく経つのがわかる。

 納屋には、農機具のようなものが置かれており、車を何台か置けるくらいのスペースが空いていた。

 家屋までの上り坂が結構あることからも、広い家だ。その坂をゆっくりと登り切り、老人は、玄関の前に立った。

 玄関は引き戸のガラス張りで、鍵をかけてないようで、老人が手をかけるとすんなり開いた。


「好きなように使っていいから」


 中に入りながら、老人は独り言のつぶやく。


「なかなか、広いな」


 ゆうじが老人に続いて、玄関に吸い込まれていく。


「悪かくないね」


 俺がつぶやくと、「そうか?」奈多が不満げな顔をした。


「二階建てじゃん。階段があるぞ、あれ?」


 ゆうじが子供のように振り返ると、老人は姿がなかった。


 三人とも顔を見合わせる。


「幽霊じゃねえか?」

「狸に化かされてんだよ」


 笑いもせずに、奈多が答えた。



  *        *        *



 森林組合の会議室から、一組の中年夫婦が妻を先頭に、肩をいからせながら出ていった。

 その後を、元治と、森林組合の森林部長の野田和久のだかずひさが、彼らの出ていくのを見送るように出てきた。

 プリプリしながら帰っていく夫婦を後ろで見つめ、「ハーっ」元治は、ため息をつく。

 すると、野田が元治の肩に手を置いた。


「あとは私たちに任せてくれれば、大丈夫だから。あんまり心配しなくても大丈夫ですよ。あの二人は、口はうるさいけど、そこまで無茶は言わないですから。何とかなります」

「本当に、ご迷惑をおかけしました」


 元治は、今日何度目かの、野田に対して深々と頭を下げた。


「ははっ……それより、今の施行地なんだけど、大丈夫かな?今の人員でやれる?」

「まあ、なんとかやってます。ひとが集まらないんで、進行は遅いですが」

「ハローワークに求人出しているんだよね?問い合わせはあった?」

「それが、一年間出し続けているけど、全くありません」

「そうか、今はどこも厳しいからね。うちもギリギリ何とか、人員を確保できているが、辞める人間もいるから、毎年、綱渡り状態だよ。だから、モリモリさんのような協力会社がいてくれると助かりますよ。なるべく、力になりますから、頑張ってください」

「ありがとうございます」


 野田の言葉に、曖昧の意味を浮かべる元治。


 森林組合は、地域の山主を組合員として、山の管理を一手に引き受けているほかに、民間林業事業体の受け皿にもなっている。

 仕事のあっせんをしたり、補助金の申請や測量、施業地の境界線の確認、山主との仲介なども業務の一環だ。


「従業員かぁ」


 森林組合の事務所を出た時、元治は思わずつぶやいた。



  *        *        *



 リビングに大きなソファーが置かれており、そこに三人並んで、だらりと座る。天井を見上げて、タバコをふかすゆうじ。


「いいんですか?人の家でタバコなんて吸って?」


 俺が心配して聞くと、


「だって、好きに使っていいって言ったじゃん。じいさんがさぁ」

「そうですけど、なんか、やっぱり借りものだし……」

「借りるかどうかはわからんけどな」

「まあ、そうですけど……」


 再び沈黙が訪れる。


「ってか、落ち着いている場合じゃねぇ。どうすんだよ、これから?」


 奈多が起き上がり、叫ぶ。


「だったら、一人で行けよ」


 ゆうじが煙をフーッと吹いた。


「考えてみろ、今動くのはヤバイ。少なくとも、一年くらい様子をみたほうがいい。知り合いなんかにも連絡を入れず、とにかく潜るんだ」

「だったら、都会だろ?木を隠すなら、森だろ。せめて、名古屋とか大阪にいけば、バレないんじゃないのか?」

「考えが甘いんだよ、ヤツラの情報網をなめるな。俺たちが行きそうな場所ならすぐに見つけられる」

「そんなもん、知らないよ。だったら、どっかに逃げればいい。海外に高飛びすれば……」

「そんな金どこにあるんだよ?」

「二百万、あっただろう?」

「二百万円で、三人を海外に密入国なんでできんよ。それに、あれはダメだ、あれは使えない。オモシの意見は?」


 矛先が俺にむいた。


「俺もゆうじさんの意見に賛成です。逃げるよりここに留まって、態勢を立て直した方がいいと思います。とりあえず、少しの間、様子見るって言うのはどうですか?」

「だろ」

「少しって何時までだよ?嫌だ、俺は絶対に田舎なんかに居られない。だいたい、なんでこいつの意見を聞く?こいつは……」

「おい、いいかげん、組織のことを引きずるなよ。もう、終わってんだよ。あんたも、組織も。俺たちは対等だ。上の気でいるな」

「なんだと?」

「嫌なら出ていけよ。頼ってくんなや」

「頼ってねえだろ、お前らが頼ってきたんだろう?お前らが邪魔したんじゃないか。俺が逃げるのを、だから、こんなことになってるんだ」

「お前、寝ぼけていんのか?どの口が言う、だいたい……」

「もう、やめてください」


 その時、チャイムが鳴ったことで、三人が停止する。


「ごめんください」


 しわがれた女性の声がする。

 弾かれたように奈多が立ち上がり、玄関へむかう。後からついていくと、そこには老婆が一人立っていた。


「朝ごはん、食べる?」


 老婆が両手におにぎりの乗った盆を抱えていた。聞けばその老婆、最前の爺さんの奥さんだと言う。


「あなたたち、うちに働きに来てくれるんだって。いつから来るの?」


 昔は美人だっただろう、細身の上品な顔立ちの老婆は無邪気に尋ねた。


「えっ?行かないって」


 奈多は、おにぎりを頬張りながら、すぐさま否定する。


「林業って、何をやるんですか?」


 ゆうじがついでのように聞いた。


「山仕事?木を伐って、出して、トラックに積んで、家まで持ってきて、そこから市場に出すのよ」


 老婆は、ニコニコして答える。とても気の良さそうな人だ。七十代ぐらいだろうか。


「へー、そうかい」


 奈多は失礼なほど、興味がない。


「でも、木なんて、切ったことがないからな。想像もできん」

「素人でも、できるわよ、簡単だって。うちの子もまだ三年目だから。大したことないわ。ふふふ」

「息子って、今朝来た人?いくつなの?」

「えーと、確か、三十二よ」

「その割に髪も薄くて、老けてたな。……俺らより、八つ上か」


 ゆうじがつぶやいた。


「お前、二十五だったの?」

「何だ、知らなかったのか?俺ら、みんな同い年か」

「俺は一コ下です」

「今やるか、どうかわかんないけど、とりあえず、見学させてもらうかもしれないかな?」


 ゆうじが聞いた。


「構わないわよ、息子に言っとくね」

「この辺は、みんなおばあちゃんの家の土地?」


 奈多が失礼な口の利き方を続ける。


「そうよ」

「土地、あるんだね?」

「まあ、大したことないけどね」

「じゃあ、人なんかいらないだろう。全部、自分たちでやれよ」

「仕事は、自分たちの山の中でやるんですか?」


 俺が聞いた。


「いろいろよ。森林組合の仕事も請け負ったりしている。あと、山主に頼まれてやることもあるし、いろいろ」

「ヤマヌシ、何だよ?」

「面白い子たちね、うふふふふっ」


 老婆は ケタケタと笑っていた。

 老婆がくれたおにぎりと味噌汁は、温かく、とても美味しかった。まるで、実家に帰ったような、安心感を与えてくれた。

 おばあさんが帰ってから、俺たちは再び、これからの退路に進路についての話し合いをすることとなる。

 ああだこうた、いろいろ話したが、結局、結論は出ず、下した判断は俺とゆうじが翌日、林業の作業現場を見に行くことだけだった。

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