第二章 モリモリ材木店

1話 山に落ちていたヤツら







 その日の森末元治もりすえもとはるは、 眠れぬ朝を迎えていた。

 昨日、狂ったように山主やまぬし夫婦が、会社にどなりこんできたからだ。

 詳細はこうだ。

 作業員が伐り倒した木が、施行地外に入り、立ち木を傷つけた。その山の持ち主が、それに気づき、モリモリ材木店に、森林組合を通して被害を訴えてきたというのが顛末だ。それにしても、


「あのじじい……」


 元治は、思わずつぶやいた。


 施行地外に倒した張本人は、今年七十になる林業に携わり、半世紀以上の大ベテランの老人であった。

 老人の名は、山本国芳やまだくによしという。その山本老人の仕事ぶりが、近頃、元治の目に余るようになっていた。

 そもそも伐倒方向など考えていない。とにかく、谷側に倒せば楽だからと、何でもかんでもすべて、下方伐採をする。

 谷側に倒せば、傾斜地なら、杉など瞬く間に滑り落ちていくことは目に見えているのに、じいさんはお構いなしだ。

 結果、施行範囲をはみ出して、他の所有者の山の中に滑り落ちていく。そして、今回のような、他人の山の木を傷つけて、弁償、なんてことになる。

 大昔は、それでも通ったのかもしれない。

 じいさんが、もともと勤めていた会社は、地域の山に顔が利く大きな会社だったので、多少の無理をしても融通が利いた。

 しかし、今は時代が違う。安全第一になってきたし、業界も、とかくうるさくなってきた。その辺の変化に、老人は疎いと元治は感じていた。

 定年になった山本老人は、農家をしているところを、親方(元治の親父)が口説いて、モリモリ材木店に一人親方として手伝いに来ている。

 昔取った何とやらで、偉そうにしているが、抜けが多い。伐採が早いだけで、技術的には、それほどでもなく、それでいて、プライドが高くて扱いづらい。

 しかし、そんな人でも、人手不足な現状では、何よりいてもらわないと仕事にならないのが現状だ。

 元治は、二度目の ため息をついた。

 山本老人が伐った木が入った山の主が、この界隈でも有名な自伐林家の夫婦であった。この夫婦、しょっちゅう、近隣の山でトラブルを起こしていることで、そっぽを向かれている。

 ちまみに自伐林家とは、自分の家で山を持っており、その山の木を伐採して、生計を立てている自営業者の事だ。

 今朝、森林組合の森林部長を間に立てて、その夫婦と話し合いをすることになっていた。どんな無理難題を吹きかけてくるかわからない。

 憂鬱な気持で、業務車の銀のエブリーワゴンで家を出て、林道を下って行った。

 山の頂上がモリモリ材木店兼、実家なのだが、坂を下っていくと、茶畑がある。

 季節は、新緑。茶畑はもうじき、若葉をつけてくる。

 そんなことを考えて坂を下りていくその中に、新型のジムニーがフロントを突っ込んだ形で止まっているのを発見した。

 この辺では、見かけない車であった。

 車を道の真ん中に止めておりていき、近づいてみると、車内にこれまた見かけない若者二人が俯せになっているのを発見した。

 元治は、慌ててドアノブに手をかけてドアを開ける。


「大丈夫か?」


 運転席の若者は、額から血を流しており、それが固まっていた。助手席の男は、頭を上にあげて、手をだらりとさせており、気を失っているようだ。


「うううっ」


 後部座席の方から声がした。

 後部座席をのぞき込むと、前のシートとの間に一人、倒れているのが見えた。


「おい、君、大丈夫か?」


 すると、後部座席の男が目を覚ました。大柄な若者であった。


「……すいません」

「わかった。今助けるから、動けるか?」

「はい……おはようございます」


 酔っているのか、それとも寝ぼけているようだ。

 斜めになった車体から、まず、運転席の若者を引きずり出して、上の道に寝かせた。


「俺は、どうした?」


 若者が目を覚まし、元治を見上げて尋ねた。


「事故を起こしたらしい。どこか痛むところはない?」

「……ああ」


 若者は、何とか状況を理解しようと、周囲を見回す。


「怪我はない?」

「大丈夫そうです」


 車から出て、茶畑の間に寝かせる。


「他の連中は?」


 ぼんやりとした意識の中で、ようやく状況がつかめたようだ。


「車の中だ。今、順番に助け出すから」


 元治は声をかけた。


「おいっ」

「あっ、大丈夫です、心配いりません。すいません」

「なら、一人で外に出られるな」

「はい。……ここは、どこですか?天国ですか?」


 まだ、寝ぼけているようだ。後部座席の若者を先に外に出した。

 助手席に回り込み、茶髪の色白な若者に声をかける。


「おい、大丈夫か?」


 しかし、先ほどから意識がなく、目を閉じたままだ。


「おい、手伝ってくれ。彼、意識がない。……おい、しっかりしろよ」


 頬を叩いて、確かめてみると、ようやく、目を開いた。


「よかった、気が付いた。今から救急車、呼んでやるからな」

「ってえな。誰だ、オッサン?」


 頬を擦りながら奈多は、オッサンを見あげた。


「君たちの車が畑に突っ込んでいたんだ。君、ここから出られるか?」

「……ん?ああ」


 奈多は状況を確かめている。ゆうじはその様子から、はじかれたように奈多の元へと向かう。


「大丈夫か?」

「ああ、しかし、何だってこんなところにいるんだ?」

「おいおい説明するが、とりあえず、外へ出ろ。立てるかどうか確かめるから」


 ゆうじは冷静に、元治と奈多の間に入り、余計なことを言わないように、奈多に寄り添った。


「立てるさ」


 と外へ出ようとした、奈多であったが、足を踏ん張った瞬間、「痛あ」と叫んだ。


「どうした?骨でも折ったのか?」

「なんだよ、さっきからオッサンよお」

「バカ、俺たちを助けてくれた人だ。礼を言えよ」

「そうなのか?」

「救急車を呼ぼうか?」


 元治が奈多をのぞき込む。


「そうしてくれ」


 奈多が言うのを、ゆうじが慌てて制した。


「いや、いいです。大丈夫です、ありがとうございます」

「良くないだろう?」


 オッサンと奈多が同時に言った。


「いいです。これ以上迷惑をかけられませんよ」


 怪訝な表情するする元治に、頑なに「大丈夫」と言い張るゆうじ。奈多も状況を掴めたらしく、だんまりを決め込んだ。


「それより、この車をどうにか外へ出したいと思っているのですが、どうにかなりませんかね?」


 ゆうじは話題を変えた。


「君、本当に大丈夫なのか?」

「まあ」


 曖昧に答える奈多。


「僕たち旅の途中なんです。警察とか救急車とか、そういうのは大丈夫なんで、走行できれば、それでいいです。それより、この車を畑から出せませんかね?」

「なんとか出られるよ。前進して、バックで切り返しながら、この間から出られるよ。お茶は気にしなくていいから」


 とお茶の間を指して、オッサンは言った。


「やってみます」


 ゆうじがやってみると、確かに言われた通りに出た。


「本当にありがとうございました」

「君たち、本当に大丈夫なのか?」


 しつこく聞く元治。


「大丈夫です」

「もし、あれなら、そこで休んでいけばいい。ここは俺の土地なんで、何かあったら、その時また、言ってくれればいいからさ」


 あくまでも親切にしてくれる元治に、若者たちはどう対処していいか、反応に困ったように黙っていた。


「ここ行ってもいいからさ、もし、なんか必要なら遠慮なく言って。家に連絡しとくよ」


 と時計を見て、オッサンは車に乗り込んで行ってしまった。


 ゆうじが目の前にくると、頭から血を流しているが見えた。顔にかけて流れ出た血が、固まっているので、昨夜から相当時間が経っているようだ。


「俺、大丈夫か?」


 俺の表情を見て、ゆうじが問いかけてくる。


「頭から血が出てますが、固まってます」


 すると、頭を触って、指を確認する。黒い血の塊がついていた。


「人に見られたな」


 奈多がポツリと言った。


「ああっ」


 しばらく 沈黙する3人。


 すると 奈多は、おもむろにポケットからタバコを取り出して火をつけ、煙を吐いた。


「何だかな……一本くれよ?」


 ゆうじ が言うと、奈多は自分のタバコを差し出して、ゆうじに渡すと、ライターを点火して、ゆうじが顔を近づけ、タバコを火をつける。

 白い煙を吐いていると、二人は、いきなり笑い出した。


「何で畑に突っ込むかな、ありえんでしょ?」

「お前が、ハンドルを掴むから」

「お前だと?」


 その時、道の角を曲がり、腰に手をまわしたおじいさんが一人、歩いてきた。

 俺は、ぎょっとして立ち止まる。


 すると、おじいさん。


「どう?」


 畑に車が落ちた後がついているのを見てじっと見て、そして、俺たち三人の方を見た。

 完全な白髪頭が爆発したように立っている、小さな老人だ。眼鏡の奥の目が、ドングリを横にしたような小さな目をして、俺たちを見つめている。


「すいません、車を落としちゃったんで、今、なんとか脱出したんですけど。この家の人が、ここでちょっと休んでてもいいと言ったんで、休んでるんです」


 俺が説明すると、「あー、そうかい」とだけ、答えた。


「なんか、イライラする」


 奈多は小声でいう。


「やめろ」

「あんたらは東京から来たか?」


 おじさんが誰に対してか、聞いてきた。


「あー、そうだよ」


 奈多がぶっきらぼうに答える。


「何しに来たんだ?」

「別に目的はないですよ。ここを通っただけなんで。そうだ、 おじいさん、ここら辺に食べ物を売っているコンビニとかないです?」


 ゆうじが尋ねた。


「コンビニはねえな。五キロぐらい下に行ったところに、ドコモ商店があるだけだ」

「そうかい」

「お前ら、どこ行くつもりなんだ?」

「別に目的はないよ。目的のない旅の途中さ」

「じゃあ、ここに住んで、ここで働けばいい」


 おもむろに、じいさんが言った。

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